鏡の国のアリス
Through the Looking-Glass
- 出版年
- 1871年
- 作者
- ルイス・キャロル
- 翻訳
- 開原 藍誠
- 概要
- 鏡の中の世界に迷い込んだ少女アリスが、チェス盤のような国を旅し、女王を目指す。奇妙な住人たちとの出会いと不可解な論理に翻弄される幻想的な物語である。
登場人物。
(対局開始前の配置順。)
| 白 | 赤 | |||
| 駒 | 歩兵 | 歩兵 | 駒 | |
| ツィードルディー | ヒナギク | ヒナギク | ハンプティ・ダンプティ | |
| ユニコーン | ハイガ | 使者 | 大工 | |
| 羊 | カキ | カキ | セイウチ | |
| 白の女王 | 「リリー」 | タイガーリリー | 赤の女王 | |
| 白の王 | 小鹿 | バラ | 赤の王 | |
| 老人 | カキ | カキ | カラス | |
| 白の騎士 | ハッタ | カエル | 赤の騎士 | |
| ツィードルダム | ヒナギク | ヒナギク | ライオン |
赤。

白。
白の歩兵(アリス)の手番。十一手で勝つ。
1. アリス、赤の女王に会う。 1. 赤の女王、王側の城の列の第4マスへ。 2. アリス、女王の列の第3マスを通り(*鉄道で*)、第4マスへ(*ツィードルダムとツィードルディー*)。 2. 白の女王、女王側の僧正の列の第4マスへ(*ショールを追って*)。 3. アリス、白の女王に会う(*ショールを持って*)。 3. 白の女王、女王側の僧正の列の第5マスへ(*羊になる*)。 4. アリス、女王の列の第5マスへ(*店、川、店*)。 4. 白の女王、王側の僧正の列の第8マスへ(*卵を棚に置く*)。 5. アリス、女王の列の第6マスへ(*ハンプティ・ダンプティ*)。 5. 白の女王、女王側の僧正の列の第8マスへ(*赤の騎士から逃げる*)。 6. アリス、女王の列の第7マスへ(*森*)。 6. 赤の騎士、王の列の第2マスへ(王手)。 7. 白の騎士、赤の騎士を取る。 7. 白の騎士、王側の僧正の列の第5マスへ。 8. アリス、女王の列の第8マスへ(*戴冠*)。 8. 赤の女王、王の元のマスへ(*試験*)。 9. アリス、女王になる。 9. 女王たち、入城。 10. アリス、入城(*宴会*)。 10. 白の女王、女王側の城の列の第6マスへ(*スープ*)。 11. アリス、赤の女王を取って勝つ。
曇りひとつない清らかな額、
不思議を夢見る瞳の子よ。
時は足早に過ぎてゆき、君と私は
半生ほども年が離れているけれど、
君のやさしいほほえみは、きっと迎えてくれるだろう、
愛をこめて贈る、このおとぎ話を。
君の明るい顔を見なくなり、
銀のような笑い声も聞かなくなった。
君の若い人生のこれからに、
私の思い出が宿ることはないだろう――
それでも今、君が耳を傾けてくれるなら、
私のおとぎ話に、それで十分。
遠いあの日に始まった物語、
夏の太陽が輝いていたころ――
素朴な歌は拍子を刻んだ、
私たちの櫂をこぐ調べに。
その響きは今も思い出の中に生きている、
妬ましげな歳月が「忘れよ」と言おうとも。
さあ、耳を澄ませておくれ、恐ろしい声が、
苦い知らせをいっぱいに載せて、
悲しみに沈む乙女を
望まぬ寝床へ呼び寄せる、その前に。
いとしい子よ、私たちも、年を重ねた子供にすぎない、
寝る時間が近づくのを、いやがっているのだ。
外には霜、目もくらむ雪、
気まぐれに荒れ狂う嵐の風――
内には暖炉の赤い輝き、
幼い喜びの宿る巣がある。
魔法の言葉が君をとらえて離さず、
吹きすさぶ風も気にならなくなるだろう。
たとえ、ため息の影が
物語をふるわせてよぎっても、
過ぎ去った「幸せな夏の日々」と、
消え去った夏の輝きを惜しむ影が――
それでも禍いの息を吹きかけはしない、
私たちのおとぎ話の楽園には。
第一章 鏡の家
ひとつだけ、確かなことがあった。白い子猫は、まるで関係なかったのだ。――何もかも、黒い子猫のしわざだった。というのも白い子猫は、この十五分というもの、母猫に顔を洗ってもらっていたからだ(あれだけのことをされているわりには、よく我慢していた)。だから、いたずらに手を貸せるはずがなかったというわけ。
ダイナが子供たちの顔を洗うやり方は、こうだった。まず片方の前足で、かわいそうな子の耳を押さえつける。それからもう片方の前足で、鼻から始めて毛並みに逆らい、顔じゅうをこするのだ。先ほども言ったとおり、今は白い子猫をせっせと洗っていた。子猫はじっと寝そべって、どうにか喉を鳴らそうとしていた――きっと、みんな自分のためを思ってしてくれているのだ、と感じていたのだろう。
ところが黒い子猫のほうは、午後の早いうちに洗ってもらい終えていた。そこでアリスが、大きな肘掛け椅子の隅に丸くなり、半ば独り言を言い、半ばうとうとしているあいだ、子猫はアリスの巻きかけの毛糸玉を相手に、大はしゃぎで遊んでいた。あちらへこちらへ転がして、せっかく巻いた糸をすっかりほどいてしまったのだ。今では毛糸は暖炉の前の敷物いっぱいに広がり、結び目だらけのもつれ放題。その真ん中で、子猫は自分のしっぽを追いかけていた。
