月世界最初の人間
The First Men in the Moon
- 出版年
- 1901年
- 作者
- H・G・ウェルズ
- 翻訳
- 開原 藍誠
- 概要
- 重力を遮断する新物質により月へ旅立った二人の男が、異形の知的生命体セレナイトの文明に遭遇する。未知の世界での驚異と恐怖、そして人間性の不合理さがもたらす悲劇を描いた、壮大なSF冒険譚である。
第一章 ベッドフォード氏、リムでケイヴァー氏に出会う
南イタリアの青空の下、葡萄の葉が落とす影の中に腰を下ろしてこれを書いていると、ケイヴァー氏のあの驚くべき冒険に私が加わったのは、結局のところ、まったくの偶然だったのだという思いに、今さらながら驚かされる。私でなく、誰であってもよかったのだ。あの出来事に巻き込まれた当時、私は心を乱されるような経験とは、まず縁のない場所に身を置いたつもりでいた。リムに来たのも、世界でいちばん何も起こらない土地だと思ったからである。「ここなら、少なくとも」と私は言った。「心穏やかに仕事ができるはずだ!」
そして、その結果がこの本だ。運命というものは、人間のささやかな目算とは、かくもかけ離れている。ここで断っておくと、その少し前、私はある事業で手ひどい失敗をしていた。今は豊かな暮らしに囲まれているだけに、当時の窮状を認めるのにも、どこか贅沢な味わいがある。あの災難には、ある程度、自分で招いたところもあったのかもしれない、とさえ認められる。私にも何かしら才のある方面はあるのだろうが、事業の経営はその中に入っていない。だが当時は若かった。その若さは、ほかにもいろいろ困った形で現れたが、自分には商才があるという自負もその一つだった。年齢だけなら今でも若い。しかし、その後の経験が、心からは若さをいくらか削り取ってしまった。その下から知恵が顔を出したかどうかは、かなり怪しい。
ケントのリムに私を追いやった投機のいきさつを、詳しく述べる必要はあるまい。この時代には、商取引にさえ冒険の味が濃厚にある。私は危ない橋を渡った。こうしたことには必ず幾分かの持ちつ持たれつがあるものだが、最後には、まことに不本意ながら私が持たせる役に回った。すべてから手を引いたあとでさえ、一人の気難しい債権者が、わざわざ意地悪を仕掛けてきた。自分の正義を踏みにじられたと信じ、烈火のごとく怒る人間に、読者も出会ったことがあるだろう。いや、ご自身がそうなっただけかもしれない。その男は容赦なく私を追い立てた。ついには、勤め人になってあくせく食いつなぐのが嫌なら、芝居を書くほかないと思い詰めた。私には多少の想像力と贅沢な好みがあり、そんな運命に捕まる前に、ひとつ大いに抵抗するつもりだった。あのころは商才への自信に加えて、たいした芝居が書けるはずだという思い込みを、常々抱いていた。こういう確信は、さほど珍しくないと思う。正当な商取引以外で、これほど大儲けのできる仕事はないと知っていたから、おそらくそれが判断を甘くしていたのだろう。実際、このまだ書いていない芝居を、いざという日のために取ってある、便利なへそくりのように考える癖がついていた。そのいざという日が来たので、私は仕事に取りかかった。
芝居を書くには、思っていた以上に時間がかかると、すぐにわかった。初めは十日もあればよいと踏んでおり、そのあいだの仮住まいを求めてリムにやって来たのだ。あの小さな平屋を見つけたのは幸運だと思った。三年契約で借り、わずかばかりの家具を入れ、執筆中は自炊した。私の料理を見たら、ボンド夫人は仰天したに違いない。それでも、なかなか味はあったのだ。コーヒーポットが一つ、卵をゆでる鍋とジャガイモをゆでる鍋が一つずつ、ソーセージとベーコンを焼くフライパンが一つ――私の安楽を支える道具は、それだけだった。いつも豪勢には暮らせないが、質素に暮らすことならいつでもできる。そのほかに十八ガロン入りのビール樽をつけで仕入れ、信用してくれたパン屋が毎日通ってきた。贅沢で名高いシバリス風の暮らしとはいかなかったかもしれないが、もっとひどい暮らしもしたことがある。実に気のいい男だったので、パン屋には少々気の毒な気もしたが、その男に対してさえ、いずれは何とかなると希望を持っていた。
孤独を求める人なら、リムこそふさわしい。ケントの粘土質の土地にあり、私の平屋は、かつて海に面していた崖の縁に立って、ロムニー・マーシュの平地越しに海を望んでいた。雨がひどく降ると、ほとんど行き来ができなくなる。郵便配達人は、道のとくに汁気たっぷりの箇所を通る際、足に板をつけたこともあると聞いた。実際に見たことはないが、さもありなんと思う。今の村をなすわずかな家々の戸口には、大きな樺の枝ぼうきが差してあり、靴についた粘土のあらかたをそこで払い落とす。これだけでも、この土地の肌合いはおわかりだろう。永遠に過ぎ去った時代の、薄れゆく記憶の名残でなかったら、この村がそもそも存在していたかどうか疑わしい。ローマ時代には、ポルトゥス・レマニスというイングランド随一の港だったのだが、今では海は四マイルも先にある。急な丘の斜面には、大石やローマ時代の煉瓦造りの残骸が転がり、ところどころに舗装を残す古いワトリング・ストリートが、ここから北へ矢のように延びている。私はよく丘に立って、往時を思い描いた。ガレー船と軍団兵、捕虜と役人、女たちと商人、私のような投機家――港を鎖の音も高らかに出入りしていた、その群れと喧騒を。ところが今は、草の斜面にがらくたの塊がいくつか、羊が一、二頭――それに私がいるだけだ。港のあった場所には平らな湿地が広がり、大きな弧を描いて遠いダンゲネスまで続いている。あちこちに木立や古い中世の町の教会塔が点在し、それらの町も今や、レマニスのあとを追って消滅へ向かっている。
あの湿地を見渡す眺めは、実際、私がこれまで目にした中でも指折りのものだった。ダンゲネスまでは十五マイルほどだったろうか。海に浮かぶ筏のように横たわり、そのさらに西には、夕日を背にヘイスティングスの丘々があった。近くくっきりと浮かぶ日もあれば、色あせて低く沈む日もあり、流れていく雲や雨にすっかり隠されることもしばしばだった。手前の湿地には、溝や運河が縫い目のように走り、光を返していた。
仕事机の窓からは、この丘の稜線を見渡せた。初めてケイヴァーを見かけたのも、この窓からだった。私はちょうど筋書きに悪戦苦闘し、単調な骨仕事から心が逃げないよう押さえつけていたところで、当然のことながら、その姿に目を奪われた。
日は沈み、空には緑と黄色の鮮やかな静けさが広がっていた。その空を背に、黒い人影が現れた――まことに奇妙な、小さな姿だった。
背が低く、胴は丸く、脚は細い。動作にはいちいち、ぴくりとしたところがある。その並外れた頭脳の持ち主は、なぜかクリケット帽に外套、自転車用の半ズボンと長靴下という身なりを選んでいた。自転車にも乗らず、クリケットもしない人だったので、なぜそんな服装なのか、私にはわからない。どういういきさつで集まったのか知れない、偶然の取り合わせだった。手や腕を振り、頭をひょいひょい動かし、ぶんぶんうなっていた。何か電気仕掛けのものが鳴っているような音だ。あんなうなり声は、まず聞いたことがあるまい。しかも、ときどき途方もなく妙な音を立てて咳払いをした。
雨上がりで小道はひどく滑りやすく、そのため、ただでさえぎくしゃくした歩き方がいっそう際立った。ちょうど日の沈んだあたりを背にしたところで立ち止まり、時計を取り出し、ためらった。それから、ひきつけでも起こしたような身振りで向きを変え、いかにも大急ぎといった様子で引き返した。もう手振りはせず、今度は大股に歩いたので、体に比べて大きな足が、いやでも目についた。こびりついた粘土が、その足を滑稽なほど大きく見せていたのを覚えている。
これは滞在初日の出来事で、芝居を書く気力も最高潮だったから、私はただの邪魔、五分の無駄としか思わず、筋書きに戻った。ところが翌夕も、そのまた翌夕も、実に正確に同じ姿が現れた。事実、雨さえ降らなければ毎夕そうだったので、筋書きに集中するのに、かなりの努力が必要になった。「忌々しい男だ」と私は言った。「まるで操り人形になる稽古でもしているようじゃないか!」数晩はかなり本気で毒づいた。やがて苛立ちは、驚きと好奇心に変わった。いったい、どうして人間があんなことをするのだろう? 十四日目の夕方、とうとう我慢できなくなり、姿が見えるやフランス窓を開け、ベランダを横切って、男が決まって立ち止まる場所へ向かった。
近づいたときには、もう時計を取り出していた。それまでは逆光でしか見たことがなかったが、ふっくらした赤ら顔に、赤褐色の目をしていた。向きを変えたところへ、「ちょっとよろしいですか」と声をかけた。男は私を見つめた。「ちょっとなら、もちろんです。もし、もう少し長いお話でしたら、差し支えなければ――その『ちょっと』はもう過ぎましたが――歩きながらではいけませんか?」
「かまいませんよ」と私は横に並んだ。
「私は生活を規則正しくしております。人と交わる時間は――限られていますので。」
「すると、今は運動の時間なのですね?」
「そのとおりです。夕日を楽しみに、ここへ来るのです。」
「そうではないでしょう。」
「何ですって?」
「一度もご覧になっていません。」
「一度も見ていない?」
「ええ。十三晩拝見しましたが、一度も夕日をご覧になっていません。一度もです。」
難問を突きつけられた人のように、眉を寄せた。
「いや、日の光を楽しんでいるのです――空気を。この道を進み、あの門を抜けて」――肩越しに頭を振った――「ぐるりと回って――」
「通っていませんよ。一度も。そんなのは嘘です。そもそも道なんかありません。たとえば今夜だって――」
「ああ、今夜ですか! ええと。そう、時計を見ましてね。外へ出て、きっかり三十分を三分ほど過ぎていました。それで、回っている時間はないと思って引き返したのです――」
「いつもそうなさいます。」
男は私を見て、考え込んだ。「言われてみれば、そうかもしれません。しかし、お話とは何でしょう?」
「ですから、このことです!」
「このこと?」
「ええ。なぜあんなことをするんです? 毎晩、妙な音を立ててやって来て――」
「音を立てて?」
「こういう音です。」
私は例のうなり声をまねてみせた。男は私を見た。その音がひどく気に入らないのは明らかだった。「私がそんなことを?」と尋ねた。
「毎晩毎晩です。」
「少しも知りませんでした。」
ぴたりと立ち止まり、真剣な顔で私を見た。「まさか」と言った。「癖になっていたのでしょうか?」
「どうも、そのようですね。違いますか?」
親指と人差し指で下唇をつまんで引き下げ、足もとの水たまりを見つめた。
「考え事が多いものですから」と言った。「それで、あなたはなぜなのかとお尋ねなのですね! いや、実を申しますと、どうしてそんなことをするのかわからないばかりか、していることさえ知りませんでした。考えてみると、おっしゃるとおりです。あの野原の先へは、一度も行っていません……。それで、あなたにはご迷惑なのですね?」
なぜか、私は少し気の毒になり始めていた。「迷惑というほどではありません」と言った。「ただ――ご自分が芝居を書いているところを想像してみてください。」
「それは想像できません。」
「では、何でもいい、集中力の要る仕事を。」
「ああ!」と男は言った。「なるほど」そして考え込んだ。その顔に、あまりにもありありと苦悩が浮かんだので、私はますます気の毒になった。そもそも、見ず知らずの相手に、公道でなぜ鼻歌を歌うのかと詰め寄るのは、いささか喧嘩腰ではある。
「何しろ」と男は弱々しく言った。「癖なものですから。」
「ええ、それはわかりました。」
「やめなくてはいけません。」
「いや、ご無理なら結構です。そもそも私が口出しすべきことでは――少し出過ぎました。」
「とんでもありません」と男は言った。「とんでもない。大変ありがたく思っています。こういうことには気をつけるべきでした。これからは気をつけます。お手数ですが――もう一度だけ。その音を?」
「こんな感じです」と私は言った。「ズッズー、ズッズー。でも本当に、その――」
「まことにありがとうございます。実際、自分でも呆れるほど上の空になっているのは承知しています。おっしゃるのはもっともです。まったくもっともです。むしろお礼を申し上げねばなりません。もうやめます。それにしても、ずいぶん遠くまでお連れしてしまいましたね。」
「どうか、私の失礼を――」
「とんでもありません。とんでもない。」
私たちはしばし見つめ合った。私は帽子を上げて別れの挨拶をした。男もぎくりとした動作で応じ、それぞれの道へ向かった。
柵の踏み越し段のところで、私は遠ざかる姿を振り返った。様子がすっかり変わり、力が抜け、縮んでしまったように見えた。さっきまで手を振り、ズッズーと鳴いていた姿との違いが、我ながら妙なことに、ひどく哀れに思えた。見えなくなるまで見送ってから、余計な口出しなどしなければよかったと心底悔やみ、平屋と芝居のもとへ戻った。
翌夕も、その翌夕も姿は見えなかった。だが、しきりとあの男のことが頭に浮かんだ。人情味のある道化役にすれば、筋書きを進めるのに役立つかもしれない、とも思った。三日目に、男は私を訪ねて来た。
しばらくは、何の用なのかわからなかった。ひどく改まった調子で当たり障りのない話をしていたが、やがて唐突に用件を切り出した。私の平屋を買い取りたいというのだ。
「いいですか」と男は言った。「あなたを少しも責めてはいません。しかし、あなたは私の習慣を壊してしまわれた。それで一日の調子が狂うのです。何年もここを歩いていました。何年もです。きっと鼻歌も歌っていたのでしょう……。それが全部できなくなってしまったのです!」
別の方角を歩いてみてはどうか、と私は勧めた。
「駄目です。ほかの方角はありません。ここしかないのです。調べました。そして今は――毎日午後四時になると――行き止まりにぶつかってしまうのです。」
「しかし、そこまで大切なことでしたら――」
「死活にかかわります。私は――その、研究者なのです。科学の研究をしております。住まいは――」そこで黙り、何やら考える様子をした。「すぐ、あそこです」と言って、いきなり私の目を突きそうな近さで指を差した。「木立の向こうに、白い煙突が見える家です。それに、私の置かれている状況は特殊なのです。特殊なのです。私は今、きわめて重要な――実証を完成しようとしております。断言しますが、これまで行われた中でも、最も重要な実証の一つです。絶えず考え続け、心を安らかに、しかも活発に働かせていなくてはなりません。そして午後こそ、頭がいちばん冴える時間だったのです! 新しい考え、新しい見方が、泡立つように湧いてきたのです。」
「それなら、これまでどおりお通りになればいいではありませんか?」
「もう同じにはなりません。自分のことが気になるでしょう。仕事を考える代わりに、あなたが芝居を書きながら、苛々して私を見ていると思ってしまいます。駄目です! あの平屋を手に入れなくては。」
私は考え込んだ。もちろん、決定的な返事をする前に、十分考えておきたかった。当時の私は商売の話ならたいがい乗り気だったし、何かを売ることにはいつも心を引かれた。だが第一に、あの平屋は私のものではない。たとえよい値で売れても、今の家主に話を嗅ぎつけられたら、品物の引き渡しに差し障りが出るかもしれない。第二に、私は、まあ――まだ免責を受けていなかった。これは明らかに、慎重な扱いを要する商談だった。そのうえ、相手が価値ある発明を追っているかもしれないという点にも興味があった。その研究をもう少し知りたくなった。不正な下心からではなく、どんなものか聞けば、芝居を書く息抜きになると思っただけだ。私は探りを入れた。
男は喜んで話してくれた。いや、ひとたび本格的に語りだすと、会話は独演になった。長いあいだ閉じこもり、同じことを何度も何度も自分一人で考えてきた人間の話し方だった。一時間近く続き、正直なところ、聞くのはかなり骨だった。だがそのあいだじゅう、自分に課した仕事をさぼっているときの満足感が、心の底に流れていた。この最初の面談では、研究の筋道はほとんどつかめなかった。言葉の半分は、まるで聞き覚えのない専門用語だった。一、二箇所は、本人が初歩の数学と呼ぶもので説明してくれ、インク鉛筆で封筒に計算を書きつけたが、わかったふりさえ難しい代物だった。「ええ」と私は言った。「ええ、どうぞ続きを!」
それでも、ただの変人が発見ごっこをしているのではないと確信するだけのことはわかった。見かけこそ変人めいていたが、そんなふうには片づけられない力があった。正体はどうあれ、機械に応用できるものらしかった。作業小屋と、もとは日雇いの大工だった三人の助手を、自分で仕込んだという話も聞いた。作業小屋から特許局までは、明らかにほんの一歩だ。男はそれらを見に来ないかと誘った。私は二つ返事で承知し、言葉を添えて、ぜひ伺いたいと念を押した。平屋を譲る話は、実に都合よく宙に浮いたままになった。
やがて長居を詫びて立ち上がった。自分の研究を人に話す楽しみは、めったに味わえないのだという。私ほど理解のある聞き手には、そうそう出会えないし、専門の科学者とはほとんどつき合わないらしかった。
「狭量なことが多すぎます」と説明した。「駆け引きも多すぎる! それに実際、何か着想を得ると――新しく、実り豊かな着想をですね――悪く言いたくはありませんが――」
私は直感を信じる人間だ。そこで、今思えば軽率だったかもしれない提案をした。だが、十四日ものあいだリムで一人、芝居を書き続けていたこと、そして散歩を台無しにした後ろめたさが、まだ胸に残っていたことを忘れないでいただきたい。「いっそ」と私は言った。「これを新しい習慣になさってはどうです? 私が壊した習慣の代わりに。少なくとも、平屋のことに決着がつくまででも。必要なのは、研究のことを頭の中で考え直すことでしょう。これまでは、それを午後の散歩でなさっていた。残念ながら、もう元どおりにはいかない。だったら、ここへ来て私に研究の話をなさればいい。考えを投げつけては受け止める、壁のようなものだと思っていただければ。私には、ご自分の着想を盗めるほどの知識がないのは確かですし、科学者の知り合いもいませんから――」
私は口を閉じた。男は考えていた。明らかに心を引かれていた。「でも、退屈なさるのでは」と言った。
「私では鈍すぎますか?」
「いや、そうではなく、専門的な話になりますから――」
「ともかく、今日のお話は実に興味深く伺いました。」
「もちろん、私には大変な助けになるでしょう。考えを明確にするには、人に説明するのが何よりです。これまでは――」
「では、もうお決まりですね。」
「しかし、本当にお時間を割いていただけますか?」
「仕事を替えることほどよい休養はありません」と私は深い確信を込めて言った。
これで話は決まった。ベランダの階段で男は振り向いた。「すでに大変お世話になっています」と言った。
私は、何のことかと声を出した。
「あの馬鹿げた鼻歌の癖を、すっかり治していただきました」と説明した。
何かお役に立てたならうれしい、といったことを私が答えると、男は向こうを向いた。
すると、会話から生まれた思考の流れが、たちまちまた頭を占めたのだろう。腕が以前の調子で揺れ始めた。かすかな「ズッズー」が、風に乗って戻ってきた……。
まあ、結局それは、私の知ったことではない……。
翌日も、その翌日もやって来て、互いに満足のゆく物理学の講義を二度行った。「エーテル」や「力管」、「重力ポテンシャル」などについて、これ以上明快な説明はないといった顔で話す。私はもう一つの折り畳み椅子に座り、「うん」「続けて」「わかるよ」と相槌を打って、先を促した。恐ろしく難しい話だったが、私がどれほど理解していないか、本人は一度も疑わなかったと思う。この時間の使い方でいいのかと思う瞬間もあったが、とにかく、あの忌々しい芝居からは解放されていた。ときどき、物事が一瞬くっきりとわかることがあったが、つかんだと思った途端に消えてしまった。まるきり注意が続かなくなると、理解を諦めて相手を眺め、やはりこの男を主人公に愉快な笑劇を書いて、ほかのことは全部放り出す方がよいのではないかと考えた。そうかと思うと、またしばらく話の筋を追えたりするのだった。
最初の機会をとらえて、私はその家を見に行った。大きな家だが、家具のしつらえには無頓着だった。三人の助手以外に使用人はおらず、食事も私生活も、哲学者めいた簡素さに徹していた。酒を飲まず、菜食を守り、そのほかにも理屈にかなった節制を一通り実行していた。だが、設備を目にすると、いくつもの疑念が消えた。地下室から屋根裏まで、何もかもが本物の研究所だった。こんな片田舎の村にあるとは驚くべき施設だ。一階の部屋には作業台や実験装置が並び、パン焼き場と台所の湯沸かし釜は立派な炉に変身し、地下室には発電機、庭にはガスタンクがあった。長く一人で暮らしすぎた人特有の、無防備な熱心さで、隅々まで見せてくれた。孤独の堰が切れた今、信頼があふれ出していたのだ。そして私は幸運にも、その受け手になった。
三人の助手は、それぞれの出身である「何でも屋」という階層の、なかなか立派な見本だった。頭はよくなくとも実直で、力があり、礼儀正しく、仕事をいとわない。料理と金属細工を一手に引き受けるスパーガスは元船乗りで、二人目のギブスは指物師、三人目はもと日雇いの庭師で、今は雑用の助手をしていた。まったくの作業員で、頭を使う仕事はすべてケイヴァーが担っていた。私の混乱した理解と比べてさえ、三人は何も知らないに等しかった。
さて、この研究の中身についてである。ここで残念ながら、大きな難問に突き当たる。私は科学の専門家ではない。ケイヴァー氏の実験が何を目指していたかを、あの高度に専門的な言葉で説明しようとすれば、読者ばかりか私自身まで混乱させるだろうし、ほぼ間違いなくどこかで粗相をし、この国の最新の数理物理学を学ぶ学生という学生から嘲笑を浴びることになる。だから、持ち合わせてもいない知識を着飾って見せようとはせず、私なりの不正確な言葉で、受けた印象を述べるのが最善だと思う。
ケイヴァー氏が探していたのは、「あらゆる形態の放射エネルギー」に対して「不透明」な物質だった。実際には別の言葉を使っていたが、忘れてしまったので、「不透明」で意味は通じるだろう。「放射エネルギー」とは、教えられたところによると、光や熱、一年ほど前にたいそう話題になったレントゲン線、あるいはマルコーニの電波、さらには重力といったものを指す。これらはすべて、ある中心から外へ放射され、離れた物体に作用するので、「放射エネルギー」と呼ぶのだという。
さて、ほとんどすべての物質は、何らかの放射エネルギーに対して不透明である。たとえばガラスは光を通すが、熱はそれほど通さないので、暖炉の遮熱板に役立つ。明礬は光を通すが、熱は完全に遮断する。逆に、ヨウ素を二硫化炭素に溶かした液は光を完全に遮るが、熱はそのまま通す。火は見えなくても、その暖かさはすべて届くわけだ。金属は光と熱だけでなく電気的なエネルギーも通さないが、そのエネルギーはヨウ素溶液やガラスなど、間に何もないのとほとんど同じように通り抜ける。ほかにも、そうした例がある。
ところが、知られているすべての物質は、重力に対して「透明」なのだ。さまざまな遮蔽物を使えば、太陽の光や熱、電気的な影響、あるいは地球の熱を物体から遮ることができる。金属板でマルコーニの電波を遮ることもできる。しかし、太陽の引力や地球の引力を遮るものは何もない。とはいえ、なぜ何もないのかは、簡単には説明できない。ケイヴァーには、そういう物質が存在してはいけない理由が見当たらず、もちろん私にも説明はできなかった。そんな可能性は、それまで考えたことすらなかった。ケイヴァーは紙に計算を書いて、そのような物質は可能であるばかりか、ある条件を満たすはずだと示してくれた。ケルビン卿かロッジ教授、カール・ピアソン教授、あるいはそうした偉大な科学者なら理解できたに違いないが、私は救いようもない混乱に陥っただけだった。まったく驚くべき論証だった。あのとき、どれほど驚き、頭を悩ませたにせよ、ここに再現することは不可能である。何を言われても、私は「うん」と答えた。「うん、続けて!」
この物語には、次のことだけわかれば十分だろう。ケイヴァーは、複雑な金属の合金と、何か新しいもの――新元素だったと思う――を使って、この理論上可能な、重力を通さない物質を作れると考えていた。その新しいものは、確かヘリウムと呼ばれ、密封した炻器の壺でロンドンから送られてきた。この細部には疑いを差し挟まれたことがあるが、密封した炻器の壺で届いたのはヘリウムだったと、私はほぼ確信している。ともかく、ひどく気体じみた、希薄なものだった。記録を取ってさえいれば……。
だが、記録が必要になるなど、どうして予見できただろう?
ほんの少しでも想像力の芽がある人なら、そんな物質に途方もない可能性があることはわかるだろう。そして、ケイヴァーの難解な言い回しの霧の中から、その意味が浮かび上がってきたときの私の興奮にも、多少は共感してくれるはずだ。芝居の道化役だなどとは、とんでもない! 正しく理解できていると信じられるまでには、しばらくかかった。毎日の説明が、どれほど深い無理解の穴へ落ち込んでいたかを見抜かれるような質問はしないよう、ずいぶん気をつけた。だが、ここでそのいきさつを読む人には、あの気持ちは完全には伝わるまい。この味気ない叙述からでは、あの驚異の物質が必ず作られるのだという私の確信の強さを、汲み取ることはできないからだ。
あの家を訪ねてからは、芝居に続けて一時間も取り組んだ覚えがない。想像力には、ほかにすることができた。あの物質の可能性には際限がないようだった。どの方向へ考えても、奇跡と革命にぶつかった。たとえば、どれほど巨大な重量でも、下にその物質の板を差し込めば、藁一本で持ち上げられる。まず大砲や装甲艦をはじめ、戦争のあらゆる器材と手法にこの原理を応用しようと思ったのは、自然な成り行きだった。そこから海運、交通、建築、考えうる人間の産業のすべてにまで考えが広がった。この新時代――まさに一時代だった――の誕生の現場へ私を導いた偶然は、千年に一度という幸運だった。展望は開け、広がり、さらに広がった。とりわけ、その中には実業家としての私の再起が見えた。親会社と子会社、右にも左にも応用事業、企業連合とトラスト、特権と事業権が次々に広がり、ついには一つの巨大で途方もないケイヴァライト会社が、世界を動かし支配する姿が見えた。
しかも、私もその一員なのだ!
私はただちに方針を決めた。すべてを賭けることになるとは承知していたが、その場で飛び込んだ。
「僕らが取り組んでいるのは、間違いなく、これまでで最大の発明だ」と言い、「僕ら」に力を込めた。「僕を締め出したければ、銃を持ってくることだね。明日からは、四人目の作業員としてそっちへ行くよ。」
ケイヴァーは私の熱意に驚いたようだったが、疑いも敵意も少しも見せなかった。むしろ、自分の価値を控えめに見積もっていた。半信半疑の目で私を見た。「でも、本当にそう思うかい――?」と言った。「それに、君の芝居は? あの芝居はどうするんだ?」
「消えてなくなったよ!」
私は叫んだ。「君、自分が何を手にしたのかわからないのか? これから何をしようとしているのか、わからないのか?」
これは単なる言葉のあやだったが、驚いたことに、本当にわかっていなかった。初めは信じられなかった。そんな考えの芽の、そのまたかすかな兆しすらなかったのだ。この驚くべき小男は、終始、純粋に理論だけをよりどころに研究していたのである! 世界に例のない「最も重要な」研究だと言ったのも、多くの理論につじつまが合い、数々の疑問が解決するというだけの意味だった。自分が作ろうとしている物質を何に使うかなど、大砲を作る機械と同じくらい、気にもかけていなかった。存在しうる物質だから作る! フランス人の言うそれだけのことだった。
その先となると、まるで子供だった! 作れさえすれば、ケイヴァライトかケイヴァリンという名で後世に残り、自分は王立協会会員となり、科学の偉人として肖像が『ネイチャー』の付録になり、といったことを考えていた。見えているのは、それだけだったのだ! たまたま私が現れなかったら、新種の羽虫でも発見したような顔で、この爆弾を世に投げ出したことだろう。そして爆弾は、ほかにも科学者たちが火をつけて身の回りに落としていった一、二の小さな代物と同じく、そこに転がり、じりじりと燃えていただろう。
それに気づくと、今度は私が話し、ケイヴァーが「続けて!」と言う番になった。
私は跳ねるように立ち上がった。二十歳の若者さながらに身振りを交えて、部屋を歩き回った。この件で彼が負う義務と責任――僕らが負う義務と責任を、わからせようとした。好きな社会革命をどんなものでも起こせるほどの富を築ける、全世界を所有し、動かせるのだと断言した。会社や特許のこと、製法を秘密にしておく利点などを説いた。これらの話は、あの数学が私に与えたのとほぼ同じ効果をケイヴァーに与えたらしい。小さな赤ら顔に当惑が浮かんだ。富には関心がないとか何とか口ごもったが、私は取り合わなかった。金持ちになるほかないのだから、口ごもっても無駄だ。私がどういう人間で、どれほど豊かな実業経験があるかを、十分わからせた。当時まだ免責を受けていない破産者だったことは言わなかった。それは一時的な状態にすぎなかったからだ。それでも、目に見える貧しさと、財界人としての主張とのつじつまは、どうやら合わせられたと思う。そして、こうした計画が育つときの常で、いつしか二人のあいだには、ケイヴァライトを独占するという了解ができあがっていた。物質はケイヴァーが作り、景気は私が作るのだ。
私は「僕ら」に蛭のようにしがみついた。「君」と「僕」など、私には存在しなかった。
ケイヴァーは、私のいう利益を研究の助成に回すつもりだったが、もちろん、そんなことはあとで決めればよかった。「いいとも」と私は叫んだ。「それでいいとも。」
肝心なのは、と私は言い張った、とにかく完成させることだ。
「この物質は」と私は叫んだ。「家庭でも工場でも要塞でも船でも、使わずにはいられなくなる。特許薬よりよほど用途が広い。どの面を取っても、何万とある使い道のたった一つを取っても、僕らは大金持ちになるんだ、ケイヴァー。強欲者の夢さえ及ばないほどに!」
「いやはや!」とケイヴァーは言った。「だんだんわかってきた。話し合うだけで、新しい見方がこうも生まれるとは驚きだね!」
「しかも君は、たまたま、まさにうってつけの男に話したわけだ!」
「まあ、莫大な富を絶対に嫌う人間なんて、いないのだろうね。ただ、一つあるんだが――」
言葉を切った。私も足を止めた。
「結局、作れないという可能性はあるんだよ。理論上は可能でも、実際には無理というものの一つかもしれない。それに、作れたとしても、何かちょっとした不具合があるかもしれない!」
「不具合は、出てから片づけよう」と私は言った。
第二章 ケイヴァライト、初めて作られる
しかし、実際に製造することに関するかぎり、ケイヴァーの心配は杞憂だった。一八九九年十月十四日、この信じがたい物質は完成した!
奇妙なことに、最後は偶然に、それもケイヴァー氏が最も予期していないときにできあがった。幾種類もの金属と、そのほかの材料を溶かし合わせ――今となっては詳しく知っておきたかったものだ! ――その混合物を一週間置いてから、ゆっくり冷ます予定だった。計算に誤りがなければ、華氏六十度まで温度が下がったとき、結合の最終段階が起こるはずだった。ところが、ケイヴァーの知らないところで、炉の世話をめぐる仲たがいが起きていた。それまで担当していたギブスが、突然、その役目を元庭師に押しつけようとしたのである。石炭は掘り出すのだから土であり、指物師の仕事であるはずがない、という理屈だった。元日雇い庭師は、石炭は金属か鉱石の類いだと主張し、そのうえ料理もしているではないかと言った。しかしスパーガスは、ギブスが石炭をくべるべきだと譲らなかった。指物師なのだし、石炭は誰でも知っているとおり、木の化石だからだ。結局、ギブスは炉に燃料を足すのをやめ、ほかの誰も代わらなかった。ケイヴァーはケイヴァライト飛行機に関する興味深い問題に夢中で――空気抵抗やほかの一、二の点は無視していたが――異状に気づかなかった。そして発明品が予定より早く生まれたのは、午後のおしゃべりとお茶のため、野原を横切って私の平屋へ向かっていた、まさにそのときだった。
あのときのことは、きわめて鮮明に覚えている。湯は沸き、支度はすべて整っていた。例の「ズッズー」が聞こえたので、私はベランダへ出た。ちょこまか動く小さな姿が秋の夕空を背に黒く見え、右手には見事に色づいた木立の上から、家の煙突がわずかにのぞいていた。さらに遠くには、青くかすむウィールドン・ヒルズが盛り上がり、左には霞んだ湿地が広々と静かに延びていた。そして、そのとき――
煙突が天へ跳ね上がり、昇りながら煉瓦の連なりに砕け散った。屋根や、雑多な家具があとを追った。さらに、それらを追い越して巨大な白い炎が噴き上がった。家の周囲の木々は揺れ、渦を巻き、ばらばらに引き裂かれ、その破片が炎へ飛び込んでいった。雷鳴のような轟音が耳を打ち、そのため私の片耳は一生聞こえなくなった。周囲では窓がことごとく砕けたが、それどころではなかった。
ベランダからケイヴァーの家へ三歩踏み出した。その最中に、風が来た。
たちまち外套の裾が頭にかぶさり、私は意志に反して、ひと跳び、またひと跳びと大股に跳ねながら、ケイヴァーの方へ進んでいた。同時に、発見者も風につかまれ、くるりと回され、悲鳴を上げる空気の中へ飛ばされた。私の家の煙突の笠が一つ、六ヤードと離れていない地面に落ち、二十フィートも跳ね上がり、そのまま大股で騒動の中心へ急いでいくのが見えた。ケイヴァーは手足をばたつかせながら落下し、しばらく地面を何度も転がったあと、やっと立ち上がった。しかしまた持ち上げられ、ものすごい速さで運ばれていき、ついには家の周囲で苦しみ、鞭打つように身をよじる木々の中へ消えた。
煙と灰の塊、それに青白く光る四角い物体が、天頂へ向かって突進していった。大きな柵の破片が私の脇を帆走し、縁から落ちて地面に当たり、平らに倒れた。それで最悪の時は過ぎた。空気の騒乱は急速に衰え、ただの強風になった。私はようやく、自分には息と足があることを思い出した。風に逆らって体を反らせると何とか止まれ、まだ残っていた正気をかき集めることができた。
その一瞬で、世界の顔つきはすっかり変わっていた。静かな夕焼けは消え、空は走る雲で暗くなり、何もかもが強風に押し伏せられて揺れていた。平屋がとにかくまだ立っているか振り返って確かめると、ケイヴァーの消えた木立へ、よろめきながら進んだ。葉をむしられた高い枝のあいだから、燃える家の炎が見えていた。
木から木へ走ってはしがみつき、林の中へ入った。しばらく捜しても見つからなかったが、庭の塀の残骸に吹き寄せられた、折れ枝と柵の山の中で、何かが動くのに気づいた。駆け寄ろうとすると、着かないうちに、茶色いものが山から離れ、泥だらけの二本脚で立ち上がり、血の流れる両手をだらりと突き出した。胴のあたりからは、ぼろぼろの衣服の切れ端が何本か垂れ、風になびいていた。
一瞬、この土の塊が何かわからなかった。やがて、転がった泥をびっしりまとったケイヴァーだと気づいた。風に向かって前かがみになり、目と口の泥をこすり落としていた。
泥の塊のような手を差し出し、私の方へ一歩よろめいた。感情に顔がひきつり、小さな泥の塊がぽろぽろ落ちた。私がこれまで見たどんな生き物にも劣らぬほど、傷つき、哀れな姿だったから、その言葉にはひどく驚いた。
「祝ってくれ」と息を切らした。「祝ってくれ!」
「祝うだって!」と私は言った。「とんでもない! 何をだ?」
「できたんだ。」
「そりゃ、やってくれたよ。いったい何で爆発したんだ?」
突風に言葉を吹き飛ばされた。爆発などではない、と言ったらしかった。私は風に押されてケイヴァーにぶつかり、二人でしがみついて立った。
「戻ろう――僕の平屋へ」と耳元で怒鳴った。聞こえなかったらしく、「三人の殉教者――科学の」とか、「たいして役には」とか叫んだ。
そのときケイヴァーは、三人の助手が旋風で死んだと思い込んでいた。幸い、それは誤りだった。私の家へ出かけるとすぐ、三人もリムの居酒屋へ出かけ、ささやかな一杯をやりながら、炉の問題を論じていたのだ。
平屋へ戻ろうという提案を繰り返すと、今度は通じた。腕を組んでしがみつき、歩きだし、ようやく私の家に残った屋根の下へたどり着いた。しばらく二人は肘掛け椅子に座り、息を弾ませた。窓はすべて割れ、軽い家具はひどく散乱していたが、取り返しのつかない損害はなかった。幸い、台所の扉は圧力に耐えたので、食器も食材も無事だった。石油コンロもまだ燃えていたので、私はお茶の湯をあらためて沸かした。支度を済ませると、ようやくケイヴァーに説明を求められた。
「まったく正しいんだ」と言い張った。「まったく正しい。成功したし、何もかも順調だ。」
「しかし」と私は抗議した。「順調だって! 半径二十マイル以内には、まともに立った干し草の山も、無傷の柵も、藁葺き屋根も一つだって残っていないだろうに……」
「順調なんだよ――本当に。もちろん、こんなちょっとした騒ぎは予見しなかった。別の問題に気を取られていたし、こうした実際的な枝葉のことは見落としがちでね。だが順調なんだ――」
「君」と私は叫んだ。「何千ポンドもの損害を出したとわからないのか?」
「そこは君の分別に任せるよ。僕はもちろん実務家ではないが、みんな竜巻だと思うんじゃないかな?」
「でも、あの爆発は――」
「爆発ではないんだ。ごく簡単な話だよ。ただ、言ったとおり、こうした小さなことは見落としがちでね。あのズッズーの件を大きくしたようなものさ。うっかり、この物質、このケイヴァライトを、薄くて幅の広い板にしてしまったんだ……」
そこで言葉を切った。「この物質が重力を通さないこと、つまり物が互いに引き合うのを遮ることは、よくわかっているね?」
「うん」と私は言った。「わかっている。」
「つまり、華氏六十度になって製造の過程が終わった途端、その上にあった空気も、屋根や天井や床の部分も、重さを失ったんだ。知っているだろう――今どきは誰でも知っているが――普通、空気には重さがある。地表のあらゆるものを、四方八方から、一平方インチにつき十四・五ポンドの圧力で押しているんだ。」
「それは知っている」と私は言った。「続けて。」
「僕も知っていた」とケイヴァーは言った。「ただ、使わない知識がどれほど役に立たないか、これでよくわかる。いいかい、僕らのケイヴァライトの上では、そうならなくなった。そこの空気は圧力を及ぼさなくなり、その周りの、ケイヴァライトの上にない空気が、突然重さを失った空気を、一平方インチにつき十四・五ポンドの圧力で押したんだ。ああ、わかってきたね! 周囲の空気が、抗いようのない力で、ケイヴァライトの上の空気へ押し寄せた。上の空気は激しく上へ追いやられ、代わりに流れ込んだ空気もすぐに重さを失い、圧力を及ぼさなくなり、あとを追って上昇し、天井を突き破り、屋根を吹き飛ばした……。
「つまりね」と言った。「一種の空気の噴水、大気の中の煙突ができたわけだ。そしてケイヴァライト自体が固定されていなくて、その煙突へ吸い上げられなかったとしたら、何が起きたと思う?」
私は考えた。「つまり」と言った。「今でもあの忌々しい板の上を、空気がどんどん上昇し続けていただろうな。」
「そのとおり」と言った。「巨大な噴水だ――」
「宇宙へ噴き出すんだ! 何てことだ! 地球の大気を全部吹き飛ばしてしまっただろう! 世界から空気を奪うところだったんだ! 人類が全滅していたんだぞ! あんな小さな物質の塊で!」
「厳密には宇宙へではないが」とケイヴァーは言った。「実際のところ、同じくらいまずい。バナナの皮をむくように地球から空気をひきはがして、何千マイルも投げ飛ばしただろう。もちろん、また落ちてはくる――だが、そのとき世界は窒息している! 僕らからすれば、二度と戻らないのと大差ない!」
私は呆然とした。驚きが大きすぎて、自分の期待がことごとく覆されたことに、まだ思い至らなかった。「これからどうするつもりだ?」
私は尋ねた。
「まず、園芸用の移植ごてを借りられれば、この体を包む土を少し落とそう。それから、家の設備を使わせてもらえるなら、風呂に入りたい。そのあとで、ゆっくり話そうじゃないか。賢明なのはね」――泥だらけの手を私の腕に置いた――「この件を二人だけの秘密にしておくことだと思う。大きな被害を出したのはわかっている。たぶん田舎のあちこちでは、民家さえ壊れているだろう。だが一方で、僕には到底弁償できない。本当の原因が公表されれば、恨みを買い、研究を妨げられるだけだ。何もかも予見するわけにはいかないし、理論を考えるうえに、実務的な配慮という重荷まで背負うのは、断じて御免だ。いずれ君が実務の才を生かして加わり、ケイヴァライト事業が浮かび上がり――浮かび上がる、でいいのかな? ――君の期待どおりの成果を上げたら、その人たちへの埋め合わせもできるだろう。だが今ではない。今ではないんだ。ほかに説明がなければ、気象学がこんな未熟な状態なのだから、みんな竜巻のせいにする。義援金が集まるかもしれないし、僕の家は倒壊して燃えたのだから、そうなればかなりの見舞金をもらえるはずだ。それは研究を進めるのに、大いに助かる。だが、原因を作ったのが僕だとわかれば、義援金は集まらず、誰もが腹を立てる。実際、二度と落ち着いて仕事ができなくなるだろう。三人の助手は死んだかもしれないし、生きているかもしれない。それは細かいことだ。死んだとしても、大した損失ではない。能力より熱意の勝る連中だったし、予定より早くこんなことになったのも、みんなで炉の世話を怠ったせいが大きいはずだ。生きていても、この出来事を説明できるだけの知恵があるとは思えない。竜巻の話を信じるだろう。そして、僕の家が一時的に住めなくなっているあいだ、君のこの平屋の、空いている部屋に泊めてもらえれば――」
口を閉じて、私を見た。
これほどの可能性を持つ人間は、並の客ではない、と私は考えた。
「まずは」と私は立ち上がって言った。「こてを探すところから始めようか」そして、温室の残骸が散らばる方へ案内した。
ケイヴァーが風呂に入っているあいだ、私は一人で事の全体を考えた。ケイヴァー氏とのつき合いには、予想もしなかった難点があるのは明らかだった。地球上の人間を一掃しかけたあの上の空ぶりが、いつまた別の深刻な不都合を引き起こすかわからない。一方で、私は若く、身辺は行き詰まり、まさに無謀な冒険に身を投じたい気分だった。しかも、その果てには、うまい話があるかもしれない。利益については、少なくとも半分を自分の取り分にするつもりで、すっかり腹を決めていた。幸い、すでに述べたとおり、平屋は三年契約で、修繕の責任は負わなくてよかった。わずかな家具も、急いで買いそろえた品で、まだ代金は払っておらず、保険をかけてあり、思い出など少しも染みついていなかった。結局、私はケイヴァーと組み続け、この事業を最後までやり抜くことにした。
確かに、事態の様相は大きく変わった。あの物質に途方もない可能性があることは、もう少しも疑わなかったが、砲架や特許靴への応用には疑念が湧いてきた。私たちはただちに研究室を再建し、実験を進める準備に取りかかった。次にどうやって製造するかという話になると、ケイヴァーは以前よりずっと、私にもわかる言葉で話した。
「もちろん、もう一度作らなくては」と言った。思いがけず、そこには喜々とした調子があった。「もちろん、また作るんだ。とんでもない難物をつかまえたのかもしれないが、これで理論だけの段階とは完全におさらばだ。この小さな地球を壊さずに済むものなら、そうしよう。だが――危険は避けられない! どうしてもね。実験には、いつだってつきものだ。そしてここからは、実務家の君の出番だ。僕としては、板を立てた向きで、ごく薄く作ってみたらどうかと思う。だが、まだわからない。別の方法もぼんやり見えている。まだうまく説明できないがね。不思議なことに、風に吹かれて泥の中を何度も転がり、この冒険がどう終わるのか大いに怪しんでいたときに、まさにそうすべきだったという形で、その考えが頭に浮かんだんだ。」
私が手伝っても、なお少しばかり難航したが、そのあいだも研究室の復旧は進めた。二度目の試みの正確な形や方法を決めなくてはならなくなるまでに、やることはいくらでもあった。唯一の障害は、私が監督として働くことに反対して、三人の作業員が起こしたストライキだった。しかし二日間の遅れで、そこは折り合いがついた。
第三章 球体の建造
ケイヴァーが球体の着想を話したときのことは、実にはっきり覚えている。以前から兆しはあったのだが、そのとき一気に考えがまとまったようだった。二人でお茶を飲みに平屋へ戻る途中、ケイヴァーが例の鼻歌を始めた。突然、叫んだ。「それだ! これで片がついた! 一種の巻き上げ式ブラインドだ!」
「何の片がついたんだ?」
私は尋ねた。
「宇宙だ――どこへでも! 月だよ。」
「何のことだ?」
「何のことだって? いや――球体でなくてはいけないんだ! そういうことさ!」
私には話が見えないとわかったので、しばらくは好きにしゃべらせておいた。そのときは、何を言おうとしているのか、見当もつかなかった。だが、お茶を飲んでから、わかるように説明してくれた。
「こういうことなんだ」と言った。「この前は、重力を遮る物質を、縁が内側へ張り出した平たい槽に流し込んだ。その縁で押さえつけられていたわけだ。そして冷えて完成した途端、あの大騒ぎになった。上にあるものはすべて重さを失い、空気が噴き上がり、家も噴き上がった。物質そのものまで噴き上がってくれなかったら、何が起きたかわからない! だが、物質を固定せず、自由に上がれるようにしたらどうだろう?」
「たちまち飛び上がる!」
「そのとおり。大砲を撃つ程度の騒ぎで済む。」
「だが、それが何の役に立つ?」
「僕も一緒に上がるんだ!」
私は茶碗を置き、ケイヴァーを見つめた。