「まあ、このいたずらっ子!」とアリスは叫び、子猫を抱き上げて、叱られているのだとわからせるために、ちょんとキスした。「まったく、ダイナも、もっとちゃんとしつけなくちゃ! そうでしょう、ダイナ。あなたにだってわかってるはずよ!」と付け加え、母猫を責めるように見て、精いっぱい怒った声を出した。それから子猫と毛糸を抱えて肘掛け椅子によじ登り、もう一度糸を巻き始めた。でも、子猫に話しかけたり独り言を言ったり、ひっきりなしにしゃべっていたので、なかなかはかどらなかった。キティはひざの上におすましして座り、糸が巻かれていくのを見守るふりをしながら、ときどき片方の前足を伸ばして、そっと毛糸玉に触れた。よかったらお手伝いしましょうか、とでも言いたげだった。
「キティ、明日が何の日か、知ってる?」
アリスは話し始めた。「私と一緒に窓のところにいたら、きっとわかったわ――でもダイナにきれいにしてもらってたから、来られなかったものね。男の子たちが、かがり火にする枝を運び込むのを見てたの。あれには枝がたくさんいるのよ、キティ! [訳注:十一月五日のガイ・フォークス・デーには、イングランド各地でかがり火をたく。]でも、ひどく寒くなって雪まで降ってきたから、やめなくちゃならなくなったの。いいのよ、キティ。明日は一緒に、かがり火を見に行きましょうね。」
ここでアリスは、どんなふうに見えるか試してみようと、子猫の首に毛糸を二、三回巻きつけた。そのためひと騒動となり、毛糸玉は床へ転がり落ち、また何ヤードも何ヤードもほどけてしまった。
「ねえキティ、私、とっても怒ったのよ」と、ふたりがまた落ち着くと、アリスは話を続けた。「あなたのいたずらを見つけたとき、もう少しで窓を開けて、雪の中へ放り出すところだったんだから! そうされても文句は言えないわね、このかわいいいたずらっ子! 何か言い分はある? さあ、口を挟まないで!」と、指を一本立てた。「あなたの悪かったところを、全部言うわよ。その一。今朝ダイナに顔を洗ってもらっているとき、二度もキーキー鳴いたこと。ごまかしてもだめよ、キティ。私、聞いたんだから! 何ですって?」(子猫がしゃべったふりをしているのだ。)「ダイナの足が目に入った? それは目を開けていたあなたが悪いの。ぎゅっと閉じていれば、そんなことにはならなかったでしょう。もう言い訳はやめて、聞きなさい! その二。スノードロップの前にミルクの小皿を置いたとたん、あの子のしっぽを引っぱってどかしたこと! えっ、喉が渇いてたの? あの子だって渇いてたかもしれないじゃない。では、その三。私が見ていないうちに、毛糸を残らずほどいてしまったこと!
「三つも悪いことをしたのよ、キティ。それなのに、まだひとつも罰を受けてないわね。お仕置きは全部、来週の水曜日まで取ってあるんだから――もし私のお仕置きも、全部取っておかれたら!」と、今度は子猫にというより、自分に向かって話し続けた。「一年の終わりには、いったいどうなるかしら。その日が来たら、きっと牢屋に入れられるのね。それとも――ええと――罰が一回につき、お夕飯抜きだとしたら。あの恐ろしい日が来たとき、一度に五十回もお夕飯を抜かなくちゃいけなくなる! でも、それならあまり困らないわ! 五十回分も食べるくらいなら、抜いたほうがずっとましだもの!
「キティ、窓ガラスに雪が当たる音、聞こえる? なんてやさしい、柔らかな音でしょう! 誰かが外から窓じゅうにキスしているみたい。雪は木や野原が好きだから、あんなにやさしくキスするのかしら? それからね、白いお布団をかけて、ぬくぬくさせてあげるの。きっとこう言うのよ。『かわいい子たち、また夏が来るまで、おやすみなさい』。そして夏に目が覚めるとね、キティ、みんな緑の服を着て、踊りだすの――風が吹くたびに――ああ、なんて素敵!」アリスは毛糸玉を落として、手をたたいた。「本当にそうだったらいいのに! 秋になって葉っぱが茶色くなりかけると、森は確かに眠たそうに見えるもの。
「キティ、チェスはできる? ねえ、笑わないで。まじめに聞いてるのよ。だってさっき私たちがやってたとき、まるでわかっているように見ていたじゃない。私が『王手!』って言ったら、喉まで鳴らしたでしょう! そうよ、キティ、あれはいい王手だったの。あのいやな騎士が、私の駒のあいだへくねくね入り込んでこなければ、きっと勝てたのに。ねえキティ、こういうことにしましょうよ――」ここで私は、アリスがいつもお気に入りの「こういうことにしましょうよ」で始める話を、半分でもお伝えできたらと思う。
つい昨日も、お姉さんとずいぶん長い言い合いをしていた。そもそもの始まりは、「王様たちと女王様たちになったことにしましょうよ」とアリスが言ったことだった。何でもきちんとさせたいお姉さんは、ふたりしかいないのだから、それはできないと主張した。とうとうアリスは、「じゃあ、お姉さんはそのうちのひとりになればいいわ。残りは私が全部やるから」と言うしかなくなった。
またあるときは、年を取った乳母の耳元で突然、「ねえ乳母さん! 私がおなかをすかせたハイエナで、乳母さんが骨ってことにしましょうよ!」と叫んで、本気でおびえさせたこともあった。
でも、これではアリスと子猫の話から脱線してしまう。「キティ、あなたが赤の女王ってことにしましょう! ねえ、背筋を伸ばして腕を組んだら、そっくりになると思うのよ。さあ、やってみて。いい子だから!」
アリスはテーブルから赤の女王を取り、見本として子猫の前に置いて、まねをさせようとした。ところが、うまくいかなかった。アリスに言わせると、いちばんの原因は、子猫がきちんと腕を組まないことだった。そこで罰として鏡の前に抱き上げ、どれほどふくれっ面をしているか見せてやった。「それに、すぐいい子にならないと」と言い添えた。「鏡の家へ押し込んじゃうわよ。そうなったら、どうする?」
「さあキティ、そんなにおしゃべりしないで、ちゃんと聞いてくれたら、鏡の家について考えたことを全部教えてあげる。まず、鏡の向こうに見えるお部屋ね。あれはこっちの居間とそっくりなの。ただ、物がみんな反対向きになってるけど。椅子に乗れば、隅々まで見えるわ――暖炉の裏側だけは別として。ああ、あそこが見られたらいいのに! 冬にはあちらも火をたくのか、知りたくてたまらないの。こっちの火が煙を出さないかぎり、絶対にわからないでしょう。煙が出ると、あちらのお部屋にも煙が上がるけど――それも、火があるように見せかけているだけかもしれないわね。それから本も、こっちの本に似ているの。ただ文字が逆向きなのよ。それは確か。こっちの本を鏡に向けて持ち上げると、向こうのお部屋でも一冊持ち上げるんだもの。
「キティ、鏡の家に住んでみたい? あちらでもミルクをくれるかしら? 鏡のミルクは、飲まないほうがいいのかもしれないわね――でもね、キティ! 今度は廊下の話よ。こっちの居間のドアを大きく開けておけば、鏡の家の廊下がほんのちらっと見えるの。見えるところまではこっちの廊下によく似ているけれど、その先はすっかり違うかもしれないでしょう。ああキティ、鏡の家へ通り抜けられたら、どんなに素敵かしら! きっと、ああ、それはきれいなものがいっぱいあるのよ! 何か、通り抜ける方法があるってことにしましょう、キティ。鏡がガーゼみたいに柔らかくなって、通り抜けられるってことにするの。まあ、本当に、何だか霧みたいになってきたわ! これなら簡単に通れそう――」こう話しているうちに、アリスは暖炉の上の棚に乗っていた。どうやって登ったのか、自分でもよくわからなかった。そして鏡は、本当に溶け始めていた。輝く銀色の霧そっくりに。
次の瞬間にはもう、アリスは鏡を通り抜け、鏡の部屋へひらりと飛び降りていた。真っ先にしたのは、暖炉に火があるかどうか確かめることだった。本物の火が、もとの部屋と同じくらい明るく燃えていたので、すっかりうれしくなった。「それじゃ、ここでも前のお部屋と同じくらい暖かくいられるわ」とアリスは思った。「いいえ、むしろこっちのほうが暖かいかも。火に近づきすぎよって叱る人がいないもの。ああ、みんなが鏡越しに私を見つけても、こっちまでつかまえに来られないなんて、どんなに愉快でしょう!」
それからあたりを見回し始め、もとの部屋から見えていたところは、ごく普通でつまらないのに、それ以外は何もかも、すっかり違っていることに気づいた。たとえば暖炉のそばの壁に掛かった絵は、どれも生きているようだった。暖炉の棚の時計までが(鏡には裏側しか映らない、あの時計だ)、小さなおじいさんの顔になっていて、アリスににやりと笑いかけた。
「こっちのお部屋は、あっちほどきちんと片づけていないのね」と、暖炉の燃えかすの中にチェスの駒がいくつか落ちているのを見て、アリスは思った。けれど次の瞬間、「まあ!」と小さな驚きの声を上げ、四つんばいになって見入った。チェスの駒が、ふたりずつ連れ立って歩いていたのだ!
「ここにいるのは赤の王と赤の女王ね」とアリスは言った(驚かせないように、ささやき声で)。「あちらでは白の王と白の女王が、灰かきの縁に腰掛けてる――それからこっちには、腕を組んで歩いてるお城が二つ――私の声、聞こえないみたい」と、顔をもっと近づけながら続けた。「それに、私の姿もきっと見えないのね。何だか透明人間になったみたい――」
そのとき、アリスの後ろのテーブルで、何かがキーキー鳴き始めた。振り返ると、ちょうど白い歩兵が一体ころりと倒れ、足をばたばたさせ始めたところだった。次にどうなるのだろうと、アリスは興味津々で見つめた。
「あの子の声だわ!」と白の女王が叫び、王の脇を駆け抜けた。その勢いで、王は燃えかすの中へひっくり返された。「かわいいリリー! わたくしの尊い子猫ちゃん!」女王は炉囲いの側面を、むやみやたらによじ登り始めた。
「尊いもへったくれもあるか!」と王は、転んで打った鼻をさすった。頭から足の先まで灰まみれなのだから、女王に少々腹を立てたって、無理もない。
アリスは何か役に立ちたくてたまらなかった。それに、かわいそうなリリーは、ひきつけでも起こしそうなほど泣きわめいていた。そこで急いで女王をつまみ上げ、テーブルの上の、騒々しい幼い娘の隣に置いてやった。