「球体を想像してくれ」と説明した。「二人の人間と荷物が入る大きさだ。鋼鉄製で、内側を厚いガラス張りにする。固体化した空気を十分に蓄え、濃縮食糧、水の蒸留装置などを積み込む。そして外側の鋼鉄に、いわば琺瑯のように焼きつけるのは――」
「ケイヴァライトか?」
「そうだ。」
「だが、どうやって中へ入る?」
「団子でも、そんな問題があったね」[訳注:英国王ジョージ三世が、リンゴ入り団子にどうやってリンゴを入れたのか不思議がったという逸話。]
「ああ、知っている。でも、どうやって?」
「ごく簡単だ。気密式の出入り口をつければいい。もちろん、そこは少し複雑になる。必要に応じて、空気をあまり失わずに物を外へ捨てられるよう、弁が要るからね。」
「ジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』の仕掛けみたいにか。」
だが、ケイヴァーは小説を読まなかった。
「わかってきたぞ」と私はゆっくり言った。「ケイヴァライトが温かいうちに中へ入って蓋をねじ込み、冷えた途端に重力を通さなくなって、そのまま飛び出すわけだ――」
「接線方向へね。」
「まっすぐ飛び去る――」私は急に口を閉じた。「そのまま永遠に、宇宙を一直線に飛んでいかないという保証はあるのか?」
私は尋ねた。「どこかに着くとは限らないし、着いたとしても――どうやって帰るんだ?」
「そこを、たった今思いついたんだ」とケイヴァーは言った。「片がついたと言ったのは、そのことさ。内側のガラス球は気密にして、出入り口以外は一続きにする。鋼鉄の球は区画に分け、それぞれ巻き上げ式ブラインドのように巻き取れるようにする。ばねで簡単に動かせるし、ガラスに溶着した白金線に電気を通せば、開閉も固定もできる。そのへんは、単に細部を詰めればいい。つまり、巻き取り軸の厚みを除けば、球体のケイヴァライト製の外面は、窓なりブラインドなり、好きな名で呼べばいいが、そういうものだけでできる。この窓が全部閉まっているときは、光も熱も重力も、どんな放射エネルギーも中へ届かない。君の言うとおり、球体は宇宙を一直線に飛び続ける。だが窓を一つ開けたらどうなるか。開いているところを想像してくれ。すると、その方向にたまたまある重い天体が、ただちに僕らを引っ張る――」
私は座ったまま、理解しようとした。
「わかるかい?」とケイヴァーは言った。
「ああ、わかる。」
「要するに、帆走するように、宇宙を思いどおりに進めるんだ。あれやこれやに引っ張ってもらってね。」
「なるほど。それはよくわかる。ただ――」
「何だい?」
「何のためにやるのか、よくわからないんだ! 結局、地球から跳び出して、また戻ってくるだけじゃないか。」
「もちろん! たとえば月へ行ける。」
「着いたらどうする? 何が見つかる?」
「それは行けばわかる――ああ、どんな新しい知識が得られるか、考えてみたまえ。」
「空気はあるのか?」
「あるかもしれない。」
「見事な考えだ」と私は言った。「それでも、ずいぶんな大仕事だと思うね。月だなんて! 僕はもっと小さなことから試したい。」
「空気の問題があるから、それは無理だ。」
「そのばね式ブラインドの考えを使えばいいじゃないか。丈夫な鋼鉄の箱にケイヴァライトのブラインドを入れて、重い物を持ち上げるんだ。」
「うまくいかない」とケイヴァーは言い張った。「そもそも、宇宙へ行くのも、極地探検とそれほど違わない。危険だとしても、たいした差はないはずだ。極地探検に行く人間はいる。」
「実業家は行かない。それに、極地探検なら報酬が出る。何かあれば救援隊も出る。だが、これは――何の見返りもなく、自分たちを地球から撃ち出すだけだ。」
「鉱脈探しと思えばいい。」
「そう呼ぶほかないだろうね……。本くらいは書けるかもしれない」と私は言った。
「鉱物はきっとある」とケイヴァーは言った。
「たとえば?」
「そうだな、硫黄、鉱石、金もあるかもしれない。新元素の可能性もある。」
「運賃だよ」と私は言った。「君はまったく実務家じゃない。月までは二十五万マイルもある。」
「ケイヴァライトの箱に詰めれば、どれほど重いものをどこへ運ぶにしても、たいして費用はかからないと思うがね。」
そこには気づかなかった。「買い手の頭上まで送料無料、ってわけか?」
「月だけに限る必要もない。」
「というと?」
「火星がある。澄んだ大気、新しい環境、体が軽くなる爽快感。行ってみれば快適かもしれない。」
「火星に空気はあるのか?」
「ああ、あるとも!」
「療養地として経営できそうだな。ところで、火星まではどれくらいだ?」
「今なら二億マイルだね」とケイヴァーは軽く言った。「それに、太陽のすぐそばを通る。」
私の想像力が、また起き上がり始めた。「なるほど」と私は言った。「これには何かありそうだ。旅行事業もある――」
途方もない可能性が、いきなり頭へ飛び込んできた。突如、太陽系全体をケイヴァライトの定期船と豪華球体が縫うように行き交う光景が、幻のように見えた。「先買権」という言葉が浮かんだ――惑星の先買権だ。かつてスペインがアメリカの金を独占していたことを思い出した。この惑星か、あの惑星か、という話ではない。全部なのだ。ケイヴァーの赤ら顔を見つめているうちに、想像力が急に跳ね、踊り始めた。私は立ち上がり、歩き回った。舌が回り始めた。
「わかってきた」と私は言った。「わかってきたぞ。」
疑いから熱狂へ移るのに、ほとんど時間はかからなかった。「これはとんでもないぞ!」
私は叫んだ。「帝国規模だ! こんなことは夢にも思わなかった。」
私の反対という冷気が去ると、ケイヴァーの胸にこもっていた興奮も解き放たれた。立ち上がり、歩き回った。身振りをし、叫んだ。二人とも、何かに取り憑かれたようだった。実際、取り憑かれていたのだ。
「そんなことは片づく!」と、私が何か細かな難点に引っかかると答えた。「すぐ片づくとも! 今夜から型の図面に取りかかろう。」
「今すぐ始めよう」と私は応じた。そして、ただちに作業を始めるため、二人して研究室へ急いだ。
その夜じゅう、私は不思議の国に迷い込んだ子供のようだった。夜が明けても二人とも働き続け、昼になったことなどかまわず電灯をつけていた。あの図面がどんなものだったか、今でもはっきり覚えている。ケイヴァーが描き、私が陰影や色をつけた。一筆ごとに汚れや急いだ跡があったが、驚くほど正確だった。その夜の仕事をもとに、必要な鋼鉄のブラインドと枠を発注し、一週間以内にはガラス球の設計もできた。午後の会話も、それまでの日課もすっかり捨てた。働き、空腹と疲労で働けなくなると、食べて眠った。球体が何のためのものか知らない三人の作業員にまで、熱意は伝染した。そのころギブスは歩くことをやめ、部屋を横切るときさえ、どこへ行くにもせわしなく小走りした。
そして球体は、形をなしていった。十二月が過ぎ、一月――私は一日がかりで箒を振るい、平屋から研究室まで雪を払って道を作った――二月、三月。三月末には完成が見えてきた。一月には馬の一隊と巨大な木箱が届き、厚いガラス球が手に入った。鋼鉄の外殻へつり込むために組んだクレーンの下に、それを据えた。鋼鉄の外殻の骨組みとブラインドは二月までにすべて届き、下半分がボルトで組み上がった。実際には球殻ではなく、各面に巻き上げ式ブラインドのある多面体だった。三月にはケイヴァライトも半ばできていた。金属のペーストは製造の二段階を終え、その半分ほどを鋼鉄の骨組みとブラインドに塗りつけた。計画を実現するにあたり、ケイヴァーの最初の着想に驚くほど忠実に進んだ。球体のボルト締めが済んだら、作業に使っていた仮設研究室の粗末な屋根を外し、周囲に炉を築こうとケイヴァーは提案した。そうすれば、ヘリウムを流しながらペーストを鈍い赤色に光るまで熱する、ケイヴァライト製造の最終工程を、球体に塗ったままで行えるのだ。
それから携行品を相談して決めなくてはならなかった。圧縮食糧、濃縮エキス、予備の酸素を入れた鋼鉄製の容器、空気中の二酸化炭素や不要物を除き、過酸化ナトリウムで酸素を補う装置、水の凝縮器などである。隅に積まれた小さな山を覚えている。缶や巻いた包みや箱が、いかにも現実のものとして、確かにそこにあった。
考える暇もほとんどない、激しい日々だった。だが完成が近づいたある日、妙な気分に襲われた。午前じゅう炉の煉瓦を積んで、疲れ切って携行品の脇に腰を下ろした。何もかもが色あせ、信じがたく思えた。
「だが、ちょっと待てよ、ケイヴァー」と私は言った。「そもそも、何のためにこんなことをするんだ?」
ケイヴァーは笑った。「今は、とにかく行くことだ。」
「月か」と私は考えた。「だが、何を期待している? 月は死んだ世界だと思っていたが。」
ケイヴァーは肩をすくめた。
「それを確かめに行くのさ。」
「本当に行くのか?」
そう言って、私は前方を見つめた。
「疲れているんだよ」とケイヴァーは言った。「午後は散歩にでも行った方がいい。」
「いや」と私は意地を張った。「この煉瓦積みを仕上げる。」
そして仕上げたおかげで、不眠の一夜まで確保した。あんな夜は、ほかに経験がないと思う。事業が破綻する前にも苦しい夜はあったが、その最悪の夜でさえ、この果てしない、苦痛に満ちた覚醒に比べれば、甘い眠りだった。これからしようとしていることが、突然、途方もなく恐ろしくなったのだ。
それまで、私たちが冒している危険について考えた覚えはない。ところがその夜、危険は、かつてプラハを包囲したという幽霊の軍勢のように現れ、私の周囲に陣取った。これからしようとしていることの異様さ、この世離れした感じに打ちのめされた。心地よい夢から覚めると、恐ろしい場所にいた人間のようだった。目を見開いて横たわっていると、球体はますます薄っぺらく頼りなくなり、ケイヴァーはますます実体のない幻のようになり、計画全体が一瞬ごとに狂気じみてきた。
私は床を出て、うろつき回った。窓辺に座り、宇宙の広大さを見つめた。星々のあいだには虚空があり、底知れぬ闇があった! 気まぐれな読書で得た天文学の断片的な知識を思い出そうとしたが、どれも曖昧すぎて、何が待ち受けているか、何の見当もつかなかった。やがて床へ戻り、わずかに眠った。いや、眠りというより悪夢だった。空の深淵へ、いつまでも、いつまでも落ち続けた。
朝食の席で、私はケイヴァーを驚かせた。「僕はあの球体で君と行くのはやめる」と短く告げた。
どんな説得にも、むっつりと頑なに同じ返事をした。「あまりに馬鹿げている」と私は言った。「僕は行かない。あまりに馬鹿げている。」
研究室にも一緒に行こうとしなかった。しばらく平屋の中で苛々していたが、帽子と杖を取り、一人で当てもなく出かけた。折しも見事な朝だった。暖かな風、深い青空、そこかしこに春の若緑が芽吹き、無数の鳥が歌っていた。エルハム近くの小さな居酒屋で、牛肉とビールの昼食を取り、天気の話のついでにこう言って、主人を驚かせた。「こんな日があるというのに、この世を離れる人間は馬鹿ですよ!」
「その話を聞いたとき、おれもそう言ったんでさ!」と主人は答えた。少なくとも一人の哀れな人間には、この世界は荷が重すぎ、喉をかき切った事件があったと知った。私は新たな曲がり角を迎えた思いを抱え、歩き続けた。
午後には日当たりのよい場所で気持ちよく眠り、元気を取り戻して先へ進んだ。
カンタベリーの近くで、居心地のよさそうな宿に出会った。つる草に明るく彩られ、女将は身ぎれいな老婦人で、気に入った。手持ちの金を確かめると、ちょうど一晩泊まれるだけあった。そこで夜を過ごすことにした。話好きの女将で、いろいろ聞くうちに、ロンドンへは一度も行ったことがないとわかった。「カンタベリーが、今まで行ったいちばん遠いところですよ」と言った。「あたしゃ、ほっつき歩くたちじゃありませんからね。」
「月への旅行はいかがです?」
私は言った。
「ああいう気球ってのは、どうも好かなくてね」と女将は答えた。どうやら月旅行を、ごくありふれた遊覧だと思ったらしかった。「いくら積まれたって、あんなのには乗りませんよ。」
それが妙におかしかった。夕食を済ませると、宿の戸口のベンチに座り、二人の労働者と、煉瓦作りや自動車、去年のクリケットについて世間話をした。空では、遠いアルプスの山のように青く淡い新月の鎌が、太陽の上を西へ沈んでいった。
翌日、私はケイヴァーのもとへ戻った。「僕も行くよ」と言った。「ちょっと調子が悪かっただけだ。」
この計画に本気で疑念を抱いたのは、それきりだった。ただ神経のせいだったのだ! その後は少し慎重に働き、毎日一時間、歩くことにした。そしてついに、炉で熱する工程を残すだけで、仕事はすべて終わった。
第四章 球体の中で
「さあ、入って」とケイヴァーは言った。私は出入り口の縁にまたがり、球体の真っ暗な内部を見下ろしていた。その場には二人きりだった。夕方で、日は沈み、黄昏の静けさがすべてを包んでいた。
私はもう片方の脚を入れ、滑らかなガラスを滑って球体の底へ下りると、振り返ってケイヴァーから食糧の缶や、その他の荷物を受け取った。内部は暖かく、温度計は華氏八十度を指していた。この熱は放射ではほとんど、あるいはまったく失われないはずなので、二人とも靴に薄いフランネルの服という格好だった。ただし不測の事態に備えて、厚手の毛織物の服を一包みと、厚い毛布を数枚持っていた。
ケイヴァーの指示で、包みや酸素容器などを足もとに無造作に置いた。やがて全部が入った。ケイヴァーはしばらく、屋根を外した小屋の中を歩き回り、忘れ物がないか調べてから、私に続いて這い込んできた。その手に何かあるのが目についた。
「何を持っているんだ?」
私は尋ねた。
「読むものを何も持ってこなかったのかい?」
「しまった! 何もない。」
「言うのを忘れていた。はっきりしないこともある――旅がどれくらい続くか――何週間もかかるかもしれない!」
「だが――」
「この球体に浮かんだまま、することが何もないんだ。」
「知っていれば――」
ケイヴァーは出入り口から外をのぞいた。「ほら!」と言った。「あそこに何かある!」
「時間はあるのか?」
「一時間はある。」
私は外を見た。作業員の誰かが持ってきたらしい、古い『ティット・ビッツ』だった。さらに遠い隅には、破れた『ロイズ・ニュース』もあった。それらを取って、球体へ這い戻った。「君のは何だ?」
私は言った。
手から本を受け取り、題名を読んだ。『ウィリアム・シェイクスピア全集』。
ケイヴァーは少し赤くなった。「僕は科学一辺倒の教育だったから――」と、申し訳なさそうに言った。
「一度も読んだことがないのか?」
「一度も。」
「あの人も、いろいろ知っていたんだよ。体系的ではないけどね。」
「まさに、そう聞いている」とケイヴァーは言った。
私はガラス製の蓋をねじ込むのを手伝った。続いてケイヴァーがボタンを押すと、外殻の対応するブラインドが閉まった。小さな長方形の薄明かりが消えた。二人は闇に包まれた。しばらく、どちらも口をきかなかった。外殻は音を遮るわけではないが、何もかもがひっそりしていた。出発の衝撃が来ても、つかまるものがないと気づいた。同時に、椅子がないので居心地が悪くなりそうだとも思った。
「どうして椅子がないんだ?」
私は尋ねた。
「そのことは考えてある」とケイヴァーは言った。「必要ないんだ。」
「どうして?」
「そのうちわかる」と、これ以上話す気のない口調で答えた。
私は黙った。突然、この球体の中にいる自分は馬鹿だということが、鮮やかに、はっきりとわかった。今からでも遅くないのではないか、と自問した。外の世界が、私に冷たく、居場所を与えてくれないことはわかっていた。ここ何週間も、ケイヴァーの援助で暮らしていたのだ。だが、それでも無限の零度ほど冷たく、空虚な宇宙ほどよそよそしいだろうか? 臆病者に見られるのでなかったら、そのときでも、外へ出してくれと言ったと思う。しかし、それが気になってためらい、ためらううちに苛立ち、腹が立ち、時が過ぎた。
小さな揺れがあり、隣の部屋でシャンパンの栓を抜いたような音と、かすかな笛のような音がした。ほんの一瞬、途方もない圧迫を感じ、両足が数えきれないほどのトン数の力で下へ押しつけられていると確信した。それは限りなく短い時間だった。
だが、それで私は行動に駆り立てられた。「ケイヴァー!」
暗闇に向かって言った。「神経がずたずただ。僕はどうも――」
言葉を切った。返事はなかった。
「畜生!」
私は叫んだ。「僕は馬鹿だ! こんなところで何をしている? 僕は行かない、ケイヴァー。危なすぎる。外へ出る。」
「それはできない」とケイヴァーは言った。
「できないだって! それはどうかな!」
十秒ほど返事がなかった。「今さら喧嘩しても遅いよ、ベッドフォード」と言った。「さっきの小さな揺れが出発だった。もう僕らは、弾丸と同じ速さで宇宙の深淵へ飛び上がっているんだ。」
「僕は――」と口にしたが、あとはもう、どうなってもよい気がした。しばらく、いわば茫然自失の状態で、何も言えなかった。地球を離れるという話を、それまで一度も聞いたことがなかったかのようだった。やがて、体の感覚に奇妙な変化があるのに気づいた。軽い、現実味のない感じだった。それに、頭の中の奇妙な感覚、ほとんど卒中に似た感じと、耳元で血管がどくどく鳴る感覚が伴った。時間がたっても、どちらも弱まらなかったが、ついには慣れて、不快に感じなくなった。
かちりと音がして、小さな電灯がともった。
ケイヴァーの顔が見えた。自分もきっと同じだと思うほど、真っ青だった。二人は黙って見つめ合った。背後のガラスの透き通る黒さのため、虚空に浮かんでいるように見えた。
「もう後戻りはできないな」と私はようやく言った。
「ああ」とケイヴァーは言った。「もう後戻りはできない。」
「動かないで!」と、私が何か身振りをしかけたのを見て叫んだ。「筋肉の力をすっかり抜いて。ベッドの中にいるつもりで。僕らだけの、小さな宇宙にいるんだ。あの荷物を見たまえ!」
球体の底の毛布の上に置いたままだった箱や包みを指した。驚いたことに、それらは今や球面の壁から一フィート近く浮いていた。それから影を見て、ケイヴァーももうガラスにもたれていないとわかった。背後へ手を伸ばすと、自分もガラスを離れ、空中に浮いているのだった。
叫びもせず、手足も振り回さなかったが、恐怖に襲われた。何かわからないものにつかまれ、持ち上げられているようだった。手がガラスに触れただけで、体がすっと動いた。何が起きたかは理解していたが、それで怖くなくなるわけではない。外部の重力はすべて遮断され、球体の内部の物体どうしの引力だけが働いていた。だから、ガラスに固定されていないものはすべて、この小世界の重心へ向かって落ちていた。二人の質量が小さいため、ゆっくりと。重心は球体のほぼ中央らしかったが、私の方が重かったので、ケイヴァーよりは私に近いところにあった。
「向きを変えよう」とケイヴァーは言った。「荷物を間にして、背中合わせに浮かぶんだ。」
こうして何にも支えられず空中に浮く感覚は、想像しうるかぎり最も奇妙なものだった。初めは恐ろしいほど異様だったが、その恐怖が去ると、少しも不快ではなく、実に安らかだった。私の知る地上の経験でいちばん近いのは、とても厚く柔らかな羽根布団に横たわることだろう。だが、この何もかもから切り離され、何ものにも頼らない感じはどうだ! こんなことは計算に入れていなかった。出発には激しい衝撃があり、目もくらむ速さを感じるものと思っていた。ところが実際は――肉体から解き放たれたようだった。旅の始まりではない。夢の始まりのようだった。
第五章 月への旅
やがてケイヴァーは灯りを消した。蓄えた電力はそれほど多くないので、読書のために節約しなくてはならないという。長かったのか短かったのかわからないが、しばらく、何もない闇だけが続いた。
虚空から一つの疑問が浮かんできた。「どっちを向いているんだ?」
私は言った。「僕らは、どの方角へ進んでいる?」
「地球から接線方向へ離れている。月は下弦に近いから、おおよそ月へ向かっているはずだ。ブラインドを一つ開けてみよう――」
かちりと音がして、外殻の窓が一つ開いた。外の空も球体の中と同じく真っ黒だったが、無数の星が、開いた窓の形を描き出していた。
地球からしか星空を見たことのない人には、淡く光る、ぼんやりした大気のヴェールを取り払ったとき、どんな眺めになるか想像できまい。地上で見える星は、霞んだ大気を貫いて生き残った、まばらなものにすぎない。今、私はようやく、天に満ちる星の大軍という言葉の意味を理解した!
このあと、さらに奇妙なものを見ることになった。だが、あの空気のない、星くずを散らした空! あらゆる記憶の中でも、最後まで忘れずに残るものの一つだろう。
小窓はかちりと消え、隣の窓がぱっと開いて、すぐ閉まった。続いて三つ目が開き、欠けゆく月のまばゆい光に、私はしばし目を閉じなくてはならなかった。
あの白い輝きへ再び目を向けるまでには、ケイヴァーや、周囲の白く照らされた品々をしばらく眺め、目を光に慣らす必要があった。
球体の中のすべての物に月の引力が働くよう、四つの窓が開いていた。もう自由に浮いてはいないと気づいた。月のある方向のガラスに、足がついていた。毛布や食糧の箱も、ガラスの上をゆっくり滑り、やがて落ち着いて、眺めの一部をふさいだ。当然、月を見るのは「下」を見ることに感じられた。地球では「下」とは地球の方角、物が落ちる方角で、「上」はその反対だ。今は引力が月へ向かっており、知るかぎりでは、地球は頭上にあるのかもしれなかった。そしてもちろん、ケイヴァライトのブラインドを全部閉じると、「下」は球体の中心へ、「上」は外壁へ向かうことになる。
光が下から来るのも、地上では味わえない奇妙な感覚だった。地球では、光は上から、あるいは横から斜めに降り注ぐ。だが、ここでは足もとから照らすので、自分たちの影を見るには、上を向かなくてはならなかった。
初めは、厚いガラス一枚の上に立って、何十万マイルもの虚空越しに月を見下ろすと、目まいに似たものを覚えた。だが、その気持ち悪さはすぐ消えた。そして――何と壮麗な眺めだったことか!
暖かな夏の夜、地面に横たわり、持ち上げた両足のあいだから月を眺めてみれば、読者にもいくらか想像できるだろう。ただ、何かの理由で――おそらく大気がないため、はるかに明るかったからだろう――月はすでに、地球から見るよりずっと大きく見えた。表面の最も細かな模様まで、鋭く鮮明だった。空気を通して見ていないので、輪郭は明るくくっきりし、周囲にぼんやりした光や暈はなかった。空を覆う星くずは、月の縁ぎりぎりまで続き、光の当たっていない部分の輪郭まで描いていた。そうして立ち、両足のあいだの月を見つめていると、出発以来、ときおり襲ってきた、ありえないことが起きているという感覚が、十倍もの確かさで戻ってきた。
「ケイヴァー」と私は言った。「妙な気分になるな。僕らが経営するはずだった会社や、鉱物の話は?」
「それが?」
「ここには、そんなものは見えない。」
「ああ」とケイヴァーは言った。「だが、その感じも乗り越えられるよ。」
「僕はそのうち、ちゃんと頭を上にして立ち直るようにできているんだろうな。それにしても、これは――一瞬、地球なんて初めからなかったと思いかけたよ。」
「その『ロイズ・ニュース』が助けになるかもしれない。」
私はしばらく新聞を見つめ、それから顔より高く掲げてみた。難なく読めた。目に入ったのは、みみっちい小広告の欄だった。「資産を有する紳士、融資に応ず」と読んだ。その紳士なら、よく知っている。それから、変わり者が「新品同様、購入価格十五ポンド」のカッタウェイ自転車を五ポンドで売りたがり、困窮した婦人が「結婚祝いの品」である魚用ナイフとフォークを、大損覚悟で手放したがっていた。きっと今この瞬間にも、お人よしが一人、そのナイフとフォークを賢そうな顔で品定めし、別の一人が得意げに自転車に乗って走り去り、三人目があの親切な資産家に信頼しきって相談しているのだろう。私は笑い、新聞を手放して漂わせた。
「地球から僕らは見えるのか?」
私は尋ねた。
「なぜ?」
「天文学にかなり興味を持っていた知り合いがいるんだ。もし、その――友人が――たまたま望遠鏡をのぞいていたら、妙なことになると思ってね。」
「今でさえ、地球でいちばん強力な望遠鏡でもなければ、最も小さな点としてさえ見えないよ。」
しばらく私は黙って月を見つめた。
「あれは一つの世界なんだな」と私は言った。「地球にいたときとは比べものにならないほど、そう感じる。人間も、ひょっとしたら――」
「人間だって!」とケイヴァーは叫んだ。「いないよ! そんな考えは捨てるんだ! 宇宙の荒涼とした土地を探る、北極圏のさらに向こうへの探検家になったつもりでいたまえ。あれを見ろ!」
眼下の白い輝きへ手を振った。「死んでいる――死んでいるんだ! 巨大な死火山、溶岩の荒野、雪か、凍った二酸化炭素か、凍った空気の崩れた原野。どこも地滑りの傷跡や亀裂や深い裂け目ばかりだ。何も起こらない。人間は二百年以上、望遠鏡でこの天体を組織的に観測してきた。どれほどの変化を見つけたと思う?」
「何もない。」
「確実な地滑りが二つ、疑わしい亀裂が一つ、それに周期的な色の変化がほんの少し。それだけだ。」
「それだけでも見つけていたとは知らなかった。」
「ああ、見つけてはいる。だが人間となると――!」
「ところで」と私は尋ねた。「最大の望遠鏡なら、月のどれくらい小さな物まで見えるんだ?」
「そこそこの大きさの教会なら見える。町や建物、人間の手になるようなものがあれば、確実に見えるだろう。ひょっとすると昆虫はいるかもしれない。たとえば蟻のようなもので、月面の日光を避けて深い穴に隠れられるものとか、地球には似たもののない、新しい種類の生き物とかね。もし生命が見つかるなら、それがいちばんありそうだ。条件の違いを考えてみたまえ! 地球の十四日分も続く昼、雲一つない炎天下の十四日間に適応しなくてはならない。それから同じ長さの夜が来て、あの冷たく鋭い星の下で、どこまでも冷えていく。その夜には、究極の寒さ、絶対零度、地上の氷点より摂氏二百七十三度も低い寒さがあるはずだ。どんな生命であれ、それを休眠してやり過ごし、昼になるたびに蘇らなくてはならない。」
ケイヴァーは考え込んだ。「虫のようなものなら想像できる」と言った。「ミミズが土を呑むように、固体の空気を取り込むものとか、分厚い皮を持った怪物とか――」
「そういえば」と私は言った。「どうして銃を持ってこなかったんだ?」
その問いには答えなかった。「いや」と話を結んだ。「とにかく行ってみるしかない。着けばわかる。」
私は一つ思い出した。「まあ、いずれにしても僕の鉱物はある」と言った。「どんな条件だろうとね。」
やがてケイヴァーは、地球にしばらく引っ張らせて、針路を少し変えたいと言った。地球側のブラインドを一つ、三十秒間開けるという。頭がくらくらするはずだから、転落の衝撃を和らげるため、ガラスに向かって手を伸ばしておくよう忠告した。言われたとおりにし、食糧の箱や空気の容器が自分の上へ落ちてこないよう、足で荷物を押さえた。かちりと窓が開いた。私は不器用に手と顔をつき、黒く広げた指のあいだから、ほんの一瞬、母なる地球を見た――下方の空に浮かぶ一つの惑星を。
まだごく近くにいた。ケイヴァーによれば、おそらく八百マイルほどで、巨大な地球の円盤が空いっぱいを占めていた。だが、世界が球体であることは、すでにはっきり見て取れた。眼下の陸地は薄暮の中で曖昧だったが、西方には、大西洋の広大な灰色の広がりが、退いていく昼の光を受け、溶けた銀のように輝いていた。雲にかすんだフランスとスペイン、イングランド南部の海岸線が見分けられたと思う。そのとき、かちりとブラインドがまた閉まり、私はひどい混乱の中、滑らかなガラスの上をゆっくり滑っていた。
ようやく頭が落ち着くと、月こそが足もとの「下」であり、地球はどこか地平線と同じ高さの彼方にあることが、疑いようもなく感じられた。あの地球が――天地の初めから、私にも同族にも「下」であり続けた地球が。
必要な労力はごくわずかで、体重が事実上なくなったため、何をするにもあまりに楽だった。そのため、飲食の必要を思い出したのは、ケイヴァーの精密時計で、出発からほぼ六時間もたってからだった。そんなに時間が過ぎたとは驚いた。それでも、ほんの少しで満足した。ケイヴァーは二酸化炭素と水分を吸収する装置を点検し、順調に働いていると報告した。酸素の消費量も驚くほど少なかった。話の種もひとまず尽き、ほかにすることもなくなったので、二人は妙な眠気に身を委ねた。球体の底に毛布を広げて月光の大半を遮り、おやすみと言い合うと、ほとんどすぐに眠りに落ちた。
こうして眠り、ときには話し、少し読み、ときどき、さほど食欲もないまま食べ、だが大半は、目覚めとも眠りともつかぬ静かな状態で過ごした。夜も昼もない時間の中を、音もなく、柔らかく、速やかに、私たちは月へ向かって落ちていった。
第六章 月面への着陸
あるときケイヴァーが突然、六つのブラインドを開けたので、私は目がくらみ、思わず叫んだことを覚えている。視界はすべて月だった。白い夜明けが巨大な曲刀の形をなし、その刃には闇の切れ込みが刻まれていた。退いていく闇の潮に接する三日月形の岸から、峰や尖塔がきらめきながら太陽の輝きへ突き出していた。読者は月の絵か写真を見たことがあるだろうから、大まかな景観を説明する必要はあるまい。地上のどんな山脈よりも広大な、輪状の山々。頂は昼の光に輝き、影は鋭く深い。灰色の乱れた平原、尾根、丘、小さなクレーター。そのすべてが、燃えるような明るさから、ひと続きの神秘的な黒さへと移っていく。私たちは峰や尖塔から百マイルと離れぬ上空で、この世界を横切っていた。そして今、地上の目には決して見えないことが見えた。昼の輝きの下、平原やクレーター底の岩や谷の鋭い輪郭が、厚くなる霞の中で灰色にぼやけていく。照らされた面の白さが塊や斑に分かれ、さらに崩れ、縮み、消えていく。そして、ところどころに奇妙な褐色やオリーブ色が生まれ、広がっていくのだった。
だが、眺めている暇はほとんどなかった。旅の真に危険な段階へ入ったのだ。月の周囲を回りながら、少しずつ近づき、速度を落とし、機会をうかがって、ついには表面へ降下する決断をしなくてはならなかった。
ケイヴァーにとっては激しい働きどおしの時間、私にとっては不安な手持ち無沙汰の時間だった。ひっきりなしに、邪魔にならないよう身をよけていた気がする。ケイヴァーは、地球では不可能な身軽さで、球体の中をあちこち跳び回った。変化に満ちた最後の数時間、絶えずケイヴァライトの窓を開閉し、計算し、電灯の明かりで精密時計を確かめていた。長いあいだ、すべての窓を閉め、闇の中に黙って浮かびながら、宇宙を疾走した。
やがてケイヴァーが手探りでブラインドのボタンを探し、突然、四つの窓が開いた。足の下の太陽から、慣れない強烈な光があふれ、私を焼き、目をつぶした。よろめき、目を覆った。再びブラインドがぱちりと閉じ、眼球に押しつけられるような闇の中で、頭だけが回り続けた。それからまた、広大で黒い静寂に浮かんだ。
次にケイヴァーは電灯をつけ、着地の衝撃に備えて、荷物をすべてまとめ、毛布でくるんで縛ろうと言った。窓を閉じたまま作業した。そうすれば、荷物は自然に球体の中心へ集まるからだ。これも奇妙な仕事だった。二人の人間が球形の空間に浮きながら、荷を包み、縄を引くのである。できるものなら、想像していただきたい! 上も下もなく、力を入れるたび、予想外の動きが起こる。ケイヴァーの押す力をまともに受けて、私がガラスへ押しつけられたかと思えば、次には虚空で空しく足をばたつかせる。星のような電灯が頭上に来たり、足もとへ移ったりする。ケイヴァーの足が目の前へ浮かんできたかと思えば、二人が十文字になる。それでもついに、頭を通す穴を開けて二人が着るための毛布二枚を残し、荷物はすべて、大きく柔らかな一包みに縛り上げられた。
それからケイヴァーが月側の窓を一瞬開けた。中心にある巨大なクレーターと、その周囲に十字形めいて集まった小さなクレーターへ向かって落ちているのが見えた。続いて、また小さな球体を、焼けつく、目もくらむ太陽へ開いた。太陽の引力をブレーキに使っていたのだと思う。「毛布をかぶるんだ!」と叫び、私から体を押し離した。一瞬、意味がわからなかった。
やがて足の下から毛布を引き抜き、体に巻いて、頭も目も覆った。ケイヴァーは急にブラインドを閉め、一つ開けてはまた閉めた。それから突然、次々に全部を開け、それぞれ鋼鉄の巻き取り部へきちんと収めた。衝撃が来た。二人は何度も転がり、ガラスや大きな荷物の包みにぶつかり、互いにしがみついた。外では白いものが飛び散り、まるで雪の斜面を転げ落ちているようだった……。
転がる、つかむ、ぶつかる、つかむ、ぶつかる、転がる……。
どすんと音がし、私は荷物の下に半ば埋まった。しばらく、すべてが静まった。それから、ケイヴァーの荒い息と唸り声、ブラインドが枠の中でぱちりと動く音が聞こえた。力を振り絞り、毛布に包まれた荷物を押し返して、下から抜け出した。開いた窓は、星をちりばめた、ひときわ濃い黒として、かろうじて見えた。
二人はまだ生きていた。そして落ち込んだ巨大なクレーターの壁の影、その闇の中に横たわっていた。
私たちは座って息を整え、手足の打ち身を確かめた。こんな手荒い扱いを受けるとは、どちらもはっきり予想していなかったと思う。私は痛みに耐えて立ち上がった。「さあ」と言った。「月の景色を拝見しよう! しかし――ひどく暗いな、ケイヴァー!」
ガラスには露がついていた。私は話しながら毛布で拭いた。「夜明けまで、あと三十分ほどの場所だ」とケイヴァーは言った。「待たなくては。」
何も見分けられなかった。これなら鋼鉄の球に入っているのと同じだった。毛布でこすってもガラスが汚れるだけで、拭くそばから新しい水滴がつき、増える一方の毛布の繊維と混ざって、また曇った。もちろん、毛布を使うべきではなかった。ガラスをきれいにしようとして濡れた面で滑り、荷物から突き出た酸素容器の一つで脛を打った。
腹立たしかった。馬鹿げていた。たった今、月へ着いたのだ。周囲にどんな驚異があるかもわからないのに、見えるのは、乗ってきた泡の、水が流れる灰色の壁だけなのだから。
「畜生!」
私は言った。「これなら家にいたって同じじゃないか」そして荷物にしゃがみ込み、震えながら、毛布をいっそうしっかり引き寄せた。
突然、水滴が、きらめく点や羊歯の葉のような霜に変わった。「電気暖房に手が届くかい」とケイヴァーは言った。「そう、その黒いつまみだ。さもないと凍えてしまう。」
二度言われるまでもなかった。「それで」と私は言った。「これからどうする?」
「待つんだ」とケイヴァーは言った。
「待つ?」
「もちろん。中の空気がまた暖まるまで待たなくては。そうすればガラスも澄む。それまでは何もできない。ここはまだ夜だ。昼が追いついてくるのを待つしかない。それより、腹は減らないか?」
しばらく返事をせず、苛々しながら座っていた。汚れに覆われた謎のガラスから、しぶしぶ目をそらし、ケイヴァーの顔を見た。「ああ」と私は言った。「腹は減った。何だか、ひどくがっかりしているんだ。もっと何か――何を期待していたのか自分でもわからないが、こんなものではなかった。」
私は諦めの知恵をかき集め、毛布を巻き直して、また荷物の上に腰を下ろし、月での最初の食事を始めた。食べ終えなかったと思うが、覚えていない。やがて、初めはところどころ、ついで急速につながって広がるように、ガラスが澄み始めた。月世界を目から隠していた霧のヴェールが、引き払われていった。
二人は月の風景をのぞき込んだ。
第七章 月の日の出
最初に見た景色は、この上なく荒々しく、寂寥としたものだった。私たちは巨大な円形劇場、広大な円い平原、すなわち巨大クレーターの底にいた。崖のような壁が四方を閉ざしていた。西側の壁には、まだ見えない太陽の光が麓まで届き、くすんだ褐色や灰色の岩の乱れた断崖を照らしていた。あちこちに雪の吹きだまりや、雪の詰まった裂け目があった。おそらく十数マイル先だったが、初めは間に大気がないため、細部の細部まで輝きが少しも弱まらず、目を射た。星のある黒い背景を背に、くっきりとまばゆく浮かんでいた。その背景は、地上の目には、広大な空というより、見事な宝石を散りばめたビロードの幕のようだった。
東側の崖は、初め、星のドームを縁取る、星のないへりでしかなかった。薔薇色の朝焼けも、忍び寄る薄明かりも、昼の始まりを告げなかった。ただコロナと黄道光、巨大な円錐形の光る霞が、明けの明星の輝きへ向かって立ち上り、太陽が間近に迫っていることを知らせていた。
周囲にある光はすべて、西側の崖からの反射だった。それに照らされ、広大な起伏のある平原が、冷たく灰色に広がっていた。その灰色は東へ行くほど深まり、崖の影の、烏の羽のような完全な黒へ変わった。無数の丸い灰色の頂、幽霊じみた小丘、雪のようなものの波が、峰の向こうにまた峰を重ね、遠い闇へ続いていた。それで初めて、クレーターの壁の遠さがいくらか察せられた。この小丘は雪に見えた。そのときは雪だと思っていた。しかし違った。凍った空気の山であり、塊だったのだ。
最初はそうだった。そこへ突然、速やかに、驚くべき月の昼がやって来た。
日光は崖を下り、その麓に吹き寄せられた塊に触れると、たちまち七リーグの長靴[訳注:一歩で七リーグ進めるという、昔話の魔法の長靴。]を履いたような勢いで、こちらへ大股に迫ってきた。遠い崖がずれ、震えたように見えた。夜明けが触れると、クレーターの底から灰色の蒸気が噴き上がった。渦や、ひと吹きの煙や、漂う亡霊のような灰色が、ますます厚く、広く、濃くなり、ついには西側の平原全体が、火の前にかざした濡れたハンカチのように湯気を上げた。西の崖はその向こうで、屈折した光の輝きにすぎなくなった。
「空気だ」とケイヴァーは言った。「空気に違いない。そうでなければ、太陽の光に触れただけで、こんなふうに昇るはずがない。しかも、この速さで……」
空をのぞいた。「見たまえ!」と言った。
「何を?」
私は尋ねた。
「空だ。もう黒さの中に、青みが少し差している。ほら! 星が大きく見える。それに、小さな星や、宇宙で見えたあの淡い星雲めいたものは、みんな隠れた!」
速やかに、着実に、昼が近づいた。灰色の頂が一つ、また一つと光に追いつかれ、煙を上げる強烈な白に変わった。ついに西側は、押し寄せ、湧き上がる霧の壁ばかりになった。遠い崖はますます遠ざかり、渦の向こうに姿を膨らませ、変形し、ついにはその混沌の中に沈んで消えた。
湯気を上げる前線が近づいた。ますます近づいた。南西の風に走る雲の影ほどの速さだった。その前触れのように、周囲にも薄い霞が立ち上った。
ケイヴァーが私の腕をつかんだ。「何だ?」
私は言った。
「見ろ! 日の出だ! 太陽だ!」
私の体を回し、周囲の霞の上に浮かぶ、東の崖の稜線を指した。空の闇より、ほんのわずか明るいだけだった。だが今、その線には奇妙な赤い形が現れ、朱色の炎の舌がうねり、踊っていた。私は、光を受けた蒸気の渦が、空を背に炎の冠を作っているのだと思った。だが実際に見ていたのは太陽の紅炎だった。大気のヴェールによって、地上の目からはいつも隠されている、太陽を囲む火の冠だった。
そして――太陽!
着実に、否応なく、輝く線が現れた。耐えがたい光の細い縁が、円弧をなし、弓となり、燃える王笏となり、槍のように熱の光条を投げつけてきた。
本当に目を刺し貫かれた気がした! 私は大声を上げ、目が見えないまま向き直り、荷物の下の毛布を手探りした。
そして、その白熱とともに音が来た。地球を離れて以来、初めて外から届いた音だった。しゅうしゅう、さらさらという音。進んでくる昼が、空気の衣を嵐のように引きずる音だった。音と光が来ると同時に、球体がぐらりと傾き、目をつぶされた二人は、なすすべもなくよろめき、ぶつかった。また傾き、噴き立つ音は大きくなった。私は目を閉じるほかなく、もどかしく毛布を頭へかぶせようとしていたので、この二度目の揺れで、あっけなく足をすくわれた。荷物に倒れ込み、目を開いた瞬間、ガラスのすぐ外の空気が見えた。流れていた――沸騰していた――白熱した棒を突っ込まれた雪のようだった。固体だった空気は、太陽に触れた途端、糊になり、泥になり、ぬかるんだ液体になり、しゅうしゅう泡立って気体に変わっていた。
球体がいっそう激しく回り、二人は互いにつかまった。次の瞬間、また回された。ぐるりと回って転がり、私は四つん這いになった。月の夜明けが、私たちをつかまえたのだ。小さな人間どもに、月が何をできるか、思い知らせようとしていた。
もう一度、外が垣間見えた。蒸気の噴出、半ば溶けた泥状のものが、えぐられ、滑り、落ち、また滑っていた。球体は闇へ落ち込んだ。私は胸にケイヴァーの膝を受けて倒れた。次にはケイヴァーが飛び去ったように見え、私は息をすべて吐き出され、しばし仰向けに空を見つめた。溶ける物質の岩山が倒れ、私たちを覆い、埋めたのだが、それが今、薄れ、沸き立って離れていくのだった。頭上のガラスで泡が踊るのが見えた。ケイヴァーが弱々しく叫ぶ声がした。
それから、融けかけた空気の巨大な地滑りが球体をつかまえ、二人が口々に抗議する中、斜面を転げ落ち始めた。ますます速く、裂け目を跳び越え、土手に弾み、さらに速く、西へ向かって、月の昼の白熱した沸騰の騒乱へ突っ込んでいった。
しがみつき合ったまま、二人は回転し、あちこちへ投げ出された。荷物の包みが飛びかかり、叩きつけてきた。ぶつかり、つかまり、引き離された――頭どうしが衝突し、宇宙全体が火の矢と星になって爆ぜた! 地球なら互いの体を何度も砕いていただろうが、幸い月では体重が地上の六分の一しかなく、落下はずいぶん慈悲深かった。すさまじい吐き気と、頭蓋骨の中で脳が逆さまになったような感覚を覚えている。そして――
何かが顔の上で動いていた。細い触角のようなものが、耳にまとわりついた。やがて、青い眼鏡が周囲の風景の輝きを和らげているとわかった。ケイヴァーがかがみ込んでいて、顔が逆さに見えた。その目も色つきのゴーグルで守られていた。息は乱れ、打ち傷のある唇から血が出ていた。「よくなったかい?」と、手の甲で血を拭いながら言った。
しばらく、すべてが揺れているようだったが、それは自分の目まいだった。私を直射日光から守るため、ケイヴァーが外殻のブラインドをいくつか閉めてくれたのだと気づいた。周囲は何もかも、ひどく明るかった。
「何てことだ!」
私は喘いだ。「しかし、これは――」
首を伸ばして見た。外は目もくらむほど輝き、初めに見た陰鬱な闇から一変していた。「長く気を失っていたのか?」
私は尋ねた。
「わからない。精密時計が壊れた。少しのあいだは……。君、僕は怖くなったよ……」
私はしばらく横たわったまま、その言葉を受け止めた。顔にはまだ動揺の跡があった。しばし黙っていた。自分の打ち身を探るように手で確かめ、ケイヴァーの顔にも同じような傷がないか調べた。右手の甲がいちばんひどく、皮がむけて赤い肉が見えていた。額も打って、血が出ていた。ケイヴァーは携えてきた強壮剤――名は忘れた――を小さな計量杯に入れて渡した。しばらくすると、少し楽になった。慎重に手足を伸ばし始めた。やがて話せるようになった。
「危ないところだったな」と、間が空かなかったかのように私は言った。
「ああ! 本当に危なかった。」
ケイヴァーは両手を膝の向こうへ垂らして考え込んだ。ガラスの外をのぞき、それから私を見つめた。「まったく!」と言った。「危なかった!。」
「何が起きたんだ?」
しばらくして私は尋ねた。「熱帯へでも跳んだのか?」
「予想どおりだった。この空気が蒸発したんだ。空気だとすればね。ともかく蒸発して、月の表面が現れている。僕らは土をかぶった岩棚の上にいる。あちこちに地面が露出している。奇妙な土だよ!」
説明する必要はないと気づいたらしい。ケイヴァーは私が起き上がるのを手伝い、私は自分の目で見ることができた。
第八章 月の朝
風景のきつい輪郭、容赦のない白と黒は、すっかり消えていた。太陽の輝きには淡い琥珀色が差し、クレーターの壁に落ちる影は深い紫だった。東には、黒い霧の堤がまだうずくまり、日の出から身を隠していたが、西の空は青く澄んでいた。私は、どれほど長く気を失っていたか、わかり始めた。
もう真空の中ではなかった。周囲に大気が生まれていた。物の輪郭には個性が加わり、くっきりと変化に富んだものになっていた。ところどころ、日陰に残る白い物質――今度は空気ではなく雪だった――を除けば、極地めいた様子は完全に消えていた。いたるところ、錆びた褐色の、むき出しの荒れた地面が、太陽にさらされて広がっていた。吹きだまりの縁には、はかない小さな水たまりや渦ができ、この荒涼たる広がりの中で、それだけが動いていた。日光は球体の上の二つの開口部を満たし、中を真夏の暑さにしていたが、足もとはまだ影にあり、球体は雪の吹きだまりに載っていた。
斜面のあちこちには、棒のようなものが散らばっていた。乾いた、ねじれた棒で、下の岩と同じ錆色をしていた。日陰の側に残る、細い白い雪の筋が、その形を際立たせていた。私ははっとした。棒だと! 生命のない世界に? やがて目がその質感に慣れると、地表のほとんどすべてが、松の木陰に敷き詰められた褐色の落ち葉のような、繊維状のものに覆われているとわかった。
「ケイヴァー!」
私は言った。
「何だい。」
「今は死んだ世界かもしれないが、昔は――」
何かが目を引いた。その針のようなものの中に、小さな丸い物がいくつもあるのに気づいたのだ。そして、その一つが動いた気がした。「ケイヴァー」と私は囁いた。
「何だ?」
だが、すぐには答えなかった。信じられず、じっと見つめた。一瞬、自分の目を疑った。言葉にならない声を上げた。腕をつかみ、指を差した。「見ろ!」
ようやく声が出た。「あそこ! そうだ! あそこも!」
ケイヴァーの目が指の先を追った。「何だって?」と言った。
あの光景を、どう説明したらいいのだろう? 言葉にすればごく小さな出来事なのに、どれほど驚異に満ち、感情をかき立てるものだったことか。棒のようなごみの中に、丸いもの、小さな楕円形のものがあったと書いた。ごく小さな小石に見えても不思議はなかった。ところが今、一つ、また一つと動き、転がり、裂け、その裂け目に黄緑色のごく細い線が現れた。昇ったばかりの太陽の熱い励ましへ向かい、外へ押し出されていた。一瞬、それだけだった。すると三つ目が動き、破れた!