女王はあっと息をのみ、その場に座り込んだ。空中をあまりに急いで旅したので、すっかり息が切れてしまい、一、二分のあいだ、黙ってリリーを抱きしめていることしかできなかった。ようやく少し息が戻ると、灰の中でむっつり座っている白の王に呼びかけた。「火山に気をつけて!」
「何の火山だ?」と王は、心配そうに暖炉の火を見上げた。火山があるとしたら、そこだろうと思ったらしい。
「噴き――飛ば――されたの」と、まだ少し息を切らして女王は言った。「あなたは――ちゃんとした道で――上がってきて。噴き飛ばされないように!」
アリスは、白の王が一本ずつ横棒によじ登り、じりじり上へ進むのを見ていたが、とうとう言った。「まあ、その調子じゃ、テーブルまで何時間もかかってしまうわ。私がお手伝いしたほうが、ずっといいでしょう?」
けれど王は、その問いかけにまるで反応しなかった。アリスの声も姿も届かないのは、もう明らかだった。
そこでアリスは王をそっとつまみ上げ、息が切れないよう、女王のときよりゆっくり持ち上げた。ただ、あまりにも灰まみれだったので、テーブルに置く前に、少しはたいてやろうと思った。
あとでアリスは、あんな顔は生まれて初めて見た、と話した。見えない手で宙につかまれ、灰をはたかれているとわかったときの、王の顔である。驚きすぎて叫び声も出ず、ただ目と口ばかりが、どんどん大きく、どんどん丸くなっていった。そのうちアリスは笑いで手が震え、危うく王を床へ落とすところだった。
「ああ、お願い、そんな顔をしないで!」と、王に声が聞こえないことなど、すっかり忘れてアリスは叫んだ。「おかしくて、手が離れてしまうわ! それから、そんなに口を開けていてはだめ! 灰がみんな入っちゃう――さあ、これくらいできれいになったわね!」髪をなでつけながらそう言って、女王の近くのテーブルに置いてやった。
王はたちまち仰向けに倒れ、ぴくりとも動かなくなった。アリスは、自分のしたことに少し怖くなり、かけてやる水がないかと部屋を探し回った。ところが見つかったのはインク瓶だけで、それを持って戻ったころには、王はもう意識を取り戻し、女王とおびえた様子でひそひそ話をしていた。その声はあまりに小さく、アリスには聞き取るのがやっとだった。
王はこう言っていた。「いや、まったく、おまえ、ひげの先まで冷たくなったぞ!」
それに女王が答えた。「あなたに、ひげなんてないでしょう。」
「あのときの恐ろしさは」と王は続けた。「わしは決して、決して忘れん!」
「忘れますとも」と女王は言った。「書き留めておかないかぎりね。」
王はポケットから巨大な手帳を取り出し、書き始めた。アリスは興味深く眺めていたが、ふと思いついて、王の肩からずっと突き出している鉛筆の端をつかみ、代わりに書いてやり始めた。
かわいそうな王は、困り果てた顔をして、しばらく黙って鉛筆と格闘した。けれどアリスの力にはかなわず、とうとう息を切らしながら言った。「おまえ! これはどうしても、もっと細い鉛筆を手に入れねばならん。こいつはまるで言うことを聞かんぞ。書くつもりもないことを、あれこれ勝手に書きおる――」
「どんなことです?」と女王は手帳をのぞいた(そこにはアリスが「白の騎士が火かき棒を滑り降りている。ひどく釣り合いの取り方が下手だ」と書いていた)。「これでは、あなたの気持ちの覚え書きにはなっていませんわ!」
アリスのそばのテーブルには、一冊の本が置いてあった。白の王を見守りながら(まだ少し心配で、また気絶したらすぐかけられるよう、インクを用意してあった)、アリスはページをめくり、読めるところを探した。「――だって、みんな知らない言葉で書いてあるんだもの」と、ひとりつぶやいた。
こんなふうだった。
ーキッォウバャジ
はちたヴートるべなしか、てっなくにきや
りたっけあでるぐ、りたっまこでるぐでらはわま
りかばヴーゴロボたれおしめじ
。たいてしきぶえほはスラいいまえ
しばらく首をひねっていたが、とうとう素晴らしい考えが浮かんだ。「そうよ、鏡の本なんだわ! 鏡に向けてみれば、文字はちゃんとした向きに戻るはず。」
アリスが読んだ詩は、こういうものだった。
ジャバウォッキー。
やきにくなって、かしなべるトーヴたちは
まわはらでぐでこまったり、ぐであけったり
じめしおれたボロゴーヴばかり
えまいいラスはほえぶきしていた。
「ジャバウォックに気をつけろ、わが息子!
かみつくあごに、つかみかかる爪!
ジャブジャブ鳥にも気をつけて、
ふんげきのバンダースナッチは避けるのだ!」
若者はヴォーパルの剣を握り、
長くまがたける敵を探し回った――
やがてタムタムの木のそばで休み、
しばし、たたずんで思案した。
うっふしき思いにふけっていると、
燃える目をしたジャバウォックが、
うっそうたるぎる森からひゅるびゅると、
ぶくぶくわめいて現れた!
一、二! 一、二! 突いては貫き、
ヴォーパルの刃が、すにっかすなっく!
死体は残し、首を携え、
若者はどやはずみして帰った。
「ジャバウォックを倒したのか?
この腕へおいで、きらぼしの息子よ!
ああ、めでらしき日! カッルー! カッレー!」
父は喜び、くすぐふ笑った。
やきにくなって、かしなべるトーヴたちは
まわはらでぐでこまったり、ぐであけったり
じめしおれたボロゴーヴばかり
えまいいラスはほえぶきしていた。
「とても素敵な詩みたい」と、読み終わってアリスは言った。「でも、ちょっとわかりにくいわね!」(つまり、まるでわからないとは、自分にさえ認めたくなかったのだ。)「何だか頭の中が、いろんな考えでいっぱいになるみたい――ただ、どんな考えなのか、はっきりしないけれど! でも、誰かが何かを殺したのね。それだけは、少なくとも確かだわ――」
「あっ、でも!」と、アリスは急に立ち上がった。「急がないと、おうちのほかのところを見ないうちに、鏡を通って戻らなくちゃならなくなる! まずお庭を見てみましょう!」
たちまち部屋を飛び出し、階段を駆け降りた――いや、正確には駆け降りたのではなく、アリスの言い分によれば、階段を速く楽に降りるために発明した、新しい方法だった。手すりに指先だけを添えると、足で階段に触れもしないで、ふわりと漂い降りたのだ。そのまま玄関広間をふわふわ進み、戸口の柱につかまらなければ、同じように外まで出てしまうところだった。あまり長く宙を漂っていたので、少し目が回り始めていた。普通に歩けるようになって、ほっとした。
第二章 生きた花たちの庭
「あの丘のてっぺんへ行けたら、お庭がもっとよく見えるわね」とアリスはひとり言った。「ほら、まっすぐそこへ続く道がある――いえ、違うわ、まっすぐじゃない――」(数ヤード進み、急な角をいくつも曲がったあとで)「でも、いずれは着くでしょう。それにしても、ずいぶん妙なくねくね道! 道というよりコルク抜きみたい! さあ、この角を曲がれば丘のほうへ行くはず――違うわ! これじゃ、おうちへまっすぐ戻ってしまう! それなら逆から行ってみましょう。」
そうしてみた。あちこち歩き回り、曲がり角を次々試したが、どうやっても、家へ戻ってしまう。あるときなど、いつもより少し勢いよく角を曲がったら、止まる間もなく家にぶつかってしまったほどだった。
「いくら言っても、だめよ」とアリスは家を見上げ、家と言い争っているつもりで言った。「まだ戻らないんだから。中へ入ったら、また鏡を通って――もとのお部屋へ戻らなくちゃいけなくなるわ。そうしたら、冒険は全部おしまいじゃない!」
そこで、きっぱり家に背を向け、もう一度小道を歩き始めた。丘に着くまでまっすぐ進もう、と心を決めて。数分のあいだは順調で、「今度こそうまくいくわ――」と言いかけたとき、小道が突然くねり、身震いした(と、あとでアリスは説明した)。次の瞬間には、また家のドアから中へ入りかけていた。
「ああ、ひどすぎる!」と叫んだ。「こんなに邪魔ばかりするおうち、見たことないわ! 一度だって!」
それでも丘は、はっきり見えているのだから、やり直すしかなかった。今度は大きな花壇へ出た。縁をヒナギクが取り巻き、真ん中には柳の木が生えていた。
「ああ、タイガーリリーさん」とアリスは、風に優雅に揺れている花に話しかけた。「あなたがお話しできたらいいのに!」
「話せますとも」とタイガーリリーは言った。「話す値打ちのある相手がいればね。」
アリスは驚きのあまり、しばらく口がきけなかった。まったく息が止まったようだった。やがて、タイガーリリーがただ揺れ続けているだけなので、おずおずと、ほとんどささやくような声で、もう一度尋ねた。「それじゃ、お花はみんな話せるの?」
「あなただって話せるでしょう」とタイガーリリーは言った。「それより、ずっと大きな声でね。」
「こちらから話しかけるのは、お行儀に反するもの」とバラが言った。「あなたがいつ口を開くのか、ずっと待っていたのよ! 『賢そうではないけれど、多少は分別のありそうな顔ね』って思っていたの。まあ、色はまともだし、それだけでもずいぶん違うわ。」
「色なんか、わたしは気にしないけれど」とタイガーリリーが口を挟んだ。「花びらがもう少し巻いていたら、悪くないんだけどね。」
アリスは品定めされるのがいやだったので、質問を始めた。「こんなところに植わっていて、面倒を見てくれる人もいなくて、怖くなることはないの?」
「真ん中に木があるじゃない」とバラは言った。「あれに、ほかに何の役目があるの?」
「でも、危ないことが起きたら、木に何ができるの?」
とアリスは尋ねた。
「『バウワウ!』ってほえるのよ!」とヒナギクが叫んだ。「だから木の枝はバウっていうの!」[訳注:英語の bough(大枝)と bow-wow(犬の鳴き声)を掛けたしゃれ。]
「そんなことも知らないの?」と別のヒナギクが叫ぶと、たちまちみんながいっせいにわめきだし、あたりは小さな甲高い声でいっぱいになった。「みんな、お黙り!」とタイガーリリーは叫び、怒って激しく左右に揺れ、ぶるぶる震えた。「わたしの手が届かないのを知ってるのよ!」と、震える頭をアリスに寄せ、息を弾ませた。「そうでなければ、こんなまね、するものですか!」
「気にしないで!」
アリスはなだめるように言い、また騒ぎだそうとしているヒナギクたちに身をかがめ、ささやいた。「黙らないと、摘んでしまうわよ!」
たちまち静かになり、桃色のヒナギクが何輪か、真っ白になった。
「それでいいのよ!」とタイガーリリーは言った。「ヒナギクがいちばん始末に負えないの。一輪が口を開くと、みんな一緒に始めるんだから。あの騒ぎを聞いていたら、しおれてしまうわ!」
「みなさん、どうしてそんなに上手にお話しできるの?」
アリスは、ほめて機嫌を直してもらおうと思った。「今までいろんなお庭へ行ったけれど、話せるお花はひとつもなかったわ。」
「手を下ろして、土に触ってごらんなさい」とタイガーリリーは言った。「そうすれば、わかるわ。」
アリスはそうしてみた。「とても硬いわ」と言った。「でも、それとどういう関係があるのかしら。」