「種だ」とケイヴァーは言った。それから、ごく小さく囁く声が聞こえた。「生命だ!。」
「生命だ!」
たちまち二人を満たしたのは、あの途方もない旅は無駄ではなかったという思いだった。たどり着いたのは、鉱物ばかりの不毛な荒野ではない。生き、動く世界なのだ! 私たちは食い入るように見つめた。ほんのわずかな曇りさえ許せず、目の前のガラスを絶えず袖でこすっていたのを覚えている。
眺めが鮮明なのは、視野の中央だけだった。その周囲では、枯れた繊維や種が、ガラスの曲面によって拡大され、歪んでいた。それでも十分に見えた! 日の当たる斜面のいたるところで、この奇跡のような小さな褐色の物体が、次々に弾け、口を開いた。種の莢のように、果実の殻のように裂け、貪るように口を広げ、昇ったばかりの太陽から滝のように注ぐ熱と光を呑み込んだ。
一瞬ごとに、新たな種皮が破れた。そのそばから、先に割れた種は膨らみ、裂けて広がった殻からあふれ、成長の第二段階へ移った。着実な自信と、速やかな慎重さをもって、この驚くべき種は、小さな根を地面へ、奇妙な束のような芽を空中へ伸ばした。しばらくすると、斜面全体に小さな苗が点々と立ち、太陽の光の中で気をつけの姿勢を取っていた。
じっとしていたのは長くなかった。束のような芽は膨らみ、張り詰め、ぴくりと開いて、小さな尖った先端の冠を押し出した。小さく、刺々しい、褐色がかった葉が輪をなして広がり、急速に伸びた。見ているそばから、目に見えて伸びた。その動きは、どんな動物より遅く、これまで見たどんな植物よりも速かった。あの成長のしかたを、どう伝えればいいのだろう? 葉の先は、見つめているあいだにも、はっきり前へ進むほど伸びた。褐色の種皮も同じ速さでしなび、吸収された。寒い日に温度計を暖かな手で握り、細い水銀柱が管を上るのを見たことがあるだろうか? 月の植物は、あんなふうに育った。
ほんの数分と思えるうちに、早いものでは芽が伸びて茎となり、二段目の葉の輪まで出し始めた。ついさっきまで、生命のない屑の広がりだった斜面は、今や低いオリーブ色の草で暗く覆われ、尖った葉が、成長そのものの勢いで揺れていた。
振り返ると、何と、東側の岩の上縁にも、ほとんど同じくらい伸びた草の縁取りがあり、目もくらむ日光を背に、黒く揺れ、しなっていた。その向こうには、サボテンのように不格好に枝分かれした植物の塊が、影絵になっていた。そして目に見えて膨らんでいた。空気を入れられる袋のように膨らんでいた。
次に西側でも、同じように膨れたものが茂みの上へせり上がっているのを見つけた。こちらは滑らかな側面に光が当たり、鮮やかな橙色だとわかった。見ているうちに高くなった。一分ほど目を離して戻すと、輪郭が変わっていた。太く詰まった鈍い枝を突き出し、やがて何フィートもの高さの、珊瑚のような姿になった。この成長に比べれば、一晩で直径一フィートにも膨らむことのある地上のホコリタケなど、救いようのないのろまだろう。もっともホコリタケは、月の六倍もの重力に逆らって育つのだ。その向こうでは、私たちには見えなくても、生命を呼び起こす太陽には見えていた溝や平地から、輝く岩の尾根や土手の上へ、尖ったものや肉厚の植物が、剛毛のように懸命に姿を現した。短い昼のうちに花をつけ、実を結び、また種を作って死なねばならない。その時間を生かそうと、騒然と急いでいた。あの成長は奇跡のようだった。創世のとき、木や草が生まれて、できたばかりの地球の荒野を覆ったのも、きっとあんなふうだったのだろう。
想像していただきたい! あの夜明けを! 凍った空気の復活、土の目覚めと胎動、そして音もなく立ち上がる植物、肉厚のものや棘が、この世ならぬ勢いでせり上がるさまを。地上の最も強い日差しさえ、水で薄めた弱々しい光に思わせる輝きが、それらを照らしていた。それでも、このうごめく密林の周囲では、影のあるかぎり、青みがかった雪の吹きだまりが残っていた。そして、私たちの受けた印象を完全に描くには、すべてを厚い曲面ガラス越しに見ていたことも忘れてはならない。レンズ越しのように歪み、中央だけがくっきりと、とても明るく見え、縁へ行くほど拡大され、現実離れしていたのだ。
第九章 探査を始める
私たちは見入るのをやめた。同じ思い、同じ問いを目に浮かべ、互いを見た。これほど植物が育つには、どんなに薄くても空気があるはずだ。私たちにも吸える空気が。
「出入り口を?」
私は言った。
「ああ!」とケイヴァーは言った。「見えているものが空気なら!」
「もう少しすれば」と私は言った。「この植物は僕らと同じ背丈になる。もし――もし結局――本当に確かなのか? あれが空気だと、どうしてわかる? 窒素かもしれない。二酸化炭素かもしれないぞ!」
「簡単さ」と言い、証明に取りかかった。荷物から大きな、しわくちゃの紙を取り出し、火をつけ、出入り口の弁から急いで押し出した。私は身を乗り出し、厚いガラス越しに下をのぞいた。外に現れる小さな炎を、その証言にあまりにも多くのことがかかっている炎を、待った。
紙が落ち、雪の上にふわりと載った。燃えていた桃色の炎が消えた。一瞬、火が消えたかと思った。すると、紙の縁に小さな青い舌が現れ、震え、這い、広がった!
静かに、雪に直接触れている部分を除いて、紙全体が焦げ、縮み、細い震える煙を上げた。もう疑いはなかった。月の大気は、純粋な酸素か空気だった。したがって、薄すぎさえしなければ、よそから来た私たちの生命を支えられる。外へ出られる――生きていられるのだ!
私は出入り口を脚のあいだにして腰を下ろし、蓋をねじって外そうとしたが、ケイヴァーに止められた。「その前に、ちょっと用心しておこう」と言った。外が酸素を含む大気なのは確かでも、薄すぎて体に重大な害を及ぼす可能性はあると指摘した。高山病や、急に上昇した気球乗りがしばしば出血することを思い出させた。そして、少し時間をかけて気味の悪い味の飲み物を作り、私にもぜひ飲めと言った。少ししびれる感じはしたが、ほかに作用はなかった。それからようやく、蓋を緩めてもよいと言った。
やがてガラスの蓋が十分に緩み、球体の中の濃い空気が、ねじ山に沿って漏れ始めた。沸騰する前のやかんのように鳴った。そこでケイヴァーは手を止めさせた。外の気圧は中よりずっと低いことが、すぐに明らかになった。どれほど低いかは、知るすべがなかった。
私は両手で蓋を握ったまま座り、強い期待に反して月の大気が薄すぎるとわかったら、すぐ閉め直せるようにした。ケイヴァーは、気圧を戻すための圧縮酸素の容器を手もとに置いた。二人は黙って互いを見、それから外で揺れ、目に見えて、しかも音もなく育つ奇怪な植物を見た。そのあいだじゅう、甲高い笛の音が続いていた。
耳の中で血管が脈打ち始め、ケイヴァーの動く音が小さくなった。空気が薄れるにつれ、何もかもが静かになったことに気づいた。
空気がねじの隙間からしゅうしゅう漏れると、その水分が小さな霧になって凝った。
やがて、独特の息苦しさを感じた。これは月の外気にさらされているあいだ、ずっと続いた。耳や爪、喉の奥にもかなり不快な感覚が生まれ、気になったが、それはやがて消えた。
しかし次に、目まいと吐き気が来て、私の勇気は一変した。出入り口の蓋を半回転閉め、ケイヴァーに急いで説明した。だが今度は、ケイヴァーの方が楽観的だった。音を運ぶ空気が薄いため、その返事はひどく小さく、遠く聞こえた。ブランデーを少し飲むよう勧め、自分で手本を示した。やがて私も楽になった。蓋をまた緩めた。耳の中の脈動が大きくなり、そのうち、漏れる空気の笛の音が止んだと気づいた。しばらくは、本当に止まったのか確信が持てなかった。
「どうだい?」と、幽霊のような声でケイヴァーが言った。
「どうかな?」と私は言った。
「続けようか?」
私は考えた。「これで全部か?」
「君が耐えられるならね。」
返事の代わりに、私はさらに蓋を回した。円い蓋を持ち上げ、荷物の上へそっと置いた。薄く、馴染みのない空気が球体を満たすと、雪片が一つ二つ舞って消えた。私は膝をつき、それから出入り口の縁に座り、下をのぞいた。顔から一ヤードも離れていないところに、まだ誰も踏んだことのない月の雪があった。
少し間が空いた。目が合った。
「肺は、それほど苦しくないかい?」とケイヴァーは言った。
「ああ」と私は言った。「これなら耐えられる。」
ケイヴァーは毛布へ手を伸ばし、中央の穴に頭を通し、体に巻いた。出入り口の縁に座り、月の地面から六インチほどの高さまで足を下ろした。一瞬ためらってから、体を前へ押し出した。その数インチを落ち、まだ踏まれたことのない月の土の上に立った。
前へ歩くと、ガラスの縁で屈折し、滑稽に歪んだ姿になった。しばらく立って、あちらこちらを見た。それから身構え、跳んだ。
ガラスが何もかも歪めていたが、それでも途方もなく大きな跳躍に見えた。ひと跳びで遠くへ行ってしまった。二十か三十フィートは離れたようだった。高い岩の上に立ち、私に向かって身振りをしていた。叫んでいたのかもしれないが、声は届かなかった。いったい、どうやったのだ? 新しい手品を見せられたような気分だった。
狐につままれた気分のまま、私も出入り口から下りた。立ち上がった。すぐ前では吹きだまりが崩れ、一種の溝になっていた。一歩踏み出し、跳んだ。
私は宙を飛んでいた。ケイヴァーの立つ岩が向こうから迫ってきた。それをつかみ、限りない驚きの中でしがみついた。
苦しい笑いが漏れた。ひどく混乱していた。ケイヴァーがかがみ、甲高い声で、気をつけろと叫んだ。
私は忘れていたのだ。質量が地球の八分の一しかなく、直径が四分の一の月では、体重は地上のほぼ六分の一になるということを。今や、その事実は否応なく思い出させられた。
「もう母なる地球の手を離れたんだよ」とケイヴァーは言った。
慎重に力を入れて岩の上へ体を持ち上げ、リウマチ患者のように用心深く動いて、強烈な日光の下、ケイヴァーの隣に立った。三十フィート後ろには、縮んでいく吹きだまりに載った球体があった。
クレーターの底をなす、巨大で雑然とした岩の広がりを見渡すかぎり、周囲と同じ刺々しい茂みが芽吹いていた。ところどころ、サボテン型の膨れた塊や、あまりに速く育つので岩を這っているように見える、緋色や紫の地衣類が混じっていた。そのときは、クレーター全体が、周囲の崖の麓まで、同じ荒野であるように見えた。
崖には、麓を除いて植物がないようだった。突き出た岩の支柱や段丘、平らな棚があったが、そのときはあまり注意を引かなかった。どちらを向いても何マイルも先にあり、私たちはクレーターのほぼ中央にいるらしかった。風に流される霞越しに、それを見ていた。薄い空気の中には、もう風さえあった。速いが弱い風で、ひどく冷たくはあったが、押す力はほとんどなかった。太陽側の壁の下の霧深い闇から、明るく熱せられた側へ、クレーターを回るように吹いているらしかった。東の霧を見るのは難しかった。動かない太陽の激しさのため、手でひさしを作り、目を細めてのぞくしかなかった。
「誰もいないようだね」とケイヴァーは言った。「まったくの荒野だ。」
私はもう一度見回した。そのときでさえ、どこか人間めいたもの、建物の尖塔、家、機械などが見つかるのではないかという希望にしがみついていた。だが、どこを見ても、崩れた岩が峰や尾根をなし、茂みが伸び、サボテンが膨らみ続けていた。そんな希望を、きっぱり否定しているようだった。
「この植物たちの独り占めらしい」と私は言った。「ほかの生き物の跡は見えない。」
「虫もいない――鳥も、いない! 動物の痕跡が、ひとかけらもない。いたとしても、夜をどうする? ……いや、この植物だけだ。」
私は手で目をかばった。「夢の中の景色みたいだ。地上の陸の植物というより、海底の岩のあいだにありそうなものだよ。あれを見ろ! トカゲが植物に変えられたようじゃないか。それに、このまぶしさ!」
「まだ朝になったばかりだよ」とケイヴァーは言った。
ため息をついて、あたりを見回した。「人間の住む世界じゃない」と言った。「それでも、どこか――心を引かれる。」
しばらく黙っていたが、やがて考え込むときの鼻歌を始めた。
柔らかなものに触れられて、私ははっとした。青白い地衣類の薄い膜が、靴を包みかけていた。蹴ると粉になり、その一粒一粒が育ち始めた。
ケイヴァーが鋭く叫んだ。茂みに林立する銃剣のような葉の一本が、体を刺したらしかった。ためらい、周囲の岩へ目を走らせた。ぎざぎざの岩柱に、突然、桃色の輝きが這い上がっていた。ひどく異様な桃色、生々しいマゼンタ色だった。
「見ろ!」と私は振り向いて言った。ところが、ケイヴァーはいなかった。
一瞬、私は立ちすくんだ。それから急いで一歩踏み出し、岩の縁の下をのぞこうとした。だが、姿が消えた驚きで、ここが月だということをまた忘れた。地球なら一ヤード進むだけの足の蹴りが、月では六ヤード、縁から優に五ヤードも外へ体を運んだ。一瞬、いつまでも落ち続ける悪夢と同じ感じがした。地球では落下の最初の一秒に十六フィート落ちるが、月では二フィート、しかも重さは六分の一しかない。十ヤードほど落ちた、いや跳び下りたのだと思う。ずいぶん長い時間がかかった気がした。五、六秒はあっただろう。空中を漂い、羽根のように落ちて、白い筋の走る青灰色の岩の谷底で、吹きだまりに膝まで埋まった。
私はあたりを見た。「ケイヴァー!」
叫んだが、姿はなかった。
「ケイヴァー!」
もっと大声で叫ぶと、岩がこだまを返した。
私は勢いよく岩へ向き直り、頂までよじ登った。「ケイヴァー!」
叫んだ。その声は、迷子の子羊のようだった。
球体も見えなかった。一瞬、恐ろしい孤独が心臓を締めつけた。
そのとき、姿が見えた。笑いながら、こちらに気づかせようと手を振っていた。二十か三十ヤード先の、むき出しの岩の上にいた。声は聞こえなかったが、身振りは「跳べ」と言っていた。私はためらった。あまりに遠く見えた。だが、ケイヴァーより遠く跳べないはずはない、と思い直した。
一歩下がり、身構え、力いっぱい跳んだ。二度と降りてこないかと思うほど、まっすぐ空へ射出された気がした。
そんなふうに飛んでいくのは、恐ろしくも愉快で、悪夢のように途方もなかった。力を入れすぎたと悟った。ケイヴァーの頭上を軽々と越え、谷間の刺々しい混沌が、落下する私を迎えようと広がるのが見えた。悲鳴を上げた。両手を突き出し、脚を伸ばした。
巨大な菌類の塊にぶつかった。塊は周囲で破裂し、橙色の胞子を四方へ散らし、私を橙色の粉まみれにした。私はむせながら転がり、息もできない笑いに身を震わせて、止まった。
刺々しい生け垣の向こうから、ケイヴァーの丸い小さな顔がのぞいていた。薄い声で何か問いかけた。「何だって?」
そう叫ぼうとしたが、息が足りなかった。ケイヴァーは茂みのあいだを用心深く進み、こちらへ来た。
「気をつけなくては」と言った。「この月は、しつけがなっていない。僕らが壊れても止めてくれない。」
立ち上がるのを手伝ってくれた。「力を入れすぎたんだ」と言い、服についた黄色いものを手で払った。
私は喘ぎながら、おとなしく立っていた。ケイヴァーは膝や肘のゼリー状のものを叩き落とし、災難について説教した。「重力のことを、まだ十分に計算に入れられていない。筋肉が覚えていないんだ。息が戻ったら、少し練習しなくては。」
私は手から小さな棘を二、三本抜き、しばらく岩に座った。筋肉は震え、地球で自転車を習い始めた人間が、初めて転んだときに味わう、自分への幻滅を感じていた。
ケイヴァーは、強い日光のあとで谷の冷気に当たると、私が熱を出すのではないかと、急に気づいた。そこで二人は日向へ登り戻った。擦り傷が少しあるほかは、転落による大きな怪我はなかった。ケイヴァーの提案で、次の跳躍にふさわしい、安全で簡単な着地点を探した。オリーブ色の尖った葉の小さな茂みを隔て、十ヤードほど先にある平たい岩を選んだ。
「あそこにあると思うんだ!」と、すっかり指導者気取りのケイヴァーが言い、私のつま先から四フィートほど先を指した。この跳躍は難なくできた。正直に言うと、ケイヴァーが一フィートほど届かず、茂みの棘を味わったのは、少し愉快だった。「用心が必要なんだよ、ほら」と棘を抜きながら言った。それを境に、ケイヴァーは私の師匠ではなく、月面移動術を学ぶ仲間になった。
さらに簡単な跳躍を選び、難なくこなした。それから跳び戻り、何度か往復して、筋肉を新しい基準に慣らした。自分で経験しなければ、これほど早く適応できるとは信じなかっただろう。ほんの短い時間、確かに三十回も跳ばないうちに、距離に応じて必要な力を、地球とほとんど同じ確かさで判断できるようになった。
そのあいだじゅう、月の植物は周囲で成長し、ますます高く、密に、絡み合っていた。時々刻々、茂り、伸びた。棘のある植物、緑のサボテンの塊、菌類、肉厚のもの、地衣類のようなもの、奇妙きわまる放射状や曲がりくねった形。だが二人は跳躍に夢中で、しばらく、そのとどまらぬ成長を気にかけなかった。
途方もない高揚感に取り憑かれていた。一つには、球体の閉じ込めから解放された気分のせいだったと思う。しかし主な原因は、薄く、心地よい空気だったろう。地球の大気より、はるかに酸素の割合が高かったに違いないと私は思っている。周囲は何もかも異様だったのに、初めて山へ来たロンドンっ子のように、何でも試し、冒険したい気分だった。未知のものと向き合っていながら、大いに恐れるべきだとは、どちらも思いつかなかったようだ。
二人は冒険心に取り憑かれていた。十五ヤードほど先の、地衣類に覆われた岩丘を選び、一人ずつ、見事に頂へ着地した。「いいぞ!」と互いに叫んだ。「いいぞ!」ケイヴァーは三歩進み、さらに優に二十ヤード以上向こうの、魅力的な雪の斜面へ跳んだ。私は一瞬、宙を舞う姿の滑稽さに見とれた。汚れたクリケット帽と逆立つ髪、小さな丸い胴、きゅっと縮めた腕と半ズボンの脚。それが、月の奇怪で広大な景色を背に浮かんでいた。どっと笑いがこみ上げ、それから私も踏み切って追った。どすん! 隣へ着地した。
巨人のような大股で何歩か進み、さらに三、四回跳んで、ついに地衣類に覆われた窪みに腰を下ろした。肺が痛かった。脇腹を押さえ、息を整えながら、互いに満足げな目を向けた。ケイヴァーは喘ぎながら、「驚くべき感覚」とか何とか言った。
そのとき、一つの考えが浮かんだ。その瞬間には、とくに恐ろしい考えとは思わなかった。状況から自然に生じた、ただの問いだった。
「ところで」と私は言った。「球体は、正確にはどこにあるんだ?」
ケイヴァーは私を見た。「え?」
自分たちの言葉の意味が、鋭く胸を刺した。
「ケイヴァー!」
私は腕に手を置いて叫んだ。「球体はどこだ?」
第十章 月で迷った男たち
私の狼狽が、いくらかケイヴァーの顔にも移った。立ち上がり、二人を囲み、成長への熱情に突き動かされて上へ伸びる茂みを見回した。心もとなげに手を唇へ持っていった。突然、自信のない声になった。「確か」と、ゆっくり言った。「置いてきたのは……どこか……あのあたりだと思う。」
ためらいがちに差した指が、弧を描いて揺れた。
「はっきりしないんだ。」
顔の恐れが深まった。「ともかく」と、私を見ながら言った。「遠いはずはない。」
二人とも立ち上がっていた。意味のない声を上げながら、絡まり、濃くなる周囲の密林を目で探った。
日の当たる斜面のいたるところで、伸びる低木、膨れるサボテン、這う地衣類が、泡立つように揺れていた。日陰のあるところには、吹きだまりが残っていた。東西南北、馴染みのない形ばかりの、同じ単調さが広がっていた。そして、この絡み合う混沌のどこかに、もう埋もれてしまった球体があった。私たちの家、唯一の食糧、そして入り込んでしまったこの短命な植物の奇怪な荒野から脱出する、唯一の希望が。
「やはり」と、ケイヴァーが急に指を差した。「あっちかもしれない。」
「いや」と私は言った。「僕らは弧を描いて進んだ。ほら、ここに僕の踵の跡がある。もっと東のはずだ。ずっと東だ。違う――球体はあっちだ。」
「僕は確か」とケイヴァーは言った。「ずっと太陽を右に見ていた。」
「跳ぶたびに」と私は言った。「僕には、影が前へ飛んでいたように思える。」
二人は目を見合わせた。想像の中でクレーターは途方もなく広がり、育つ茂みは、すでに通り抜けられないほど密になっていた。
「何てことだ! 僕らは何という馬鹿だったんだ!」
「見つけなくてはならないのは明らかだ」とケイヴァーは言った。「しかも早く。日差しが強くなっている。これほど乾燥していなかったら、もう暑さで気を失っているだろう。それに……腹が減った。」
私は見つめた。その面には、まだ考えが及んでいなかった。だが、たちまち襲ってきた。はっきりとした飢えだった。「ああ」と私は力を込めて言った。「僕も腹が減った。」
ケイヴァーは、行動を決意した顔で身を起こした。「どうしても球体を見つけなくては。」
できるかぎり落ち着いて、クレーターの底をなす、果てしない岩礁と茂みを見渡した。暑さと飢えに捕まる前に球体を見つけられる見込みを、それぞれ黙って考えた。
「五十ヤードも離れてはいないはずだ」と、ケイヴァーは曖昧な身振りをした。「周りをくまなく探して、ぶつかるまで歩くしかない。」
「それしかないな」と私は言ったが、捜し始める気力は湧かなかった。「この忌々しい棘の茂みが、こんなに速く育たなければな!」
「そこなんだ」とケイヴァーは言った。「だが、雪の吹きだまりの上にあった。」
球体のそばにあった小丘か茂みを見分けられないかと、私はあたりを見回したが無駄だった。どこも紛らわしいほど似ていた。どこでも、上へ伸びる茂み、膨張する菌類、縮む雪の山が、着実に、避けようもなく変わり続けていた。太陽は焼き、刺した。わけのわからない飢えの力なさが、底知れぬ当惑に混ざった。そして、見たこともないものの中で迷い、途方に暮れて立っていると、月で初めて、自分たち以外の音に気づいた。育つ植物のまわりの空気や、風のかすかなため息とは違う音だった。
ゴーン……ゴーン……ゴーン。
足の下から来た。地中の音だった。耳と同じくらい、足で聞いている気がした。鈍い響きは距離にくぐもり、間にある物質の厚みを帯びていた。これ以上二人を驚かせ、周囲のものの性質をすっかり変えてしまう音は、想像できない。この豊かで、遅く、規則正しい響きは、地中に埋められた巨大な時計の打つ音としか思えなかったのだ。
ゴーン……ゴーン……ゴーン。
静かな回廊を、人口の多い都会の眠れぬ夜を、寝ずの番や待ちわびる時刻を、生活のあらゆる秩序と規則を思わせる音が、この幻想的な荒野に、意味深く、謎めいて鳴り渡っていた! 目には何も変わっていなかった。低木とサボテンの荒野が、風に音もなく揺れ、遠い崖まで切れ目なく続いていた。頭上の空はまだ暗く、何もなく、熱い太陽が宙にとどまり、燃えていた。そのすべてを貫き、警告のように、脅しのように、この謎の音が脈打った。
ゴーン……ゴーン……ゴーン……。
二人は薄く、かすれた声で問い合った。
「時計か?」
「時計みたいだ!」
「何なんだ?」
「何だというんだ?」
「数えよう」とケイヴァーが遅まきながら言った。その言葉と同時に、音は止んだ。
静けさが、待ち受けた拍子を裏切る静けさが、新たな衝撃となった。一瞬、本当に音を聞いたのか疑えた。あるいは、まだ続いているのではないかとも思えた。私は本当に、音を聞いたのだろうか?
腕にケイヴァーの手の圧力を感じた。何か眠っているものを起こすのを恐れるように、声を落とした。「離れずにいよう」と囁いた。「球体を捜すんだ。球体へ戻らなくては。これは僕らの理解を超えている。」
「どっちへ行く?」
ケイヴァーはためらった。周囲に、すぐ近くに、目に見えない何かがいるという、強烈な確信が二人の心を支配した。何なのだろう? どこにいるのだろう? 凍り、焼かれることを交互に繰り返す、この乾いた荒野は、地下世界の外皮、仮面にすぎないのか? もしそうなら、どんな世界なのか? どんな住民が、今にも吐き出されてくるのか?
そのとき、苦痛に満ちた静けさを刺し貫き、思いがけない雷鳴のように鮮烈で突然の、がらがらという金属音が響いた。巨大な金属の門が、いきなり左右へ開かれたようだった。
足が止まった。二人は口を開けたまま、なすすべもなく立った。やがてケイヴァーが、そっと近寄った。
「わからない!」と、私の顔のすぐそばで囁いた。空の方へぼんやり手を振った。さらに曖昧な考えを、曖昧に示す身振りだった。
「隠れ場所だ! 何かが来たら……」
私は周囲を見た。同意してうなずいた。
私たちは動きだした。音を立てないよう、これ以上ないほど用心して、そっと進んだ。低木の茂みへ向かった。ボイラーの周りで金槌を放り回すような轟音が、足を速めた。「這わなくては」とケイヴァーが囁いた。
銃剣植物の下の葉は、上の新しい葉に日を遮られ、しおれ、縮み始めていた。そのため、太くなる茎のあいだへも、大怪我をせずに押し入れた。顔や腕を刺されても気にしなかった。茂みの奥で私は止まり、喘ぎながらケイヴァーの顔を見つめた。
「地下だ」とケイヴァーは囁いた。「下にいる。」
「出てくるかもしれない。」
「球体を見つけなくては!」
「ああ」と私は言った。「だが、どうやって?」
「見つかるまで這う。」
「見つからなければ?」
「隠れている。どんなものか見るんだ。」
「離れずにいよう」と私は言った。
ケイヴァーは考えた。「どっちへ行く?」
「運を天に任せよう。」
二人はあちらこちらをのぞいた。それから、できるかぎり円を描くつもりで、密林の下を、細心の注意を払って這い始めた。今では、揺れる菌類を見るたび、音を聞くたびに止まり、あれほど愚かにも出てきてしまった球体だけを思っていた。足もとの地中からは、ときおり衝撃や打撃、奇妙で説明のつかない機械の音が響いた。一度、そしてもう一度、空気を伝わって、何かかすかながらがらという音と騒ぎが聞こえた気もした。だが恐ろしくて、クレーターを見渡せる高みへ出る気にはなれなかった。音はあれほど多く、執拗に聞こえるのに、その主の姿は長いこと見えなかった。飢えの力なさと喉の渇きさえなければ、この這い歩きは、ひどく鮮明な夢のようだっただろう。それほどまでに現実離れしていた。少しでも現実味のあるものは、あの音だけだった。
想像していただきたい! 周囲には夢のような密林があり、頭上では銃剣の葉が音もなく伸び、手や膝の下では、鮮やかな日差しを斑に浴びた地衣類が、音もなく育っていた。その成長の勢いで、下へ風が入った絨毯のように波打っていた。ときおり、太陽の下で膨れ上がる袋状の菌類が、眼前にそびえた。ときおり、鮮やかな色の新しい形が突き出した。植物を作る細胞そのものが、親指ほどもあり、色ガラスの玉のようだった。そのすべてが、容赦のない太陽の光を浴び尽くし、青黒い空を背に見えていた。日光にもかかわらず、空にはまだ、生き残った星がいくつか散っていた。奇妙だった! 石の形も、肌理さえも奇妙だった。何もかもが奇妙で、体の感覚にも前例がなく、一つおきの動作が驚きに終わった。喉へ吸い込む息は薄く、耳の中を血が脈打つ潮となって流れた――どく、どく、どく、どく……。
そして、ときおり、騒乱が突風のように押し寄せた。槌の音、機械の金属音と律動。そしてやがて――巨大な獣の咆哮が!
第十一章 ムーンカーフの牧草地
こうして私たち二人の哀れな地球の漂流者は、月の密林に迷い込み、襲いかかってきた物音におびえながら這い進んだ。セレナイトやムーンカーフの姿を目にするまでには、ひどく長いあいだ這っていたように思う。その間もムーンカーフの吠え声やうなり声は、絶えず近づいてきた。石だらけの谷を抜け、雪の斜面を越え、薄い袋のように触れると裂けて水っぽい汁を流す菌類の間を進み、ホコリタケめいたものが隙間なく敷き詰められた地面を渡り、果てしなく続く低木の茂みの下をくぐった。置き去りにした球体を探す目からは、刻一刻と希望が失われていった。ムーンカーフの声は、あるときは途方もなく大きく抑揚のない子牛の鳴き声となり、あるときは驚き怒ったような咆哮となったかと思うと、また獣の喉に何かがつかえたような声になった。見えない生き物たちが、食べながら同時に吠えようとしているかのようだった。
最初に見えたのは、ほんの一瞬の、不完全な姿にすぎなかった。だが、よく見えないからといって不気味さが薄れるわけではなかった。そのとき前を這っていたのはケイヴァーで、接近に気づいたのも彼のほうが先だった。ぴたりと動きを止め、身振りひとつで私を制した。
低木をばりばりとへし折る音が、まっすぐこちらへ迫ってくるようだった。私たちは身を寄せてうずくまり、音の近さと方向を見定めようとした。すると背後で、すさまじい吠え声が上がった。あまりにも近く、激しかったので、銃剣低木の先端がその声に押されてたわみ、熱く湿った息が肌に感じられた。振り返ると、揺れる茎の群れの向こうに、ムーンカーフのつやつやした脇腹がぼんやり見え、長く連なる背が空を背景にそびえていた。
もちろん、そのときどこまで見えていたのか、今となっては言いがたい。のちの観察によって、最初の印象が修正されているからだ。何より強く感じたのは、その途方もない大きさだった。胴回りは八十フィートほど、体長はおそらく二百フィートもあった。苦しげに息をするたび、両脇が膨らみ、しぼんだ。巨大で締まりのない体は地面に沿って横たわり、白い皮膚にはしわが寄り、背骨に沿って斑点が濃くなって黒くなっているのが見えた。だが足はまったく見えなかった。また、脂肪に埋もれた首、よだれを垂らす雑食性の口、小さな鼻孔、固く閉じた目を持つ、ほとんど脳のなさそうな頭の、少なくとも横顔は、そのとき見えたと思う。(ムーンカーフは日光の下では必ず目を閉じている。)また吠え、うなるために口を開くと、巨大な赤い穴がちらりと見えた。その穴から吹き出す息を浴びた。すると怪物は船のように横へ傾き、革めいた皮膚のいたるところにしわを寄せながら地を引きずって前進し、また体を揺すった。そうやって身をよじりながら私たちの前を通りすぎ、低木をなぎ倒して道を開き、向こうの密生した枝葉の中へたちまち姿を消した。少し遠くにもう一頭、次いでもう一頭が現れた。そして、動く食糧の塊を牧草地へ導いているかのように、一体のセレナイトが一瞬視界に入った。その姿を見て、ケイヴァーの足をつかんでいた私の手が痙攣するように締まった。相手が視界から去っても、私たちは長いあいだ身じろぎせず、目を凝らしていた。
ムーンカーフと比べると、セレナイトは取るに足りない、ほんの蟻のような存在で、背丈も五フィートに届かなかった。革のような素材の衣服を着ていて、体そのものはどこにも露出していなかったのだが、むろん、そのときの私たちはそんなことはまったく知らなかった。そのため目に映ったのは、がっしりとまとまり、突起を逆立てた、ひどく複雑な昆虫めいた生き物だった。光る円筒形の胴殻からは、鞭のような触手と、がちゃがちゃ鳴る棒が突き出していた。頭の形は、無数の棘が生えた巨大な兜に隠れていた――のちにわかったことだが、この棘で言うことをきかないムーンカーフを突くのだった――そして色の濃いガラスのゴーグルが両側へ大きく離れてついており、顔を覆う金属製の装具を鳥の顔のように見せていた。腕は胴殻から外へ出ておらず、体を支える短い脚は、暖かそうな覆いに包まれているにもかかわらず、地球人の目には異様なほど華奢に見えた。腿はごく短く、すねは非常に長く、足先は小さかった。
重そうな衣服にもかかわらず、地球の尺度からすれば相当に大きな歩幅で進み、がちゃがちゃ鳴る棒もせわしなく動かしていた。通りすぎる一瞬の動きには、焦りと幾分の怒りがうかがえた。姿が見えなくなってほどなく、ムーンカーフの吠え声が突然、短く鋭い悲鳴に変わり、続いて急いで這い進む音がした。やがて吠え声は遠ざかり、目指す牧草地に着いたかのように、ついには聞こえなくなった。
私たちは耳を澄ました。しばらく、月の世界は静まり返っていた。それでも、消えた球体を求めてまた這いはじめるまでには、かなりの時間がかかった。
次にムーンカーフを見たとき、群れは私たちから少し離れた、岩がごろごろ転がる場所にいた。岩の傾斜の緩い面には、斑入りの緑の植物が苔のような厚い塊となってびっしり生え、獣たちはそれを食べていた。私たちは這っていた葦の茂みの端で動きを止め、そこから群れをうかがい、セレナイトがもう一度見えないかと周囲を見回した。巨大なナメクジさながらに餌へ身を寄せて横たわる、脂ぎった大きな船体のような獣たち。すすり泣くような貪欲な音を立て、むさぼり食っていた。まるで脂肪だけでできた怪物で、その不器用さ、重たげな身のこなしに比べれば、スミスフィールドの食肉市場の牛でさえ、敏捷さの模範に見えただろう。目を閉じ、ひっきりなしに口を動かし、くねらせ、噛んでいる。その食欲をそそる咀嚼の音も相まって、獣としての至福がありありと感じられ、空腹の私たちの体をことさら刺激した。
「豚め!」ケイヴァーが珍しく激しい口調で言った。「汚らしい豚ども!」怒りと羨望のこもった一瞥を投げると、右手の茂みへ這っていった。私はもう少しそこにとどまり、斑入りの植物が人間の食料としてはまるで望みのないものだと確かめたあと、その羽軸のような茎を歯でかじりながら後を追った。
ほどなく、また近くにセレナイトがいたため、私たちは動きを止めた。今度はもっと細かく観察できた。セレナイトを覆っているものは、甲殻類の外皮などではなく、確かに衣服なのだとわかった。首元から詰め綿のようなものの端がはみ出しているほかは、先ほど見た個体とほとんど同じ装いだった。突き出た岩の上に立ち、噴火口を見渡すように、あちらこちらへ頭を動かしていた。動けば気づかれると思い、私たちはじっと伏せていた。やがてセレナイトは向きを変え、姿を消した。
私たちは谷を吠えながら登ってくる別のムーンカーフの群れに出会い、それから地面の下に音のする場所を通った。巨大な工場が地表近くまで達しているかのような、機械の打ち鳴らす音だった。その音がまだ周囲に響いているうちに、私たちは大きな空き地の縁へ出た。直径はおよそ二百ヤード、完全に平らな場所だった。周囲からわずかに地衣類が入り込んでいるだけで、ほかには何もなく、粉っぽいくすんだ黄色の表面をさらしていた。そこを横切る勇気はなかったが、低木の茂みよりは這いやすそうだったので、私たちは空き地へ下り、用心に用心を重ねながら、その縁を回りはじめた。
しばらくすると下からの物音がやみ、植物の成長するかすかなざわめきを除けば、あたりはすっかり静かになった。ところが突然、これまで聞いたどの音より大きく、激しく、近い轟音が始まった。間違いなく地下から響いてきた。私たちは本能的にできるだけ体を平たく伏せ、脇の茂みへすぐ飛び込めるよう身構えた。ひとつひとつの打撃と脈動が、体の中まで震わせるようだった。脈打つような打撃音はますます大きくなり、不規則な振動も激しさを増し、ついには月の世界全体ががくがくと揺れ、脈打つかと思われた。
「隠れよう」とケイヴァーがささやき、私は茂みのほうへ向いた。
その瞬間、大砲のような鈍い音がした。そして、あることが起こった――今も夢に現れて私を苦しめる出来事だ。私はケイヴァーの顔を見ようと頭を振り向け、その拍子に前へ手を突いた。だが、手の下には何もなかった! 突然、底なしの穴へつんのめったのだ!
胸が硬いものにぶつかった。気がつくと、突如足もとに開いた底知れぬ深淵の縁に顎を載せ、片手をこわばらせて虚空へ突き出していた。あの平らな円形の土地は、全体が巨大な蓋にすぎなかったのだ。その蓋がいま、覆っていた穴から横へずれ、収容するための溝へ滑り込もうとしていた。
ケイヴァーがいなかったら、私は縁から身を乗り出したまま硬直し、下に広がる巨大な奈落を見つめつづけ、しまいには溝の縁にこそげ落とされて、その奥へ投げ込まれていただろう。だがケイヴァーは、私を麻痺させたあの衝撃を受けていなかった。蓋が開きはじめたとき、縁から少し離れたところにいたのだ。私が危険にさらされながら動けずにいるのを見て、両脚をつかみ、後ろへ引っ張った。私は尻をついた姿勢になり、しばらく四つん這いで縁から離れると、よろめきながら立ち上がり、轟き震える金属板を彼のあとに続いて走った。蓋は速度を上げながら開いていくようで、前方の茂みが走る私の目の前を横滑りしていった。
危ないところだった。ケイヴァーの背中が棘だらけの茂みに消え、私もそのあとへよじ登ったちょうどそのとき、巨大な扉はがちゃんと音を立てて所定の位置に収まった。私たちは長いあいだ、穴へ近づく勇気もなく、横たわって息を切らしていた。
だが最後には、ごく慎重に少しずつ這い進み、下をのぞき込める場所まで出た。竪穴へ吹き込む風に、周囲の低木がきしみ、揺れていた。最初は滑らかな垂直の壁しか見えず、それも下へたどると、やがて見通せない闇に溶け込んだ。ところが少しずつ、かすかな小さな明かりがいくつも行き来しているのに気づいた。
謎をはらむその途方もない深淵に、私たちはしばし心を奪われ、球体のことさえ忘れた。やがて目が闇に慣れるにつれ、針の先ほどの明かりの間に、小さくぼんやりした、捉えがたい形が動いているのが見分けられた。驚き、信じられぬ思いでのぞき込んだが、あまりにも何もわからず、口にする言葉すら見つからなかった。かすかに見えるものの正体を知る手がかりは、何ひとつなかった。
「あれは何だろう?」
私は尋ねた。「いったい何なんだ?」
「土木工事だ! ……きっと夜のあいだはこの洞窟に住んで、昼になると外へ出てくるんだ。」
「ケイヴァー!」
私は言った。「あいつらは――あれは――人間みたいなものなのか?」
「あれは人間じゃない。」
「危ないことは何ひとつできないぞ!」
「球体を見つけるまでは、何もするわけにはいかない!」
「球体を見つけるまでは、何もできないんだ。」
彼はうなるように同意し、身を起こしかけた。しばらくあたりを見回し、ため息をつき、ひとつの方向を示した。私たちは密林へ踏み出した。しばらくは気を奮い立たせて這ったが、だんだん力が衰えていった。ほどなく、紫色のぶよぶよした巨大なものの間で、周囲に足音や叫び声が聞こえた。私たちは身を伏せた。長いあいだ、音は行きつ戻りつし、すぐ近くまで迫った。だが今度は何も見えなかった。もう食べ物なしではとても長くもたないとケイヴァーにささやこうとしたが、口が乾きすぎて、ささやき声さえ出なかった。
「ケイヴァー」と私は言った。「何か食べないとだめだ。」
彼は困り果てた顔をこちらへ向けた。「ここは我慢するしかない。」
「でもだめなんだ」と私は言った。「僕の唇を見てくれ!」
「僕もずいぶん前から喉が渇いてる。」
「あの雪が少しでも残っていれば!」
「きれいさっぱり消えたよ! 一分に一度の速さで、北極から熱帯へ突き進んでいるんだ……」
私は自分の手に歯を立てた。
「球体だ」と彼は言った。「球体以外に望みはない。」
私たちは気力を振り絞り、またひとしきり這った。頭の中は食べられるものと、しゅわしゅわと泡立つ夏の飲み物の底知れぬ魅力とでいっぱいだった。とりわけビールが欲しかった。リムの地下室にでんと居座っていた、十六ガロン入りの樽が忘れられなかった。その隣の食料庫を思い浮かべた。ことにステーキと腎臓のパイ――柔らかな肉、たっぷりの腎臓、その間を満たす濃厚でとろりとした肉汁。空腹のあくびが、発作のように何度もこみ上げた。私たちは平らな土地へ出た。そこは肉厚の赤いもの、怪物じみた珊瑚状の植物で覆われていた。押し分けると、ぱきぱきと折れた。その断面に私は目を留めた。まったく、いかにも歯を立てられそうな質感ではないか。しかも、かなりいい匂いがするように思えた。
私はかけらを拾い、鼻へ近づけた。
「ケイヴァー」と、かすれた小声で呼んだ。
彼は顔をしかめ、ちらりとこちらを見た。「よせ」と言った。私はかけらを置いた。私たちは、食欲をそそる肉厚な茂みの中を、またしばらく這っていった。
「ケイヴァー」と私は尋ねた。「どうしてだめなんだ?。」
「毒だ」と言うのが聞こえたが、彼は振り向かなかった。
しばらく這ってから、私は決心した。
「賭けてみる」と言った。
彼が止めようと手を動かしたときには、もう遅かった。私は口いっぱいに詰め込んでいた。彼はうずくまったまま、何とも奇妙に顔をゆがめて私を見つめた。「うまい」と私は言った。
「ああ、なんてことだ!」と彼は叫んだ。
欲望と非難の間で顔をしわくちゃにしながら、私が噛むのを見ていたが、突然食欲に屈し、大きな塊をもぎ取って口へ詰めはじめた。しばらくのあいだ、私たちはただ食べることしかしていなかった。
それは地球のキノコに似ていた。ただし組織ははるかに緩く、飲み込むと喉が温まった。初めは、食べるという行為そのものの満足しか感じなかった。やがて血が温かく流れはじめ、唇や指先がぴりぴりした。そして新しい、いささか場違いな考えが、頭の中へ次々に湧き上がってきた。
「うまい」と私は言った。「とんでもなくうまい! 人口過剰の地球には、なんていい移住先だろう! あの余ってしまった、かわいそうな人たちに」と言い、また大きな塊をもぎ取った。月にこんなにうまい食べ物があると思うと、妙に慈愛に満ちた満足感が胸を満たした。空腹のもたらした沈鬱さは、理由のない高揚感に変わった。それまでの恐怖も不快感も、すっかり消え去った。月はもはや、何としても逃げ出す手段を見つけたい天体ではなく、人類の貧困を救う避難所となりうる場所に見えた。あの菌類を食べたとたん、セレナイトも、ムーンカーフも、蓋も、物音も、きれいに忘れてしまったように思う。
「余った人口」の話を三度目に繰り返すと、ケイヴァーも同じような賛同の言葉を返した。頭がくらくらしたが、長い絶食のあとに食べたための刺激だろうと思った。「すばらひい発見らよ、ケイヴァー」と私は言った。「ジャガイモに、つぐらいら。」
「なんらって?」とケイヴァーが尋ねた。「月のはっけんが――ジャガイモに、つぐ?」
私は彼を見た。突然かすれた声と、ひどく不明瞭な発音に驚いた。酔っているのだ、おそらく菌類のせいだ、と瞬時に思った。それに、月を発見したと思い込んでいるのも間違いだと気づいた。発見したのではない。ただ、ここへ来ただけなのだ。彼の腕に手を置いて説明しようとしたが、この区別は彼の頭には微妙すぎた。しかも言葉にするのも、思いのほか難しかった。彼はほんの一瞬、私の言うことを理解しようとした――そのとき私は、菌類のせいで自分の目も彼と同じように魚めいているのだろうか、と考えたのを覚えている――それから、自分の考えを述べはじめた。
「僕らは」と、厳粛なしゃっくりとともに宣言した。「食ったり飲んらりしたものが、つくる生きもろら。」
彼はそれを繰り返した。私はちょうど理屈の細部にこだわる気分になっていたので、反論してやろうと決めた。いくらか論点を外れたかもしれない。だがケイヴァーの聞き方は、まったくなっていなかった。立ち上がるために、失礼にも私の頭へ手を置いて体を支え、どうにか立つと、あたりを見回した。もはや月の住人に対する恐怖など、かけらもなかった。
私は、どういう理由なのか自分でもはっきりしないが、それは危険なのだと指摘しようとした。ところが「危険」という言葉が、どうしたわけか「軽率」と混ざってしまい、どちらかといえば「危率」に近いものになった。言葉をほぐそうとしばらく努力したのち、私は議論に戻り、もっぱら両脇の見慣れぬ、しかし熱心に耳を傾けてくれる珊瑚状の茂みへ語りかけた。月とジャガイモの混同は、ただちに解消しなければならないと感じた――そして議論において定義を正確にすることの重要性について、長い脱線を始めた。体の感じがもう心地よくなくなっていることは、できるだけ無視した。
どういう道筋をたどったのか今は思い出せないが、私の考えは植民計画へ戻った。「この月は併合しなきゃならん」と私は言った。「ぐずぐずしちゃいかん。これも『白人の責務』[訳注:植民地支配を白人の使命として正当化した当時の言い回し]の一部だ。ケイヴァー、僕らは――ひっく――そうろく、じゃない、総督だ! カエサルも夢に見なかった帝国ら。新聞という新聞に載るぞ。ケイヴァー領。ベッドフォード領。ベッドフォード領――ひっく――有限会社。いや――無限だ! 事実上は。」
確かに私は酔っていた。
私は、私たちの到来が月にもたらす無限の恩恵を論じはじめた。そして、コロンブスの到来は全体としてアメリカに有益だったという、なかなか難しい証明に足を取られた。どういう筋で論じるつもりだったのか忘れていることに気づき、間をつなぐために「コロンブスとおんなじら」と繰り返した。
ここから先、あの忌まわしい菌類の作用に関する記憶は混乱している。覚えているのは、たかが虫けらどもの横暴など断じて許さんと宣言し、単なる衛星の上で恥ずかしくも隠れ回るなど、人間にふさわしくないと決めたことだ。それから菌類を両腕いっぱいに抱え込み――投げつけるためだったのかどうかはわからない――銃剣低木の棘も気にせず、日の光の中へ乗り出していった。
ほとんどすぐ、セレナイトに出くわしたに違いない。六体いて、きわめて奇妙な笛のような音や、鼻にかかった声を出しながら、岩場を一列になって進んでいた。全員が同時に私たちに気づいたらしく、こちらへ顔を向け、獣のようにたちまち押し黙って動かなくなった。
一瞬、私は酔いがさめた。
「虫けらだ」とケイヴァーがつぶやいた。「虫けらめ! この僕が腹ばいで這い回るとでも思ってるのか――背骨のある僕が、この腹で!」
「腹だぞ」と彼はゆっくり繰り返した。その屈辱を噛みしめるようだった。
そして突然、怒りに駆られたように巨大な三歩を踏み出し、連中へ向かって跳んだ。跳び方が悪かった。空中で何度もとんぼ返りをし、そのままセレナイトの頭上をくるくる回って通り越し、サボテン状の袋の群れへ、すさまじい水音を立てて消えた。他の天体から現れた者の、あの驚くべき、私に言わせれば威厳も何もない突入ぶりを、セレナイトがどう受け取ったかは想像もつかない。四方へ逃げ散る背中が見えた気もするが、確かではない。意識を失う直前の出来事は、どれもぼやけ、薄れている。ケイヴァーのあとを追おうとして一歩踏み出し、つまずき、岩の間へ頭から倒れたことは覚えている。突然、激しく気分が悪くなったのも確かだ。猛烈にもみ合い、金属の留め具で押さえ込まれたような記憶がある……。
次にはっきり覚えているのは、月の表面からどれほど深いとも知れぬ場所で、私たちが捕虜になっていたことだ。あたりは闇で、奇妙な、気の狂いそうな物音に囲まれていた。体じゅう傷と打撲だらけで、頭は割れるように痛んだ。
第十二章 セレナイトの顔
気がつくと私は、騒音の渦巻く闇の中に、身を縮めて座っていた。長いあいだ、ここがどこなのか、どうしてこんなわけのわからない状況になったのか、理解できなかった。子供のころ、ときどき押し込められた戸棚を思い浮かべ、それから病気をしたときに寝た、ひどく暗く騒がしい寝室を思った。だが周囲の音は、知っているどんな物音とも違い、空気には厩舎から流れてくる風のような匂いが、かすかに混じっていた。次には、まだ球体の製作をしていて、どういうわけかケイヴァーの家の地下室へ入ってしまったのだろうと思った。球体は完成したのだと思い出すと、今もその中にいて、宇宙を旅しているのだと考えた。
「ケイヴァー」と私は言った。「明かりをつけられないか?」
返事はなかった。
「ケイヴァー!」
私は重ねて呼んだ。
答えの代わりにうめき声がした。「頭が!」
そう言うのが聞こえた。「頭が痛い!」
痛む額へ両手を当てようとして、手がひとつに縛られていることに気づいた。ひどく驚いた。口元へ持っていくと、冷たく滑らかな金属に触れた。鎖でつながれていたのだ。両脚を離そうとすると、そちらも同じように拘束されていることがわかった。そればかりか、胴に巻かれたもっと太い鎖で、床にもつながれていた。
これまでの奇怪な体験のどの瞬間よりも、私は恐ろしかった。しばらく黙ったまま拘束を引っ張った。「ケイヴァー!」
鋭く叫んだ。「どうして縛られてるんだ? なぜ僕の手足を縛った?」
「僕じゃない」と彼は答えた。「セレナイトだ。」
セレナイト! 私の思考はしばし、その言葉に引っかかった。やがて記憶が戻ってきた。雪に覆われた荒涼たる景色、解ける大気、伸びる植物、噴火口の岩と植物の間を、奇妙に跳ねたり這ったりしたこと。必死になって球体を探した苦しさが、残らずよみがえった……。最後に、穴を覆っていた巨大な蓋が開いたこと!