「たいていの庭ではね」とタイガーリリーは言った。「花壇の寝床を柔らかくしすぎるのよ。だから花たちは、いつも眠っているの。」
なるほど、もっともな理由に思えた。アリスはそれがわかって、すっかりうれしくなった。「そんなこと、今まで考えもしなかったわ!」
「わたしに言わせれば、あなたは何ひとつ考えていないのよ」と、バラが少しきつい調子で言った。
「こんなに間の抜けた顔、見たことないわ」と、スミレがいきなり言ったので、アリスはびくりとした。それまで一度も口をきいていなかったのだ。
「あんたこそお黙り!」とタイガーリリーは叫んだ。「あんたが誰かを見たことなんてあるものかね! 葉っぱの下に頭を突っ込んで、ぐうぐういびきをかいてるくせに。世の中のことなんか、つぼみと同じくらい何も知らないじゃない!」
「このお庭には、私のほかにも誰かいるの?」
アリスは、さっきのバラの言葉は聞かなかったことにした。
「あなたみたいに歩き回れる花が、もう一本いるわ」とバラは言った。「どうやるのか不思議だけれど――」(「あんたは何でも不思議がるのね」とタイガーリリーが言った。)「でも、あなたより枝葉がこんもりしているわよ。」
「私に似ているの?」
アリスは熱心に尋ねた。「このお庭のどこかに、もうひとり女の子がいるんだわ!」と思いついたのだ。
「まあ、あなたと同じ、ぎこちない形ではあるわね」とバラは言った。「でも、もっと赤くて――花びらは、あなたより短いと思うわ。」
「花びらがぎゅっとまとまっていて、ダリアみたいなのよ」とタイガーリリーが割って入った。「あなたのように、勝手気ままに散らばっていないの。」
「でも、それはあなたのせいじゃないわ」とバラはやさしく付け加えた。「もうしおれ始めているんだもの。そうなると、花びらが少し乱れるのは仕方ないわ。」
アリスは、その考えがちっとも気に入らなかった。そこで話題を変えようと、「その人、ここへも来るの?」と尋ねた。
「じきに会えると思うわ」とバラは答えた。「とげのある種類なのよ。」
「とげは、どこに付けているの?」
アリスは少し興味をひかれた。
「もちろん、頭のまわりよ」とバラは答えた。「あなたにないのが不思議だったの。みんなそういう決まりかと思っていたから。」
「いらっしゃるわ!」とヒエンソウが叫んだ。「砂利道を、どしん、どしん、どしんって歩く音が聞こえる!」
アリスがわくわくして振り向くと、そこにいたのは赤の女王だった。「ずいぶん大きくなったのね!」というのが、最初の感想だった。本当に大きくなっていた。初めて灰の中で見たときは、たった三インチしかなかったのに、今ではアリスより半分頭ひとつ分、背が高いのだ!
「新鮮な空気のおかげよ」とバラは言った。「ここの空気は、素晴らしくいいんだから。」
「お迎えに行ってみるわ」とアリスは言った。花たちも十分に面白かったけれど、本物の女王とお話しするほうが、ずっと立派なことだと思ったのだ。
「そんなこと、できっこないわ」とバラは言った。「わたしなら、反対のほうへ歩くように勧めるけれど。」
アリスには、でたらめに聞こえた。だから何も答えず、すぐ赤の女王へ向かって歩き始めた。ところが驚いたことに、あっという間に女王の姿は見えなくなり、また玄関から家へ入りかけていた。
少し腹を立てて引き返し、女王をあちこち探した(ようやく、ずっと遠くに見つけた)。今度は、反対へ歩くという方法を試してみようと思った。
これは見事にうまくいった。一分も歩かないうちに、赤の女王と向かい合っていた。長いこと目指していた丘も、すぐ目の前にあった。
「どこから来たのです?」と赤の女王は言った。「どこへ行くのです? 顔を上げて、きちんと話しなさい。いつまでも指をもじもじさせない!」
アリスは言われたことを全部守り、道を見失ってしまったのだと、できるだけうまく説明した。
「自分の道を見失ったとは、どういう意味です」と女王は言った。「このあたりの道は、全部わたくしのものです――そもそも、何のために出てきたのですか?」少しやさしい声になって付け加えた。「何を言うか考えているあいだに、ひざを曲げてお辞儀をなさい。時間の節約になります。」
アリスはちょっと不思議に思ったが、女王にすっかり圧倒されていたので、疑うこともできなかった。「帰ったらやってみましょう」と思った。「今度、お夕飯に少し遅れたときに。」
「もう答える時間ですよ」と女王は時計を見た。「話すときは、もう少し口を大きく開けなさい。それから必ず『陛下』と付けるのです。」
「ただ、お庭がどんなふうか見たかっただけです、陛下――」
「よろしい」と女王は言って、アリスの頭をなでた。アリスはそれが、とてもいやだった。「もっとも、『庭』と言うけれど、わたくしが見た庭に比べれば、ここなど荒れ地です。」
アリスは反論する勇気もなく、話を続けた。「――それから、あの丘のてっぺんへ行く道を、探してみようと思って――」
「『丘』と言うけれど」と女王が遮った。「わたくしが知っている丘を見れば、あれなど谷と呼ぶはずですよ。」
「いいえ、そんなことはありません」と、アリスはびっくりして、とうとう言い返した。「丘が谷になるはずはないですもの。そんなの、でたらめです――」
赤の女王は首を振った。「好きなだけ『でたらめ』と呼びなさい」と言った。「でも、わたくしが聞いたでたらめに比べれば、それなど辞書と同じくらい筋が通っています!」
女王の口調から、少し気を悪くしたのではと心配になり、アリスはもう一度お辞儀をした。それから、ふたりは小さな丘のてっぺんまで、黙って歩いた。
数分のあいだ、アリスは何も言わずに立ち、あらゆる方角へ目を向けて、その国を眺めた――実に不思議な国だった。小さな小川が何本も、一方の端からもう一方の端まで、まっすぐ流れていた。そのあいだの地面は、小川から小川へ延びる低い緑の生け垣で、四角い区画に仕切られていた。
「まあ、大きなチェス盤そっくりに区切られているわ!」