そこから現在の窮状に至るまでの行動をたどろうとすると、頭の痛みが耐えがたいほどになった。越えられない壁、どうしても埋まらない空白に突き当たった。
「ケイヴァー!」
「何だ?」
「ここはどこだ?」
「僕にわかるものか。」
「僕らは死んだのか?」
「ばかなことを!」
「じゃあ、つかまったんだな!」
彼はうなっただけで答えなかった。残っている毒のせいで、妙にいらいらしているようだった。
「どうするつもりだ?」
「どうすればいいか、わかるわけがないだろう?」
「ああ、そうかい!」と私は言って黙った。しばらくして、ぼんやりした状態から引き戻された。「ああ、頼むから!」と私は叫んだ。「そのぶんぶんうなるのをやめてくれ!」
私たちはまた黙り込み、耳を満たす鈍い物音の混じり合いに聞き入った。通りや工場の騒音が、何かに遮られて聞こえてくるようだった。私には何ひとつわからなかった。頭の中でひとつの調子を追い、それから別の調子へ移り、むなしくその意味を探った。だが長い時間ののち、もっと鋭い、新しい音に気づいた。それはほかの音に溶け込まず、いわば曇った音の背景から浮き出していた。比較的小さく、輪郭のはっきりした音の連なりで、こつこつ、さらさらと、窓に垂れた蔦の枝が触れるようでも、箱の上で鳥が動くようでもあった。私たちは耳を澄まし、あたりを見回したが、闇はビロードの覆いのようだった。続いて、油のよく回った錠の内部が静かに動くような音がした。そして目の前に、果てしない黒の中へ浮かんだかのように、細く明るい一本の線が現れた。
「見て」とケイヴァーがごく小さくささやいた。
「何だ?」
「わからない。」
私たちは見つめた。
細い光の線は帯となり、幅を増して色を薄めた。白塗りの壁へ青みがかった光が差しているように見えてきた。両端は平行でなくなり、片側に深いくぼみができた。そのことを言おうとケイヴァーへ振り向いて、私は驚いた。彼の耳だけがまぶしく照らされ、ほかはすべて影の中にあった。私は拘束の許すかぎり頭をねじった。「ケイヴァー」と言った。「後ろだ!」
彼の耳が消え、代わりに片目が現れた!
突然、光を通していた隙間が広がり、それが開きかけた扉の隙間だとわかった。向こうにはサファイア色の空間が広がり、戸口には、強い光を背にした異様な影が立っていた。
私たちはともに、体を振り向けようと痙攣するようにもがいた。それがかなわず、座ったまま肩越しに相手を見つめた。最初は、頭を低くした不格好な四足獣かと思った。だがすぐに、肩の間へ頭を落としたセレナイトの、くびれた細い胴体と、短く、極端に痩せた湾曲した脚なのだとわかった。地表で身につけていた兜も、胴を覆うものもなかった。
こちらには何も判別できない黒い影にすぎなかったが、そのひどく人間に似た輪郭に、私たちの想像は本能的に目鼻立ちを補っていた。少なくとも私は、少し猫背で、額が高く、面長なのだと即座に思い込んだ。
三歩こちらへ進み、しばらく立ち止まった。動きは完全に無音だった。また近づいてきた。鳥のように歩き、足を一方の前へもう一方と置いていった。戸口から差す光を外れると、影の中へすっかり消えたように見えた。
一瞬、私は見当違いの場所を目で探した。それから、明るい光の中で私たち二人に向き合って立っているのに気づいた。だが、勝手に思い描いた人間の顔立ちは、どこにもなかった!
もちろん、予想していてしかるべきだった。だが私はしていなかった。その事実はまったく不意打ちで、一瞬、圧倒されるほどの衝撃だった。あれは顔ではない、仮面に違いない、何か恐ろしいもの、異様にゆがんだもので、やがてはそうではなかったとわかるか、説明がつくはずだと思えた。鼻がなかった。両側には、鈍い光を帯びた目が膨らんでいた――影で見たときは耳だと思った部分だ。耳はなかった……。私はこうした頭のひとつを絵にしようと試みたが、描けない。口はあった。凶暴な顔つきでにらむ人間の口のように、下向きに曲がっていた……。
頭を載せた首には関節が三つあり、ほとんど蟹の脚の短い節のようだった。手足の関節は見えなかった。巻脚絆に似た帯が巻かれており、それがこの生き物の身につけている衣服のすべてだった。
その生き物が、そこに立って私たちを見ていた!
そのとき私の頭は、こんな生き物がいるはずはないという、狂おしい思いでいっぱいだった。相手も驚いていたに違いないし、驚く理由はおそらく私たち以上にあっただろう。ただ、忌々しいことに、そんなそぶりは見せなかった。私たちは少なくとも、相容れぬ生き物同士のこの遭遇が、何によって起こったかを知っていた。だが、たとえば善良なロンドン市民が、ハイド・パークの羊の間を、人間ほどの大きさで、地上のいかなる動物にもまったく似ていない二匹の生き物が跳ね回っているのに出くわしたら、どう思うか。彼にとっては、それと同じだったに違いない。
私たちの姿を想像してほしい! 手足を縛られ、疲れ果て、汚れきっていた。ひげは二インチに伸び、顔は傷と血にまみれていた。ケイヴァーは膝下丈のズボンをはき――銃剣低木に引っかけて何か所も破れていた――イエーガー製のシャツと古いクリケット帽を身につけ、針金めいた髪はひどく乱れて、四方八方に房を突き出していた。青い光の中では顔も赤く見えず、ひどく黒ずんでいた。彼の唇も、私の手で乾きかけている血も黒かった。私は、あの黄色い菌類の中へ飛び込んだせいで、輪をかけてひどい有様だった。上着のボタンは外れ、靴は脱がされて足元に置いてあった。そして私たちは、この奇妙な青い光を背に座り、デューラーが描きそうな怪物を見上げていた。
ケイヴァーが沈黙を破った。話しはじめようとして声をからし、咳払いをした。外で、ムーンカーフがひどい目に遭っているかのような、すさまじい吠え声が上がった。それは悲鳴に変わって途切れ、すべてはまた静かになった。
やがてセレナイトは向きを変え、影へちらりと消えた。戸口で一瞬振り返り、それから扉を閉じた。私たちはまた、目覚めたときと同じ、物音のざわめく不可解な闇の中に取り残された。
第十三章 ケイヴァー氏の提案
しばらく、どちらも口をきかなかった。自分たちで招いたこの一切を、ひとつにまとめて理解することは、私の頭の能力を超えているようだった。
「つかまってしまったな」と、ついに私は言った。
「あの菌類のせいだ。」
「だが――食べなければ、気を失って飢え死にしていた。」
「球体が見つかったかもしれない。」
彼のしつこさに私はかっとなり、胸の中で悪態をついた。しばらく私たちは黙って憎み合った。私は膝の間の床を指でたたき、足枷の鎖をこすり合わせた。やがて、また話さずにはいられなくなった。
「とにかく、この事態をどう考える?」
私は控えめに尋ねた。
「理性のある生き物だ――物を作ることも、仕事をすることもできる。僕らが見たあの明かり……」
彼は口をつぐんだ。何もわからないのは明らかだった。
再び口を開いたときには、こう認めた。「それにしても、予想していい範囲を超えるほど、人間に似ている。たぶん――」
彼は、じれったくなるところで言葉を切った。
「何だ?」
「たぶん、どこの惑星でも――知性を持つ動物がいれば――頭蓋を上へ向け、手を持ち、直立して歩くんだろう。」
しばらくして、彼は別の話へ移った。
「かなり中へ入っている」と言った。「つまり――二千フィートか、それ以上だろう。」
「なぜ?」
「涼しくなった。それに声がずっと大きい。あの力の抜けた響きが――すっかりなくなった。耳や喉の感じもね。」
私は気づいていなかったが、言われてみればそのとおりだった。
「空気が濃い。相当深いところにいるんだ――ひょっとすると一マイルも――月の内部へ。」
「月の中に世界があるとは思わなかったな。」
「ああ。」
「そんなこと、考えられるか?」
「考えられたはずだ。ただ、人は決まった考え方に慣れてしまう。」
彼はしばらく考えた。
「今となっては」と言った。「こんなに当たり前に思えるのに。」
「当然だ! 月には途方もない数の空洞があって、その中に大気があり、洞窟の中心には海があるはずなんだ。
「月の比重が地球より小さいことはわかっていた。表面には空気も水もほとんどないことも、地球の姉妹にあたる天体で、組成が違うとすれば説明がつかないこともわかっていた。そこから内部が空洞だと推論するのは、火を見るより明らかだったんだ。それなのに、事実として見抜けなかった。むろんケプラーは――」
その声には今、見事な論理の連鎖を見出した人間の興味がにじんでいた。
「そうだ」と彼は言った。「ケプラーのいうスブヴォルヴァニ[訳注:ケプラーの空想的著作『夢』に登場する、月の地球側の住民]は、結局正しかったんだ。」
「来る前に、それを確かめておいてくれればよかった」と私は言った。
彼は何も答えず、小さくぶんぶんうなりながら考えつづけた。私は腹が立ってきた。
「それで、球体はどうなったと思う?」
私は尋ねた。
「なくなった」と彼は、つまらぬ質問へ答えるように言った。
「あの植物の中で?」
「連中が見つけていなければね。」
「見つけていたら?」
「僕にわかるものか。」
「ケイヴァー」と私は、半ばヒステリックな苦々しさをこめて言った。「僕の会社も前途洋々だな……」
返事はなかった。
「まったく!」
私は叫んだ。「わざわざこんな窮地へ飛び込むために、どれほど苦労したことか! 何のために来た? 何が目当てなんだ? 月が僕らに何だというんだ、僕らが月に何だというんだ? 欲張りすぎた、やろうとしすぎたんだ。まず小さなことから始めるべきだった。月を言い出したのは君だぞ! あのケイヴァライトの巻き上げ式の日よけ! 地球で役立てられたはずだ。絶対に! 僕の提案を、本当に理解していたのか? 鋼鉄の円筒を――」
「くだらない!」とケイヴァーが言った。
私たちは口をきくのをやめた。
しばらくケイヴァーは、私がほとんど相槌を打たないまま、とぎれとぎれの独り言を続けた。
「連中が見つけたら」と言いだした。「見つけたら……どうするだろう? さて、それが問題だ。ひょっとすると、最大の問題かもしれない。少なくとも理解はできないだろう。ああいうものが理解できるなら、とっくの昔に地球へ来ているはずだ。そうだろうか? なぜ来ない? だが何かは送ってきたはずだ――あれほどの可能性を放っておけるわけがない。そうだ! だが調べはするだろう。明らかに知性も好奇心もある。調べて――中へ入って――ボタンをいじる。飛び立つ! ……そうなったら、僕らは一生この月で暮らすことになる。奇妙な生き物、奇妙な知識……」
「奇妙な知識といえば――」と私は言ったが、あとが続かなかった。
「いいか、ベッドフォード」とケイヴァーが言った。「君は自分の意志でこの探検に来たんだ。」
「君はこう言ったじゃないか。『試掘だと思えばいい』って。」
「試掘には危険がつきものだ。」
「とりわけ、武器も持たず、あらゆる可能性を検討しないでやればね。」
「球体のことで頭がいっぱいだった。事態が一気に進んで、僕らは巻き込まれたんだ。」
「僕が巻き込まれたんだろう。」
「僕も同じくらい巻き込まれた。分子物理学の研究を始めたとき、それがよりによってこんな場所へ僕を連れてくると、どうしてわかる?」
「忌々しい科学のせいだ!」と私は叫んだ。「まさに悪魔だ。中世の聖職者や迫害者たちが正しくて、近代人はみんな間違っている。手を出せば――贈り物をくれる。受け取ったとたん、思いもよらぬやり方で粉々にされる。昔ながらの情念に新しい武器――あるときは宗教をひっくり返し、あるときは社会の考え方をひっくり返し、あるときは荒涼と悲惨のただ中へ吹き飛ばすんだ!」
「とにかく、今僕と喧嘩してもしかたがない。この生き物たち――セレナイトでも何と呼ぼうといいが――に、僕らは手足を縛られている。どんな気分で切り抜けようと、切り抜けるしかないんだ……。この先、ありったけの冷静さが必要になる体験が待っている。」
彼は、同意を求めるかのように言葉を切った。だが私はふてくされて座っていた。「君の科学なんか、くそくらえだ!」
私は言った。
「問題は意思の疎通だ。身振りも、おそらく違う。たとえば指をさすこと。人間と猿以外に、指をさす生き物はいない。」
それは私にも、あまりに明白な間違いだった。「たいていの動物は」と私は叫んだ。「目か鼻で方向を示すじゃないか。」
ケイヴァーはそれを考えた。「そうだ」と、やがて言った。「僕らはそうしない。違うんだ――本当に違う!」
「何かできるかもしれない……。だが、どうしてわかる? 言葉もある。連中の出す音、笛のような、ぴいぴいいう音。あれをどうまねればいいのか見当もつかない。あれが言葉なのだろうか? 感覚も、意思を伝える方法も違うかもしれない。もちろん、向こうにも心があり、僕らにも心がある。何か共通するものはあるはずだ。どこまで理解し合えるか、誰にわかる?」
「あいつらは僕らの理解の外にいる」と私は言った。「地球でいちばん奇妙な動物より、僕らとは違う。そもそも材料が違うんだ。こんな話をして何になる?」
ケイヴァーは考えた。「僕にはそう思えない。心があるなら、何か似たところがあるはずだ――違う惑星で進化したにしても。むろん、本能だけの話なら、僕らか向こうがただの動物にすぎないのなら――」
「じゃあ、どうなんだ? あれは人間より、後ろ脚で立った蟻によっぽど似ている。蟻と、どんな形であれ話が通じた人間がいるか?」
「だが、あの機械と衣服は! いや、賛成できないな、ベッドフォード。隔たりは大きいが――」
「越えられないんだ。」
「共通点が橋になるはずだ。以前、故ゴールトン教授の、惑星間の意思疎通の可能性についての論文を読んだことがある。残念ながらそのときは、自分に何か実際の役に立つとも思えなくて、今の状況からすれば払うべきだったほどの注意を払わなかった。だが……。待ってくれ、思い出そう!
「彼の考えは、考えうるあらゆる知的存在の根底になくてはならない普遍的な真理から始め、それを土台にするというものだった。まず幾何学の大原則だ。ユークリッドの主要な命題をひとつ選び、作図によって、その真理をこちらが知っていると示す。たとえば、二等辺三角形の底角が等しく、等しい二辺を延長したとき、底辺の反対側にできる角も等しいことを示す。あるいは、直角三角形の斜辺上の正方形が、ほかの二辺上の正方形の和に等しいことを示すんだ。こうしたことを知っていると示せば、理性ある知能を備えていると証明できる……。さて、仮に僕が……濡らした指で図形を描いてもいいし、空中になぞるだけでも……」
彼は黙った。私はその言葉を考えながら座っていた。しばらくは、奇怪な生き物との意思疎通、相互理解という、彼の途方もない希望に心を奪われた。だがやがて、疲労と肉体の苦痛に伴う怒りまじりの絶望が、また支配を取り戻した。それまで自分のしてきたことの、途方もない愚かさが、突然、かつてなく鮮やかに見えた。「ばかめ!」
私は言った。「ああ、ばかだ、言いようもない大ばかだ……。僕は、ばかげたことをして回るためだけに生きているらしい。どうしてあれを離れたりしたんだ? ……月の噴火口を跳ね回って、特許だの利権だのを探すとは! ……棒にハンカチを結んで、球体を置いた場所の目印にするくらいの知恵があれば!」
私は怒りを煮えたぎらせながら黙り込んだ。
「明らかに」とケイヴァーが考え込んだ。「連中には知性がある。いくつか推定できることがある。すぐ殺さなかったのだから、慈悲という考えがあるはずだ。慈悲! 少なくとも自制はある。交流の考えもあるかもしれない。こちらへ歩み寄る可能性もある。それにこの部屋、さっき見た番人。こういう枷! 高度な知性だ……」
「ああ、せめて」と私は叫んだ。「もう一度考え直してさえいれば! 飛び込んでは、また飛び込む。ひとつの出たとこ勝負から、また次へ。君を信じたせいだ! なぜ芝居を書きつづけなかった? あれなら僕にもできた。あれこそ僕の世界で、僕に合った暮らしだった。あの芝居は完成できたはずだ。確かに……いい芝居だった。筋書きはほとんど出来上がっていたんだ。それなのに……。考えてもみろ! 月へ飛ぶとは! 事実上――命を投げ捨てたようなものだ! カンタベリー近くの宿屋の、あのばあさんのほうがよほど賢かった。」
私は顔を上げ、途中で言葉を切った。闇がまた青みがかった光に変わっていた。扉が開き、何体かのセレナイトが、音もなく部屋へ入ってきた。私はぴたりと黙り、その異様な顔を見つめた。
すると突然、違和感と不快感が興味に変わった。先頭と二番目のセレナイトが鉢を持っていたのだ。少なくともひとつの根本的な欲求は、双方の心に共通していた。鉢は金属製で、私たちの鎖同様、青い光の中で黒ずんで見えた。そのどちらにも、白っぽいかけらがいくつも入っていた。私を押しつぶしていた、ぼんやりした苦痛と惨めさが一か所へ集まり、空腹という形を取った。私は狼のような目で鉢を見た。後に夢には出てきたものの、そのときは、差し出される鉢を持つ腕の先が手ではなく、象の鼻の先のような、ひらひらした部分と親指のような突起だということも、さして気にならなかった。鉢の中身は組織が緩く、白茶けた色をしていた。冷めたスフレの塊に少し似ていて、かすかにキノコのような匂いがした。まもなく私たちが目にした、解体途中のムーンカーフの死体から考えると、あれはムーンカーフの肉だったのだろうと思う。
手はきつく縛られ、どうにか鉢へ届く程度だった。だが私が苦労しているのを見ると、二体のセレナイトが器用に、手首に巻かれた鎖を一巻きほどいた。触手の手は、肌に柔らかく冷たかった。私はすぐに食べ物をひと口つかんだ。月の有機的な組織すべてに共通するらしい、あの緩い歯ざわりがあった。味はワッフルか湿ったメレンゲにいくらか似ていたが、少しも嫌ではなかった。私はさらにふた口食べた。「飯が――欲ひかったんら!」と言い、いっそう大きな塊をちぎった……。
しばらく私たちは、自分の姿などまったく気にせず食べた。施しの炊き出しにありつく浮浪者のように食べ、やがて飲んだ。あれほど獣じみた空腹に襲われたことは、あとにも先にもない。あの経験がなかったら、とても信じられなかっただろう。自分の世界から二十五万マイルも離れ、魂は混乱しきり、最悪の悪夢の産物よりも奇怪で人間離れした生き物に囲まれ、見つめられ、触れられながら、そのすべてを忘れて食べることができるなどと。セレナイトは周りに立って私たちを眺め、ときおり、かすかで捉えがたいさえずりを交わした。おそらく言葉にあたるものなのだろう。触れられても、身震いさえしなかった。そして食べることへの最初の熱が引くと、ケイヴァーもまた、同じように恥も外聞もなく食べていたことに気づいた。
第十四章 意思疎通の試み
ようやく食べ終えると、セレナイトは私たちの両手を再びぴったりつなぎ合わせ、それから足の鎖をほどいて、わずかに動ける余裕を持たせて巻き直した。次に腰の鎖を外した。その作業のため、彼らは遠慮なく私たちの体を扱わなければならず、奇妙な頭が何度も私の顔のすぐ近くへ下りてきたり、柔らかな触手の手が頭や首に触れたりした。そのとき、近づかれることを恐れたり、嫌悪したりした覚えはない。何でも人間になぞらえずにいられない私たちの性分のせいで、仮面の中には人間の頭があるように感じていたのだと思う。皮膚はほかの何もかもと同様、青みがかって見えたが、それは光のせいだった。硬く光沢があり、まさに甲虫の羽のようで、脊椎動物の皮膚のように柔らかくも、湿っても、毛深くもなかった。頭のてっぺんには、白っぽい棘の低い列が後ろから前へ走り、その両側では、もっと大きな隆起が目の上に弧を描いていた。私をほどいていたセレナイトは、手の助けに口も使った。
「自由にしてくれるらしい」とケイヴァーが言った。「月にいることを忘れるなよ! 急に動かないように!」
「あの幾何学を試すのか?」
「機会があればね。むろん、向こうから先に働きかけてくるかもしれない。」
私たちはなすがままになっていた。セレナイトは手はずを整えると、少し離れ、私たちを見ているようだった。「ようだった」と言うのは、目が正面ではなく側面にあるため、鶏や魚と同じで、どちらを見ているのか判じがたかったからだ。連中は葦笛のような声で話し合った。その音は、まねることも、言葉で言い表すこともできそうになかった。背後の扉がさらに開いたので肩越しに見ると、向こうにぼんやりと大きな空間があり、そこにかなりの数のセレナイトが立っていた。妙に雑多な群れに見えた。
「あの音をまねてほしいのかな?」
私はケイヴァーに尋ねた。
「そうは思わない」と彼は言った。
「何かを僕らに伝えようとしている気がする。」
「身振りがまるでわからない。あいつを見たかい、襟が窮屈な男みたいに、頭をもぞもぞ動かしてるのを?」
「首を振ってみよう。」
そうしてみたが効果はなかったので、今度はセレナイトの動きをまねた。それには興味を示したらしい。少なくとも、全員が同じ動きを始めた。だが何の進展もなさそうなので、ついにやめると、向こうもやめ、笛のような声で議論を始めた。すると、ほかより背が低く、ずっと太く、とりわけ口の大きな一体が、突然ケイヴァーの横へしゃがみ、縛られたケイヴァーの手足と同じ形に自分の手足を置き、それから器用に立ち上がった。
「ケイヴァー!」と私は叫んだ。「立てって言ってるんだ!」
彼は口をぽかんと開けた。「そうか!」と言った。
両手を縛られているので、私たちは大いに体を揺すり、うんうんうなりながら、どうにか立ち上がった。セレナイトは、象のように重々しく身を起こす私たちから道をあけ、いっそう盛んにさえずった。立ち上がるや、ずんぐりしたセレナイトが近づいてきて、触手で一人ずつ顔を軽くたたき、開いた戸口へ向かって歩いた。その意味も十分に明らかだったので、私たちは後に続いた。戸口に立つセレナイトのうち四体は、ほかよりずっと背が高く、噴火口で見た者たちと同じ装いをしていた。つまり、棘の生えた丸い兜と、円筒形の胴殻だ。四体とも追い棒を持ち、その先の棘と鍔は、鉢と同じく鈍い色の金属でできていた。私たちが部屋を出て、光の差していた洞窟へ入ると、この四体が、それぞれの両脇に一体ずつついて、周囲を固めた。
洞窟の全貌が、一度に頭へ入ってきたわけではない。注意を奪われていたのは、すぐ周りのセレナイトの動きや姿勢と、自分たちの動きを加減する必要とだった。大きすぎる一歩を踏み出して、相手も自分も驚かせたり、怯えさせたりするわけにはいかなかった。前には、立ち上がれという指示を伝える難題を解決した、背の低いずんぐりした個体がいた。ついてこいと誘うその身振りは、ほとんどすべて理解できる気がした。注ぎ口のように突き出た顔が、私たち二人の間をすばやく行き来し、明らかに様子を尋ねていた。しばらくは、そうしたことに気を取られていたのである。
だがやがて、私たちの動きの背景をなす巨大な空間が、否応なく存在を主張しはじめた。菌類による昏睡からさめて以来、耳を満たしていた騒音の、少なくとも大部分の源が、稼働中の巨大な機械の塊であることがわかった。周囲を歩くセレナイトの頭越しや胴の隙間から、激しく動き、回転する部分がぼんやり見えた。そしてこの機械から生まれているのは、空気を満たす音の網だけではなかった。あたり全体を照らす、独特の青い光もそこから出ていた。地下の洞窟が人工的に照明されているのを、私たちは当たり前のこととして受け入れていた。このときでさえ、その事実は目に明らかだったのに、本当の意味を悟ったのは、のちに闇の中へ入ってからだった。目にした巨大な装置の用途や仕組みは説明できない。何のためにあり、どう動くのか、私たちはどちらも学ぶ機会がなかったからだ。中心から太い金属棒が次々に外へ、上へと振り出され、その先端は放物線らしき軌道をたどった。棒は運動の頂点へ近づくと、ぶら下がった腕のようなものを下ろし、垂直の円筒へ突っ込んで、それを押し下げた。周囲には係員の姿が動いていた。小さな影で、私たちの周りの生き物とは、どことなく違って見えた。三本あるぶら下がった腕が一本ずつ落ちるたび、がちゃんと音がして、それから轟音が響いた。垂直の円筒の上端からは、あたりを照らす白熱したような物質があふれ出し、煮立つ鍋から牛乳がこぼれるように流れ、下の光の槽へ輝きながら滴った。それは冷たい青い光で、ある種の燐光のようだが、比べものにならぬほど明るかった。受け止めた槽からは、水路を通って洞窟を横切って流れていた。
どん、どん、どん、どんと、正体のわからぬ装置の腕が振り下ろされ、光る物質が音を立ててあふれた。初めは、それなりに大きなものが近くにあると思ったにすぎない。ところが、その上にいるセレナイトがいかに小さく見えるかに気づき、洞窟も機械も、真に途方もない規模なのだと悟った。私はこの巨大な装置からセレナイトの顔へ目を移し、新たな敬意を感じた。私が立ち止まると、ケイヴァーも立ち止まり、雷鳴のように轟く機械を見つめた。
「これはすごい!」
私は言った。「何のためのものだろう?」
青い光に照らされたケイヴァーの顔には、知性ある者の敬意があふれていた。「想像もつかない! まさか、この生き物たちが――人間にはあんなものは作れない! あの腕を見てくれ、連接棒についているのか?」
ずんぐりしたセレナイトは、こちらの様子に気づかず数歩進んでいた。戻ってくると、私たちと巨大な機械の間に立った。先へ行けと手招きするつもりだろうと察し、私はわざと見ないようにした。セレナイトは行かせたい方向へ歩き、振り返って戻り、気を引くために私たちの顔を軽くはたいた。
ケイヴァーと私は顔を見合わせた。
「この機械に興味があると伝えられないか?」
私は言った。
「そうだな」とケイヴァーが言った。「やってみよう。」
案内役へ向き直って微笑み、機械を指さし、また指さし、それから自分の頭、もう一度機械を指した。どういう理屈の間違いか、片言の英語なら身振りの助けになると思ったらしい。「ワタシ、あれ見る」と言った。「ワタシ、あれ、たくさん考える。そう。」
その振る舞いで、私たちを先へ進ませたいセレナイトたちの気勢は、一瞬そがれたようだった。互いに顔を向け、奇妙な頭が動き、さえずる声がすばやく滑らかに交わされた。すると、そのうちの一体、背が高く痩せていて、ほかの個体が巻いている帯に加えて外套のようなものをまとったセレナイトが、象の鼻のような手をケイヴァーの腰へ回し、再び先へ歩きだした案内役に続くよう、そっと引いた。ケイヴァーは抵抗した。「もうここで、僕らが何者か説明しはじめたほうがいい。新しい動物か、新種のムーンカーフだと思われているかもしれないんだ! 最初から知的な関心を示すことが、きわめて重要だ。」
彼は激しく首を振りはじめた。「だめ、だめ」と言った。「ワタシ、まだ行かない。ワタシ、あれ見る。」
「あれにちなんだ幾何学上の話を、持ち出せないか?」
セレナイトがまた相談する間に、私は提案した。
「放物線なら、あるいは――」と彼は言いかけた。
その途端、大声で叫び、六フィート以上も跳び上がった!
武装した四体の月人の一体が、追い棒で彼を突いたのだ!
私はすばやく、脅すような動きで背後の追い棒を持つ個体へ向き直り、相手はびくりと後ずさった。私の動きとケイヴァーの突然の叫びと跳躍は、明らかに全員を驚かせた。セレナイトは私たちへ顔を向けたまま、急いで退いた。永遠にも感じられる一瞬、私たちは怒りの抗議を全身に示して立ち、その周囲に人間ならぬ者たちが、まばらな半円を描いていた。
「あいつ、僕を突いた!」とケイヴァーが声を詰まらせて言った。
「見ていた」と私は答えた。
「ふざけるな!」
私はセレナイトに言った。「そんなこと、我慢できるか! 僕らをいったい何だと思ってる?」
私はすばやく左右を見た。青く広がる洞窟のはるか向こうから、さらに何体ものセレナイトがこちらへ走ってきた。太いのも細いのもいて、ほかより頭の大きなものが一体いた。洞窟は低く広く伸び、どの方向も闇へと消えていた。天井が、私たちを閉じ込める途方もなく厚い岩の重みで、下へ膨らんでいるように見えたのを覚えている。逃げ道はなかった――どこにもなかった。上も下も、あらゆる方向が未知であり、目の前には追い棒を持ち、身振りをする人間ならぬ生き物たち。そして私たちは、助けもない二人きりの人間だった!
第十五章 目もくらむ橋
敵意をはらんだその静止は、ほんの一瞬続いた。私たちもセレナイトも、その間に猛然と考えを巡らせたのだろう。私が最もはっきり感じたのは、背を守るものが何もなく、必ず取り囲まれて殺されるということだった。ここへ来た圧倒的な愚かさが、巨大な黒い非難となって頭上にのしかかった。どうしてこんな狂った、人間の領分を外れた探検に乗り出したのか?
ケイヴァーがそばへ来て、私の腕に手を置いた。青ざめ、おびえきった顔は、青い光の中で死人のようだった。
「どうしようもない」と彼は言った。「間違いなんだ。向こうはわかっていない。行くしかない。連中の望みどおりに。」
私は彼を見下ろし、それから仲間を助けに近づく新手のセレナイトを見た。「手が自由だったら――」
「無駄だよ」と彼は息を切らした。
「ああ。」
「行こう。」
そして向きを変え、指示された方向へ先に立って歩いた。
私はできるだけ従順に見せながら、手首の鎖を探りつつ後に続いた。血が煮えたぎっていた。洞窟を横切るには長い時間がかかったようだったが、もう何も目に入らなかった。あるいは、目に入ってもそのそばから忘れた。考えは鎖とセレナイト、とりわけ兜をかぶって追い棒を持つ者たちに集中していたと思う。初め連中は、用心して距離を置き、並行して歩いていた。だがやがて別の三体が追いつくと、次第に近づき、また腕の届くところへ来た。私はそのたび、打たれた馬のように身をすくめた。小柄で太いセレナイトは、最初は右側を歩いていたが、やがてまた先頭へ回った。
その一団の姿は、今も鮮やかに頭へ焼きついている。すぐ前には、うなだれたケイヴァーの後頭部と、力なく落ちた肩。案内役の開いた口は、せわしなくあちこちへ向く。両側の追い棒持ちは、警戒しながらも口を開けている――すべてが青一色の光景だった。そして結局、個人的な身の上以外にも、もうひとつ覚えていることがある。やがて洞窟の床を横切る溝のようなものが現れ、そのまま私たちの進む岩の道に沿って流れていたことだ。中には、あの巨大な機械からあふれていたのと同じ、明るく青い発光物質が満ちていた。私はすぐ横を歩いたので、熱が少しも放射されていなかったことは断言できる。明るく輝いていながら、洞窟内のほかのものより暖かくも冷たくもなかった。
がちゃん、がちゃん、がちゃんと打ち鳴らす、別の巨大な機械のてこの真下を通り、私たちはついに広いトンネルへ入った。そこでは、靴を脱がされた足の、ぺた、ぺたという音さえ聞こえた。右手を流れる細い青い筋を除けば、明かりはまったくなかった。私たちとセレナイトの影が、でこぼこの壁や天井へ、巨大で奇怪な姿を映した。ときおり壁の結晶が宝石のようにきらめき、ときおりトンネルは鍾乳洞へ広がり、あるいは闇へ消える脇道を分けた。
長いあいだ、そのトンネルを歩いていたようだった。流れる光は、ちょろちょろとごく小さく音を立て、私たちの足音と反響は、不規則にぺたぺたと響いた。私の頭は、鎖の問題へ落ち着いた。一巻きをこうずらして、それからこうねじれば……。
ごく少しずつやれば、緩んだ輪から手首を抜こうとしていることに気づかれるだろうか? 気づいたら、どうするだろう?
「ベッドフォード」とケイヴァーが言った。「下っている。ずっと下っているんだ。」
その言葉で私は、陰鬱な考えから引き戻された。
「殺すつもりなら」と彼は歩調を落とし、私と並んだ。「とっくに殺していたはずだ。」
「ああ」と私は認めた。「それはそうだ。」
「僕らを理解していないんだ。単に奇妙な動物、ひょっとするとムーンカーフの変わり種か、野生の奇形だと思っている。もっとよく観察して、初めて心があると考えだすんだろう――」
「あの幾何学の問題を描けば、というわけだな」と私は言った。
「そうかもしれない。」
私たちはしばらく歩いた。
「つまり」とケイヴァーが言った。「これは下層階級のセレナイトなのかもしれない。」
「忌々しい大ばかどもめ!」と私は意地悪く言い、腹立たしい顔を見た。
「向こうのすることに耐えていれば――」
「耐えるしかないだろう」と私は言った。
「もっと賢い連中がいるかもしれない。ここは、向こうの世界のほんの外縁なんだ。下へ下へと続いているはずだ。洞窟、通路、トンネルを通って、最後には海へ――何百マイルも下の。」
その言葉で私は、もう頭の上に一マイルほどの岩とトンネルがあるかもしれないと考えた。肩へ重荷が落ちてきたようだった。「太陽と空気から遠ざかって」と私は言った。「半マイルの深さの鉱山でも、息が詰まるのに。」
「少なくともここは違う。おそらく――換気だ! 空気は月の暗い側から日の当たる側へ流れ、炭酸ガスはすべてそちらから湧き出して、あの植物を養うんだ。たとえばこのトンネルにも、かなりの風が上へ吹いている。なんという世界だろう。あの竪穴や機械を見ただけでも――」
「それから追い棒だ」と私は言った。「追い棒を忘れるな!」
彼はしばらく私の少し前を歩いた。
「あの追い棒にしても――」と言った。
「何だ?」
「あのときは腹が立った。でも――僕らを先へ進ませる必要があったのかもしれない。皮膚が違うし、おそらく神経も違う。なぜ僕らが嫌がるかわからないのかもしれない――ちょうど火星の生き物なら、地球人の肘で小突く癖を嫌がるかもしれないのと同じだ。」
「僕を小突くなら、気をつけたほうがいい。」
「それに幾何学のことだが、考えてみれば、向こうのやり方も理解へのひとつの道だ。思考の基礎ではなく、生命の基礎から始めている。食物。強制。痛み。根本に働きかけているんだ。」
「それは間違いない」と私は言った。
彼は、私たちが連れていかれる巨大で驚異的な世界について話しつづけた。その口調から、こんな状況でも、この人間ならぬ天体の巣穴へ深く深く入っていく見通しに、彼は絶望しきっていないのだと、私は次第に気づいた。彼の考えは機械や発明へ向かい、私を取り巻く無数の暗いものを締め出していた。何かに利用するつもりなのではない。ただ知りたかったのだ。
「何にせよ」と彼は言った。「これは途方もない機会だ。二つの世界の出会いなんだ! 何を見ることになるだろう? この足の下に何があるか、考えてみてくれ。」
「もっと明るくなければ、ろくに見えないよ」と私は言った。
「ここは外皮にすぎない。下へ行けば――この規模なら――何もかもあるだろう。互いにどれほど姿が違うか、気づいたかい? 持ち帰る話はすごいぞ!」
「珍しい動物も」と私は言った。「動物園へ運ばれる途中で、そんなふうに自分を慰めるかもしれないな……。何もかも見せてもらえるとは限らない。」
「僕らに理性があるとわかれば」とケイヴァーが言った。「地球について知りたがるはずだ。寛大な心などなくても、学ぶために教えるだろう……。それに向こうの知っていること! 思いもよらぬ知識!」
地球では知ろうと望むことさえなかった事柄を、向こうが知っている可能性について、彼はさらに思いを巡らせた。皮膚にはもう追い棒の生々しい傷があるというのに、そんなことを考えていたのだ! 話の多くは忘れた。歩いていたトンネルがどんどん広がっていくことに、私の注意が向いたからだ。空気の感じから、巨大な空間へ出ようとしているらしかった。だが本当の広さはわからなかった。照明がなかったのだ。小さな光の流れは、細く細くなって、はるか前方へ消えていた。やがて両側の岩壁は、まったく見えなくなった。見えるものは目の前の道と、ちょろちょろと急ぎ流れる青い燐光の小川だけだった。前を進むケイヴァーと案内役の姿は、小川に面した脚や頭の側面だけが、明るく青く、はっきり浮かび上がっていた。反対側は、もはやトンネルの壁の反射光も受けず、向こうの闇へ区別なく溶け込んでいた。
まもなく、小さな青い流れが急に下へ消えたので、何かの崖へ近づいているとわかった。
次の瞬間には、もう縁に着いていたように思う。光る流れは、ためらうようにひと曲がりしてから、勢いよく縁を越えた。落ちていく先は、落下の音がまったく届かないほど深かった。はるか下には青白い光、青い霧のようなものがあった――無限に遠い下に。その流れの落ちていく闇は、ほかには何もない漆黒だった。ただ、板のようなものが崖の縁から突き出し、先へ伸び、薄れ、ついには完全に消えていた。奈落から暖かい風が吹き上げていた。
一瞬、ケイヴァーと私は、近づけるかぎり縁へ近づき、青みを帯びた深淵をのぞき込んだ。すると案内役が私の腕を引いた。
それから私を離し、板の端へ行って、その上へ足を載せ、振り返った。こちらが見ているとわかると、向き直り、地面を歩くかのように確かな足取りで先へ進んだ。しばらく姿ははっきり見えていたが、やがて青いぼやけた影となり、それから闇へ消えた。黒の中から、何かぼんやりした形が暗くそびえているのに気づいた。
間があった。「まさか! ――」とケイヴァーが言った。
別のセレナイトが板の上へ数歩進み、何でもない顔でこちらを振り返った。ほかの者たちは、私たちのあとへ続こうと待っていた。案内役が、何かを待ち受けるような姿で再び現れた。なぜ進まないのか見に戻ってきたのだ。
「あの向こうにあるのは何だ?」
私は尋ねた。
「見えない。」
「何があっても、これは渡れない」と私は言った。
「三歩も歩けないよ」とケイヴァーは言った。「手が自由でも。」
私たちは、こわばった互いの顔を、途方に暮れて見つめた。
「目がくらむということを、知らないんだ!」とケイヴァーが言った。
「あの板を歩くなんて、絶対に無理だ。」
「僕らと同じようには見えていないと思う。ずっと観察していたんだ。僕らには真っ暗なだけだと、わかっているのだろうか。どうすれば理解させられる?」
「とにかく、理解させなきゃならない。」
こんなことを言ったのも、何とかセレナイトに通じるかもしれないという、漠然とした半ばの期待からだったと思う。必要なのは説明だけだと、私にははっきりわかっていた。だが、その顔を見たとき、説明は不可能なのだと悟った。まさにここで、共通点は相違を橋渡しできなくなったのだ。まあ、いずれにせよ、あの板を歩くつもりはなかった。私は緩んだ鎖の輪からすばやく手首を抜き、両手首を逆方向へねじりはじめた。橋に最も近いところに立っていたので、その間に二体のセレナイトが私をつかみ、そっと橋のほうへ引いた。
私は激しく首を振った。「行けない」と言った。「無駄だ。わかってないんだ。」
もう一体が加わって引いた。私は一歩前へ出ざるをえなかった。
「考えがある」とケイヴァーが言った。だが、彼の考えならよく知っていた。
「いいか!」
私はセレナイトへ叫んだ。「待てって! おまえたちは平気でも――」
私は踵を軸に跳ねるように振り向き、罵声を浴びせた。武装したセレナイトの一体が、追い棒で後ろから私を突いたのだ。
私は手首を押さえる小さな触手から、力任せに両手を振りほどいた。追い棒持ちへ向き直った。「この野郎!」
私は叫んだ。「それはよせと言っただろう。僕を何でできてると思って、そんなものを突き刺すんだ? もう一度やったら――」
返事の代わりに、そいつはただちにもう一度突いた。
ケイヴァーの、驚き、懇願する声が聞こえた。あのときでさえ、この生き物たちと妥協したかったのだと思う。「おい、ベッドフォード」と叫んだ。「方法がわかったんだ!」
だが二度目の刺す痛みは、私の内に閉じ込められていた力を解き放ったようだった。瞬時に手首の鎖の輪が切れ、それとともに、この月の生き物たちの手中で私たちを無抵抗にしていた、あらゆる思慮も切れた。少なくともその一秒間、私は恐怖と怒りに狂っていた。後先など考えなかった。追い棒を持つそいつの顔へ、まっすぐ拳をたたき込んだ。拳には鎖が巻きついていた。
月の世界に満ちている、あの忌々しい驚きが、またひとつ起こった。
鎖をまとった拳は、相手をすっかり突き抜けたかと思われた。そいつは――液体入りの柔らかな菓子のように砕けた! 内側へ崩れた! ぐしゃりと潰れ、飛び散った。湿ったキノコを殴るようだった。脆い体は十数ヤードも回転しながら飛び、ぶよぶよした音を立てて落ちた。私は驚いた。生き物がこんなにも脆いとは信じられなかった。一瞬、何もかも夢だと思えても不思議はなかった。
だがすぐ、現実が切迫して戻ってきた。私が振り向いてから、死んだセレナイトが地面へ落ちるまで、ケイヴァーもほかのセレナイトも、何もしなかったようだった。全員が私たち二人から身を引き、警戒していた。その静止は、セレナイトが倒れたあとも、少なくとも一秒は続いたように思う。誰もが事態を呑み込もうとしていたのだろう。私自身も、腕を半ば引いた姿勢で立ち、何が起きたのか理解しようとしていた記憶がある。「次はどうする?」と頭が叫んだ。「次は?」
すると次の瞬間、全員が動いていた!