アリスはとうとう言った。「どこかに駒が動いているはず――ああ、本当にいる!」
うれしそうにそう付け加え、胸をわくわく高鳴らせながら続けた。「ものすごく大きなチェスの試合をしているんだわ――世界じゅうを使って――ここが本当に世界なら、だけれど。ああ、なんて面白いの! 私も仲間になりたい! 参加できるなら、歩兵でも構わないわ――もちろん、いちばんなりたいのは女王だけれど。」
そう言いながら、少し恥ずかしそうに本物の女王をちらりと見た。けれど女王は、ただにこやかにほほえんで言った。「それは簡単なことです。よければ白の女王の歩兵になりなさい。リリーはまだ小さすぎて参加できませんから。あなたは、まず第二のマスから始めます。第八のマスに着けば、女王になります――」まさにそのとき、どういうわけか、ふたりは走り始めた。
あとでいくら考えても、アリスには、どうして走り始めたのか、さっぱりわからなかった。覚えているのは、手をつないで走っていたことだけだ。女王があまりに速いので、ついていくので精いっぱいだった。それでも女王は「もっと速く! もっと速く!」と叫び続けた。アリスは、これ以上速くなんて走れないと思ったが、そう言う息も残っていなかった。
何より不思議だったのは、周囲の木や物が、まるで場所を変えないことだった。どんなに速く走っても、何ひとつ追い越せないように見えた。「何もかも、私たちと一緒に動いているのかしら?」と、困り果てたアリスは思った。女王はその考えを見抜いたように、「もっと速く! しゃべろうとしない!」と叫んだ。
もっとも、アリスにはそんなつもりはなかった。息が苦しくて、もう二度と話せないのではと思うほどだった。それでも女王は「もっと速く! もっと速く!」と叫び、引っぱっていく。「もう、着くの?」
アリスはやっとのことで、息の合間に尋ねた。
「もう着く?」と女王は繰り返した。「まあ、十分前に通り過ぎましたよ! もっと速く!」
ふたりはしばらく黙って走り続けた。アリスの耳元で風がひゅうひゅう鳴り、髪の毛が頭から吹き飛ばされそうな気がした。
「さあ! さあ!」と女王は叫んだ。「もっと速く! もっと速く!」
あまりの速さに、とうとう足はほとんど地面に触れず、空中を滑っているようになった。アリスがすっかり力尽きようとした、そのとたん、ふたりは止まった。気がつくとアリスは、息を切らし、目を回しながら、地面に座り込んでいた。
女王はアリスを木にもたれさせ、やさしく言った。「さあ、少し休んでよろしい。」
アリスは驚いてあたりを見回した。「まあ、私たち、ずっとこの木の下にいたみたい! 何もかも、前のままだわ!」
「もちろんです」と女王は言った。「どうなっていればよかったのです?」
「でも、私たちの国なら」とアリスは、まだ少し息を弾ませながら言った。「今みたいに、長いあいだ、とっても速く走れば、たいていは別の場所へ着くのよ。」
「のろまな国ですね!」と女王は言った。「ここでは、同じ場所にとどまるために、力いっぱい走らなくてはなりません。別の場所へ行きたければ、少なくともその倍の速さで走るのです!」
「それは遠慮させてください!」とアリスは言った。「ここにいられれば十分です――ただ、本当に暑くて、喉が渇いて!」
「あなたが何を欲しいか、わかりましたよ!」と女王は親切そうに言い、ポケットから小箱を取り出した。「ビスケットはいかが?」
欲しいものとはまるで違っていたが、アリスは「いいえ」と言うのも失礼だと思った。それで受け取り、どうにか食べた。けれど、それはひどくぱさぱさで、生まれてこのかた、こんなに喉を詰まらせかけたことはなかったと思った。
「あなたが元気をつけているあいだに」と女王は言った。「わたくしは距離を測っておきましょう。」
そして、インチの目盛りが付いたリボンをポケットから出し、地面を測り始め、あちらこちらに小さな杭を打ち込んだ。
「二ヤードのところで」と、印の杭を立てながら言った。「あなたに道順を教えます――ビスケットをもう一枚?」
「いいえ、ありがとうございます」とアリスは言った。「一枚でもう十分です!」
「喉の渇きは収まったでしょうね?」と女王は言った。
アリスには何と答えればいいかわからなかったが、幸い女王は返事を待たずに続けた。「三ヤードのところで、繰り返します――忘れるといけませんから。四ヤードのところで、さようならを言います。そして五ヤードのところで、行ってしまいます!」
そのころには、杭は全部立て終わっていた。女王が木のところまで戻り、杭の列に沿ってゆっくり歩き出すのを、アリスは興味深く見守った。
二ヤードの杭で、女王は振り向いた。「歩兵は最初の一手で、二マス進めます。ですから第三のマスは、大急ぎで通ることになります――おそらく鉄道でしょうね――そして、あっという間に第四のマスに着きます。そのマスは、ツィードルダムとツィードルディーのものです。第五はほとんど水。第六はハンプティ・ダンプティのもの――でも、何も言わないのですか?」
「わ、私、今は何か言わなくちゃいけないとは――思わなくて」とアリスは口ごもった。
「『いろいろとご親切に教えてくださり、ありがとうございます』と言うべきでした――まあ、言ったことにしましょう。第七のマスは全部森です。でも騎士のひとりが道を教えてくれます。そして第八のマスでは、わたくしたちは一緒に女王になり、ごちそうと楽しいことばかりです!」
アリスは立ち上がってお辞儀し、また座った。
次の杭で女王は再び振り向き、今度はこう言った。「英語が思いつかないときはフランス語で話すこと。歩くときはつま先を外へ向けること。そして、自分が誰かを忘れないこと!」
今度はアリスのお辞儀を待たず、さっさと次の杭へ歩いていった。そこでちょっと振り向いて「さようなら」と言い、最後の杭へ急いだ。