鎖を外さねばならない。そのためには、まずこのセレナイトたちを追い払わねばならない、とわかった。私は三体の追い棒持ちの集団へ向き直った。とたんに一体が追い棒を投げた。ひゅっと頭の上を通り、背後の奈落へ飛んでいったのだろう。
追い棒が頭上を飛ぶと同時に、私は全力でそいつへ跳びかかった。跳んだとき、相手は逃げようと背を向けた。私はその真上へ落ち、地面へ押し倒し、潰れた体で足を滑らせて転んだ。足の下でうごめいたようだった。
私は尻をついた姿勢になった。四方で、セレナイトの青い背中が闇へ遠ざかっていた。私は鎖の輪を力任せに曲げ、足首を妨げていた鎖をほどくと、それを手にして跳ね起きた。投げ槍のように放たれた追い棒が、またひゅうと脇を抜けた。私は飛んできた闇のほうへ突進した。それからケイヴァーへ向き直った。彼はまだ奈落近くの小川の光の中に立ち、手首を必死に動かしながら、自分の思いつきについて、わけのわからないことをまくしたてていた。
「来い!」
私は叫んだ。
「手が!」と彼は答えた。
だが、私が走って戻れば歩幅を誤って崖から落ちかねないことを悟り、両手を前へ突き出して、こちらへ足を引きずってきた。
私はすぐ鎖をつかみ、ほどきにかかった。
「連中は?」と彼は息を切らした。
「逃げた。また戻る。物を投げてるぞ! どっちへ行く?」
「明かり沿いに。あのトンネルへ。どうだ?」
「ああ」と私が言ったとき、彼の両手が自由になった。
私は膝をつき、足首の拘束に取りかかった。何かが――何だったのか知らない――ばしっと飛来し、青白い小川をしぶきにして周囲へ飛ばした。右手のはるか遠くで、笛や口笛のような音が始まった。
私は足から鎖をさっと外し、彼に渡した。「それで殴れ!」
そう言い、返事も待たず、来た道を大きく跳ねて走りだした。あの連中が闇から背中へ飛びついてきそうで、嫌な感じがした。後ろからは、彼の跳躍の着地音がついてきた。
私たちは巨大な歩幅で走った。だが、その走り方は地球上の走りとは、まったく違っていた。地球では跳べば、ほとんどすぐにまた地面へ着く。月では引力が弱いため、着地まで何秒も空中を飛んでいた。激しく急いでいるのに、そのせいで長い間が生じた。七つか八つは数えられそうな間だ。「一歩」で、ふわりと宙を飛ぶ! そのあいだに、さまざまな疑問が頭を駆けた。「セレナイトはどこだ? どうするつもりだ? あのトンネルへ着けるのか? ケイヴァーは離れていないか? 途中で遮られないか?」
それから、どん、一歩、また次の跳躍へ。
前方を走るセレナイトが一体見えた。その脚は、地球上の人間とまったく同じように動いていた。肩越しに振り返るのが見え、私の進路から横へ逃れて闇に入りながら、悲鳴を上げるのが聞こえた。案内役だったと思うが、確かではない。さらに大きな一歩で、両側に岩壁が現れ、そのあと二歩でトンネルへ入った。低い天井に合わせて歩幅を抑えた。曲がり角まで進み、止まって振り返ると、ばしゃ、ばしゃ、ばしゃとケイヴァーが現れた。一歩ごとに青い光の流れを踏み散らし、姿を大きくし、ついには私へぶつかった。私たちは互いにつかまって立った。少なくとも一瞬、捕らえていた者たちを振り切り、二人きりになれた。
二人ともひどく息を切らしていた。言葉は喘ぎにとぎれた。
「何もかも台無しにした!」とケイヴァーが喘いだ。「ばかな!」と私は叫んだ。「ああするか、死ぬかだった!」
「どうする?」
「隠れる。」
「どうやって?」
「十分暗い。」
「でも、どこへ?」
「脇の洞窟のどれかへ。」
「それから?」
「考える。」
「よし――行こう。」
私たちは進み、ほどなく、道が放射状に分かれる暗い洞窟へ来た。ケイヴァーが前にいた。一瞬迷い、隠れるのによさそうな黒い入口を選んだ。そちらへ進み、振り返った。
「暗いな」と言った。
「君の脚と足が照らしてくれる。あの光るものがついてるから。」
「でも――」
騒音が、なかでも銅鑼を打ち鳴らすような音が、本道をこちらへ迫ってくるのが聞こえた。騒々しい追手をいやでも思わせる音だった。私たちはただちに、照明のない脇の洞窟へ駆け込んだ。走る道は、ケイヴァーの脚の光に照らされた。「運がよかったな」と私は喘いだ。「靴を脱がされて。でなきゃ、足音が響き渡るところだ。」
洞窟の天井にぶつからないよう、できるだけ小さな歩幅で走りつづけた。しばらくすると、騒音を引き離しているらしくなった。音はこもり、小さくなり、消えていった。
私は立ち止まって振り返り、ケイヴァーのぺたぺたという足音が遠ざかるのを聞いた。それから彼も止まった。「ベッドフォード」とささやいた。「前に、何か明かりがある。」
見たが、初めは何も見えなかった。やがて、少し薄い闇を背景に、彼の頭と肩がぼんやり浮かんでいるのがわかった。その闇を薄めるものは、月の内部で見てきたほかの光と違って、青くなかった。青白い灰色、ごく淡くかすかな白――昼の光の色だった。ケイヴァーは私と同時か、それより早く、この違いに気づいていた。それが彼をも同じような熱烈な希望で満たしたのだと思う。
「ベッドフォード」と彼はささやいた。声が震えていた。「あの光――ひょっとすると――」
期待していることを、口にする勇気はなかった。しばしの沈黙。それから突然、足音で、彼がその淡い光へ大股に進んでいるとわかった。私も胸を高鳴らせて後を追った。
第十六章 見解の相違
進むにつれて、光は強くなった。まもなくケイヴァーの脚の燐光と、ほとんど同じくらい明るくなった。トンネルは洞窟へと広がり、その向こう端に新しい光があった。あることに気づいて、私の希望は跳ね上がった。
「ケイヴァー」と私は言った。「上からだ! 間違いなく上から差している!」
彼は答えず、ただ先を急いだ。
確かに灰色の光、銀色の光だった。
次の瞬間、私たちはその下にいた。洞窟の壁の割れ目から、光が漏れていた。見上げると、ぽたりと水滴が顔へ落ちた。私はびくりとして脇へよけた。ぽたり、もう一滴が、はっきり聞こえる音を立てて岩床へ落ちた。
「ケイヴァー」と私は言った。「どちらかが持ち上げれば、あの割れ目へ届く!」
「僕が持ち上げよう」と言うや、彼は私を赤ん坊のようにひょいと持ち上げた。
私は割れ目へ片腕を差し入れ、指先にちょうど、つかまれる小さな岩棚を見つけた。白い光はずっと明るく見えた。地球では十二ストーン[訳注:一ストーンは十四ポンド]の体重があるのに、私はほとんど苦もなく二本の指で体を引き上げ、さらに高い岩角へ手を伸ばし、狭い岩棚へ足を載せた。立ち上がって指で上を探ると、割れ目は上へ行くほど広がっていた。「登れる」とケイヴァーへ言った。「手を下ろせば、そこまで跳べるか?」
私は割れ目の両側へ体を突っ張り、膝と足を棚へ置いて、片手を差し伸べた。ケイヴァーの姿は見えなかったが、跳ぼうとしゃがむ衣擦れが聞こえた。それから、ぱしりと腕につかまった――重さは子猫ほどもなかった! 私は彼が棚へ手をかけ、こちらを離せるところまで引き上げた。
「まったく!」
私は言った。「月なら誰でも登山家だな」と言い、本腰を入れて登りはじめた。数分間、着実によじ登ってから、また上を見た。割れ目はますます広がり、光も明るくなっていた。ただ――
やはり、日の光ではなかった。
次の瞬間には、それが何か見えた。見たとたん、失望のあまり岩へ頭を打ちつけたいと思った。そこにあったのは、でこぼこの斜面を持つ空洞にすぎず、傾いた床一面に、小さな棍棒形の菌類が林立していた。その一本一本が、桃色がかった銀色の光を華やかに放っていたのだ。私は一瞬その柔らかな輝きを見つめ、それから前へ、上へと跳んで、その中へ入った。五、六本むしり取り、岩へ投げつけた。それから座り込み、ケイヴァーの赤ら顔が現れるのを見て、苦々しく笑った。
「また燐光だ!」
私は言った。「急ぐことはない。座ってくつろいでくれ。」
彼が失望に言葉を詰まらせるあいだ、私はまた菌類を割れ目へ放り込みはじめた。
「日の光だと思った」と彼は言った。
「日の光!」と私は叫んだ。「夜明け、夕焼け、雲、風の吹く空! そんなものを、もう一度見ることがあるだろうか?」
そう言うと、私たちの世界の小さな景色が、目の前へ浮かぶようだった。古いイタリア絵画の背景のように、明るく、小さく、くっきりと。「移り変わる空と、移り変わる海、丘と緑の木々、日の光に輝く町や都市。夕焼けの中の濡れた屋根を考えてくれ、ケイヴァー! 西向きの家の窓を!」
彼は何も答えなかった。
「僕らは、この世界ともいえない忌々しい世界へ潜り込んでいる。下の恐ろしい闇の中には、墨のような海が隠れ、外には焼けつく昼と、死の静けさに包まれた夜がある。そして今、僕らを追い回している連中。忌々しい革の人間――悪夢から抜け出した虫人間! 考えてみれば、向こうが正しい! ここで連中を潰し、世界を乱す権利が、僕らにあるものか! もう月全体が動きだし、僕らを追っているかもしれない。今にもあの鼻声や銅鑼が聞こえるかもしれない。どうする? どこへ行く? サービトンの別荘に逃げ込んだジャムラックの蛇[訳注:ジャムラックはロンドンで異国の動物を扱った有名な商人]くらい、居心地がいいな!」
「君のせいだ」とケイヴァーが言った。
「僕のせいだって!」
私は叫んだ。「あきれたな!」
「僕には考えがあった!」
「君の考えなんて、くそくらえだ!」
「動くのを拒んでいれば――」
「あの追い棒で突かれながら?」
「そうだ。向こうが運んでくれたはずだ!」
「あの橋を越えて?」
「そうだ。外からだって、運ばれてきたに違いないんだ。」
「蝿に運ばれて天井を渡るほうが、まだましだ。」
「まったく!」
私は菌類を壊す作業へ戻った。すると突然、そんなときでさえはっとするものに気づいた。「ケイヴァー」と私は言った。「この鎖は金だ!」
彼は両手で頬を押さえ、考え込んでいた。ゆっくり顔を向けて私を見つめ、私が繰り返すと、右手に巻きついた鎖を見た。「そうだな」と言った。「確かにそうだ。」
見ているそばから、顔に浮かんだ束の間の興味は消えた。少しためらい、それから中断された考えへ戻った。私はしばらく、なぜ今まで気づかなかったのかと不思議に思いながら座っていたが、それまでの青い光が、金属からすっかり色を奪っていたことを思い出した。そしてこの発見から、私の思考もまた、はるか遠くへ連なる道を歩みはじめた。たったいま、月で何をする権利があるのかと問うていたことは忘れた。金……。
先に口を開いたのはケイヴァーだった。「僕らの前には、二つの道があると思う。」
「何だ?」
「ひとつは、また外へ出る道を探すことだ――必要なら戦って切り開く――それから球体を探す。見つかるまでか、夜の寒さに殺されるまで。あるいは――」
彼は言葉を切った。「何だ?」
次に何が来るかわかっていたが、私は尋ねた。
「もう一度、月の住民の心と、何らかの理解を築こうとすることだ。」
「僕は――前者を選ぶ。」
「僕は迷う。」
「僕は迷わない。」
「つまり」とケイヴァーが言った。「これまで見たものだけで、セレナイトを判断していいとは思えないんだ。中心の世界、文明の世界は、もっとずっと下の、海の周りの深い洞窟にあるはずだ。僕らがいるこの地殻のあたりは、辺境の牧畜地帯なんだ。少なくとも僕はそう解釈している。会ったセレナイトは、牛飼いや機械の係員に相当する者にすぎないかもしれない。追い棒を使うこと――十中八九、ムーンカーフ用の棒だ――僕らも自分たちと同じことができると思い込む想像力のなさ、疑いようのない乱暴さ、すべてそれらしいことを示している。だが、僕らが耐えていれば――」
「底なしの穴に架かった幅六インチの板には、どちらも長く耐えられなかった。」
「それはそうだ」とケイヴァーが言った。「でも――」
「僕は嫌だ」と言った。
彼は新しい可能性を見つけた。「では、どこか隅へ立てこもって、この百姓や労働者たちから身を守れたとしよう。たとえば一週間ほど持ちこたえられれば、僕らが現れた知らせが、もっと知性が高く人口の多い地域へ伝わっていくだろう――」
「そんな所があればな。」
「あるはずだ。でなければ、あのすごい機械はどこから来た?」
「ありうる。だが、二つの賭けのうちでは、そっちのほうが分が悪い。」
「壁へ何か書いてもいい――」
「僕らのつける印が、向こうの目に見えると、どうしてわかる?」
「刻めば――」
「むろん、それなら可能性はある。」
私は別の筋の考えを取り上げた。「そもそも」と言った。「このセレナイトが、人間より限りなく賢いとは思ってないだろう?」
「ずっと多くを知っているはずだ――少なくとも、違うことをたくさん。」
「そうだが――」私はためらった。
「ケイヴァー、君がかなり例外的な人間だということは、認めるだろう。」
「どういう点で?」
「つまり、君は――かなり孤独な人間だ――少なくとも、これまでは。結婚もしていない。」
「したいと思ったことがない。だが、それがどう――」
「そして、もともと持っている以上に金持ちになろうともしなかった?」
「それも望まなかった。」
「ひたすら知識を掘り返してきた?」
「まあ、ある程度の好奇心は自然なものだ――」
「君はそう思う。そこなんだ。ほかの心も、みんな知りたいと思うはずだと考えている。以前、なぜこんな研究をするのかと僕が尋ねたとき、王立協会会員になりたいとか、物質にケイヴァライトと名をつけたいとか、そんなことを言ったのを覚えている。そんな理由でやったんじゃないことは、君自身よく知っている。だがあのときは不意に聞かれ、動機らしいものを答えなきゃならない気がしたんだ。本当は、研究せずにはいられなかったからやった。そういう性分なんだ。」
「そうかもしれない――」
「そんな性分の人間は、百万人に一人もいない。たいていの人間は――まあ、いろいろなものを欲しがるが、知識そのものが欲しい者はごく少ない。僕は欲しくない、それはよくわかっている。さて、このセレナイトは活発で忙しい生き物らしいが、いちばん賢い者でさえ、僕らや僕らの世界に興味を持つと、どうしてわかる? 僕らに世界があることさえ、気づかないと思う。夜は外へ出ない――出れば凍える。おそらく、燃える太陽以外の天体は、一度も見たことがないだろう。別の世界があると、どうやって知る? 知ったところで、何の関係がある? 仮に、いくつかの星や、三日月形の地球までちらりと見たことがあるとして、それが何だ? 惑星の中に住む連中が、どうしてわざわざそんなものを観察する? 人間だって、季節や航海がなければ、しなかっただろう。月の住民がする理由は何だ? ……
「そうだな、君のような学者が何人かいるとしよう。まさにそういうセレナイトこそ、僕らの存在をまったく聞かずにいるはずだ。君がリムにいたころ、セレナイトが一体、地球へ降ってきたとしても、来たと聞くのは世界で君が最後だったろう。新聞を一度も読まないんだから! どれほど望みが薄いか、わかるだろう。その薄い望みに賭けて、貴重な時間が飛び去るのを、何もせず座って見ているんだ。いいか、僕らは窮地に陥った。武器なしで来て、球体を失い、食料もない。セレナイトに姿を見せ、奇妙で強い、危険な動物だと思わせてしまった。あいつらが底抜けのばかでなければ、今から僕らを見つけるまで狩り立てる。見つければ、できるなら捕らえ、できなければ殺す。それで終わりだ。捕らえられても、何かの誤解から、おそらく殺される。僕らが始末されたあとで、議論くらいはするかもしれないが、こちらには何の楽しみもない。」
「続けてくれ。」
「一方、ここには、地球の鋳鉄みたいに金がごろごろしている。少しでも持ち帰れたら、連中より先に球体を見つけて、戻れたら、そのときは――」
「何だ?」
「もっと確かな基盤で、この事業を進められる。もっと大きな球体に銃を積んで、戻ってくるんだ。」
「なんてことを!」とケイヴァーが叫んだ。恐ろしい話を聞いたようだった。
私はまたひとつ、光る菌類を割れ目へ投げ込んだ。
「いいか、ケイヴァー」と私は言った。「この件では、少なくとも僕にも半分の議決権がある。そして今こそ、実務家の出番だ。僕は実務家で、君は違う。できるかぎり、セレナイトや幾何学の図形なんかに命を預ける気はない。それだけだ。帰ろう。秘密主義は全部――いや、大部分でも捨てよう。そしてまた来ればいい。」
彼は考えた。「月へ来るなら」と言った。「一人で来るべきだった。」
「本会議の議題は」と私は言った。「どうやって球体へ戻るか、だ。」
しばらく私たちは、黙って膝を抱えた。それから彼は、私の理屈を採用する気になったようだった。
「思うに」と言った。「手がかりは得られる。太陽が月のこちら側にあるあいだは、空気がこの海綿のような天体を通って、暗い側からこちらへ吹いているのは明らかだ。少なくともこちら側では、空気が膨張して、月の洞窟から噴火口へ流れ出している……。よし、ここには風が通っている。」
「確かに。」
「つまり行き止まりじゃない。この割れ目は、後ろのどこかで上へ続いている。風は上へ吹いている。それが行くべき方向だ。どんな竪穴でも溝でも、登れるものを登っていけば、少なくとも連中が探し回っている通路からは出られる――」
「溝が狭すぎたら?」
「また下りればいい。」
「しっ!」
私は突然言った。「あれは何だ?」
耳を澄ました。初めはぼんやりしたざわめきだったが、やがて銅鑼の響きが聞き取れた。「あれで怖がらせようとは」と私は言った。「僕らをムーンカーフだと思ってるんだな。」
「あの通路を来ている」とケイヴァーが言った。
「そうだろう。」
「この割れ目には気づかない。通りすぎるよ。」
私はまたしばらく耳を澄ました。「今度は」とささやいた。「何か武器を持っているだろう。」
そのとき突然、私は跳ね起きた。「しまった、ケイヴァー!」
私は叫んだ。「いや、気づく! 僕が投げ落とした菌類を見る。そうしたら――」
最後まで言わなかった。振り向き、菌類の頭を跳び越して空洞の上端へ向かった。そこは上へ曲がり、再び風の吹く割れ目となって、見通せない闇へ登っていた。よじ登ろうとしたとき、うまい考えがひらめき、引き返した。
「何をしている?」とケイヴァーが尋ねた。
「先へ行け!」と私は言い、戻って光る菌類を二本取った。一本をフランネルの上着の胸ポケットへ、登る先を照らせるよう頭を出して差し込み、もう一本を持ってケイヴァーのもとへ戻った。セレナイトの音はもう、割れ目の真下にいるかと思うほど大きくなっていた。だが、よじ登るのに苦労するかもしれないし、こちらの抵抗を恐れて登るのをためらうかもしれなかった。いずれにせよ、他の天体で生まれたおかげで、私たちの筋力が圧倒的に勝っているとわかっているのは心強かった。次の瞬間には、ケイヴァーの青く光る踵を追い、私はすさまじい力でよじ登っていた。
第十七章 月の屠殺場での戦い
格子へ行き着くまで、どれほど登ったかわからない。わずか数百フィートだったかもしれない。だがそのときは、体を引き上げ、押し込み、跳ね、突っ張りながら、一マイル以上も垂直に登ったような気がした。あの時間を思い出すたび、動くたびについてきた、金の鎖の重いがちゃがちゃという音が頭に響く。ほどなく拳の関節と膝の皮がむけ、片頬には打ち身ができた。しばらくすると、初めの激しい勢いは衰え、動きは慎重になり、痛みも少なくなった。追ってくるセレナイトの物音は、完全に消えていた。下には私たちの行方を教える、折れた菌類の山があったはずなのに、結局この割れ目をたどらなかったのではないかと思えるほどだった。割れ目は、どうにか体を押し上げられる程度に狭まることもあれば、尖った結晶をちりばめたり、鈍く光る菌類めいた粒々をびっしり生やした、大きな晶洞へ広がることもあった。螺旋状にねじれることもあれば、ほとんど水平になるまで傾くこともあった。ときおり、そばで水がぽたりと落ち、ちょろちょろ流れた。一、二度、小さな生き物が音を立てて手の届かぬところへ逃げたようだったが、何だったのかは見えなかった。毒のある獣だったかもしれないが、害はなかったし、今や私たちは、奇怪な這うものが一匹二匹増えても気にしない状態になっていた。ついに、はるか上から見慣れた青い光がまた差してきた。そして、それが行く手を塞ぐ格子を通って漏れているとわかった。
私たちはささやき声でそれを確かめ合い、ますます慎重に登った。やがて格子のすぐ下へ達し、棒へ顔を押しつけると、その向こうの洞窟の一部が見えた。明らかに大きな空間で、きっとあの打ち鳴らす機械から流れ出たのと同じ、青い光の小川に照らされていた。顔の近くの格子の間を、水がときおり滴り落ちた。
当然まず、洞窟の床に何があるか見ようとした。だが格子はくぼみの中にあり、その縁が視界をすべて遮っていた。目が役に立たないので、私たちは聞こえるさまざまな音から様子を探ろうとした。やがて、はるか頭上の薄暗い天井を動く、いくつものかすかな影が目に入った。
この空間にセレナイトが何体か、おそらくかなりの数いることは間違いなかった。話し合う声と、足音だと思われるかすかな音が聞こえたからだ。また、ざく、ざく、ざくと規則正しい音が続いてはやんだ。ナイフか鋤で、柔らかいものを刻んでいるようだった。それから鎖のようながちゃんという音、笛の音、くぼみを台車が通るようながらがらという音がして、また、ざく、ざく、ざくが始まった。影からわかる姿は、その一定の音に合わせてすばやく規則的に動き、音がやむと休んだ。
私たちは頭を寄せ合い、ほとんど声にならぬささやきで相談した。
「仕事をしている」と私は言った。「何かの仕事だ。」
「ああ。」
「僕らを探しているわけでも、考えているわけでもない。」
「まだ僕らのことを聞いていないのかもしれない。」
「ほかの連中は下を探している。ここへ突然、僕らが現れたら――」
私たちは顔を見合わせた。
「話し合う機会があるかもしれない」とケイヴァーが言った。
「いや」と私は言った。「この状態ではだめだ。」
しばらく、それぞれの考えに沈んでいた。
ざく、ざく、ざくと刻む音がし、影が行き来した。
私は格子を見た。「やわだな」と言った。「二本曲げれば、這い抜けられる。」
しばらく曖昧な相談で時間を無駄にした。それから私は一本の棒を両手でつかみ、足をほとんど頭の高さまで上げて岩へ当て、棒を押した。あまり急に曲がったので、滑り落ちそうになった。体の位置を変え、隣の棒を反対へ曲げた。それからポケットの光る菌類を取り、割れ目へ落とした。
「早まるなよ」とケイヴァーがささやいた。私は広げた隙間から体をねじり上げた。格子を抜けると、働く姿がちらりと見えた。すぐに身をかがめ、格子のあるくぼみの縁で姿を隠し、平たく伏せた。ケイヴァーも抜けようとしたので、身振りで注意を伝えた。まもなく私たちはくぼみの中に並び、縁越しに洞窟とその中の者たちをのぞいていた。
洞窟は、最初にちらりと見たときに想像したより、はるかに大きかった。私たちは傾斜した床の最も低い部分から見上げていた。遠ざかるほど幅が広がり、天井は低くなって、奥をすっかり隠していた。その長さに沿って、巨大な形、青白い巨大な胴体が一列に並び、途方もない遠近の果てへ消えていた。その上でセレナイトたちが忙しく働いていた。初めは、何なのかわからない大きな白い円筒に見えた。やがて、こちらへ向いた頭に気づいた。肉屋の羊の頭のように、目も皮もなかった。それはムーンカーフの死体で、捕鯨船の乗組員がつないだ鯨を解体するように、切り分けられているのだとわかった。肉を帯状にはぎ取り、奥の胴体には白い肋骨が見えているものもあった。ざく、ざく、ざくという音は、手斧の音だった。少し離れたところでは、運搬用ケーブルのようなものが、柔らかな肉の塊を載せて引かれ、洞窟の斜面を登っていた。食糧となる巨大な胴体の、果てしない並木道。この眺めは、初めて竪穴の下をのぞいたときに次いで、月の世界の膨大な人口を感じさせた。
初め私は、セレナイトは脚台に渡した板の上に立っていると思った。だが板も支えも手斧も、白い光で見る前の私の鎖と同じ、鉛色をしているのに気づいた。床にはひどく太そうな鉄梃がいくつも転がっており、死んだムーンカーフを横向きに転がすのに使われたらしかった。長さは六フィートほど、握りの形が整えられていて、武器としてひどく魅力的に見えた。全体を照らすのは、横切って流れる三本の青い液体の筋だった。
私たちは長いあいだ伏せたまま、黙ってそれらを観察した。「さて?」と、ついにケイヴァーが言った。
私は身をかがめて彼へ向いた。素晴らしい考えが浮かんでいた。「あの死体をクレーンで下ろしたのでなければ」と言った。「思っていたより地表に近いはずだ。」
「なぜ?」
「ムーンカーフは跳ねないし、羽もない。」
彼はまた、くぼみの縁越しにのぞいた。「待てよ――」と言いかけた。「考えてみれば、地表からそう遠くへは行っていない――」
私は腕をつかんで止めた。下の割れ目から、物音が聞こえたのだ!
私たちは体をひねって向きを変え、全神経を研ぎ澄まし、死んだようにじっと伏せた。ほどなく、何かが静かに割れ目を登ってくることに、疑いはなくなった。私はごくゆっくり、まったく音を立てずに、鎖をしっかり握り直し、何かが現れるのを待った。
「あの斧を持った連中を、もう一度見てくれ」と私は言った。
「大丈夫だ」とケイヴァーが言った。
私は格子の隙間へ、ひとまず狙いを定めた。今や、登ってくるセレナイトの小さなさえずり、岩へ手を当てる音、よじ登る手元から砂が落ちる音が、はっきり聞こえた。
格子の下の黒いところで、何かがぼんやり動いているのが見えた。だが何なのかは判別できなかった。一瞬、すべてが滞ったように思えた――それから、がつん! 私は跳ね起き、こちらへ閃いて突き出されたものを、激しく打った。鋭い槍先だった。後から考えると、狭い割れ目の中では槍が長すぎて、こちらへ届くよう傾けられなかったのだろう。ともかく、それは蛇の舌のように格子から飛び出し、外れ、引っ込み、また閃いた。だが二度目には、私は手を伸ばしてつかみ、もぎ取った。その前に、別の一本がむなしく突き出された。
相手の握る力が一瞬抗い、そして負けたのを感じて、私は勝ち誇った声を上げた。それから格子の間へ突き下ろした。闇の中で悲鳴が上がった。ケイヴァーはもう一本の槍を折り取り、私の横で跳ね、振り回し、ろくに役にも立たぬ突きを繰り出していた。がちゃん、がちゃんと格子の下で音がした。そのとき斧が宙を飛び、向こうの岩へばしっと当たって、洞窟の上手で死体を解体していた連中を思い出させた。
振り向くと、連中は間隔をあけ、斧を振りながら一斉にこちらへ向かっていた。背の低い、太く小さな連中で、腕が長く、それまでに見た者たちとは際立って違っていた。私たちのことをまだ聞いていなかったとしても、信じがたい速さで状況を把握したに違いない。私は槍を持って一瞬見つめた。「格子を守れ、ケイヴァー!」と叫び、威嚇の雄叫びを上げ、迎え撃とうと突進した。二体の手斧が外れ、残りは即座に逃げた。その二体もすぐに、拳を握り、頭を下げて、洞窟を上へ駆け去った。あんな走り方をする人間は見たことがない!
持っていた槍は、自分には役に立たないとわかっていた。細く頼りなく、突くことしかできず、長すぎて引き戻しも遅い。そこで最初の死体までしか追わず、止まって、転がっていた鉄梃を一本拾った。頼もしい重さがあり、セレナイトなら何体でも粉砕できそうだった。槍を捨て、もう片方の手にも鉄梃を拾った。槍を持っていたときの五倍は心強かった。洞窟のずっと上で小さな群れになって止まっていたセレナイトへ、二本を威嚇するように振り、それからケイヴァーを振り返った。
彼は格子の左右を跳び回り、折れた槍で脅すように突いていた。あれでいい。少なくとも当分は、セレナイトを下へ押さえておける。私はまた洞窟の上手を見た。さて、いったいどうすればいいのか?
ある意味では、すでに追い詰められていた。だが上手の屠殺人たちは不意を打たれ、おそらく怯えており、特別な武器もなく、あるのはあの小さな手斧だけだった。そして逃げ道はそちらにあった。ムーンカーフの牧童よりはるかに背が低く太い、頑丈な小さな姿が、斜面に散らばっていた。その様子は、決めかねていることをありありと示していた。私には街路の暴れ牛のような、気迫の優位があった。とはいえ、途方もない数に見えた。おそらく実際にそうだった。下の割れ目のセレナイトは、確かに恐ろしく長い槍を持っていた。ほかにも思いがけないものを用意しているかもしれない……。だが、くそっ! 洞窟の上へ突撃すれば、背後に連中を登らせることになる。しなければ、上の小さな畜生どもに援軍が来るだろう。足元の未知の世界、私たちがほんの外皮を突いただけの、さらに巨大な世界から、どんなすさまじい兵器――銃砲、爆弾、地上魚雷――が、私たちを滅ぼすために送り出されてくるか、神のみぞ知る。突撃するほかないことが、はっきりした! 新手のセレナイトの脚が何本も、洞窟をこちらへ駆け下りてくるのが見えると、いっそう明白になった。
「ベッドフォード!」とケイヴァーが叫んだ。見ると、彼はもう格子と私の中間まで来ていた。
「戻れ!」
私は叫んだ。「何をしている――」
「連中が――銃みたいなものを持ってる!」
防御の槍の間から、ひどく痩せた骨張ったセレナイトが、複雑な装置を抱え、格子でもがきながら頭と肩を現した。
ケイヴァーには、この戦いをする能力がまったくないと悟った。私は一瞬ためらった。それから鉄梃を振り回し、セレナイトの狙いを乱すため叫びながら、彼の脇を駆け抜けた。相手は装置を腹へ当て、何とも奇妙な構えで狙っていた。「シュッ!」それは銃ではなかった。むしろ石弓のように発射され、跳躍の途中の私を落とした。
倒れたわけではない。当たらなければ届いたはずの場所より、少し手前へ降りただけだった。肩の感じからすると、かすめて跳ね返っただけかと思った。ところが左手が柄へ触れ、槍のようなものが肩を半ば貫いているとわかった。次の瞬間、右手の鉄梃が届き、セレナイトへまともに命中した。相手は崩れた――潰れ、折りたたまれた――頭は卵のように割れた。
私は鉄梃を一本落とし、肩から槍を引き抜くと、格子の下の闇へ突きはじめた。一突きごとに、悲鳴とさえずりが上がった。最後に全力で槍を下へ投げつけ、跳ね起き、鉄梃を拾い直して、洞窟の上手の群れへ向かった。
「ベッドフォード!」とケイヴァーが叫んだ。「ベッドフォード!」私が脇を飛びすぎるときも叫んでいた。
後ろから彼の足音がついてきた記憶がある。
一歩、跳躍……どん、一歩、跳躍……。一回一回が、何年にも感じられた。跳ぶたびに洞窟は開け、目に入るセレナイトの数が増えた。初め連中は、荒らされた蟻塚の蟻のように走り回っていた。一、二体は斧を振って迎え、多くは逃げ、横へそれて死体の並ぶ間へ潜る者もいた。やがて槍を持った者が現れ、さらに別の者も見えた。手足ばかりの、途方もなく奇妙な生き物が、隠れ場所へ駆け込むのが見えた。洞窟は奥ほど暗くなっていた。
ひゅっ! 何かが頭上を飛んだ。ひゅっ! 一歩の途中で宙へ浮いていると、左手の死体へ槍が刺さり、震えた。次に着地すると、一本が目の前の地面へ当たり、遠くで装置の発射する、シュッという音が聞こえた。ひゅっ、ひゅっ! 一瞬、雨のようだった。一斉射撃していた!
私はぴたりと止まった。
そのとき、明瞭に考えていたとは思えない。決まり文句のようなものが、頭を走った記憶がある。「射界内、遮蔽物へ!」
二頭の死体の間へ飛び込み、そこで息を切らしながら、ひどく凶暴な気分で立っていたことは覚えている。
ケイヴァーを探した。一瞬、世界から消えてしまったかと思った。すると、死体の列と洞窟の岩壁の間の闇から現れた。小さな顔は暗く青く、汗と感情に輝いていた。
何か言っていたが、私は耳を貸さなかった。ムーンカーフから次のムーンカーフへと隠れて上へ進めば、突撃して届く距離まで近づけると悟ったのだ。突撃するしかなかった。「来い!」
私は言い、先に立った。
「ベッドフォード!」彼はむなしく叫んだ。
死体と洞窟の壁の間の細い路地を進みながら、私の頭はせわしく働いた。岩が曲がっているから、道に沿って撃ち通すことはできない。狭くて跳べなくても、地球生まれの力があれば、セレナイトよりずっと速く進めた。すぐに連中のただ中へ出られるはずだった。取りついてしまえば、せいぜい黒い甲虫程度の敵だ。ただし、その前に一斉射撃がある。私は策略を思いついた。走りながらフランネルの上着を脱いだ。
「ベッドフォード!」と後ろでケイヴァーが喘いだ。
私はちらりと振り返った。「何だ?」
彼は死体の上へ向けて指をさしていた。「白い光だ!」と言った。「また白い光だ!」
見ると、そのとおりだった。遠い洞窟の天井に、幻のようにかすかな白い光があった。それで力が倍になったようだった。
「離れるな」と私は言った。平たく長いセレナイトが闇から飛び出し、悲鳴を上げて逃げた。私は止まり、手でケイヴァーも止めた。上着を鉄梃にかけ、次の死体の角を身を低くして回り、上着と鉄梃を置いて姿をさらし、さっと引っ込んだ。
「シュッ、ひゅっ」と、一本だけ矢が来た。セレナイトはすぐ近くにいた。幅広いもの、背の低いもの、高いものが群れになり、射撃装置を小さな砲列のように並べ、洞窟の下へ向けていた。最初の矢に三、四本が続き、それから射撃はやんだ。
私は頭を突き出し、紙一重で助かった。今度は十数発以上を引き出した。セレナイトは興奮したように叫び、さえずりながら撃っていた。私は上着と鉄梃をまた拾った。
「今だ!」と言い、上着を突き出した。
「シュシュシュシュッ! シュッ!」
たちまち上着には、矢の濃いひげが生え、背後の死体じゅうでも矢が震えた。即座に鉄梃を上着から抜き、上着を落とした――今も月のあそこにあるのかもしれない――そして連中へ突進した。
おそらく一分間ほどは、虐殺だった。私は猛りすぎて相手を見分けず、セレナイトはおそらく恐怖で戦えなかった。少なくとも、まともな抵抗は何もなかった。いわゆる、目の前が真っ赤になった状態だった。背の高い草をかき分ける人のように、革めいた薄い体の群れを進み、右へ、次に左へ、なぎ払い、殴った記憶がある。ぐしゃり。小さな液滴が飛び散った。足元のものは潰れ、笛のように鳴き、ぬるりと滑った。群れは水のように開き、閉じ、流れた。統一した計画など、まったくなさそうだった。周囲を槍が飛び、一本が耳の上をかすめた。腕を一度、頬を一度刺されたが、それを知ったのはあとで、血が流れ、冷え、濡れた感じがしてからだった。
ケイヴァーが何をしたかは知らない。一時は、戦いがもう何年も続き、この先も永遠に続くしかないと思われた。ところが突然、すべてが終わった。見えるのは、四方へ逃げる者たちの、上下に揺れる後頭部だけだった……。私はまるで無傷のように感じた。叫びながら数歩追い、それから振り向いた。驚いた。
私は巨大な飛ぶような歩幅で、群れをすっかり突き抜けていた。連中はみな後ろにいて、隠れようとあちらこちらへ逃げていた。
飛び込んだ大戦闘が、こうも霧散したことに、途方もなく驚き、少なからず有頂天になった。セレナイトが意外に脆いとわかったのではなく、自分が意外に強かったのだと思えた。私はばかみたいに笑った。この奇想天外な月め!
洞窟の床に散らばる、潰れ、身をよじる体へ、まだ暴力を加えたいような気分で一瞬目をやり、それから急いでケイヴァーを追った。
第十八章 日の光の中で
ほどなく前方の洞窟が、ぼんやり霞んだ空間へ開いているのが見えた。次の瞬間、私たちは巨大な円形の空間へ突き出した、傾斜する回廊のようなものへ出ていた。上下に垂直に伸びる、巨大な円筒形の竪穴だった。傾斜する回廊は、欄干も何の防護もないまま穴の周囲を一周半し、それからはるか高くで再び岩の中へ入っていた。なぜかそのとき、サン・ゴッタールを抜ける鉄道の、螺旋の曲がりを思い出した。何もかも途方もなく巨大だった。その空間の巨人的な規模、巨人的な迫力を、どう伝えればよいのかわからない。私たちの目は、竪穴の壁の巨大な傾きを上へたどった。そしてはるか頭上に、かすかな星をはめ込んだ丸い開口部を見た。その縁の半分近くは、白い日の光に、ほとんど目がくらむほど輝いていた。それを見て、私たちは同時に声を上げた。
「行こう!」
私は先に立って言った。
「でも、あそこは?」とケイヴァーが言い、慎重に回廊の縁へ近づいた。私もならって、身を乗り出して下を見た。だが頭上の光に目がくらみ、底なしの闇と、その中に漂う幻のような深紅や紫の斑点しか見えなかった。それでも、見えなくとも聞こえた。闇の中から音が上がってきた。蜂の巣へ外から耳を寄せると聞こえる、怒った羽音のような音。あの巨大な空洞から、ひょっとすると足元四マイルもの深みから来る音だった……。
一瞬耳を傾け、それから鉄梃を握り直し、回廊を上へ先導した。
「あの見下ろした竪穴に違いない」とケイヴァーが言った。「あの蓋の下だ。」
「そして下が、明かりを見たところだ。」
「明かり!」と彼は言った。「そうだ――今や見ることのかなわなくなった世界の明かりだ。」
「また来ればいい」と私は言った。これほどの危地を脱したことで、球体も取り戻せると、無謀なほど楽観していた。
彼の返事は聞き取れなかった。
「え?」
私は尋ねた。
「何でもない」と彼は答え、私たちは黙って先を急いだ。
その斜めの側道は、曲がりも含めれば、四、五マイルあったと思う。地球ならほとんど登れないほど急な斜面だったが、月の条件では、楽に大股で登れた。この逃走のあいだ、セレナイトは二体しか見なかった。こちらに気づくや、どちらも一目散に逃げた。私たちの強さと暴力の知らせが、そこまで達しているのは明らかだった。外への道は意外にわかりやすかった。螺旋の回廊は、急勾配のまっすぐなトンネルになった。床にはムーンカーフの痕跡が豊富にあり、巨大なアーチの大きさに比べて道がまっすぐで短いため、完全に暗い場所はなかった。ほとんどすぐに明るくなりはじめ、やがて遠く高いところに、外へ開く、目もくらむほど輝く出口が現れた。アルプスさながらの急斜面の上端を、銃剣低木の稜線が飾っていた。今では高く伸びて折れ、乾いて枯れ、太陽を背に棘だらけの影を見せていた。
つい先ほどまで、この同じ植物を奇怪で恐ろしいものと見ていた私たちが、今は故郷を目にした帰還の流刑者のような気持ちで眺めたのは、不思議なことだ。走ると息を切らし、話すのももはや楽ではなく、聞こえるように声を張らねばならないほどの、空気の薄ささえ歓迎した。頭上の日の差す円は、ますます大きくなり、手前のトンネルはすべて、見分けのつかない黒い縁へ沈んでいった。枯れた銃剣低木には、もう緑の名残はなかった。茶色く乾き、密に茂り、はるか上の見えない枝の影が、転がる岩の上へ複雑な網目を描いていた。トンネルのすぐ入口には、ムーンカーフが行き来して踏みならした、広い空間があった。
ついにそこへ出ると、光と熱が私たちへ打ちつけ、のしかかった。露出した場所を苦労して横切り、低木の茎の間の斜面をよじ登った。そしてようやく高い場所へ出て、ねじれた溶岩塊の影に腰を下ろし、息を切らした。日陰でも岩は熱かった。
空気は猛烈に熱く、体はひどく不快だった。それでも、もう悪夢の中ではなかった。星の下、自分たちの領分へ戻った気がした。下の薄暗い通路や割れ目を逃げ抜けるときの恐怖と緊張は、すっかり落ちていた。最後の戦いは、セレナイトに関するかぎり、私たちを途方もない自信で満たしていた。たった今抜け出した黒い口を、ほとんど信じられぬ思いで振り返った。あの下で、今思えば完全な闇も同然の青い光の中で、私たちは人間の狂った戯画のようなもの、兜の頭の生き物に出会い、その前を恐れながら歩き、従える限界まで従っていた。それがどうだ、連中は蝋のように砕け、籾殻のように散り、夢の生き物のように逃げ、消えたのだ!
私は目をこすった。食べた菌類のせいで眠り、これらを夢に見ただけではないかと疑った。すると突然、顔の血に気づき、それからシャツが肩と腕に痛く貼りついているのがわかった。
「くそっ!」
私は言い、手で探って傷の具合を調べた。そのとき突然、遠いトンネルの入口が、いわばこちらを見張る目に変わった。
「ケイヴァー!」
私は言った。「連中はこれからどうする? 僕らはどうするんだ?」
彼はトンネルを見つめたまま首を振った。「向こうがどうするかなんて、わかるものか。」
「僕らをどう思っているか次第だが、その見当をつける手がかりさえない。それに、何を奥に持っているかにもよる。君の言うとおりだ、ケイヴァー、僕らはこの世界のほんの表面に触れただけだ。中にはどんなものでもあるかもしれない。あの発射する装置だけでも、ひどい目に遭わせられる……。
「だが結局のところ」と私は言った。「球体がすぐに見つからなくても、まだ望みはある。持ちこたえられるかもしれない。夜のあいださえ。もう一度下へ行って、戦い抜くこともできる。」
私は考えを巡らせながら、あたりを見回した。低木が猛烈に成長し、そのあと乾いたせいで、景色の性格はすっかり変わっていた。座っている峰は高く、噴火口を広く見渡せた。月の午後の晩秋にあたるその風景は、今や一面、枯れて乾いていた。ムーンカーフの食んだ長い斜面や、茶色く踏み荒らされた原が、幾重にも重なっていた。はるか遠く、太陽の光をまともに浴びる場所では、群れが眠たげに日向ぼっこしていた。散らばった一頭一頭に黒い影が添い、丘の斜面の羊のようだった。だがセレナイトの姿は、どこにもなかった。私たちが内部の通路から出てきたため逃げたのか、それともムーンカーフを追い出したあとは引き上げる習慣なのか、推測もつかない。そのときは前者だと信じた。
「この一帯に火をつければ」と私は言った。「灰の中から球体が見つかるかもしれない。」
ケイヴァーには聞こえなかったらしい。手をかざし、強烈な日の光にもかかわらず、空にまだ無数に見えている星を見つめていた。「僕らはここへ来て、どれくらいになると思う?」と、ようやく尋ねた。
「どこへ来て?」
「月へ。」
「地球の時間で二日くらいかな。」
「むしろ十日に近い。わかるかい、太陽はもう天頂を過ぎ、西へ沈みかけている。四日か、それより短いうちに夜になる。」
「でも――一度しか食べてないぞ!」
「それはわかってる。それに――でも、星を見れば!」
「小さな天体にいるからといって、なぜ時間の感じが違う?」
「わからない。だが、そうなんだ!」
「時間をどうやって感じるんだろう?」
「空腹、疲労――そういうものが全部違う。何もかも違う――すべてが。僕には、球体から初めて出て以来、せいぜい数時間としか思えない――長い数時間だが。」
「十日」と私は言った。「残りは――」太陽を一瞬見上げた。天頂と西の果ての、中ほどにあるのがわかった。「四日! ……ケイヴァー、ここで夢を見ている場合じゃない。どう始める?」
私は立ち上がった。「見分けのつく定点を作らなくちゃ――旗でも、ハンカチでも、何か掲げて――そこを中心に地面を区切って、順に探そう。」
彼も隣で立ち上がった。
「ああ」と言った。「球体を探すしかない。ほかに何も。見つかるかもしれない――確かに、見つかるかもしれない。もし見つからなければ――」
「探しつづけるしかない。」
彼はあちこちを見て、空を見上げ、トンネルを見下ろした。そして突然、苛立った身振りをして私を驚かせた。「ああ、僕らは何と愚かなことをしたんだ! こんなところまで来て! どうなりえたか、何ができたか、考えてみてくれ!」
「まだ何かできるかもしれない。」
「できたはずのことは、もうできない。この足の下に、ひとつの世界がある。それがどんな世界か、考えてくれ! あの機械、あの蓋、竪穴を! あれは遠い辺境の施設にすぎず、見て戦った生き物も、無知な農民、外れに住む田舎者や、半ば獣に近い労働者にすぎなかったんだ。あの下には! 洞窟の下にさらに洞窟、トンネル、建造物、道……。下りるほど開け、大きく広く、人口も増えていくはずだ。間違いない。そして最後には、月の核を取り巻く中央の海がある。まばらな明かりの下の、墨のような海水を考えてくれ――そもそも連中の目に明かりが必要ならの話だが! そこへ注ぐため、流路を滝のように下る支流を! 海面の潮の満ち引き、うねり渦巻く潮流を! その上を行く船があるかもしれない。下には壮大な都市、群衆のあふれる道、人間の知恵を超えた叡智と秩序があるかもしれない。それなのに僕らは、こうしたものを支配する、必ずいるはずの主たちを一度も見ず、この上で死ぬかもしれない! ここで凍え死に、僕らの上で大気が凍り、また解け、そのあとで――! 連中が見つけるんだ。硬くなって何も言わない僕らの死体と、僕らには見つけられない球体を見つけ、ここでむなしく終わった思索と努力を、遅すぎる時にようやく理解するんだ!」
その長い話のあいだ、彼の声はずっと、電話越しに聞く誰かの声のように、弱く遠く響いた。
「でも、あの暗さは」と私は言った。
「克服できるかもしれない。」
「どうやって?」
「わからない。わかるわけがないだろう? 松明を持てるかもしれない、ランプがあれば――向こうの者が――わかってくれるかもしれない。」
彼はしばらく、両手をだらりと下げ、悲しげな顔で、自分を拒む荒野を見渡していた。それから断念の身振りをしてこちらへ向き、球体を組織的に探す案を述べた。
「また来られる」と私は言った。
彼はあたりを見た。「まず地球へ帰らなきゃならない。」
「携帯ランプや登山用の鉄具、それに必要なものをいくらでも持ってこられる。」
「ああ」と彼は言った。
「この金を、成功の証しに持ち帰れる。」
彼は私の金の鉄梃を見て、しばらく何も言わなかった。手を後ろで組み、噴火口の向こうを見つめて立っていた。ついにため息をつき、口を開いた。「ここへ来る道を見つけたのは僕だが、道を見つけたからといって、いつもその道を支配できるわけじゃない。秘密を地球へ持ち帰ったら、どうなる? 一年も、いや、一年のうちのほんの一時期さえ、守りきれるとは思えない。遅かれ早かれ明るみに出る。他の人間が再発見するかもしれない。そして……政府や権力者がここへ来ようと争い、互いに戦い、この月の住民とも戦う。ただ戦争を広げ、戦争の種を増やすだけだ。僕が秘密を明かせば、まもなく、ほんのまもなく、この天体の最も深い回廊まで、人間の死体が散らばるだろう。ほかのことは不確かでも、それだけは確かだ。人類に月が必要なわけでもない。月が人間に何の役に立つ? 自分の天体でさえ、戦場と、際限のない愚行の舞台以外の何にした? 世界が小さく、与えられた時間が短くても、あの小さな生涯の中で、できること以上の仕事が地球にはまだある。だめだ! 科学は、愚か者の使う武器を鍛えるために、あまりにも長く働いてきた。そろそろ手を止めるべきだ。自分でまた発見させればいい――千年後に。」
「秘密を守る方法はある」と私は言った。
彼は私を見上げ、微笑んだ。「そもそも」と言った。「なぜ心配する? 球体が見つかる見込みはほとんどなく、下では何かが進んでいる。帰ることを考えるのは、死ぬまで希望を捨てない人間の癖にすぎない。苦難は始まったばかりだ。僕らは月の住民に暴力を見せ、どんなものか味わわせた。望みは、ハイド・パークで逃げ出して人を殺した虎と同じくらいだ。知らせは回廊から回廊へ、中心へ向かって伝わっているはずだ……。これだけ僕らを見たあとでは、正気の生き物なら、球体を地球へ持ち帰らせるはずがない。」
「ここに座っていても」と私は言った。「望みはよくならない。」
私たちは並んで立った。
「結局」と彼は言った。「別れるしかない。ここの高い棘にハンカチを掲げ、しっかり結ぼう。それを中心に、噴火口じゅうを探すんだ。君は西へ、半円を往復しながら、沈む太陽のほうへ範囲を広げてくれ。まず自分の影を右にして進み、その影がハンカチの方角と直角になったら、今度は影を左にして進む。僕は東で同じことをする。すべての谷をのぞき、すべての岩の群れを調べ、僕の球体を見つけるために、できることを尽くそう。セレナイトを見たら、できるだけ隠れる。水の代わりには雪を取り、食べ物が必要になったら、できればムーンカーフを殺して、その肉を――生で――食べる。それぞれ自分の道を行くんだ。」
「どちらかが球体を見つけたら?」
「白いハンカチへ戻り、そばに立って、もう一人へ合図する。」
「どちらも見つけなければ?」
ケイヴァーは太陽を見上げた。「夜と寒さに追いつかれるまで、探しつづける。」
「セレナイトが球体を見つけて、隠していたら?」
彼は肩をすくめた。
「あるいは、やがて僕らを狩りに来たら?」
答えはなかった。
「棍棒を持ったほうがいい」と私は言った。
彼は首を振り、私から目をそらして荒野の向こうを見つめた。
だが、一瞬は動かなかった。気おくれしたように振り返り、ためらった。「また会おう」と言った。
奇妙な感情が、胸を鋭く刺した。どれほど互いを苛立たせたか、とりわけ自分がどれほど彼を苛立たせただろうかという思いがこみ上げた。「くそっ」と私は思った。「もっとましにできたはずなのに!」
握手を求めようとした――なぜか、そのときはそうしたかった――ちょうどそのとき、彼は両足をそろえ、私から北へ跳び去った。枯葉のように空中を漂い、軽く降り、また跳んだ。私はしばらく見送り、それから気の進まぬまま西へ向き、気を引き締めた。氷のような水へ飛び込む人に似た気持ちで、着地点を選び、自分に割り当てられた孤独な半分の月の世界を探すため、前へ跳び出した。岩の間へいささか不器用に降り、立ってあたりを見回し、平たい岩へよじ登り、また跳んだ……。
しばらくしてケイヴァーを探すと、もう姿は見えなかった。だが岬の上のハンカチは、太陽の炎の中で白く、頼もしくはためいていた。
何が起ころうと、あのハンカチだけは見失うまいと、私は心に決めた。
第十九章 ひとり残されたベッドフォード
ほどなく私は、月では初めからずっとひとりだったような気がしてきた。しばらくは一心に捜したが、暑さは相変わらず厳しく、薄い空気は胸を輪で締めつけるようだった。やがて私は、縁に背の高い茶色の枯れ葉が林立する窪地に出た。その陰に腰を下ろし、休んで体を冷ますことにした。ほんのひと休みのつもりだった。棍棒を傍らに置き、両手に顎をのせて座った。乾いてぱりぱりになった地衣類がところどころ縮んで岩肌をのぞかせており、そこにはどれも金の筋や斑点が走っていた。散乱する枯れ草の間からは、丸くしわの寄った金の瘤があちこちに突き出している。私はそれを、心の動かぬ興味で眺めた。今となっては、それが何になろう。手足も心も、ある種の倦怠に支配されていた。この果てしない干からびた荒野で球体を見つけられるなどとは、もはや少しも思えなかった。セレナイトが来るまでは、何かをする気力も湧きそうになかった。来れば、そのときは奮い立つのだろう。何にもまして命を守れと人を駆り立てる、理不尽な命令に従って。命を長らえたところで、少し後に、もっと苦しんで死ぬだけかもしれないというのに。
なぜ私たちは月に来たのか。
それが、解きがたい謎となって私の前に現れた。人を絶えず幸福と安らぎから引き離し、労苦に追い立て、危険に身をさらさせ、死がほぼ確実なところにまで踏み込ませる、この心の働きはいったい何なのか。月の上で私は、とうに知っているべきだったことに初めて気づいた。人間はただ安全に、快適に、腹を満たして楽しく暮らすためにできているのではない。言葉で問いかけるのでなく、実際に機会を与えてみれば、たいていの人間はそれを承知していると行動で示すだろう。自分の利益にも幸福にも反して、人は絶えず不合理な行動へと駆り立てられる。自分以外の何かの力に押され、行かずにはいられない。だが、なぜだ。なぜなのだ。何の役にも立たない月の金に囲まれ、異世界の事物のただ中に座って、私は自分の生涯を振り返った。月で遭難して死ぬのが結末だとすれば、自分がいったい何の目的に役立ってきたのか、まるでわからなかった。その点には一筋の光も射さなかったが、少なくとも、自分自身の目的に奉仕しているわけではないこと、これまでの人生も実は一度として自分の私生活のために送ってきたのではないことだけは、かつてないほどはっきりしていた。では誰の、何の目的に奉仕していたのか。……私は月に来た理由を考えるのをやめ、問いをもっと大きく広げた。なぜ私は地球に生まれたのか。そもそもなぜ、私という個人の生があるのか。……ついには底知れぬ思索の中に迷い込んでいた……。
考えはぼやけて曇り、もはや定まった方向に進まなくなった。体が重いとも、くたびれたとも感じなかった――月でそんな感覚を持つとは思えない――が、ひどく疲労していたのだろう。ともかく私は眠った。
そこで眠ったおかげで、ずいぶん休まったのだと思う。眠っている間じゅう太陽は傾き、猛烈な暑さも衰えていった。遠くの騒ぎにようやく眠りを破られたときには、また身も心も働きそうな気がした。目をこすり、両腕を伸ばした。立ち上がると、少し体がこわばっていたが、すぐに捜索を再開する支度をした。金の棍棒を一本ずつ肩に担ぎ、金脈の走る岩に囲まれた谷間を出た。
太陽は確かに低くなっていた。それもずっと低く、空気もずいぶん冷えていた。かなり長く眠っていたらしい。西の崖のあたりに、青みを帯びた薄いもやが漂っているように見えた。小さな岩の突起へ跳び上がり、火口を見渡した。ムーンカーフもセレナイトも見当たらず、ケイヴァーの姿もなかった。ただ、はるか向こうの棘だらけの茂みに広げたハンカチは見えた。あたりを見回してから、次の見晴らしのよさそうな場所へ跳んだ。
半円を描いて捜し歩き、帰りはさらに外側に弧を描いた。ひどく骨が折れるばかりで、望みはなかった。空気は本当にずいぶん冷たくなり、西の崖の下では影が幅を広げつつあるようだった。何度も足を止めて見渡したが、ケイヴァーもセレナイトも姿を見せない。ムーンカーフは一頭も見えず、また内部へ追い込まれたのだろうと思った。ケイヴァーに会いたい気持ちが、ますます強くなった。翼をつけたような太陽の輪郭は沈んでゆき、今や空の縁から太陽一個分ほどの高さしかなかった。間もなくセレナイトたちは蓋も弁も閉じ、容赦なく押し寄せる月の夜の下に、私たちを締め出すのではないか。その考えが重くのしかかった。もう捜索を打ち切って、二人で相談すべき時刻だった。一刻も早く、これからどうするか決めなければならない。球体は見つからず、捜す時間も尽きた。外にいるまま弁を閉ざされたら、私たちはおしまいだ。宇宙の大いなる夜が覆いかぶさってくる。唯一絶対の死である、虚空の闇が。全身がその接近におののいた。殺されるとしても、再び月の中へ入らなければならない。凍死しかけた私たちが、最後の力を振り絞って大竪穴の弁をたたく光景が、頭から離れなかった。
もう球体のことは考えなかった。ケイヴァーを見つけることだけを考えた。手遅れになるまで捜すくらいなら、彼を置いて月の中へ戻ろうかと、半ば思っていた。ハンカチまでの道をもう半分ほど戻ったとき、不意に――
球体が見えた!
私が見つけたというより、球体のほうが私を見つけたのだった。それは私の足を延ばした場所よりはるか西に横たわっていた。沈む太陽の斜光がガラスに反射し、まばゆい光の筋となって突然その在りかを告げたのだ。一瞬、セレナイトが私たちに仕掛けた新しい攻撃かと思った。それから、わかった。
私は両腕を振り上げ、幽霊じみた叫びをあげると、大跳躍で球体へ向かった。一度跳びそこねて深い谷へ落ち、足首をひねった。それからは、ほとんど跳ぶたびにつまずいた。興奮は狂乱に近く、体は激しく震え、まだ着きもしないうちから完全に息が切れた。少なくとも三度は脇腹を押さえて立ち止まらねばならず、薄く乾いた空気にもかかわらず、顔は汗で濡れていた。
たどり着くまでは球体以外に何も考えず、ケイヴァーの居場所を案じていたことさえ忘れた。最後のひと跳びで、両手が勢いよくガラスにぶつかった。そのまま球体にもたれ、息をあえがせながら、「ケイヴァー! 球体があったぞ!」と叫ぼうとしたが、声にならなかった。
少し落ち着いてから厚いガラスをのぞくと、中の品々が乱れているように見えた。かがんでさらによく見た。それから中へ入ろうとした。出入口に頭を通すには、球体を少し持ち上げて傾けねばならなかった。ねじ式の栓は内部にあり、今はもう、何ひとつ手を触れられず、損なわれてもいないことがわかった。雪の中へ降り立ったときのまま、そこにあったのだ。しばらく私は、何度も何度も持ち物を点検することに没頭した。自分が激しく震えていると気づいた。見慣れたあの暗い内部に再会する喜び! それがどんなに大きかったか、とても伝えられない。やがて私は中へ這い込み、荷物の間に座った。ガラス越しに月世界を見て、身震いした。金の棍棒をテーブルに置き、食べ物を探して少し食べた。欲しかったというより、そこにあったからだった。それから、外へ出てケイヴァーに合図をしなければと思いついた。だが、すぐには外へ出なかった。何かが私を球体につなぎとめていた。
結局、すべてはうまくいくのだ。人間を意のままに支配する、あの魔法の石を、まだ集める時間がある。すぐ近くには拾うだけで手に入る金がある。球体は半分まで金を積んでも、空のときと同じように飛ぶはずだ。今なら帰れる。自分の運命と、この世界を支配する者として。そして、それから――
私はようやく気を奮い起こし、無理に体を動かして球体を出た。夕方の空気がひどく冷たくなっていて、出た途端に身震いした。窪地に立ち、あたりを見回した。周囲の茂みを念入りに確かめてから、すぐそばの岩棚へ跳び上がった。月で最初に行った、あの跳躍をもう一度したのだ。だが今は、何の苦もなかった。
植物の生育と衰弱はすさまじい速さで進み、岩場の様子は一変していた。それでも種子の芽吹いた斜面と、私たちが初めて火口を見渡した岩塊は見分けられた。斜面の棘だらけの灌木は今や茶色く枯れ、高さ三十フィートにもなって、見えないところまで長い影を伸ばしていた。上の枝に群がる小さな種子も茶色く熟していた。その営みは終わっていた。木はもろくなり、夜が来ればたちまち凍てつく空気に倒れ、崩れ落ちるばかりだった。目の前で膨れ上がった巨大なサボテンも、とっくに破裂して胞子を月の四方へまき散らしていた。宇宙の驚くべき小さな一角――人類の上陸地点!
いつか、この窪地の真ん中に碑を建ててやろう、と私は思った。内部にうごめくこの世界が、今という瞬間の持つ意味を残らず知ったなら、その騒ぎはいかほどになるだろう。
だが、私たちの来訪の意味など、まだ夢にも思ってはいまい。知っていれば火口は追手の騒ぎで沸き返り、死のように静まり返っているはずはないのだ。ケイヴァーに合図のできる場所を探すと、今立っている場所から彼が跳び移った、あの岩場が見えた。そこは今も、日ざしの中に裸のまま露出していた。球体からそんなに離れるのを、一瞬ためらった。だが、そのためらいを恥じて、私は跳んだ……。
その高みから、もう一度火口を見渡した。私の投げる巨大な影の先端に、はるか遠く、白い小さなハンカチが茂みの上ではためいていた。ひどく小さく、ひどく遠かった。ケイヴァーは見えなかった。もう私を捜していていい頃だった。そういう約束だったのだ。だが、どこにも姿はなかった。
手で目を覆い、今にも見つかるはずだと思いながら、私は立って待ち続けた。おそらく、かなり長いあいだそうしていたのだろう。叫ぼうとして、空気の薄さを思い知らされた。ためらいがちに、球体へ向かって一歩戻った。寝具の毛布を一枚持ち出して、近くの茂みに掲げようかとも思ったが、心の底に潜むセレナイトへの恐怖が、自分の居場所を知らせるのをためらわせた。私はまた火口に目を凝らした。
その空虚さには、ぞっとするものがあった。そして静かだった。地下世界のセレナイトの物音は、すっかり消えていた。死そのものの静けさだった。吹き始めた微風に周囲の灌木がかすかに揺れるほか、音も、音の気配さえもなかった。その風も冷たかった。
ケイヴァーめ!
私は深く息を吸い込んだ。両手を口に添えた。「ケイヴァー!」
声を限りに叫んだのに、はるか遠くで小人が叫んでいるようにしか聞こえなかった。
ハンカチを見た。振り返って、西の崖から広がる影を見た。手をかざして太陽を見た。太陽はほとんど目に見えるほどの速さで、空を這い降りているようだった。
ケイヴァーを救うには、すぐ行動しなければならない。私は肌着を脱ぎ、背後の灌木の枯れた銃剣のような枝に目印として投げかけると、ハンカチへまっすぐ向かった。二マイルほどだろうか。数百回も跳んだり歩いたりすれば着く距離だった。月で跳ぶと宙に浮いたままになる感じがすることは、すでに述べた。その滞空のたびにケイヴァーを捜し、なぜ隠れているのかといぶかった。跳ぶたびに、背後で太陽が沈むのを感じた。地面に触れるたびに、引き返したくなった。
最後のひと跳びでハンカチの下の窪みに着き、一歩踏み出すと、先ほどの見晴らし台に立っていた。ハンカチは手の届くところにあった。背を伸ばし、長く伸びる影の縞の間に広がる世界を見渡した。長い下り坂のはるか先に、私たちが逃げ上がってきたトンネルの入口があった。私の影はそこへ向かって伸び、さらに伸びて、夜の指のように入口へ触れた。
ケイヴァーの姿はなく、静寂の中に音ひとつなかった。ただ灌木とその影の揺れが強くなっていた。突然、私は激しく震えた。「ケイヴァ――」と言いかけ、この薄い空気の中で人間の声がいかに無力かを、また悟った。沈黙。死の沈黙。
そのとき、何かが目に留まった。五十ヤードほど下の斜面に、折れ曲がった枝や砕けた枝が散乱し、その間に小さなものが落ちていた。何だろう。わかっていたのに、なぜか認めたくなかった。近づいた。それはケイヴァーがかぶっていた、小さなクリケット帽だった。私は手を触れず、立ったまま見つめた。
そのとき、周囲に散らばる枝が力ずくで折られ、踏みにじられているのが見えた。ためらってから、一歩進んで帽子を拾った。
ケイヴァーの帽子を手に、周囲の踏み荒らされた葦や棘を見つめた。そのいくつかには、黒っぽいものが少しずつこびりついていた。触れる勇気はなかった。十二ヤードほど先で、強まりかけた風が何かを引きずり出した。小さく、鮮やかに白いものだった。
小さな紙切れだった。きつく握りしめられていたかのように、固く丸まっていた。拾い上げると、赤い染みがついていた。薄い鉛筆の跡が目に入った。紙を伸ばすと、不ぞろいで途切れがちな文字が並び、最後はゆがんだ一本の線になっていた。
私はそれを読み解き始めた。
「膝のあたりを負傷した。膝の皿を傷めたらしく、走ることも這うこともできない」――書き出しはかなり明瞭だった。
それから、読みにくくなっていた。「しばらく前から追われている。捕まるのは、もう……の問題だ」――ここには「時間」と書いて消し、判読不能な何かに書き換えたらしかった――「周囲をくまなく捜している。」
それから筆跡は激しく乱れた。「連中の音が聞こえる」と書いてあるのだろう。その先はしばらく、まったく読めなかった。続いて、短い一節だけがはっきりしていた。「まるで種類の違うセレナイトが、どうやら……を指揮している」――文字はまた、急いで書き殴った混乱に変わっていた。
「頭蓋が大きい――ずっと大きく、体は細く、脚はごく短い。穏やかな声を出し、統率のとれた慎重さで動いている……。
「負傷してここに動けずにいるが、あの姿にはまだ希望が持てる。」
いかにもケイヴァーらしかった。「私を撃ったり……危害を加えようとはしていない。私は……つもりだ――」
そのあとで、鉛筆が紙を横切っていきなり走っていた。そして裏と縁には――血!
この呆然とするような遺物を手に、途方に暮れて立ち尽くしていると、ごく柔らかく、軽く、冷たいものが一瞬手に触れ、消えた。次に、小さな白い点がひとつ、影を横切って漂った。小さな雪片だった。最初の雪。夜の先触れ。
はっとして見上げると、空はほとんど黒く暗まり、冷たく見張る星々が、次々と群れを増していた。東を見れば、しなびた世界を照らす光に、陰鬱な青銅色が混じっていた。西では、濃くなる白いもやに熱と輝きの半ばを奪われた太陽が、火口の縁に触れ、姿を隠そうとしていた。その前に、灌木や、ぎざぎざに崩れ重なる岩が、乱れ立つ黒い形となって浮かび上がっていた。西に広がる闇の大湖へ、巨大な霧の輪が沈んでいった。冷たい風に火口全体が震えた。不意に一瞬、私は吹きつける雪に包まれ、まわりの世界は灰色にかすんだ。
そのとき、あの鐘が聞こえた。初めのように大きく響き渡るのではなく、死にかけた声のように弱々しく、かすかだった。昼の到来を迎えた、あの同じ鐘だった。ゴーン! ……ゴーン! ……ゴーン! ……
音は火口をこだまし、大きな星々のまたたきに合わせて脈打つようだった。血のように赤い三日月形の太陽が、その響きとともに沈んでいった。ゴーン! ……ゴーン! ……ゴーン! ……
ケイヴァーはどうなったのか。鐘が鳴っている間じゅう、私はぼんやり立っていた。やがて鐘はやんだ。
そして突然、下方に口を開けていたトンネルが、目をつぶるように閉じ、見えなくなった。
今こそ本当に、私はひとりだった。
私の頭上に、周囲に、四方から迫り、ますます間近く私を包むものは、永遠だった。始まりより前に存在し、終わりをも超えて君臨するもの。あらゆる光も生命も存在も、その中では、流れ星のはかなく消えゆく輝きにすぎない、あの巨大な虚空。冷気、静止、沈黙――無限にして究極の、宇宙の夜だった。
孤独と荒涼の感覚が、圧倒的な何者かがこちらへ身をかがめ、今にも触れようとしている感覚へ変わった。
「いやだ」と私は叫んだ。「いやだ! まだだ! まだ早い! 待て! 待ってくれ! ああ、待ってくれ!」
声は悲鳴になった。私は丸めた紙を投げ捨て、這うように頂へ戻って方角を確かめると、ありったけの意志を振り絞り、自分の残した目印めがけて跳んだ。それは今や遠く薄暗く、影の縁ぎりぎりにあった。
跳び、跳び、また跳んだ。ひと跳びごとが、七つの永劫にも思えた。
前方では、蛇に巻かれたような淡い太陽の切れ端が、なおも沈み続けていた。迫り来る影は、私より先に球体をつかもうと押し寄せた。そこまでは二マイル、百跳び以上もあった。周囲の空気は真空ポンプで抜かれるように薄くなり、冷気が関節を締め上げた。だが、死ぬとしても、私は跳びながら死んだだろう。一度、また一度と、積もり始めた雪に足が滑って跳躍が短くなった。一度は届かずに茂みへ落ち、枝が砕け散って粉くずとなり消えた。一度は着地につまずいて谷へ頭から転げ落ち、傷つき、血を流し、方向もわからないまま起き上がった。
だが、そんな出来事も、跳躍と跳躍の間には比べものにならなかった。押し寄せる夜の奔流へ向かって宙を漂う、あの恐ろしい間には。息は笛のような音を立て、肺の中で刃物が渦巻いているようだった。心臓は脳のてっぺんを打っているようだった。「間に合うか? ああ、神よ! 間に合うだろうか?」
私の全存在が苦悶となった。
「横になれ!」と苦痛と絶望が叫んだ。「横になってしまえ!」
必死に近づくほど、球体は恐ろしいまでに遠く思えた。体はしびれ、つまずき、打ち身や切り傷を作っても血は出なかった。
球体が見えていた。
四つん這いに倒れ、肺がひゅうひゅうと鳴った。
私は這った。唇に霜がつき、口ひげにはつららが下がった。凍りつく大気で全身が白くなっていた。
あと十二ヤード。目がかすんでいた。「横になれ!」と絶望が叫んだ。「横になってしまえ!」
球体に触れ、動きが止まった。「もう遅い!」と絶望が叫んだ。「横になれ!」
こわばった体で、私は必死にもがいた。出入口の縁に、意識もおぼろな半死の体が乗っていた。周囲は雪だった。体を引きずり込んだ。中には、少しだけ暖かい空気が残っていた。
雪片――空気の薄片――が、まわりに舞い込んだ。凍える手で栓をはめ込み、力いっぱい回して締めつけようとした。私はすすり泣いた。「やってやる」と、歯をがちがち鳴らした。震え、もろく砕けそうな指を、今度は遮蔽板の操作ボタンへ向けた。
私はスイッチを手探りした――それまで一度も自分で操作したことがなかったのだ――そのあいだ、曇るガラス越しに、沈む太陽の燃えるように赤い光の帯が、吹雪の中で踊り、ちらつくのがかすかに見えた。灌木の黒い姿は積もる雪に太くなり、たわみ、折れていた。雪はますます激しく渦を巻き、光を背に黒く見えた。ここまで来ても、スイッチひとつ動かせずに終わるのか。すると手の下で何かがかちりと鳴り、一瞬にして月世界の最後の光景が目から消えた。私は惑星間をゆく球体の、静寂と闇の中にいた。
第二十章 無限の宇宙をゆくベッドフォード
ほとんど殺されたようなものだった。実際、突然むごたらしく殺された人間も、こんな気持ちになるのではないかと思えた。ある瞬間までは、苦悶に満ちた生と恐怖の激流。次の瞬間には闇と静止。光も生命も、太陽も月も星もなく、ただ空白の無限。自分で起こしたことなのに、しかもケイヴァーと一緒にすでに同じことを経験していたのに、私は驚き、呆然とし、圧倒された。巨大な暗黒へ上向きに運ばれていく気がした。指がボタンから浮き離れ、自分が消滅したかのように宙に漂った。やがて、ごく静かに、そっと、球体の中央へ流れてきた荷包みと金の鎖と鉄挺に触れた。
どれほど漂っていたのかわからない。球体の中では当然、月の上にもまして、地上での時間感覚は役に立たなかった。荷包みに触れたとき、夢も見ぬ眠りから覚めたようだった。意識と命を保つには、明かりをつけるか窓を開け、目で何かを捉えなければならないと、すぐに悟った。それに寒かった。そこで荷包みを蹴って離れ、ガラスの内側の細い綱にしがみつき、出入口の縁まで伝っていって、照明と遮蔽板のボタンの位置を確かめた。そこからひと押しして飛び出し、荷包みのまわりを一周し、漂っていた大きくて薄っぺらな何かに驚かされた末、ボタンのすぐそばの綱をつかみ、手を届かせた。まず小さなランプをつけ、何にぶつかったのかを見た。あの古いロイズ・ニュースが固定を離れ、虚空を漂っていたのだった。そのおかげで私は無限から、自分本来の小ささへ引き戻された。しばらく息を切らして笑い、それでボンベから酸素を少し出そうと思いついた。そのあと暖房をつけて体を暖め、食事をした。それから、球体がどちらへ進んでいるのか見当をつけようと、ひどくおっかなびっくり、ケイヴァライトの遮蔽板を動かし始めた。
最初の遮蔽板は、開くとすぐに閉めた。打ちつける日光に圧倒されて目がくらみ、しばらくそのまま漂った。少し考えてから、それと直角の方向の窓を試し、二つ目で巨大な三日月形の月と、その後ろにある小さな三日月形の地球を捉えた。月からこんなに遠ざかっているのかと驚いた。出発のとき地球の大気が与えた「蹴り出す力」はほとんど、あるいはまったくないはずだし、月の自転による接線方向への「振り飛ばす力」も、地球の少なくとも二十八分の一以下のはずだと考えていた。あの火口の上空、夜の境目あたりに浮かんでいるつもりだったのだ。ところが今では、そのすべてが、空を埋める白い三日月の輪郭の一部にすぎなくなっていた。そしてケイヴァーは――?
すでに無限小の存在だった。
彼に何が起きたのか想像しようとした。だがそのときは、死以外に何も考えられなかった。果てしなく高い青い滝の下で、体をひしゃげさせ、折れ曲がって横たわる姿が見える気がした。そしてまわりでは、愚かな昆虫どもがじっと見つめている……。
漂う新聞に触れて気を取り直し、私はしばらく実務に戻った。地球へ帰らなければならないのは明白だったが、どう見てもそこから離れつつあった。ケイヴァーに何が起きていようと、たとえまだ生きていたとしても――血染めの紙切れを見たあとでは信じがたかったが――私には助けようがなかった。生きていようと死んでいようと、彼はあの一条の光もない夜の帳の下にいた。少なくとも地球の仲間に助けを求めるまでは、そこにいるほかなかった。私はそれをするだろうか。そんなことも考えていた。できるものなら地球へ帰り、熟考したうえで、分別のある少人数に球体を見せ、説明して協力してもらうか、あるいは秘密を守って金を売り、武器と食料と助手をそろえ、有利な備えをもって月へ戻る。そしてあの華奢な月の民と対等に渡り合い、まだ可能ならケイヴァーを救い出す。少なくとも、次の行動を確かな土台に置けるだけの金を手に入れる。だが、それは先の先の望みだった。まず帰らなければならない。
どうすれば地球へ帰れるか、私は具体的に考え始めた。その問題に取り組むうち、帰ったあと何をするかという心配は消えた。ついには、帰ることだけが気がかりになった。
考え抜いた末、最も見込みがありそうなのは、できるだけ月に近づくよう落下して速度をつけ、それから窓を閉めて月の裏を飛び抜け、通過してから地球側の窓を開き、勢いをつけて故郷へ向かうことだと思った。だがその方法で本当に地球に届くのか、それとも双曲線だか放物線だかを描いて地球のまわりを回るだけなのか、私にはわからなかった。あとになってうまい考えが浮かび、地球の手前に現れた月へ向けていくつか窓を開き、進路をそらして地球の行く手を捉えるようにした。何かそういう手を打たなければ、地球の後ろを通り過ぎるのが明らかになったからだ。こうした問題について、私は実に複雑な思案を重ねた――何しろ数学者ではない――そして結局地球に行き当たれたのは、推理よりはるかに幸運のおかげだったと確信している。今のように、自分に不利な数学上の確率を当時知っていたなら、わざわざボタンに手を触れて試す気にさえなったか怪しい。ともあれ、すべきことを考えついたつもりになったので、月側の窓を全部開き、うずくまった。その動きで体が数フィート浮き上がり、しばらく奇妙な格好で宙に止まった。そして三日月がだんだん大きくなり、これ以上は危険だと思う距離まで待つことにした。そこで窓を閉め、月から得た速度で月を通過する――衝突しなければ――そして地球へ向かうのだ。
私はそのとおりにした。
やがて月への加速は十分だと判断した。月の姿を遮り、今思い返しても信じられないほど不安も苦悩もない気持ちで、私は待つ態勢に入った。無限の宇宙に浮かぶ小さな物質の粒の中で、地球に行き当たるまでの長い待機が始まった。暖房で球体内はほどよく暖まり、酸素で空気も新しくなっていた。地球を離れて以来ずっと続く、頭の軽い充血感を除けば、体はまったく快適だった。最後に電気が尽きると困るので、明かりはまた消していた。下から差す地球の光と星のきらめきのほかは、暗闇だった。すべてがあまりに静かで動かず、本当に自分だけが宇宙に存在するかのようだった。それなのに、不思議にも、地球の寝床に横になっているとき以上の孤独も恐怖もなかった。月の火口で過ごした最後の数時間には、完全な孤独があれほど苦痛だったのだから、今ではなおさら不思議に思える……。
信じがたいだろうが、宇宙で過ごしたこの時間は、私の人生のほかのどんな時間とも比べようがない。あるときは蓮の葉に座る神のように、測り知れない永劫を過ごした気がし、あるときは月から地球へ跳ぶ途中の、一瞬の間にすぎなかった気がする。実際には、地上の時間で数週間だった。だがその間、私は心配も不安も、飢えも恐怖も忘れていた。宙を漂いながら、経験してきたすべてのこと、人生と動機のすべて、自分の存在の隠れた意味を、不思議な広がりと自由さで考えた。自分はどこまでも大きくなり、動いている感覚はすっかり失われ、星々の間に浮かんでいるようだった。そして地球の小ささと、その上の私の人生の限りない小ささが、いつも思考の底にあった。
心の中で起きたことを、説明できるとは言わない。おそらくすべて、直接にせよ間接にせよ、私の置かれた奇妙な物理的条件に由来するのだろう。ここではただ、批評を加えず、そのまま書き留めておく。何より際立っていたのは、自分が自分であることへの疑いが、心に満ちていたことだった。こう言ってよければ、私はベッドフォードから分離した。ベッドフォードを、たまたま自分につながっている、取るに足らぬ偶然の存在として見下ろしていた。これまでは、活力に富んだ、なかなか押しの強い人間だと、ひそかな誇りをもって見ていた彼を、今ではさまざまな関係の中で、愚か者、あるいは哀れな獣として眺めた。ただの愚か者ではなく、幾世代にもわたる愚か者の末裔に見えた。学生時代、青年期の始め、初めての恋を、砂の上の蟻の動きを眺めるのとほぼ同じ気持ちで振り返った。残念ながら、あの明晰な時期の名残は今も消えず、若い頃の充実した自己満足を取り戻せるかどうかわからない。だが当時は、少しも苦痛ではなかった。実は私は、ほかの誰かでないのと同じようにベッドフォードでもなく、宇宙の静かな安らぎに漂う精神にすぎないという、途方もない確信があったからだ。このベッドフォードの欠点など、なぜ気にしなければならない。彼にも、その欠点にも、私には責任はない。
しばらくは、この実に奇怪な妄想に抵抗した。鮮烈な瞬間や、優しい感情、激しい感情の記憶を呼び起こし、助けにしようとした。真実の感情の痛みをひとつでも取り戻せれば、深まる分離は止まると思ったのだ。だが、できなかった。帽子を後ろへずらし、上着の裾をひるがえしてチャンセリー・レーンを駆け下りるベッドフォードが見えた。破産の公開審問へ向かう途中だった。人間のあふれるその溝の中で、同じような小さな生き物をよけ、ぶつかり、ときには挨拶までしていた。あれが私か? 同じ日の夕方、とある女性の居間にいるベッドフォードが見えた。傍らのテーブルに帽子があり、ひどくブラシをかける必要があった。彼は泣いていた。あれが私か? その女性とともに、さまざまな姿勢を取り、さまざまな感情を示す彼が見えた。こんなに他人事と思えたことはなかった……。芝居を書くためにリムへ急ぎ、ケイヴァーに声をかけ、シャツ姿で球体の製作に働き、同行するのが怖くてカンタベリーへ歩いて逃げる彼が見えた。私だと? 信じられなかった。
それでも私は、これは孤独と、重さも抵抗感もすっかり失ったための幻覚だと理屈では考えていた。球体の中で体をあちこちへぶつけ、手をつねり、両手を固く握り合わせて、その感覚を取り戻そうとした。明かりをつけ、破れたロイズ・ニュースを捕まえ、カッタウェイ自転車や、資産で暮らす紳士や、「フォークとスプーン」を売る困窮した婦人についての、現実味あふれる広告も読んでみた。
そうしたものが確かに実在することに、疑いはなかった。「これがお前の世界だ」と私は言った。「お前はベッドフォードだ。帰ったら、残りの生涯はずっと、こうしたものの中で暮らすんだ。」
だが内なる疑いは、まだ反論した。「読んでいるのはお前じゃない。ベッドフォードだ。だが、お前はベッドフォードじゃない。まさにそこが間違いなんだ。」
「くそっ!」
私は叫んだ。「ベッドフォードでないなら、私は何なんだ?」
だが、その方向には何の光も見えてこなかった。ひどく奇妙な空想が脳裏へ漂い、遠くから見る影のように、風変わりでおぼろな疑念がよぎるばかりだった。どうだろう、私は実は、この世界ばかりかあらゆる世界の外に、空間と時間の外にいる何者かで、この哀れなベッドフォードは、私が生を眺めるためののぞき穴にすぎないのではないか。そんな考えさえあったのだ……。
ベッドフォード! どれほど彼を否定しようと、私は間違いなく彼に結びついていた。そして自分がどこにいる何者であろうとも、彼の命が終わるまでは、その欲望の力を感じ、あらゆる喜びと悲しみをともに味わわねばならないと知っていた。ではベッドフォードが死ねば――そのときは? ……
この奇妙な経験については、もう十分だろう。ここに記したのは、地球を離れて孤立することが、身体のあらゆる器官の働きや感覚ばかりか、精神そのものの構造にまで、いかに思いもよらぬ奇怪な混乱をもたらすかを示すためにすぎない。あの長大な宇宙旅行の大部分を、私はこうした形のないことを考えて過ごした。宇宙の虚空、星や惑星のただ中で、自己から離れ、無気力に、いわばおぼろな誇大妄想者となって漂っていた。帰ろうとしている世界だけでなく、セレナイトの青く光る洞窟も、兜のような顔も、巨大で驚異的な機械も、なすすべなくその世界へ引きずり込まれたケイヴァーの運命さえ、限りなく小さく、まったく取るに足らぬことに思えた。
やがてようやく、地球が私の存在を引き寄せ、人間にとって現実である生へ連れ戻すのを感じ始めた。そこで初めて、私はやはり間違いなくベッドフォードであり、驚くべき冒険を経て、この私たちの世界へ戻ろうとしているのだと、次第にはっきりした。そしてその帰還で、命を落とす公算が非常に大きいことも。私は地球への落下条件を、あれこれ考え始めた。
第二十一章 リトルストーンのベッドフォード
上層大気へ入ったとき、私の飛行方向は地表とほぼ平行だった。球体の温度はすぐに上がり始めた。直ちに落下しなければならないとわかった。はるか下、暗まりかけた薄明の中に、広大な海が延びていた。開けられる窓をすべて開き、私は落ちた。日ざしから夕暮れへ、夕暮れから夜へ。地球はますます大きくなって星々をのみ込み、星明かりを透かす銀色の雲のヴェールが、私を受け止めるように広がった。ついに地球は球ではなく平らに見え、やがて内側へくぼんで見えた。もはや空にある惑星ではなく、人間の世界だった。地球側の窓を一インチほどだけ残して閉め、速度を落としながら降下した。広がる海面が、今や波の暗いきらめきまで見えるほど近づき、こちらへ駆け上がってきた。球体はひどく熱くなった。最後の細い窓をぱちりと閉じ、顔をしかめ、指の節を噛みながら、衝撃を待った……。
球体は巨大な水しぶきをあげて海へぶつかった。何ファゾムもの高さへ水を噴き上げたに違いない。着水と同時にケイヴァライトの遮蔽板を開いた。沈んでいったが、速度は次第に落ち、やがて球体が足裏を押し上げるのを感じた。泡のように、また浮き上がったのだ。ついに私は海面に浮かび、波に揺られていた。宇宙の旅は終わった。
夜は暗く、空は雲に覆われていた。遠い二つの黄色い点が船の通過を告げ、その手前では赤い光が現れては消えた。電灯の電力が尽きていなければ、その夜のうちに拾ってもらえただろう。途方もない疲れが押し寄せ始めていたが、私は興奮し、しばらくは熱に浮かされたように焦りながら、旅がこれで終わることを願っていた。
だがやがて動き回るのをやめ、膝に手首をのせて座り、遠くの赤い灯を見つめた。灯は上下に揺れた。揺れ、また揺れた。興奮は薄れた。少なくとも、もう一晩は球体で過ごさねばならないと悟った。体が限りなく重く、疲れ切っていると感じた。そして眠りに落ちた。
規則的な揺れが変わって、目が覚めた。像をゆがめるガラス越しにのぞくと、広大な砂の浅瀬へ乗り上げていた。はるか向こうに家や木らしいものが見え、海のほうには、ぼんやり湾曲した船の像が、空と海の間に浮かんでいた。
立ち上がるとよろめいた。ただ外へ出たかった。出入口は上にあり、私はねじ栓と格闘した。少しずつ開けていった。ついに空気が、かつて外へ抜けたときと同じように、音を立てて流れ込んだ。だが今度は、気圧がそろうまで待たなかった。次の瞬間には窓の重みが両手にかかり、懐かしい地球の空へ、すっかり、広々と身をさらしていた。
空気が胸を打ち、息が詰まった。ガラスのねじ栓を落とした。声をあげ、胸を押さえて座り込んだ。しばらく苦しかった。それから深呼吸した。ようやくまた立って、動けるようになった。
出入口から頭を突き出そうとすると、球体が転がった。頭を出した途端、何かにぐいと下へ引かれたようだった。あわてて引っ込めなければ、顔を水中に押しつけられていただろう。体をよじり、押し動かし、ようやく砂の上へ這い出した。そこには引き潮の波が、まだ寄せては返していた。
立とうとはしなかった。体が突然鉛に変わったようだった。今や母なる地球が私をつかんでいた。間にケイヴァライトはない。足を洗う水もかまわず、私は座り込んだ。
夜明けだった。灰色の夜明け。雲が多かったが、ところどころに緑がかった灰色の細長い隙間があった。少し沖には船が停泊し、淡い輪郭の中に黄色い灯がひとつ見えた。長く浅い波がさざめきながら寄せてきた。右手のはるか先で陸地は湾曲し、小さな小屋の並ぶ砂利浜となり、やがて灯台、航路標識、岬へと続いていた。内陸には平らな砂地が広がり、あちこちの水たまりを経て、一マイルほど先の灌木の茂る低い岸で終わっていた。北東には、ぽつんと海水浴場が見えた。やせこけたような宿屋の列。地上で見えるいちばん高いものがそれで、明るみゆく空に、くすんだ染みを置いていた。これほど土地が広いのに、なぜこんな縦長の建物を積み上げたのか。どんな奇人の仕業だろう。ブライトンの断片が、荒野に迷い込んだようだった。
長いあいだ、あくびをし、顔をこすりながら座っていた。やがて何とか立ち上がった。重い荷物を持ち上げるようだった。私は立った。
遠くの家々を見つめた。火口で飢えて以来初めて、地上の食べ物を思った。「ベーコン」と私はつぶやいた。「卵。うまいトーストに、うまいコーヒー……。しかし、いったいどうやってこの荷物をリムまで運ぶんだ?」
ここはどこなのだろう。とにかく東向きの海岸だし、降下前にはヨーロッパが見えた。
砂を踏む足音がした。フランネルの服を着て、肩に海水浴用のタオルを巻き、水着を腕にかけた、丸顔で人のよさそうな小柄な男が浜に現れた。私はすぐ、イングランドにいるのだとわかった。男は球体と私を食い入るように見ていた。そのまま近づいてきた。私の姿は、きっと恐ろしい野蛮人そのものだったろう。汚れ放題で、髪もひげも言いようのないほどぼうぼうだった。だがそのときは思いもよらなかった。男は二十ヤードほど離れて止まった。「お、おはよう。どうしたんだい?」と、不安そうに言った。
「おはようはこっちの台詞だ」と私は言った。
それで安心したらしく、男は近づいた。「それはいったい何なんだい?」
「ここがどこか教えてくれないか?」
私は尋ねた。
「あれがリトルストーン」と家々を指した。「それで、あっちがダンゲネスだ! 今上陸したのかい? その品物は何だ? 何かの機械かい?」
「そうだ。」
「流れ着いたのかい? 難破でもしたのか? それは何なんだ?」
私は急いで考えた。近づいてくる小男の様子を見定めた。「いやはや!」と男が言った。「ずいぶんひどい目に遭ったんだね! 私はてっきり君が――いや――どこで遭難したんだい? それは救命用の浮き袋みたいなものかい?」
ひとまず、その筋でいくことにした。私は曖昧に何度か肯いた。「手を貸してほしい」と、かすれ声で言った。「浜の上へ運びたい物がある。そこらに置いておくわけにもいかない物なんだ。」
そのとき、タオルを持ち、ブレザーを着て麦わら帽子をかぶった、感じのよさそうな若者がほかに三人、砂浜をこちらへ来るのに気づいた。どうやらリトルストーンの早朝水泳組らしい。
「手伝いか! もちろんさ!」
若者は何をするともなく、そわそわ動き始めた。「具体的には、何をすればいい?」
振り向いて手招きした。三人は足を速めた。一分後には私を囲み、答える気にもなれない質問を浴びせてきた。「話はあとでする」と私は言った。「へとへとなんだ。もうぼろぼろだ。」
「ホテルへ行こう」と、最初の小男が言った。「それは私たちが見ておくよ。」
私はためらった。「そうはいかない」と言った。「あの球体には、大きな金の棒が二本あるんだ。」
彼らは信じられぬ顔で互いを見、それから新たな詮索の目で私を見た。私は球体へ行き、かがんで這い込んだ。ほどなく彼らの前には、セレナイトの鉄挺と、ちぎれた鎖が並んだ。ひどく疲れ切っていなければ、笑ってやれたろう。甲虫を囲む子猫そっくりだった。どう扱っていいかわからないのだ。太った小男がかがみ、棒の端を持ち上げ、うめいて落とした。全員が同じことをした。
「鉛か、金だな!」と一人が言った。
「いや、これは金だ!」と別の一人が言った。
「間違いなく金だ」と三人目が言った。
それから全員が私を見つめ、次に全員が沖の停泊船を見た。
「ちょっと!」と小男が叫んだ。「いったいどこで手に入れたんだ?」
私は疲れすぎていて、嘘を続けられなかった。「月で手に入れた。」
彼らが顔を見合わせるのが見えた。
「いいか」と私は言った。「今は議論する気はない。この金の塊をホテルまで運ぶのを手伝ってくれ。休み休みなら、二人で一本は運べるだろう。私はこの鎖を引きずっていく。何か食べたら、もっと話そう。」
「それで、あっちは?」
「あそこにあっても害はない」と私は言った。「ともかく――くそっ! ――今は置いていくしかない。潮が満ちても、ちゃんと浮く。」
こうして、途方もない驚きに包まれた若者たちは、実に素直に私の宝を肩へ担いだ。私は鉛のような手足を動かし、遠くの「海岸通り」の断片へ向かう、一種の行列の先頭に立った。
途中で、シャベルを持った、びっくり顔の小さな女の子が二人加わった。しばらくして、鼻を鋭くすすり上げる、やせた小さな男の子が現れた。覚えているが、自転車を押していた。百ヤードほど右手をついてきたが、面白くないと思ったのだろう、自転車に乗り、平らな砂地を球体のほうへ走っていった。
私は振り返ってそのあとを見た。
「あの子なら、いたずらはしないよ」と太った若者が安心させるように言った。私は喜んで安心した。
初めは朝の灰色が心にも残っていたが、やがて太陽が水平線の平たい雲を抜け出し、世界を照らし、鉛色の海をきらめく水へ変えた。気持ちが晴れてきた。自分が成し遂げたこと、これから成し遂げることの巨大な重要性が、日ざしとともに心へ差し込んだ。先頭の男が私の金の重みでよろめいたので、私は声をあげて笑った。この私が世に立つとき、世界はどれほど驚くだろう!
ひどく疲れてさえいなければ、リトルストーンのホテルの主人は見ものだったろう。金と、身なりのよい同行者たちを一方に、汚れた私の姿をもう一方に見て、どう扱ったものか迷っていた。だが結局、私は再び地球の浴室に入り、温かな湯で体を洗うことができた。着替えもあった。陽気な小男が貸してくれたもので、ばかげて小さかったが、とにかく清潔だった。剃刀も貸してくれたが、顔じゅうに逆立つひげの前哨部隊にさえ、攻撃を仕掛ける決心はつかなかった。
私はイングランド式の朝食に向かい、ある種のけだるい食欲で食べた。何週間もたって、すっかり衰弱した食欲だった。気力を振り絞り、四人の若者の質問に答えた。そして真実を話した。
「まあ」と私は言った。「そこまで聞くなら――月で手に入れたんだ。」
「月?」
「そうだ、空の月だ。」
「どういう意味だい?」
「言ったとおりだ、まったく!」
「じゃあ、今、月から帰ってきたというのか?」
「そのとおり! あの球で、宇宙を抜けてな。」
そして私は、実にうまい卵をひと口食べた。月へ戻るときは、卵を一箱持っていこうと心に決めた。
一言も信じていないのは明らかだったが、どうやら彼らは私を、これまで出会ったうちで最も一目置くべき嘘つきと考えていたらしい。互いに目を交わしてから、視線の砲火を私に集中した。塩を取る仕草にさえ、正体の手がかりを求めていたのだろう。卵に胡椒を振ることにも、何か意味を見いだしたようだった。よろめきながら運んだ、あの奇妙な形の金の塊が、頭から離れないのだ。それらは私の前に横たわっていた。どれも数千ポンドの値打ちがあり、家や土地と同じほど盗みにくい代物だった。コーヒーカップ越しに好奇心に満ちた顔を眺めながら、自分の話を理解してもらうには、いかに広大な説明の荒野をさまよわねばならないか、少しわかった。
「本気で言っているわけじゃ――」と、一番若い男が、頑固な子供に話しかける調子で切り出した。
「そのトースト立てを取ってくれ」と私は言い、完全に黙らせた。
「だけど、ねえ」と別の一人が言い始めた。「そんな話、信じるわけにはいかないよ。」
「ああ、そうかい」と私は肩をすくめた。
「話したくないんだよ」と、一番若い男が聞こえよがしにささやいた。それから、いかにも平然とした顔で、「煙草を一本もらってもいいかい?」
私は気前よく手で肯き、朝食を続けた。ほかの二人は奥の窓へ行って外を眺め、聞こえない声で話した。ふと思いついた。「潮は」と私は言った。「引いているんだろう?」
誰が答えるか迷って、少し間が空いた。
「もうすぐ干潮だ」と太った小男が言った。
「まあ、とにかく」と私は言った。「遠くへは流れまい。」
三個目の卵の頭を落とし、私は短い演説を始めた。「聞いてくれ。私が不機嫌だとか、失礼な嘘をついているとか、そんなふうには思わないでほしい。そっけなく、謎めいた話し方になるのは、ほとんどやむを得ないんだ。これ以上なく奇妙な出来事だし、君たちの想像が大いに働いているのもよくわかる。君たちが歴史に残る瞬間に立ち会っていることは保証する。だが今は説明しきれない。不可能なんだ。名誉にかけて、私は月から来た。それだけしか言えない……。それでも、君たちにはとても感謝している。本当に感謝しているんだ。私の態度で、何か気を悪くしていなければいいが。」
「いや、全然!」と一番若い男が愛想よく言った。「ちゃんとわかっているよ」。そう言いながら、私をじっと見つめたまま椅子を後ろへ傾け、危うくひっくり返りそうになって、何とか持ち直した。「まったくそんなことはない」と太った若者も言った。
「そんな心配はしないでくれ!」そうして皆が立ち上がって散り、歩き回り、煙草に火をつけ、いかにも好意的で気楽な様子を示そうとした。私にも球体にも、まるで好奇心などないという顔だった。「それでも、沖のあの船には気をつけておくよ」と、一人が小声で言うのが聞こえた。もし自分をそこまで抑えられたなら、きっと部屋を出て、私をひとりにしただろう。私は三個目の卵を食べ続けた。
「天気は」と太った小男がやがて言った。「実にすばらしいね。こんな夏は、いつ以来だろう。」
ヒューッ、ドーン! 巨大なロケットのような音!
そして、どこかで窓ガラスが割れた……。
「何だ?」と私は言った。
「まさか――?」と小男が叫び、隅の窓へ駆け寄った。
ほかの全員も窓へ駆け寄った。私は座ったまま、彼らを見つめた。
突然、私は跳び上がり、三個目の卵をひっくり返して、自分も窓へ走った。あることに思い当たったのだ。「ここからじゃ何も見えない」と小男が叫び、扉へ走った。
「あの子だ!」
私はかすれた激怒の声でわめいた。「あの、いまいましい小僧だ!」振り向きざまに給仕を押しのけた。ちょうどトーストを追加しに来たところだった。私は部屋を飛び出し、階下へ駆け下り、ホテル前の妙にちっぽけな海岸遊歩道へ飛び出した。
さっきまで穏やかだった海には、疾走する風の波紋が立っていた。球体のあったあたり一面は、船の航跡のように波立っていた。その上では、小さな雲の塊が、散っていく煙のように渦を巻いていた。浜にいた三、四人が、思いがけない轟音の発した空を、いぶかしげに見上げていた。それだけだった! 靴磨きの少年、給仕、ブレザー姿の四人の若者が、私の後ろから駆け出してきた。窓や戸口から叫び声が上がり、面倒な連中が次々に姿を現して、口をぽかんと開けた。
私はしばらく立ち尽くした。新たな事態に圧倒され、周囲の人間を考える余裕などなかった。
初めはあまりの衝撃に、どんな災難なのかさえつかめなかった。思いがけない強打を受けた人間のように、ただぼうっとしていた。具体的にどこを傷めたかがわかるのは、あとになってからだ。
「何てことだ!」
誰かが缶から恐怖を、首の後ろへ注いでいるようだった。脚から力が抜けた。この災難が自分に何を意味するか、初めて察した。あのいまいましい小僧は、空の彼方へ! 私はすっかり取り残された。食堂には金がある。地上で持つものは、それだけだ。いったいどうなるのか。全体が、手のつけられない巨大な混乱だった。
「ねえ」と、後ろで小男の声がした。「ちょっと、君。」
振り返ると、二十人か三十人が、不規則な包囲網を作っていた。誰もが無言の問いと、限りない疑いと不審を私へ浴びせていた。視線の強制が耐えがたかった。私は声をあげてうめいた。
「無理だ!」と私は叫んだ。「無理だと言っているんだ! もう耐えられない! 勝手に考えろ――みんな、くそくらえだ!」
私は激しく手を振り回した。男は脅されたかのように一歩退いた。私は人々の間を突っ切り、ホテルへ逃げ込んだ。食堂へ突進し、狂ったようにベルを鳴らした。入ってきた給仕をつかんだ。「いいか!」
私は叫んだ。「人を呼んで、この棒を今すぐ私の部屋へ運べ!」
給仕は理解せず、私は怒鳴り散らした。緑の前掛けをした、怯えた顔の小さな老人が現れ、続いてフランネル姿の若者が二人来た。私は飛びつくようにして、手伝いを命じた。金が部屋へ入ると、もう遠慮はいらないと思った。「さあ出ていけ」と叫んだ。「目の前で人間が狂うのを見たくなければ、全員出ていけ!」
戸口でためらう給仕は、肩を押して追い出してやった。全員を締め出して鍵をかけるや、小男の服をまたむしり取り、右へ左へ放り投げ、そのままベッドへ入った。長いあいだ、悪態をつき、あえぎながら、怒りの冷めるのを待った。
やがてベッドを出られるほど落ち着き、目を丸くした給仕を呼んで、フランネルの寝巻きとウイスキー・ソーダ、それに上等な葉巻を頼んだ。待たされて苛立ち、何度もベルを鳴らした末、品物が届いた。私はまた鍵をかけ、じっくりと事態の全体を見据えた。
あの大実験は、結局のところ完全な失敗だった。潰走であり、私だけが生き残った。全面的な崩壊で、今回のことは最後の災厄だった。大破局から自分を救い、将来の見込みを少しでも拾い出すほかなかった。とどめの致命的な一撃で、月へ戻り、失ったものを取り返そうという曖昧な決意はすべて消えた。月へ帰り、球体いっぱいの金を運び、次にケイヴァライトの一片を分析して大いなる秘密を回復すること――ひょっとしたら最後には、ケイヴァーの遺体まで回収すること――そうした考えは、すべて消え失せた。
私ひとりが生き残った。それだけだった。
非常時に思いついたことの中でも、寝床に入ったのは最も幸運なひとつだったと思う。そうしなければ、頭がおかしくなるか、何か軽率なことをしていただろうと本気で思う。だが鍵をかけ、誰にも邪魔されずにいれば、あらゆる角度から状況を考え、ゆっくり手を打つことができた。
もちろん、少年に何が起きたかは明白だった。球体へ這い込み、ボタンをいじり、ケイヴァライトの窓を閉めて、飛び上がったのだ。出入口の栓をねじ込んだとはまず思えず、仮にそうしていても、帰還の見込みは千にひとつもなかった。私の荷包みとともに球体の中央付近へ引き寄せられ、そこにとどまるだろうことは、ほぼ明らかだった。そうなれば、遠い宇宙のどこかの住人にはどれほど珍しかろうと、地球上で正当に関心を払うべき対象ではなくなる。その点は、すぐ自分を納得させた。そして私に何か責任があるとしても、考えれば考えるほど、黙ってさえいれば気に病む必要はないとはっきりした。悲しむ両親が失った息子を返せと詰め寄ってきたら、失った球体を返せと言うか、何の話だと尋ねればいい。初めは泣き叫ぶ親や保護者、さまざまな厄介事が目に浮かんだ。だが今は、ただ口を閉じていれば、そんなことは起きないとわかった。実際、横になって煙をくゆらせ、考えを巡らすほど、何も明かさないのが賢明だと明らかになった。
他人に損害を与えず、不作法を働かないかぎり、どこであれ好きな場所に突然姿を現し、好きなだけぼろをまとい、好きなだけ汚れ、望むだけの自然金を携えることは、あらゆる英国市民の権利である。何人たりとも、それを妨げ、引き留める権利はない。私はついにこう定式化し、自分の自由を守る私的なマグナ・カルタとして、繰り返し唱えた。
その問題を片づけると、これまでほとんど考える勇気もなかった別の事柄を、落ち着いて検討できるようになった。つまり、破産にまつわる事情である。だが今、時間をかけて冷静に眺めてみれば、しばらくは別の、あまり知られていない名前を名乗って身元を隠し、二か月分のひげをそのままにしておけば、すでに触れたあの意地悪な債権者に面倒を起こされる危険は、実に小さいとわかった。そこから合理的で世俗的な具体策へ進むのは簡単だった。確かに、驚くほど些末な話だった。だが、ほかに何が残されていたというのか。
何をするにせよ、足元を固め、まともに立っていようと、私は決めていた。
筆記用具を持ってこさせ、ニュー・ロムニー銀行――給仕によれば最寄りの銀行だった――へ手紙を書いた。支配人に口座を開きたいと伝え、身元をきちんと証明できる信頼の置ける者を二人、よい馬のついた辻馬車で寄越してほしいと頼んだ。たまたま抱えることになった数ハンドレッドウェイトの金を引き取ってもらうためだ。署名は「ブレイク」とした。いかにも信用の置けそうな名前に思えた。それが済むと、フォークストーン・ブルーブックを手に入れ、紳士服店を選び、濃い色のツイードの背広を仕立てるため、裁断師を採寸によこすよう頼んだ。同時に旅行鞄、洗面具入れ、茶色の靴、シャツ、帽子――寸法の合うもの――なども注文し、時計屋には時計を頼んだ。手紙を送り出すと、ホテルでできるいちばんよい昼食を運ばせた。その後は横になって葉巻を吸い、できるだけ平穏に、平凡に過ごした。やがて指示どおり、正式な身分証明を持つ銀行員が二人来て、金を量って運び去った。そのあと私は、ノックが聞こえないよう布団を耳まで引き上げ、実に気持ちよく眠った。
私は眠った。月から帰った最初の人間としては、確かに散文的な行動だろう。若く想像力豊かな読者が、私の振る舞いに失望するのも想像できる。だが、ひどく疲れ、煩わされていたのだ。まったく、ほかに何ができた? その場で話しても信じてもらえる見込みはかけらもなく、耐えがたい面倒を招くことだけは確実だった。私は眠った。ようやく目覚めたときには、物心ついて以来ずっとしてきたように、この世界へ向き合う用意ができていた。そうして私はイタリアへ逃れ、そこでこの物語を書いている。世間が事実として受け取らないなら、作り話として読めばいい。私の知ったことではない。
さて、記録を終えてみると、この冒険がこれほどすっかり過去のものになったことに驚かされる。誰もがケイヴァーを、リムで自宅もろとも自分を吹き飛ばした、さほど才のない科学実験家だと思っている。そして私のリトルストーン到着後の爆音は、二マイル先のリッドにある政府施設で絶えず行われている爆薬実験で説明している。白状すると、トミー・シモンズ君――あの少年の名だ――の失踪への私の関与は、これまで明かしていない。これはひょっとすると、理屈で片づけにくい裏づけになるかもしれない。私がぼろ姿で、紛れもない金の棒二本を持ってリトルストーンの浜に現れたことについては、皆がさまざまな巧妙な説を立てている。どう思われようとかまわない。彼らに言わせれば、財産の出所を詳しく問い詰められないよう、私がこれらの出来事をつなぎ合わせたのだという。これほど筋の通った物語を作れる人間がいるなら、ぜひ会ってみたい。まあ、作り話として受け取るがいい。ここにあるのだから。
私の話は終わった。これからはまた、地上の暮らしの悩みを引き受けねばなるまい。月へ行った者も、食い扶持は稼がねばならない。そこで今、アマルフィで、ケイヴァーが私の世界へ歩いて入ってくる前に構想した、あの芝居の筋書きに取り組み、彼と出会う以前の人生をつなぎ直そうとしている。だが月明かりが部屋へ差し込むと、芝居に気持ちを集中させるのは難しいと認めざるを得ない。ここでは今、満月だ。昨夜は何時間も蔓棚の下に出て、あれほど多くを隠す、輝く空白を見つめ続けた。考えてもみてほしい! 金のテーブルに椅子、架台に棒だ! くそっ! ――もう一度あのケイヴァライトを思いつけさえしたら! だが、あんなことは一生に二度は起きない。ここにいる私は、リムにいた頃より少し懐が豊かになっただけだ。そしてケイヴァーは、人類の誰よりも手の込んだ自殺を遂げた。こうして物語は、夢のように、きっぱり、完全に閉じる。人生のほかの事柄とあまりにかみ合わず、跳躍も、食事も、呼吸も、あの無重量の時間も、あまりに人間の経験とかけ離れているので、月の金があるにもかかわらず、実はすべて夢だったのではないかと、自分でも半ば以上信じる瞬間がある……。
第二十二章 ジュリアス・ウェンディジー氏からの驚くべき知らせ
リトルストーンへ帰還した顛末を書き終えたとき、私は「終」と記し、飾りの一筆を添え、ペンを放り出した。人類初の月旅行の物語は、これですべて終わったと信じ切っていた。そればかりか原稿を文芸代理人に渡し、売却を認め、大部分がストランド・マガジンに掲載されるのを見届け、リムで書き始めた芝居の筋書きに再び取りかかっていた。そのときになって初めて、まだ終わりではないと知ったのだ。アマルフィからアルジェへ転送されて、私のもとに――今から約六か月前のことだ――生涯で最も驚くべき知らせのひとつが届いた。要するにこういうことだった。火星との通信手段を見つけようと、アメリカのテスラ氏の装置に似た機器で実験していたオランダ人の電気技術者、ジュリアス・ウェンディジー氏が、奇妙に途切れ途切れの英語の通信を、日々受信している。それは紛れもなく、月にいるケイヴァー氏から発せられたものだった。
初めは、私の原稿を読んだ誰かの、手の込んだ悪戯だと思った。冗談めかしてウェンディジー氏へ返事を出したが、その返信は、そんな疑いをすっかり消し去るものだった。私は言いようもなく興奮し、アルジェからモンテ・ローザにある氏の小さな観測所へ急いだ。記録と装置を前にし、とりわけ、今も届きつつあるケイヴァーの通信に接して、わずかに残った疑いも消えた。私はその場で、滞在して日々の記録を手伝い、ともに月への返信を試みてほしいという提案を受け入れた。わかったことによれば、ケイヴァーは生きているばかりでなく、自由の身だった。月の洞窟の青い闇に広がる、ほとんど想像を絶する、あの蟻に似た生物、蟻人間の社会のただ中にいた。脚が不自由になったらしいが、それ以外は健康だった。本人は、普段地球で暮らしていたときより健康だと、はっきり述べていた。熱病を患ったが、後遺症はなかった。だが妙なことに、私は月の火口で死んだか、宇宙の深みに失われたと、固く信じているようだった。
ウェンディジー氏がその通信を受信し始めたのは、まったく別の研究に携わっていたときだった。読者も、今世紀の幕開けを少しばかり騒がせた発表を覚えているだろう。アメリカの著名な電気研究家ニコラ・テスラ氏が、火星からの通信を受信したと告げたのだ。この発表で、科学者には以前からなじみ深かった事実が、改めて注目された。すなわち、宇宙の未知の発生源から、マルコーニ氏が無線電信に用いるものとまったく同種の電磁波が、絶えず地球へ届いているという事実である。テスラ以外にも大勢の観測者が、この振動を受信し、記録する装置の改良に取り組んでいた。ただし、地球外の何者かが発する実際の通信だとまで考える者は少なかった。だが、その少数の中に、ウェンディジー氏を数えねばならないのは確かだ。氏は一八九八年以来、ほとんどこの研究一筋に打ち込み、資力にも恵まれていたので、モンテ・ローザの山腹の、あらゆる点で観測に格好の場所へ観測所を建てていた。
私に科学的素養があまりないことは認める。だが判断できる範囲では、宇宙の電磁的状態の乱れを検出し、記録するウェンディジー氏の装置は、きわめて独創的で巧妙だった。幸運な偶然が重なり、ケイヴァーが初めて地球への呼びかけを試みる、およそ二か月前には設置され、稼働していた。おかげで私たちは、最初期の通信の断片さえ持っている。残念ながら断片にすぎず、人類に伝えるべき事柄のうち最も重大なもの――すなわちケイヴァライトの製法――は、もし実際に送信されたのであれば、記録されぬまま宇宙へ振動となって消えてしまった。私たちはついに、ケイヴァーへ返事を届けられなかった。したがって彼には、何が届き、何が失われたか知るすべがなかった。それどころか、地球の誰かが通信の試みそのものに気づいているかさえ、確信できなかった。それでも月の事情について十八通もの長い報告を――完全に届いていれば長文になったはずの報告を――根気よく送り続けたことは、二年前に故郷の星を去って以来、いかに強くその心が故郷へ向いていたかを示している。
電磁的擾乱の記録の中に、ケイヴァーの明快な英語が織り込まれていると気づいたとき、ウェンディジー氏がどれほど驚いたか、想像してほしい。氏は私たちの途方もない月旅行を何も知らなかった。そこへ突然――虚空から英語が来たのだ!
この通信がどんな条件で送られたらしいか、読者にも理解しておいてほしい。月の内部のどこかで、ケイヴァーは確かに一時期、相当量の電気装置を利用できた。そしておそらく、こっそりと、マルコーニ式の送信設備を組み上げたらしい。それを不規則な間隔で動かせた。三十分ほどしか使えないときもあれば、三、四時間続けて使えるときもあった。その都度、月と地表の各地点の相対位置が絶えず変わることにはかまわず、地球へ通信を送った。そのため、また記録装置に避けられない不備があるため、通信は記録の上で、ひどく気まぐれに現れては消える。ぼやけ、不可解で、まったくもどかしい「フェードアウト」を起こす。それに加え、彼は熟練の通信士ではなかった。一般的な符号を一部忘れたか、初めから完全には習得しておらず、疲れると単語を抜かし、奇妙な綴り間違いをした。
おそらく通信の半分ほどは、完全に失われた。手元にあるものも、多くが損なわれ、途切れ、部分的に消えている。したがって以下の抄録には、相当の中断、欠落、話題の飛躍があると覚悟していただきたい。ウェンディジー氏と私は、ケイヴァーの全記録を注釈付きで刊行する準備を共同で進めている。使用装置の詳細な説明とともに、来年一月に第一巻を出したいと考えている。そちらが完全な科学的報告であり、本書はその一般向けの紹介にすぎない。だが、これまでの物語を完結させ、私たちの世界にこれほど近く、似ていながら、かくも異なる別世界のありさまを大づかみに示すだけの内容は、ここに収めてある。
第二十三章 ケイヴァー氏から最初に受信した六通の通信の抄録
ケイヴァー氏の初めの二通は、あの本格的な報告書に譲ってよいだろう。球体の製作と地球からの出発という事実を、より簡潔に述べているだけだからだ。細部にはいくつか興味深い食い違いがあるが、決定的に重要なものではない。全体を通じて、ケイヴァーは私を死者として扱っている。ただし月への着陸に話が近づくと、調子が奇妙に変わる。私を「哀れなベッドフォード」「この気の毒な青年」と呼び、「こうした冒険への備えがまるでない」青年を、「成功に必要な資質を疑いなく備えていた」惑星から誘い出し、これほど危険な行程へ連れ出したことを自責している。理論上の球体を現実のものにするうえで、私の行動力と実務能力が果たした役割を、彼は過小評価していると思う。「我々は到着した」と言うだけで、宇宙横断については、ごくありふれた汽車旅行でもしたかのように、ほとんど何も語らない。
それから、私に対する不公平さが増してくる。真理の探究を訓練してきた人間とは思えないほど、不公平になるのだ。私が先に書いた記録を読み返してみても、彼が私に対するより、私のほうが彼をずっと公正に扱ったと主張せずにはいられない。弁解はほとんどせず、何も隠さなかった。ところが彼の記述はこうだ――
「我々の状況と周囲の一切が異様であること――体重の激減、薄いが酸素の豊富な空気、それに伴う筋力の効果の増大、目立たぬ胞子からの奇怪な植物の急成長、不気味な空――が、同行者を過度に興奮させているのは、すぐ明らかになった。月では、その性格が悪化したようだった。衝動的で、無鉄砲で、喧嘩好きになった。ほどなく巨大な袋状の実をむさぼる愚を犯し、そのため酔いに陥って、我々はセレナイトに捕らえられた。彼らの習性を適切に観察する機会など、まだ少しも得ていなかった……」
(おわかりだろうが、自分も同じ「袋状の実」の誘惑に負けたことには、一言も触れていない。)
その先で彼はこう続ける。「我々と彼らの間に難しい局面が生じ、ベッドフォードは彼らのある身振りを誤解し」――結構な身振りだったこと! ――「恐慌に駆られて暴力に訴えた。暴れ回って三人を殺し、その暴行のあと、私もやむなく一緒に逃げた。その後、行く手を阻もうとする一団と戦い、さらに七、八人を殺した。私が再び捕らえられたとき即座に殺されなかったのは、彼らの寛容さをよく示している。我々は地表へ出て、球体を発見する可能性を増すため、到着した火口で別れた。だが、まもなく私はセレナイトの一団に遭遇した。それを率いていた二人は、これまで見たどの個体とも、体形からして奇妙に異なっていた。頭が大きく、体が小さく、はるかに念入りに包まれていたのだ。しばらく逃げたのち、私は裂け目へ落ち、頭をかなりひどく切り、膝蓋骨を脱臼した。這うにも激痛が走ったため、まだ許してくれるなら降伏しようと決めた。彼らはそれを認め、動けない私の状態を見て、再び月の内部へ運んでくれた。それ以来ベッドフォードの消息はなく、私の知るかぎり、どのセレナイトも見聞きしていない。火口で夜に襲われたか、それとも、こちらのほうがありそうだが、球体を見つけ、私を出し抜こうとひとりで飛び去ったのだろう。だが恐らく制御できず、宇宙でいっそう長く苦しむ最期を迎えたのではないか。」
こうしてケイヴァーは私を片づけ、もっと興味深い話へ移る。編集者としての立場を利用し、自分に都合よく彼の話を曲げていると思われたくはない。だが、これらの出来事への解釈には、ここで抗議せざるを得ない。血染めの紙にあえぐように記され、まるで違う話を伝えていた、あるいは伝えようとしていたあの文面には、何も触れていないのだ。あの堂々たる自発的な降伏という見方は、月の民の中で安全だと感じるようになってから生まれた、まったく新しい解釈だと、私は強調しておく。「出し抜く」という考えについては、ここまでの記述から読者に判断してもらってかまわない。自分が模範的人間でないことは承知しているし、そう装ったこともない。だが、私はそんな人間だろうか?
ともあれ、私への不当な扱いは以上で尽きる。ここからは、心穏やかにケイヴァーの報告を編集できる。もう私には触れないからだ。
彼を発見したセレナイトたちは、彼の言う「一種の気球」に乗せ、「大竪穴」を下って、内部のどこかへ運んだらしい。
このくだりのやや混乱した記述と、ほかの通信や後続の通信に散らばる言及や示唆を合わせると、「大竪穴」は巨大な人工竪穴網のひとつだとわかる。それぞれが、月のいわゆる「火口」から、中心部へ向かってほぼ百マイルも下っている。竪穴同士は横坑でつながり、深い洞窟へ枝分かれし、巨大な球状の空間へ広がる。実際、月の物質は、地表から百マイルの深さまで、岩の海綿にすぎないのだ。「この多孔性は」とケイヴァーは言う。「一部は自然のものだが、大部分は過去のセレナイトの膨大な労働による。掘り出した岩や土を輪状に積み上げた巨大な土手こそが、坑口を囲むあの大きな環の正体だ。地球の天文学者は、誤った類推に導かれて、それを火山と呼んでいる。」
彼らは、この「一種の気球」にケイヴァーを乗せ、竪穴を下った。初めは墨のような闇へ、やがて次第に燐光の増す領域へ入った。ケイヴァーの報告は、科学者にしては妙に細部に無頓着だが、この光は、中央海へ下るにつれてますます水量を増す流れや滝から生じたと読み取れる。「おそらく発光生物を含む」水である。そして降下するにつれ、「セレナイトたちも光を帯びてきた」という。
ついにはるか下に、熱のない火の湖のようなものが見えた。中央海の水だった。奇妙に騒ぎ、渦巻きながら光り、「ちょうど沸きかけた、青く光る牛乳のよう」だった。
「この月の海は」と、あとのくだりでケイヴァーは言う。「よどんだ海ではない。太陽の引力による潮汐が、月の軸のまわりを絶えず巡る流れを生む。奇妙な嵐や沸騰のような騒ぎ、奔流が起こり、ときには冷たい風と雷鳴めく響きが、上方の巨大な蟻塚の、忙しい通路へ吹き上がる。水は動くときだけ光を発する。まれに静まると、真っ暗になる。たいてい見るときは、油のように滑らかなうねりが上下し、光る泡沫のかけらや大きな筏が、ほのかに光る緩い流れに漂っている。セレナイトは、洞窟内の海峡や潟を、カヌーに似た浅い小舟で行き来する。月の支配者グランド・ルナーの周囲の回廊へ赴くより前に、私はこの海で短い遊覧を許された。
「洞窟や水路は当然、ひどく曲がりくねっている。その多くは、漁師の中でも熟練した水先案内人しか知らない。迷路に迷い込み、二度と戻らないセレナイトも珍しくない。聞くところでは、奥まった場所には奇怪な生物が潜んでいる。月のあらゆる科学をもってしても絶滅させられなかった、恐ろしく危険なものもいる。とりわけラファは、つかみかかる触手がもつれ合った塊で、切り刻めば増えるだけだ。またツェーは、疾走する姿を誰も見たことがないほど巧妙で、突然命を奪う……」
彼は、その情景をちらりと見せてくれる。
「この遊覧で、私はマンモス・ケーブについて読んだことを思い出した。あたり一面の青い光の代わりに黄色い松明があり、カヌーの後ろで機関を動かす石炭桶めいた顔のセレナイトではなく、がっしりした船頭が櫂を握っていれば、突然地球へ戻ったと思えただろう。周囲の岩は実にさまざまで、黒いもの、薄青く筋の走るものがあり、一度はサファイア鉱山へ入ったかのように、きらきら閃いた。下では、幽霊のように燐光を発する魚が、同じように光る深みに閃いては消えた。やがて、往来に使う水路の濁った流れに沿って、群青色の眺めが遠く開けた。船着き場が現れ、その先では、巨大な縦の通路の、混雑する竪穴を見上げることもあった。
「光る鍾乳石が重く垂れる大きな空間で、何艘もの舟が漁をしていた。その一艘に横づけし、腕の長いセレナイトが網を巻き上げるのを眺めた。小さく背の曲がった昆虫で、腕は非常に強く、脚は短いがに股、顔の面にはしわが寄っていた。引き上げる網は、月で見た何より重そうだった。重り――間違いなく金だろう――がたくさんつき、引き上げには長い時間がかかった。この海では、大きくて食用に適した魚ほど深みに潜むからだ。網の魚は、青い月が昇るように上がってきた。跳ね、のたうつ、青い光の塊だった。
「獲物には、たくさんの触手と邪悪な目を持つ、黒い生き物が交じっていた。猛烈に暴れ回り、漁師たちはそれを見ると、金切り声やさえずる声をあげ、素早く神経質な動きで小さな斧を振るい、切り刻んだ。切り離された肢はどれも、悪意に満ちたように、なおものたうち、打ちつけ続けた。のちに熱病にかかったとき、私は何度も夢に見た。未知の海から、あれほど生き生きと激しく浮かび上がってきた、あの憎々しく凶暴な生物を。月の内部の世界でこれまで見た生き物の中で、最も活発で、最も邪悪なものだった……。
「この海面は、月の地表からほぼ二百マイル、あるいはそれ以上も下にあるはずだ。聞けば、月の都市はすべて中央海のすぐ上にあり、先に述べた洞窟や人工の回廊に広がっている。外部とは巨大な竪穴でつながり、その口は決まって、地球の天文学者が月の『火口』と呼ぶ場所に開く。捕らわれる前に歩き回ったとき、そのひとつを覆う蓋を、私はすでに見ていた。
「月の中心から遠い部分については、まだ正確な知識をあまり得ていない。夜の間ムーンカーフが身を寄せる、巨大な洞窟網がある。屠畜場などもある――そのひとつで、私とベッドフォードはセレナイトの屠畜人と戦った――その後、肉を積んだ気球が、上方の闇から降りてくるのを見た。だが、こうしたことについての私の知識は、ロンドンに来たズールー人が同じ期間に学ぶ、英国の穀物供給事情ほどにも達していない。ただし、これらの竪穴と地表の植物が、月の大気を循環させ、新鮮に保つうえで不可欠な働きをしているのは明らかだ。ある時期、とりわけ初めて牢を出たときには、冷たい風が確かに竪穴を下っていた。その後は、私の発熱と時を同じくして、シロッコめいた熱風が吹き上がった。というのも、三週間ほどたった頃、私は正体の知れぬ熱病にかかったのだ。眠り、幸いポケットに入れていたキニーネ錠を飲んだが、月の支配者グランド・ルナーの前へ連れていかれる直前まで、病気は続き、惨めに苛立ち続けた。
「あの病の日々の惨めさについては、長々と述べまい」と彼は言う。
そして、そのあと実に長々と細部を語るのだが、ここでは省く。「体温は」と彼は締めくくる。「長いあいだ異常に高く、食欲はすっかり失せた。起きていてもぼんやりし、眠れば夢に苦しめられた。ある時期には、衰弱のあまり地球が恋しくなり、ほとんどヒステリーに陥ったのを覚えている。どこまでも続く青を破る別の色が、耐えがたいほど恋しかった……」
やがてまた、海綿状の岩に閉じ込められた月の大気の話へ戻る。天文学者や物理学者に聞くと、彼の語ることはすべて、既知の月の状態と完全に一致するという。地球の天文学者に、大胆な帰納を最後まで押し進める勇気と想像力があれば、月の全体構造についてケイヴァーが語ることのほとんどは予言できたはずだ、とウェンディジー氏は言う。今ではほぼ確実に、月と地球は衛星と主星というより、一つの塊から生じた小さな姉妹と大きな姉妹で、したがって同じ物質から成るとわかっている。月の密度は地球の五分の三しかないのだから、内部に巨大な洞窟網があると考えるほかない。星々の滑稽な面を最も愉快に説く王立協会会員サー・ジェイベズ・フラップは、そんな簡単な推論を知るために、わざわざ月へ行く必要などなかったと言い、グリュイエールを持ち出して洒落を添えた[訳注:穴の多いチーズと、月をチーズに見立てる俗説を踏まえる]。だが、それなら月の内部が空洞だという知識を、もっと早く公表してもよかったはずだ。月が空洞なら、空気も水もないように見えることは、もちろん容易に説明できる。海は洞窟の底にあり、空気は単純な物理法則に従い、巨大な海綿状の回廊を通って動く。月の洞窟は概して風の強い場所なのだ。太陽光が月を巡ると、その側の外層の回廊の空気は温められて圧力が増す。一部は地表へ流れ出し、火口で蒸発する空気に混じる。そこでは植物が二酸化炭素を取り除く。一方、大部分は回廊を巡り、日光の去った側で冷えて収縮する空気を補う。そのため外層の回廊には常に東向きの風が吹き、月の昼間には竪穴を上昇気流が流れる。もちろん、回廊のさまざまな形状と、セレナイトの巧妙な工夫によって、その流れはひどく複雑になる……。
第二十四章 セレナイトの博物誌
ケイヴァーの第六通から第十六通までの通信は、大部分がひどく途切れ、繰り返しも多く、連続した物語にはほとんどならない。もちろん科学報告書には全文を収めるが、ここでは前章と同じように、要約と引用を続けるのがはるかに便利だろう。私たちは一語一語を綿密に検討した。月での短い経験から残った私の記憶や印象は、それがなければまったく解けなかった謎を読み取るうえで、計り知れない助けになった。そして当然ながら、生き物である私たちの関心は、月世界の物理的状態そのものより、ケイヴァーが賓客として暮らしていたらしい、あの月の昆虫の奇妙な社会へ、はるかに強く向けられる。
私の見たセレナイトが、直立し、四肢を持つ点で人間に似ていたことは、すでにはっきり述べたと思う。頭の全体的な姿と、肢の関節のつき方は昆虫にたとえた。また、月の重力の弱さが、その華奢で壊れやすい体に及ぼす独特の影響にも触れた。ケイヴァーはこれらすべてを裏づけている。彼はそれを「動物」と呼ぶが、もちろん地球の生物分類のどこにも属さない。そして「昆虫型の体の構造は、人類にとって幸いなことに、地球では比較的小さな大きさを超えることがなかった」と指摘する。
実際、現生種でも絶滅種でも、地球の最大の昆虫は体長六インチに達しない。「だがここでは、月の弱い重力のもと、少なくとも脊椎動物であるのと同程度には昆虫である生物が、人間並み、さらには人間以上の大きさへ達しえたらしい。」
彼は蟻に言及しない。だが彼の記述のどこからも、私の脳裏には絶えず蟻が浮かぶ。眠らぬ活動、知能と社会組織、体の構造、そして何より、ほとんどの動物が持つ雄と雌の二つの形態のほかに、働き蟻、兵隊蟻など、性のない幾種類もの個体がいるという点で。構造も性質も能力も役割も違うが、すべて同じ種に属している。セレナイトもまた、実に多様な姿を持つのだ。もちろん蟻とは大きさが桁違いであるばかりでなく、少なくともケイヴァーの意見では、知能、道徳、社会的知恵において、人間を桁違いにしのぐ。そして蟻に見られる四、五種類の形態どころか、セレナイトにはほとんど数え切れぬ形態がある。私は、たまたま出会った外殻部のセレナイトの間にも、かなりの違いがあることを示そうと努めた。大きさや体の比率の差は、人間の最もかけ離れた人種間の差に匹敵したのは確かだ。だがケイヴァーの語る巨大な隔たりに比べれば、私の見た差異など無に等しい。私の見た外層のセレナイトは、実際には大半が近い職業に就いていたらしい。ムーンカーフの牧夫、屠畜人、解体工などだ。だが私がほとんど想像もしなかった月の内部には、大きさも、各部の比率も、能力も姿も違う、ほかの種類がいくつもいる。それでも別種の生物ではなく、同じ種の異なる形態にすぎない。どんな変化にも、種の同一性を示す共通の似姿が残っている。月は実際、一種の巨大な蟻塚なのだ。ただし蟻が四、五種類ではなく、数百種類のセレナイトがいて、その間にほとんどあらゆる中間形態がある。
ケイヴァーは、それをかなり早く知ったらしい。明記されているというより記述からの推測だが、彼を捕らえたのは、「頭蓋〔頭部か? 〕が大きく、脚がずっと短い」別種のセレナイトに率いられた、ムーンカーフの牧夫だった。
突き棒で追っても歩けないとわかると、彼らはケイヴァーを闇へ運び、板のように細い橋を渡った。私が拒んだ、あの橋だったかもしれない。そして初めは昇降機のように思えたはずのものへ、彼を下ろした。それが気球だった。闇の中では、私たちにはまったく見えなかったに違いない。私にはただ虚空へ板を渡して歩かせるように見えたものは、実際には間違いなく、乗り込み用の渡り板だったのだ。それに乗って彼は、次第に光を増す月の洞窟へ降りていった。初めはセレナイトのさえずり以外、静かだった。やがて風の動く気配の中へ入った。深い闇で目が鋭敏になり、ほどなく周囲が少しずつ見え始め、最後にはおぼろなものが形を取った。
「巨大な円筒形の空間を想像してほしい」と、第七通でケイヴァーは言う。「差し渡し四分の一マイルほどだろうか。初めはごく暗く、それから明るくなる。側面には広い足場が螺旋を描いて下り、ついには青い深淵へ消えていく。そして光はさらに明るくなるが、どうしてか、なぜかはわからない。これまで見下ろした最大の螺旋階段の吹き抜けか、昇降機の竪穴を思い浮かべ、それを百倍にしてほしい。それを夕暮れ、青いガラス越しに見るのだ。自分がそこを見下ろしていると想像してほしい。ただし体は途方もなく軽く、地球で感じるような目まいはすっかり消えている。そこまで想像すれば、私の印象の基本はつかめる。この巨大な竪穴を、広い回廊が取り巻いている。地球では考えられないほど急な螺旋を描く、険しい道だ。深淵との間には低い胸壁しかなく、その壁も二マイルほど下で、遠近の中に消えていく。
「見上げると、下の眺めとそっくりのものがあった。当然、ひどく細長い円錐をのぞくように見えた。竪穴を風が吹き下りていた。はるか上では、夕方の地表の放牧場からまた追い込まれてくるムーンカーフの鳴き声が、次第に遠のくのを聞いた気がする。螺旋の回廊の上下には、青白く、ほのかに光る月の民が大勢散らばり、我々を眺めたり、何かの用事に忙しくしていた。
「気のせいか、雪片がひとつ、氷のような風に漂い降りた。それから、雪片のように落ちてくる小さな姿があった。小さな人間昆虫が、落下傘にしがみつき、月の中心部へ向かって、すばやく降下していった。
「隣に座っていた頭の大きなセレナイトは、私が何かを見るように頭を動かすのに気づくと、象の鼻のような『手』で、はるか下に見え始めた桟橋めいたものを指した。虚空へ突き出た小さな船着き場のようだった。それがこちらへ迫るにつれ、速度は急速に落ち、ほんの数瞬で横に並び、静止したように思えた。係留索が投げられ、つかまれた。私は、押し合って私を見ようとする大勢のセレナイトと同じ高さまで、引き寄せられた。
「信じがたい群衆だった。月の生き物たちの間にある途方もない多様さが、突然、強烈に目を奪った。
「実際、押し合う群衆の中に、同じ姿のものは二人といないようだった。形も違えば大きさも違う。セレナイトという形態を主題に、あらゆる恐ろしい変奏を奏でていた! 膨れ上がり、張り出す者がいれば、仲間の足元を走り回る者もいた。誰もが、何らかの方法で人間をまねることに成功した昆虫という、奇怪で不穏な感じを与えた。だが、どの者も特定の特徴が信じがたいほど誇張されているようだった。一人は右の前肢が巨大で、いわば巨大な触角の腕を持っていた。一人は脚ばかりで、竹馬に乗っているようだった。別の一人は顔の面の縁が鼻めいた器官へ突き出し、表情なく開く口に気づくまでは、はっとするほど人間に似ていた。ムーンカーフの牧夫の、奇妙で、大顎と触肢がないほかは昆虫そっくりの頭は、実に信じがたい変形を遂げていた。幅広く平たいもの、高く細いもの。革のような額から角や奇怪な突起を伸ばすもの。ひげ状に分かれたもの。異様に人間めいた横顔のもの。とりわけ目立つ変形があった。頭蓋が袋のように巨大に膨れ、顔の面がごく小さく縮んだ者が何人もいた。頭が微小になるほど縮み、体ばかり丸く膨らんだ驚くべき姿もあった。面の下部から突き出す、巨大なラッパ状の器官の土台としてのみ存在するかに見える、途方もなく華奢なものもいた。そしてそのとき何より奇妙に思えたのは、何マイルもの岩に太陽も雨も遮られた、この地下世界の奇怪な住人のうち二、三人が、触手の手に傘を持っていたことだ。まさに地球の傘のような傘を! そこで私は、先ほど見た落下傘の降下者を思い出した。
「月の民の振る舞いは、同じ状況の人間の群衆とまったく変わらなかった。押し合い、突き合い、互いを脇へ押しのけ、私をひと目見ようと、仲間の上へよじ登りさえした。刻々と数を増し、案内役の円盤へ、ますます激しく押し寄せた」――この円盤が何か、ケイヴァーは説明しない――「刻々と新しい姿が影から現れ、呆然とする私の注意を強引に奪った。やがて私は合図され、助けられて一種の輿へ乗り、腕の強い担ぎ手の肩に持ち上げられた。薄闇の中、沸き立つ群衆の上を、月に用意された私の居室へ運ばれた。周囲は目、顔、面ばかりだった。甲虫の翅が擦れるような、革めいた音。そしてセレナイトの、羊に似た鳴き声や、蟋蟀めいたさえずりが満ちていた。」
彼は「六角形の部屋」に運ばれ、しばらく閉じ込められたらしい。その後、自由は大きく広がった。実際、地球の文明都市にいるのとほぼ同程度に自由になった。そして月の統治者であり支配者でもある謎の存在が、「頭の大きい」二人のセレナイトを、彼の監視と研究、そして可能なかぎりの意思疎通のために任命したらしい。驚くべき、信じがたいことだが、その二体、その異様な人間昆虫、その異世界の生き物たちは、ほどなく地球の言語でケイヴァーと話すようになった。
ケイヴァーは二人をファイ・ウー、ツィ・パフと呼ぶ。ファイ・ウーは高さ約五フィート、細く小さな脚は約十八インチで、足も月でよく見る型の華奢なものだった。その上に小さな胴が釣り合いを保ち、心臓の鼓動に脈打っていた。腕は長く柔らかく、多くの関節を持ち、先端は触手でつかむ仕組みだった。首も普通どおり多関節だが、例外的に短く太かった。その頭について、ケイヴァーは――宇宙のどこかへ消えた以前の記述に触れているらしい――こう言う。「月の普通の型だが、奇妙に変形している。口は例によって表情なく開くが、ひどく小さく、下を向いている。面は大きな平たい鼻覆いほどに縮んでいる。その両側に小さな目がある。
「頭の残りは巨大な球へ膨らみ、ムーンカーフの牧夫に見られるキチン質の革めいた表皮は、薄い膜にすぎなくなっている。その向こうに脳の脈動がはっきり見える。実際、脳が猛烈に肥大し、それ以外の器官は、相対的にも絶対的にも矮小化した生き物なのだ。」
別のくだりでは、その後ろ姿を、世界を支えるアトラスにたとえている。ツィ・パフもよく似た昆虫だったらしいが、「顔」がかなり長く伸び、脳の肥大する部位も違ったため、頭は丸くなく、軸を下にした梨形だった。ケイヴァーの従者にはそのほか、肩が巨大で左右の釣り合わぬ輿の担ぎ手、蜘蛛そっくりの案内役、ずんぐりした足の世話係もいた。
ファイ・ウーとツィ・パフが言葉の問題へ取り組んだ方法は、かなりわかりやすい。ケイヴァーを閉じ込めた「六角形の小部屋」へ入り、咳から始めて、彼の発する音を何でもまねたのだ。彼はすぐ意図を察し、言葉を繰り返し、指で示してその意味を教え始めたらしい。手順はおそらくいつも同じだった。ファイ・ウーがしばらくケイヴァーに注意を集中し、それから自分も指を差して、聞いた言葉を言う。
最初に覚えたのは「人間」、次が「ムーニー」だった。ケイヴァーは月の種族を、咄嗟に「セレナイト」でなくそう呼んだらしい。意味が確かになると、ファイ・ウーはその言葉をツィ・パフに繰り返し、ツィ・パフは絶対に忘れず記憶した。最初の授業で、百を超える英語の名詞を覚えた。
その後は画家を連れてきて、素描や図で説明を助けたらしい。ケイヴァーの絵はかなり粗末だったからだ。「よく動く腕と、目を引く眼を持つ生き物だった」とケイヴァーは言う。信じがたい速さで絵を描いたらしい。
第十一通は、間違いなくもっと長い通信の断片にすぎない。意味不明の途切れた文がいくつか続いたあと、記録はこうなる――
「だが、これを発端とする一連の熱心な会談を詳述しても、言語学者以外の興味は引かず、話が長くなりすぎるだろう。それに、互いを理解するためにたどった曲がりくねる道筋のすべてを、まともな順序で語れるかどうか、私自身ひどく怪しい。動詞はすぐ容易になった。少なくとも、絵で表せる動作の動詞なら。一部の形容詞も簡単だった。だが抽象名詞、前置詞、地球で多くを伝えるために使うありふれた比喩になると、コルクの救命胴衣を着て潜水するようなものだった。実際、この難関は、六回目の授業に四人目の助手が来るまで越えられなかった。その者は巨大なフットボール形の頭を持ち、複雑な類推をたどるのが明らかに得意だった。考え事に没頭した様子で入ってきて、腰掛けにつまずいた。問題を理解させるには、かなり騒ぎ、たたき、つついて、注意をこちらへ向けさせねばならなかった。だが一度取りかかると、洞察力は驚くべきものだった。決して狭くはないファイ・ウーの思考範囲を超える必要が生じるたび、この長円形の頭の人物が頼りにされた。ただし結論は必ず、記憶させるためツィ・パフへ伝えた。ツィ・パフはいつも事実の貯蔵庫だった。こうして我々はまた前進した。
「長くもあり、短くも思えたが、数日すると、私は確かに月の昆虫たちと話していた。もちろん初めの意思疎通は、果てしなく骨が折れ、苛立たしいものだった。だが気づかぬうちに理解へ育ってきた。そして私の忍耐も、その限界に合わせて育った。話すのはすべてファイ・ウーだ。考えをまとめるような、ためらうような『うーむ、うーむ』を大量に交え、『言わせてもらえば』『わかるなら』といった言い回しを一つ二つ拾い、言葉のあちこちに数珠のようにつなぐ。
「話しぶりはこうだ。画家の説明をしているところを想像してほしい。
「『うーむ、うーむ――あいつ――言わせてもらえば――描く。食う少し――飲む少し――描く。描く好き。ほか何もない。あいつみたい描かない者、みな嫌い。怒る。あいつみたい描く、もっと上手な者、みな嫌い。たいていの者嫌い。世界全部、描くためと思わない者、みな嫌い。怒る。うーむ。あいつ、何も意味ない――描くだけ。お前好き……わかるなら……。新しい描く物。醜い――目立つ。え?
「『あいつ』――ツィ・パフを向いて――『言葉覚える好き。誰よりすごく、たくさん覚える。考えない、描かない――覚える。言う』――ここで言葉を求め、有能な助手に聞いた――『歴史――何もかも。一度聞く――いつでも言う。』
「この永遠の薄闇の中で、この異様な生き物たち――見慣れてさえ、人間ならぬ姿の印象は少しも薄れない――が、次第に筋の通った地球の言葉へ近づく声を絶えず発し、問い、答えるのを聞く。その驚きは、もう二度と味わえまいと思っていたほど大きい。蟻とキリギリスが話し合い、蜜蜂が裁きを下した、童話に耳を傾けた幼年期へ、逆戻りするようだ……」
こうした語学の訓練とともに、ケイヴァーの拘束はかなり緩んだらしい。「あの不幸な衝突が引き起こした最初の恐怖と不信は」と彼は言う。「私がいつも慎重で理性的に行動するにつれ、着実に消えつつある……。今では望むままに出入りできる。制限されるとしても、私自身のためだけだ。だからこの装置を利用できたし、この巨大な貯蔵洞窟に散らばる材料の中で幸運な発見をしたおかげで、こうして通信を送れるようになった。今のところ、地球へ信号を送っているとファイ・ウーにはっきり説明したにもかかわらず、妨害はまったくない。
「『ほかの者に話す?』と、見ていた彼が尋ねた。
「『ほかの者たちだ』と私は言った。
「『ほかの者たち』と彼は言った。『ああ、そう、人間?』
「私は送信を続けた。」
新たな事実が次々に結論を修正させるため、ケイヴァーはセレナイトについての以前の記述を、絶えず訂正していた。したがって、以下の引用には多少の留保が必要だ。第九通、第十三通、第十六通から採ったもので、全体に曖昧で断片的ではあるが、おそらく、この奇妙な社会の生活について、人類が今後何世代にもわたって望みうる、最も完全な像を伝えるものだろう。
「月では」とケイヴァーは言う。「市民の誰もが自分の持ち場を知っている。その持ち場のために生まれ、訓練、教育、外科処置を組み合わせた精緻な規律を受けて、最後には完璧に適合する。それ以外の目的のための思想も器官も、持たなくなるのだ。『なぜ必要?』とファイ・ウーなら聞くだろう。たとえば数学者となる運命のセレナイトがいれば、教師や訓練者はすぐその目標へ取りかかる。他の仕事への傾向は芽のうちに抑え、完璧な心理学的手腕で数学への傾向を育てる。脳が、少なくとも脳の数学的能力が発達し、体のほかの部分は、この不可欠な部分を支えるのに必要なだけ育つ。やがて休息と食事を除けば、自分の能力を働かせ、示すことだけが喜びとなり、その応用だけが関心となり、同じ専門の者だけが交際相手となる。脳は絶えず大きくなる。少なくとも数学に関わる部分はそうだ。その部分はますます膨れ、体の残りから生命と活力を吸い尽くすように見える。肢は萎縮し、心臓と消化器は小さくなり、昆虫の顔は膨れた輪郭の下に隠れる。声は数式を述べるための、ただの擦れる音になる。適切に示された問題以外には、耳を貸さないように見える。突然逆説を発見したときを除き、笑う能力は失われる。最も深い感情は、新しい計算の展開だ。こうして目的を達する。
「あるいは、ムーンカーフの牧夫に定められたセレナイトは、ごく幼い頃から、考えることも暮らしもムーンカーフ一色となるよう導かれる。その知識を喜びとし、世話や追跡を運動とする。しなやかで敏捷な体へ訓練され、『粋なムーンカーフ飼い』をなす、きつい包帯や角張った姿を見慣らされる。ついには月の深部に何の興味も持たず、自分ほどムーンカーフに詳しくないセレナイトを、無関心、嘲笑、あるいは敵意で見る。思いはムーンカーフの牧草地にあり、話す言葉は洗練されたムーンカーフの専門語だ。こうしてやはり仕事を愛し、自らの存在を正当化する務めを、完全な幸福のうちに果たす。どの種類、どの地位のセレナイトも同じだ。一人ひとりが、世界という機械の完璧な部品なのである……。
「知的労働を担う大頭の者たちは、この奇妙な社会の一種の貴族をなす。その頂点、月の精髄として君臨するのが、あの驚異の巨大な神経節、グランド・ルナーだ。私はやがてその前に出ることになる。知的階級の精神が際限なく発達できるのは、月の生物の体に、骨の頭蓋がないためだ。人間の成長する脳を締めつけ、そのあらゆる可能性に『ここまでだ、それ以上はならぬ』と命じる、あの奇妙な骨の箱がない。彼らは大きく三階級に分かれ、影響力も敬意の受け方も大いに異なる。第一は、ファイ・ウーの属する行政官。かなりの自主性と多才さを持ち、それぞれ月の一定の体積を担当する。第二は、フットボール頭の思索家のような専門家で、特定の作業を行うよう訓練される。第三は、あらゆる知識の保管庫たる博識者だ。月で最初の地球言語教授、ツィ・パフはこの最後の階級に属す。彼らについては、興味深い小さな事実がある。月の脳は無限に成長できるため、人類の歩みを特徴づけてきた、思考を助ける機械的手段の発明が、いっさい不要になったのだ。本も、いかなる記録も、図書館も碑文もない。あらゆる知識は膨らんだ脳に蓄えられる。テキサスの蜜蟻が、膨らんだ腹に蜜を蓄えるように。月のサマセット・ハウス[訳注:当時、英国の公的記録を保管していた施設]も、月の大英博物館図書館も、生きた脳の集合なのだ……。
「専門化の程度が低い行政官たちは、出会うとたいてい私に強い関心を示す。わざわざ近づいてきて、じっと見つめ、質問する。それにはファイ・ウーが答える。彼らは担ぎ手、従者、呼び声役、落下傘持ちなどを従え、あちこち行き来する。奇妙な一行だ。専門家はたいてい、互いを無視するのと同様、私も完全に無視する。あるいは気づくと、騒々しく自分の特技を披露し始める。博識者は多くの場合、何も通さぬ、脳卒中じみた自己満足に浸り、その博識を否定されることによってしか目覚めない。普通は小さな見張りや従者に導かれて歩く。しばしば、小柄で活発そうな者がつき添っている。たいてい小さな雌で、一種の妻ではないかと思う。だが深遠な学者の中には、大きすぎてまったく歩けず、桶のような輿で運ばれる者もいる。揺れ動く知識のゼリーであり、私は敬意と驚きを覚える。こうして電気のおもちゃで遊ばせてもらえる場所へ来る途中、たった今、一人とすれ違った。巨大な、剃ったような、震える頭。禿げて皮膚が薄く、奇妙な担架に乗っていた。前後を担ぎ手が行き、ほとんどラッパのような顔をした奇妙な触れ役が、その名声を叫び立てた。
「知識階級の大半に従者がつくことは、すでに述べた。案内役、担ぎ手、身の回りの世話係。いわば外付けの触手と筋肉であり、肥大した精神の退化した身体能力を補う。荷運び人はほとんど必ず伴う。また、蜘蛛のような脚と、落下傘をつかむ『手』を持つ、きわめて足の速い伝令や、死者さえ起こしかねぬ発声器官を持つ従者もいる。彼らは、指揮する知性から離れると、傘立ての傘と同じほど無気力で無力だ。従うべき命令、果たすべき務めとの関係の中にしか存在しない。
「だが、螺旋の道を行き来し、上昇する気球を満たし、薄い落下傘にしがみついて私の前を降りていく昆虫の大半は、労働者階級らしい。実際、その一部は文字どおり『機械の手』なのだ。比喩ではない。ムーンカーフの牧夫にある一本の触手が、引っかけ、持ち上げ、導くために著しく変形し、残りの体は、この重要な部分に必要な付属物にすぎない。鐘を鳴らす機構を扱うと思われる者は、聴覚器官が巨大に発達している。精密な化学作業に携わる者は、大きな嗅覚器官を突き出している。また踏み板を踏むため、関節が固着した平たい足を持つ者もいる。ガラス吹きだと教えられた者などは、肺でできたふいごにしか見えない。だが、私が働くところを見た普通のセレナイトは、誰もがその社会的必要に見事に適応していた。精密な仕事は、精密に小型化された、驚くほど小さく整った労働者が行う。手のひらに載せられる者もいる。肉焼き串を回す役に似た種類も、非常にありふれている。さまざまな小器具へ動力を供給することが、務めであり唯一の喜びだ。そしてこれらを統御し、ときに逸脱した性質が示す誤った傾向を正すのが、月で見た中で最も筋肉の発達した者たちだ。一種の月の警察であり、幼い頃から、膨らんだ頭への完璧な敬意と服従を訓練されてきたに違いない。
「こうした各種の労働者を作る過程は、実に奇妙で興味深いはずだ。まだよくわからないが、ごく最近、前肢だけを突き出す壺に閉じ込められた、何人もの幼いセレナイトを見かけた。特定の機械を扱う係になるよう、圧縮されていたのだ。この高度に発達した技術教育では、外へ伸びた『手』を刺激物で刺激し、注射で栄養を与える一方、体の残りは飢えさせる。聞き違いでなければ、ファイ・ウーは、この奇妙な小さな生き物たちは初期には、それぞれの窮屈な姿勢で苦痛の兆候を示しがちだが、じきに境遇に慣れると説明した。それから私を、融通の利く頭を持つ伝令たちが、引き伸ばされ、仕込まれている場所へ連れていった。まったく不合理だとはわかっているが、こうした教育方法を垣間見ると、不快になる。だがいずれ慣れて、彼らの驚くべき社会秩序のこの側面を、もっと見られるようになりたい。壺から突き出たあの惨めな手の触手は、失われた可能性を、力なく訴えているようだった。今も忘れられない。もちろん最終的には、子供を人間に育ててから機械にしてしまう地球のやり方より、はるかに人道的なのだが。
「つい最近、たしかこの装置を訪ねる十一回目か十二回目のとき、労働者たちの生活について、奇妙なことがわかった。いつもの螺旋の道を下り、中央海の岸壁を通る代わりに、近道を案内されていた。暗く長い回廊の曲がりくねりを抜けると、巨大で天井の低い洞窟へ出た。土の匂いが満ち、この暗闇の中にしてはかなり明るかった。光の源は、青白い菌類めいたものの乱雑な繁茂だった。中には地球の茸にひどく似たものもあったが、丈は人間と同じか、それ以上あった。
「『ムーニーはこれを食べるのか?』と私はファイ・ウーに尋ねた。
「『そう、食べ物。』
「『おや!』と私は叫んだ。『あれは何だ?』
「茎の間に、ひときわ大きく不格好なセレナイトが、うつぶせで動かず横たわっているのが目に入ったのだ。我々は立ち止まった。
「『死んでいるのか?』と尋ねた。(月ではまだ死者を見ておらず、気になっていたのだ。)
「『違う!』とファイ・ウーは叫んだ。『あいつ――労働者――仕事ない。それで少し飲む――眠らせる――必要になるまで。起きて何の役、え? 歩き回る必要ない。』
「『あそこにもいる!』と私は叫んだ。
「実際、見れば、広大な茸の畑のそこかしこに、体を伏せた者たちがいた。月が彼らを必要とするまで、麻酔薬で眠らされているのだ。さまざまな種類が何十人もいた。何人かをひっくり返し、以前より詳しく調べることができた。そうすると大きな寝息を立てたが、目覚めなかった。一人は、とりわけはっきり覚えている。光と姿勢の加減で、体を縮めた人間を強く思わせたため、印象が残ったのだろう。前肢は長く繊細な触手で、何か精密な手仕事をする者だった。その寝姿には、従順に耐える苦しみが感じられた。そう読み取ったのは間違いに違いないが、私はそう感じた。ファイ・ウーがまた、青白い肉質の茎の間の闇へ転がすと、私ははっきり不快になった。転がった姿には、紛れもなく昆虫の正体が現れたのに。
「これは単に、人がいかに無意識に感情の習慣を身につけるかを示すものだ。不要になった労働者に薬を飲ませ、脇へ置くのは、工場から追い出し、飢えて街をさまよわせるより、確かによい。複雑な社会では、専門労働の雇用には、どうしてもある程度の断続が生じる。この方法なら、『失業』問題の苦しみは完全に未然に防がれる。それなのに、科学の訓練を受けた精神でさえ、何と不合理なのか。あの静かに光る肉質の柱廊の間に伏した姿を、今も快く思い出せない。遠回りになり、騒がしく混雑する不便を忍んでも、私はその近道を避けている。
「代わりの道は、大きな薄暗い洞窟を迂回する。そこはひどく混み、騒がしい。そしてそこでは、蜂の巣のような壁の六角形の穴から顔をのぞかせたり、奥の広い空き地を堂々と歩いたり、玩具や護符を選んだりする者たちを見る。品物は、下の犬小屋めいた工房で働く、繊細な触手を持つ宝飾職人が、彼女たちを喜ばせるために作る。月世界の母たち、いわば巣の女王蜂だ。堂々とした生き物で、幻想的に、ときには実に美しく飾られ、誇り高く身を運ぶ。口を除けば、頭はほとんど顕微鏡的に小さい。
「月の雌雄の事情、セレナイトの結婚や出産などについては、まだほとんど学べていない。だがファイ・ウーの英語が着実に進歩するにつれ、私の無知も着実に薄れるだろう。蟻や蜂と同じく、この社会の大多数は中性なのだと思う。もちろん地球の都市にも、今では人間本来の親となる生を送らない者が大勢いる。ここでは蟻と同じように、それが種族の通常の状態となった。必要な世代の補充はすべて、特別で、決して数の多くないこの母体の階級に担われている。月世界の母たち、大きく堂々とし、幼虫のセレナイトを産むのに見事に適した者たちだ。ファイ・ウーの説明を取り違えていなければ、彼女たちは産んだ子を慈しみ育てることが、まったくできない。愚かに甘やかす時期と、攻撃的で乱暴な気分とが交互に来る。そこで、柔らかく、ぶよぶよで、淡い色をした幼体は、できるだけ早く、独身の雌へ預けられる。いわば雌の『労働者』であり、中には雄に近い大きさの脳を持つ者もいる。」
残念ながら、通信はまさにここで途切れた。この章をなす材料は断片的で、もどかしい。それでも、まったく異質で驚異的な世界の、おぼろながら広い印象を与えてくれる。私たちの世界が、いつ向き合わねばならなくなるか知れぬ世界だ。途切れ途切れに流れ込む通信、山腹の静寂にささやく記録針の音は、人類がこれまでほとんど想像もしなかった生活条件の変化を告げる、最初の警告なのだ。私たちの衛星には、新しい元素、新しい装置、伝統、圧倒的な新思想の雪崩がある。主導権をめぐり、いつか必ず争わねばならぬ異種族がいる。そして、鉄や木と同じほどありふれた金がある……。
第二十五章 グランド・ルナー
最後から二番目の通信には、ケイヴァーと、月の統治者ないし支配者であるグランド・ルナーとの会見が、ときに微に入り細をうがって描かれている。ケイヴァーはその大部分を妨げられることなく送信できたらしいが、終わり近くで中断を余儀なくされたようだ。その次の通信が届いたのは、一週間後だった。
最初の通信はこう始まる。「ようやくこの続きを再開できる――」そこからしばらく判読不能となり、ややあって、文の途中から再び読み取れるようになる。
次の一文で欠けている言葉は、おそらく「群衆は」である。
そのあとは、きわめて明瞭だ。「グランド・ルナーの宮殿に近づくにつれて、ますます密になった――掘り抜かれた洞窟の連なりを、宮殿と呼んでよければの話だが。いたるところから顔が私を見つめていた――キチン質の、表情のない、ぽかんと口を開けた顔や仮面のような顔。途方もなく発達した嗅覚器官の上からのぞく目、異様に大きな額板の下の目。その足もとでは、下生えさながらの小さな生き物たちが、甲高く鳴きながら身をかわしていた。長い節を持つしなやかな首の先に兜のような顔を載せたものが、肩越しや脇の下から首を伸ばしてのぞき込んでいた。私のまわりには、ありがたいことに十分な空間が保たれていた。石炭バケツのような頭をした無表情な衛兵たちが、輪を作って行進していたからだ。中央海の水路を進んできた船を降りたときから、私たちについてきた者たちだった。あの、小さな脳を持つ目ざとい絵師も加わっていたし、痩せた運搬係の虫たちが大勢ひとかたまりになり、私の身分には欠かせないとされた、山ほどの身のまわり品の重みによろめきながら、懸命に運んでいた。道のりの最後の区間では、私は輿に乗せられた。この輿は、私の目には黒ずんで見える、きわめてしなやかな金属を網状に編み上げ、より淡い色の金属棒を取りつけたものだった。進む私を取り巻くように、長く入り組んだ行列が形を整えていった。
「先頭には伝令よろしく、ラッパのような顔の生き物が四匹、すさまじい音を吹き鳴らしながら進んでいた。そのあとには、ずんぐりした体で迷いなく歩く儀礼係が前後を固め、両側には学識豊かな頭脳のそうそうたる顔ぶれが並んだ。いわば歩く百科事典であり、ファイ・ウーの説明では、グランド・ルナーのまわりに控え、照会に応じる役目なのだという。(月の科学のどんな事項も、どんな観点も思考法も、この驚くべき者たちの頭に収まっていないものはなかった!)そのあとに衛兵と運搬係、続いて、やはり輿に乗せられたファイ・ウーの震える脳。次は、やや格の落ちる輿のツィ・パフ。それから、どの輿よりも優美な輿に乗り、飲食の世話係に取り囲まれた私。そのあとにまたラッパ吹きたちが続き、猛烈な叫び声で耳をつんざいた。さらにいくつもの巨大な脳が続いた。特派員、あるいは史官とでも呼ぶのがふさわしいだろう。この画期的な会見を、細大漏らさず観察し記憶する役目を負っていた。旗や、芳香を放つ菌類の塊や、奇妙な標章を掲げたり引きずったりする従者の一団は、後方の闇に消えていた。道の両脇には、鋼のようにきらめく装束をまとった儀礼係と役人が並び、その列の向こうには、薄闇を見通せるかぎり、膨大な群衆の頭がどこまでも続いていた。
「白状すれば、セレナイトの外見がもたらす独特の感覚には、今なおまったく慣れていない。いわば、興奮した昆虫群の大海に漂う身となるのは、決して愉快なことではなかった。ほんのしばらく、世にいう『恐怖の発作』とはこういうものかと思う感覚に襲われた。月の洞窟では以前にもあったことだ。武器も持たず、背後も守られぬまま、セレナイトの群れの中にいると気づいた折などに起きたのだが、これほど鮮烈なものは初めてだった。むろん、これ以上ないほど理屈に合わない感情であり、徐々に抑えられるようになりたいとは思う。だが一瞬、巨大な群衆のうねりの中へ運ばれてゆくときには、輿を固く握り締め、ありったけの意志を振り絞って、ようやく叫び声を上げたり、似たような醜態をさらしたりせずに済んだ。三分ほど続いただろうか。そのあと、私はどうにか落ち着きを取り戻した。
「しばらく縦穴をらせん状に上ってから、ドーム形の天井を持ち、手の込んだ装飾を施された巨大な広間を次々に通り抜けた。グランド・ルナーのもとへ至る道は、その偉大さをまざまざと印象づけるよう、確かに計算されていた。新たな洞窟に入るたび、それまでよりも大きく、天井のアーチもいっそう壮大に感じられた。進むほどに規模が増すこの効果をさらに強めたのが、かすかな青い燐光を帯びた香の薄もやだった。奥へ行くにつれて濃くなり、近くの姿の輪郭さえぼかしてしまう。私は絶えず、より大きく、よりおぼろで、より実体のない何かへと近づいてゆくようだった。
「白状すると、この大群衆に囲まれて、私は自分がひどくみすぼらしく、場違いに思えてならなかった。髭は伸び放題、身なりも乱れていた。剃刀を持ってこなかったので、口のまわりにはごわごわした髭が生えていた。地球では昔から、清潔をほどほどに保つ以上に身なりへ気を遣うことなど、軽蔑してきた。だが、いま置かれた状況は特別だった。自分の惑星と種族を代表し、しかるべき歓待を受けられるかどうかが、見た目の好ましさに大きく左右されるのだ。身につけたこのぼろより、もう少し趣味がよく、威厳のあるものを得られるなら、何を差し出してもよかった。月は無人だと平然と信じ込んでいたため、そうした備えなどまるで考えもしなかったのである。実際の私のいでたちは、月に存在するありとあらゆる汚れの染みついたフランネルの上着にニッカーボッカー、ゴルフ用の長靴下、左の踵の取れたスリッパ、それに、穴を開けて頭を通した毛布だった。(実のところ、今も同じ服を着ている。)針のような無精髭は、私の顔立ちを少しも引き立ててはくれない。ニッカーボッカーの膝には繕っていない裂け目があり、輿の上にしゃがんでいると、ひどく目立った。おまけに右の靴下は、どうしても足首までずり落ちてしまう。私の外見が人類の名誉をどれほど損なっているかは、十分に承知していた。何か工夫して、少しでも非凡で堂々とした装いを即席で整えられるものなら、そうしたことだろう。だが何も思いつかなかった。せめて毛布だけでもと、トーガ[訳注:古代ローマの市民が着用した、布を体に巻きつける衣服]にいくらか似せて折りまとめ、あとは輿の揺れが許すかぎり、背筋を伸ばして座っていた。
「これまで入ったことのある広間のうち、いちばん大きなものを想像していただきたい。そこが薄青い光で照らされ、灰青色の霧にかすみ、先ほどいくらか述べたような、常軌を逸した多様さを持つ、金属色や青ざめた灰色の生き物で波打っていると。そしてその広間の突き当たりには開け放たれたアーチがあり、その先にさらに大きな広間、その向こうにまた一段と大きな広間が続くと想像してほしい。はるかな奥におぼろに見えるのは、ローマのアラ・コエリの階段のような、一続きの階段だ。その上端は見えない。裾に近づくほど、階段はますます高くへ伸びてゆくように見える。だがついに、巨大なアーチの下へ入ると階段の頂が見え、その上、高い玉座にグランド・ルナーが鎮座していた。
「グランド・ルナーは、まわりに比べればまばゆいほどの、青く燃え立つ光の中に座していた。その光と周囲の闇のため、青黒い虚空に浮かんでいるように見えた。最初は、暗い玉座の上にわだかまる、小さな自ら光る雲のようだった。その脳殻は、直径が何ヤードもあったに違いない。理由は私にはわからないが、座している玉座の背後からは、幾筋もの青い探照灯の光が放射され、その身のすぐまわりを後光が包んでいた。あたりには、この輝きの中で小さくかすんで見える侍従たちが大勢いて、その体を支えていた。さらに下方、影に覆われたところには、知的な部下たち――記憶係、計算係、調査係、奉仕係、そして月の宮廷の高名な昆虫たちが、巨大な半円を描いて立ち並んでいた。その下には儀礼係や使者が立ち、さらに玉座へ至る無数の段々を衛兵が埋め尽くしていた。階段の裾には、月の下級の高官たちの大群衆が揺れ動いていた。大きく、多種多様で、輪郭はおぼろになり、果ては完全な黒の中へ消えていた。手足が動くたび、さらさらというざわめきが起こり、足は絶え間なく岩の床をかすかにこすっていた。
「最後から二番目の広間へ入ると、音楽が高まり、帝王にふさわしい壮麗な響きへと広がった。そして先触れたちの甲高い叫びは消えていった……。
「私は最後の、そして最大の広間へ入った……。
「私の行列は扇のように開いた。儀礼係と衛兵は左右へ分かれ、私とファイ・ウーとツィ・パフを乗せた三つの輿は、黒く光る床を横切り、巨大な階段の裾まで進んだ。そのとき、脈打つような大きな唸りが起こり、音楽に混じり合った。二人のセレナイトは輿を降りたが、私は座ったままでいるよう命じられた。特別な名誉だったのだろうと思う。音楽はやんだが、唸りは続いていた。そして無数の頭が敬意を込めて一斉に動くと、私の注意は、頭上に浮かぶ、後光に包まれた至高の知性へと向けられた。
「放射する光を透かして目を凝らすと、はじめ、その知性の精髄たる脳は、何の目印もない不透明な袋のように見えた。その内側では、脳のひだのかすかな影が、波打ちながらうごめいていた。やがて、その巨大なものの下、玉座の縁のすぐ上に、妖精めいた小さな目が光の中からこちらをのぞいていると気づき、はっとした。顔はない。ただ目だけが、穴からのぞくように存在していた。最初は、そのじっと見つめる二つの小さな目しか見えなかったが、やがてその下に、発育の止まった小さな体と、白くしなびた、昆虫のような節のある手足が見分けられた。その目は異様な鋭さで私を見下ろし、膨れた球の下半分にはしわが寄っていた。頼りなげな小さな手のような触肢が、その姿を玉座の上で支えていた……。
「偉大だった。哀れだった。広間も群衆も忘れてしまった。
「私はがくり、がくりと揺られながら階段を上った。頭上で暗く輝く脳殻は、近づくにつれ、私の上へ覆いかぶさるように広がり、周囲のすべての印象をますますその中へ呑み込んでゆくように感じられた。主のまわりに幾段にも集まった従者や補佐たちは、縮み、夜の中へ薄れてゆくようだった。影のような従者たちが、その大きな脳に冷却用の霧を吹きかけ、軽くたたき、支えながら、忙しく立ち働いているのが見えた。私はといえば、揺れる輿を握り締め、目をそらすこともできず、グランド・ルナーを見つめていた。そしてついに、至高の座まであと十段ほどという小さな踊り場に達すると、幾重にも織りなす壮麗な音楽が頂点を迎えてやみ、私はその広大な空間の中、グランド・ルナーの静かなまなざしにさらされて、いわば裸のまま取り残された。
「グランド・ルナーは、生まれて初めて目にする人間を、つぶさに観察していた……。
「やがて私の視線は、その偉容から、まわりの青い霧の中にいる蟻のような姿へ落ち、それから階段の下へと移っていった。下の床には何千というセレナイトがひしめき、期待を込めて身じろぎもせずにいた。再び、いわれのない恐怖が私へ手を伸ばしてきた……。そして過ぎ去った。
「しばしの間ののち、拝礼が始まった。私は手を借りて輿から降り、ぎこちなく立っていた。その間、二人のほっそりした役人が私に代わって、奇妙で、きっと深い象徴的な意味を持つに違いない身ぶりをいくつも演じた。最後の広間の入り口まで付き従ってきた、百科全書的な学者のそうそうたる面々が、私の二段上と左右に姿を現し、グランド・ルナーの求めに備えた。ファイ・ウーの青白い脳は、玉座までのほぼ中ほどに位置を占めた。グランド・ルナーにも私にも背を向けずに、楽に両者の言葉を取り次げる場所だった。ツィ・パフはその後ろに控えた。身のこなしの巧みな儀礼係たちは、尊い方に正面を向けたまま、横歩きで私に近づいてきた。私はあぐらをかいて座り、ファイ・ウーとツィ・パフも、私より上の段に膝をついた。しばし間があった。近くにいる廷臣たちの目が、私からグランド・ルナーへ移り、また私へ戻った。下方の見えない群衆の間を、期待に満ちた、しゅうしゅう、ぴいぴいという音が渡っていき、やんだ。
「あの唸りもやんだ。
「私が知るかぎり、月が沈黙したのは、これが最初で最後だった。
「かすかな喘鳴のような音に気づいた。グランド・ルナーが私に話しかけていたのだ。指で窓ガラスをこするような音だった。
「私はしばらく注意深く見守ってから、油断なく控えているファイ・ウーに目をやった。このほっそりした者たちに囲まれていると、自分はひどく太く、肉ばかりで、鈍重な塊のように思えた。頭といえば、顎と黒い毛ばかりだ。私はまたグランド・ルナーに目を戻した。話はやんでいた。従者たちが忙しく働き、光る表面は冷却用の霧にきらめき、しずくが流れていた。
「ファイ・ウーはしばらく考え込んでいた。ツィ・パフにも相談した。それから、甲高い声で、それとわかる英語を話し始めた。最初はいくらか緊張していて、あまり明瞭ではなかった。
「『んん――グランド・ルナーは、おっしゃりたかった――おっしゃりたい――あなたが――んん――人間たち――あなたが、地球という惑星から来た人間だと理解しておられます。あなたを歓迎する――歓迎するとお伝えになりたい――そして知りたい――知る、という言葉を使ってよければ――あなたの世界のありさまを、また、なぜこの世界へ来たのかを。』
「そこでいったん言葉を切った。私が答えようとすると、また話し始めた。続く言葉は、趣旨があまりはっきりしなかったが、好意を示すつもりだったのだろうと思う。月にとって地球は、地球にとっての太陽に当たるのだという。そしてセレナイトたちは、地球と人間について知りたいと強く願っているとのことだった。続いて、これもきっと賛辞のつもりで、地球と月の大きさや直径の比率を述べ、セレナイトたちが絶えず驚嘆し、あれこれ思いを巡らせながら、私たちの惑星を眺めてきたことを語った。私は目を伏せて考え、人間もまた月には何があるのかと不思議に思ってきたが、死んだ世界だと判断していて、今日私が見たほどの壮麗さなど思いもよらなかった、と答えることにした。グランド・ルナーは、その言葉を受け止めたしるしに、長い青い光線を、ひどく目のくらむような具合に回転させた。すると大広間のいたるところへ、私の言葉を伝える甲高い声やささやき、ざわめきが走っていった。それからグランド・ルナーは、ファイ・ウーを介して、もっと答えやすい質問をいくつも投げかけてきた。
「私たちが地球の表面に住み、空気と海が球の外側にあることは理解している、とグランド・ルナーは説明した。実際、後半については、天文学の専門家たちからすでに聞いて知っていたのだ。この異常なありさま、と呼ぶものについて、もっと詳しく知りたがっていた。地球は中まで詰まっているので、かねてから生物は住めないと考えられがちだったという。まず、地球の生き物がさらされる温度の上限と下限を確かめようとし、雲や雨について私が描写すると、深い関心を示した。月でも、夜側の外縁部の通廊では、大気に濃い霧が立ち込めることが珍しくなく、その事実が想像の助けになった。太陽光が私たちの目には強すぎないのかと不思議がっている様子で、空は大気による光の屈折で青みを帯び、光が和らげられているのだと私が説明を試みると、興味を示した。ただ、それをはっきり理解したかどうかは疑わしい。私は、人間の目の虹彩が瞳孔を縮め、繊細な内部組織を強すぎる太陽光から守る仕組みを説明した。そしてその構造を見せるため、尊い方から数フィート以内のところまで近づくことを許された。これをきっかけに、月と地球の目を比べることになった。月の目は、人間に見える光に対してきわめて鋭敏なだけでなく、熱を見ることもできる。月の内部にあるどんな温度差も、それによって物の姿として見えるのだ。
「虹彩は、グランド・ルナーにとってまったく未知の器官だった。しばらくは私の顔に光線をひらめかせ、瞳孔が縮むのを面白がって眺めていた。そのおかげで私は目がくらみ、しばらく何も見えなくなってしまった……。
「だが、そんな不快さにもかかわらず、この問答の理にかなったやり取りに、私はいつしか安心できるものを見いだしていた。目を閉じ、返答を考えていれば、グランド・ルナーに顔がないことなど、ほとんど忘れていられた……。
「私がもとの位置へ降りると、グランド・ルナーは、私たちが暑さや嵐をどうしのぐのかと尋ねた。そこで私は、建物を建て、室内を整える技術について説明した。ここで私たちは、誤解と行き違いの迷路へ入り込んでしまった。認めざるをえないが、主な原因は、私の言葉遣いが厳密さを欠いていたことだった。家というものを理解させるまでに、ずいぶん長いあいだ苦労した。グランド・ルナーや周囲のセレナイトにしてみれば、穴を掘って地下へ降りればよいのに、人間がわざわざ家を建てることほど、気まぐれで奇妙な話はなかっただろう。さらに私は、人間ももともとは洞窟を住まいにしていたし、今では鉄道や多くの施設を地下へ移しつつあると説明しようとして、ますます話をややこしくした。このあたりでは、何もかも漏らさず説明したいという欲が裏目に出たのだと思う。同じく浅はかにも、鉱山の説明まで試みたため、話はまたひどくもつれた。ついにこの話題を中途半端なまま打ち切ると、グランド・ルナーは、では私たちは地球の内部を何に使っているのかと尋ねた。
「ついに、私たち人間は、遠い昔から数知れぬ世代の祖先が進化してきたその世界の中身を、まるで知らないのだと理解されると、さえずりや甲高い声の波が、その大集会の最も遠い隅々まで押し寄せた。地表から中心までの四千マイルのうち、人間が知っているのは深さ一マイルまでで、しかもそれさえ、ひどくあやふやなのだということを、私は三度も繰り返さねばならなかった。グランド・ルナーは、自分たちの惑星にまだほとんど手をつけていないのに、なぜ月へ来たのかと尋ねたらしかった。だがそのときは説明を求めて私を困らせはしなかった。それほどまでに、自分のあらゆる観念を狂おしいほど逆転させるこの事態について、細部を追究したくてたまらなかったのだ。
「グランド・ルナーは天候の話に戻り、私は、刻々と変わる空、雪、霜、そして暴風を描写しようと努めた。『だが、夜になれば寒くはないのか』と尋ねられた。
「私は、昼よりは寒いと答えた。
「『では、大気は凍らないのか。』
「凍らないと答えた。夜がたいへん短いので、そこまで寒くなることはないのだと。
「『液体にさえならないのか。』
「『ならない』と答えかけて、私は思い当たった。少なくとも大気の一部である水蒸気は、ときには液化して露となり、ときには凍って霜になる。これは月の長い夜に、外部の大気がすべて凍結するのと、まったく相似の過程なのだ。この点を明確に説明すると、グランド・ルナーはそこから睡眠の話へ移った。というのも、あらゆるものに二十四時間ごと、規則正しく訪れる睡眠の必要もまた、地球ならではの性質だからだ。月では、休息をとるのはごくまれで、例外的に激しく働いたあとだけである。それから私は、夏の夜の柔らかな美しさを伝えようと試み、そこから、夜に歩き回り、昼に眠る動物の話へ進んだ。ライオンや虎について話すと、ここでどうやら行き詰まってしまった。月では水中の生き物を除けば、完全に飼いならされ、グランド・ルナーの意のままに従わない生物などいない。そして太古の昔から、ずっとそうだったのだ。水中には巨大な怪物がいるが、害をなす獣はいない。だから、大きくて強い何かが、夜の『外』に存在するという考えは、彼らにはひどく理解しにくいのだ……」
[ここは記録の途切れがひどく、二十語かそれ以上は書き起こせない。]
「グランド・ルナーは側近たちと話していた。おそらく、(人間の)奇妙な表面的なあり方と不合理さについてだろう。世界のただ表面に住み、波や風や、宇宙のあらゆる偶然に身を任せる生き物。同類を餌食にする獣を打ち倒すために団結することすらできず、それでいて別の惑星に乗り込む大胆さだけは持っている。この内輪の話のあいだ、私は座って考えていた。それから求めに応じて、人間のさまざまな種類について話した。グランド・ルナーは、次々に質問を浴びせて私を問いただした。『では、どんな仕事にも、同じ種類の人間を使うのか。しかし、誰が考える? 誰が統治する?』
「私は民主主義の仕組みをかいつまんで説明した。
「話し終えると、グランド・ルナーは額に冷却の霧を吹きかけさせた。そして何か伝え間違いがあったと思ったらしく、もう一度説明するよう求めた。
「『では、違う仕事をするわけではないのですか?』とファイ・ウーが言った。
「私は、考える者もいれば役人もおり、狩りをする者、機械を扱う者、芸術家、肉体労働をする者もいると認めた。『だが、統治するのは全員だ』と言った。
「『それぞれの役目に適するよう、体の形が違ってはいないのですか?』
「『目に見える違いはない』と私は言った。『あるとすれば、服装くらいだろう。頭の中は、少し違うかもしれないが』と、考えながら付け加えた。
「『頭の中は、よほど違っていなければなるまい』とグランド・ルナーは言った。『そうでなければ、皆が同じことをしたがるはずだ。』
「相手の考えに少しでも近づこうとして、私は、その推測は正しいと言った。『違いはすべて脳の中に隠れているのだ』と。だが、違いは確かにある。もし人間の精神や魂を見ることができたら、セレナイトと同じくらい多種多様で、不揃いなのかもしれない。大きな人物も小さな人物もいる。遠く広く手を伸ばせる者もいれば、速やかに進める者もいる。ラッパのような精神を持つ騒々しい者、考えずに記憶できる者もいる……」[三語ほど記録が不明瞭。]
「グランド・ルナーは私の話を遮り、前の発言へ引き戻した。『だが、すべての人間が統治すると言ったではないか?』と追及してきた。
「『ある程度は』と答えて説明したが、どうやら霧をいっそう濃くしただけだった。
「グランド・ルナーは、肝心な一点をつかもうとした。『つまり』と尋ねた。『グランド・アースリー[訳注:グランド・ルナーに相当する、地球全体の支配者]はいないということか?』
「私は何人かの人物を思い浮かべたが、結局、いないと断言した。地球でも独裁者や皇帝を戴いてみたことはあるが、たいていは酒か悪徳か暴力に行き着いたこと、そして、私が属するアングロ・サクソンという、地球人の中でも人口が多く影響力のある集団は、その種のことを二度と試すつもりはないのだと説明した。これにはグランド・ルナーも、いっそう驚いた。
「『だが、持っているだけの知恵さえ、どうやって保っておくのだ?』と尋ねられた。そこで私は、私たちが限られた[ここに一語欠落。おそらく「頭脳」。]を、本を集めた図書館によって補っていることを説明した。無数の小さな人間の共同作業によって、科学が発展しているのだとも話した。それに対してグランド・ルナーは、社会の野蛮さにもかかわらず、私たちが多くを習得したことは明らかで、そうでなければ月へ来られるはずもない、とだけ述べた。それでも、両者の対照はあまりに鮮明だった。セレナイトは知識とともに成長し、姿を変える。人類は知識を身のまわりに蓄え、獣のままでいる――ただし、装備を整えた獣として。グランド・ルナーはこう言った……」[ここは記録の短い一節が不明瞭。]
「次にグランド・ルナーは、私たちが地球をどのように移動するのか説明を求め、私は鉄道と船について話した。私たちが蒸気を利用するようになって、わずか百年しかたっていないということを、しばらく理解できないようだったが、理解すると、明らかに驚いていた。(奇妙なこととして付け加えておくと、セレナイトも、地球の私たちと同じく年を単位に数える。ただし、彼らの数の表し方は、私にはさっぱりわからない。もっとも、ファイ・ウーがこちらの方式を理解しているので、支障はない。)そこから私は、人類が都市に暮らすようになって、まだ九千年か一万年しかたっていないこと、今もなお一つの同胞として結ばれてはおらず、さまざまな統治体制のもとに分かれていることを語った。この意味がはっきり伝わると、グランド・ルナーは非常に驚いた。初めは、単に行政区画のことを言っていると思っていたのだ。
「『私たちの国家や帝国は、いつの日か実現する秩序の、ごく粗い下書きにすぎない』と私は言い、そこから話は……」[ここで、おそらく三十語から四十語に当たる長さの記録が、まったく判読不能となっている。]
「グランド・ルナーは、さまざまな言語を使うという不便を手放そうとしない人間の愚かさに、強い印象を受けた。『意思を通わせたがりながら、同時に通わせまいとしているのだな』と言った。それから長いあいだ、戦争について事細かに私を問いただした。
「最初は当惑し、信じられない様子だった。『つまり、こういうことか』と確かめるように尋ねた。『お前たちは自分たちの世界の表面を――その富をまだほんのわずか掘り起こし始めただけの世界を――駆け回り、互いに殺し合って、獣の餌にしているというのか?』
「私は、まったくそのとおりだと答えた。
「グランド・ルナーは、想像を助けるために、詳しい説明を求めた。
「『だが、船や、お前たちのあの貧弱な小都市は、傷つかないのか?』と尋ねた。財産や便利な品々がむだに失われることに、殺戮そのものとほとんど同じくらい強い衝撃を受けているようだった。『もっと話せ』とグランド・ルナーは言った。『情景が見えるように話せ。私には思い描くことができぬ。』
「そこで私は、いくらか気が進まなかったものの、しばらく地球の戦争について語った。
「私は、戦争の最初の命令や儀礼について、警告や最後通牒について、軍隊の編成と行軍について話した。部隊の機動や陣地、交戦がどういうものかを伝えた。包囲と強襲、塹壕での飢えと苦難、雪の中で凍える歩哨の話をした。敗走と奇襲、絶望的な最後の抵抗とかすかな望み、逃げる者たちへの容赦ない追撃、戦場に横たわる死者たちを語った。過去の話もした。侵略と虐殺、フン族とタタール族、ムハンマドとカリフたちの戦争、そして十字軍。私が語り、ファイ・ウーが訳すにつれて、セレナイトたちはますます激しく心を動かされ、くうくうと鳴き、ざわめいた。
「装甲艦なら一トンの砲弾を十二マイル先まで飛ばし、二十フィートの鉄を貫通できること、水中の魚雷の進路を操れることを話した。さらに、射撃中のマキシム機関銃や、想像の及ぶかぎりのコレンソの戦いの様子を描写した。グランド・ルナーはあまりに信じがたく思ったため、私の言葉の翻訳を遮って、事実に間違いないかと私に確認を求めた。とりわけ疑われたのは、人間が歓声を上げ、喜び勇んで戦場へ向かうという話だった。
「『だが、まさかそれを好んでいるわけではあるまい!』とファイ・ウーが訳した。
「私は、私の種族の男たちは、戦闘を人生で最も栄光ある経験と考えているのだと断言した。すると、集まった者すべてが驚愕に打たれた。
「『だが、この戦争には何の益があるのだ?』と、グランド・ルナーはあくまで問いを離さなかった。
「『ああ、益ということなら!』と私は言った。『人口を減らせる!』
「『だが、なぜその必要が――?』
「沈黙が訪れた。冷却の霧が額に吹きつけられ、それからグランド・ルナーは再び口を開いた。」
「……私の秘密について、きわめて厳しく問いただした。ほどなく意思を通じ合わせることができ、彼らの科学の広大さを知って以来、ずっと謎だったこと、すなわち、なぜ彼ら自身はケイヴァライトを発見しなかったのかを、ついに解明することができた。わかったのは、彼らも理論上の物質としては知っているが、実際に作るのは不可能だと、ずっと考えてきたということだ。というのも、何らかの理由で、月にはヘリウムがなく、そしてヘリウムは……」
第二十六章 ケイヴァーが地球へ送った最後の通信
こうして、ケイヴァーの最後から二番目の通信は、何とももどかしい形で途絶える。遠い彼方の青い薄闇の中、装置に囲まれ、最後まで一心に信号を送り続ける姿が、目に浮かぶようだ。私たちとの間に混乱の幕が降りていることも知らず、そのときすでに忍び寄っていたはずの、最後の危険にもまったく気づかずに。世間並みの常識が破滅的なほど欠けていたことが、ついにその身を裏切ったのだ。ケイヴァーは戦争を語り、人間の持つあらゆる力と理不尽な暴力を、飽くことなき侵略と、果てもなく続ける空しい争いを語った。私たちの種族に対するそんな印象を、月の世界全体に行き渡らせてしまった。そしてそのうえで、最も致命的な事実まで認めたことは、どうやら明らかだ。今後、別の人間が月へ来られるかどうかは――少なくとも長いあいだは――ケイヴァーただ一人にかかっている、と。月の冷たく人間離れした理性が、どのような方針を取るかは、私には十分明らかに思える。ケイヴァーにもその疑念が芽生え、やがて、何かの拍子に鋭く悟ったのかもしれない。この致命的な軽率さへの悔恨を胸の中で膨らませながら、月の中を歩き回る姿が思い浮かぶ。しばらくの間、グランド・ルナーは新たな事態を熟慮していたのではないかと思う。その間、ケイヴァーは以前と変わらず、自由に行き来できたのかもしれない。だが、いま記した通信のあと、何らかの障害によって、再び電磁装置へ近づくことができなくなった。数日間、何も届かなかった。再び謁見を重ね、先に認めたことを何とか取り繕おうとしていたのかもしれない。誰に推し量れるだろう。
そして突然、夜の叫びのように、あとに静寂だけが残る叫びのように、最後の通信が届いた。それはごく短い断片、途中で切れた二つの文の書き出しだった。
最初はこうだった。「グランド・ルナーに知らせるとは、私はどうかしていた――」
一分ほどの間があった。外から何か邪魔が入ったのだろうと思われる。装置を離れる姿――青く薄暗い洞窟にそびえる、幾つもの機械の塊の間での、恐ろしいためらい――そして、遅すぎた決意に突き動かされ、突然装置へ駆け戻る姿。続いて、慌ただしく送信されたように、こんな言葉が届いた。「ケイヴァライトの製法は以下のとおり。まず――」
あとに一語が続いた。そのままでは、まったく意味をなさない言葉だった。「uless。」
それですべてだった。
運命が目前に迫ったとき、慌てて「useless」――むだだ――と綴ろうとしたのかもしれない。あの装置のまわりで何が起きていたのか、私たちにはわからない。それが何であれ、もう二度と月から通信が届くことはない。私にはわかっている。私自身についていえば、鮮明な夢が想像を助けてくれた。まるで実際に目撃したかのようにはっきりと、青い光の中、影に沈んだ乱れ髪のケイヴァーが見える。昆虫のようなセレナイトたちに取り押さえられ、もがいている。相手が押し寄せるにつれ、抵抗はいよいよ必死になり、いよいよ望みを失ってゆく。叫び、抗議し、ことによると最後には殴り合いさえしながら、一歩また一歩と後ろへ押しやられ、同胞とのあらゆる言葉も合図も届かないところへ追われてゆく。永遠に、未知の中へ――闇の中へ、果てしないあの沈黙の中へ……。