どうなったのか、アリスにはとうとうわからなかったが、女王は最後の杭に着いたまさにそのとき、いなくなった。空中へ消えたのか、森へさっと駆け込んだのか(「本当に足が速いんだもの!」とアリスは思った)、見当もつかなかった。ただ、もう姿はなかった。そしてアリスは、自分が歩兵で、じきに動く番が来るのだということを、思い出し始めた。
第三章 鏡の国の虫たち
もちろん、まずは、これから旅する国をじっくり見渡しておかなくてはならない。「何だか地理のお勉強みたいね」と、少しでも遠くを見ようとつま先立ちになりながら、アリスは思った。「主な川――ありません。主な山――たったひとつの山の上に今いるけれど、名前はないみたい。主な町――あら、下で蜜を集めている、あの生き物は何かしら? ハチではないわね。一マイルも先からハチが見えた人なんて、いないもの――」しばらく黙って、そのうちの一匹が花のあいだを忙しく動き、長い鼻を花に突っ込むのを眺めた。「まるで普通のハチみたい」とアリスは思った。
けれど、それは普通のハチなどではなかった。実はゾウだったのだ。すぐに気づいたアリスも、最初はあまりのことに息をのんだ。「それなら花も、どんなに大きいのかしら!」と次に思った。「小さなおうちの屋根を外して、茎を付けたみたいなものね。蜜も、どれほどたくさんできるでしょう! 下へ行って――いいえ、まだやめておこう」と、丘を駆け降りかけて足を止め、急に怖気づいた言い訳を探した。「追い払うための長い枝を持たずに、あの中へ行くわけにはいかないもの。それに、お散歩はどうだったって聞かれたら、面白いわね。こう答えるのよ。『ええ、なかなか楽しかったわ――』」(ここで、お得意の、つんと頭を振るしぐさ。)「『ただ、すごくほこりっぽくて暑くて、ゾウがしつこくまとわりついて、困っちゃった!』。」
「反対側から下りてみましょう」と、少し間を置いて言った。「ゾウたちには、あとで会いに行けるかもしれないし。それに、早く第三のマスへ入りたいんだもの!」
そう言い訳して、丘を駆け降り、六本ある小川の最初の一本を飛び越えた。
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「切符を拝見!」と車掌が窓から顔を出した。たちまち全員が切符を差し出した。切符は持ち主とほとんど同じ大きさで、客車いっぱいに詰まってしまったようだった。
「さあ、お嬢ちゃん! 切符を見せなさい!」と車掌は、アリスをにらんだ。すると、たくさんの声がいっせいに言った(「歌の合唱みたい」とアリスは思った)。「待たせちゃいけないよ、お嬢ちゃん! この人の時間は、一分千ポンドの値打ちがあるんだから!」
「あの、持っていないんです」とアリスはおびえた声で言った。「私が来たところには、切符売り場がなかったんです。」
また声の合唱が続いた。「この子が来たところには、売り場を建てる場所がなかった。あそこの土地は一インチ千ポンドもするんだから!」
「言い訳はいけません」と車掌は言った。「機関士から買えばよかったでしょう。」
再び声の合唱。「機関車を走らせる人だよ。煙だけでも、ひと吹き千ポンドの値打ちがあるんだから!」
アリスは心の中で思った。「それじゃ、何を言っても無駄ね。」
今度は口に出さなかったので、声は加わらなかった。ところが驚いたことに、みんなが合唱で考えたのだ(合唱で考えるというのがどういう意味か、皆さんにはわかるといいのだが――正直に言うと、私にはわからない)。「何も言わないほうがいい。言葉は一語千ポンドの値打ちがあるんだから!」
「今夜は千ポンドの夢を見そう。きっとそうだわ!」とアリスは思った。
このあいだじゅう車掌は、初めは望遠鏡で、次には顕微鏡で、それからオペラグラスで、アリスを調べていた。ようやく、「旅のしかたを間違えているね」と言い、窓を閉めて去っていった。
「これほど幼い子でも」と、向かいに座った紳士が言った(白い紙の服を着ていた)。「自分の名前は知らなくても、行き先くらいは知っていなければね!」
白い服の紳士の隣にいたヤギが、目を閉じ、大声で言った。「アルファベットは知らなくても、切符売り場への道は知っているべきだ!」
ヤギの隣には甲虫が座っていた(客車の乗客は、とにかく妙な顔ぶればかりだった)。順番に発言する決まりらしく、今度は甲虫が、「ここから先は、荷物として送り返さなくちゃならないな!」と続けた。
甲虫の向こうに誰がいるかは見えなかったが、次には、かすれた声がした。「機関車を取り替えて――」と言いかけて、続かなくなった。
「馬の声みたい」とアリスは思った。すると耳元で、ものすごく小さな声が言った。「それでしゃれが作れるよ。『馬の声が、かすれてしまうま』なんてね。」
それから遠くで、とてもやさしい声が言った。「『われもの注意』じゃなくて、『われこども注意』って札を付けなきゃ――」
さらに、別の声が次々に続いた(「この客車には、何人乗ってるのかしら!」とアリスは思った)。「頭が付いているから、切手代わりにして郵便で送れ――」「電報の文面にして送らなきゃ――」「残りの道は、自分で列車を引っぱらせればいい――」などなど。
けれど白い紙の服の紳士は、身を乗り出し、アリスの耳にささやいた。「ほかの人が言うことは、気にしなくていいよ。ただ、列車が止まるたびに、往復切符を買いなさい。」
「絶対に買いません!」
アリスは、少しいらいらして言った。「そもそも私、この汽車の旅とは関係ないんです。さっきまで森にいたの――あそこへ戻れたらいいのに。」
「それでもしゃれが作れるよ」と耳元の小さな声が言った。「『森へ戻るつもり』なんてね。」
「そんなにからかわないで」とアリスは言い、声の主を探して見回したが、見つからなかった。「そんなにしゃれを言ってほしいなら、自分で言えばいいじゃない?」
小さな声は、深いため息をついた。どうやらひどく悲しいらしかった。アリスもかわいそうになって、慰めの言葉をかけようと思った。「普通の人みたいにため息をついてくれさえすれば!」と考えたのだが、そのため息は、あまりにも小さかったので、耳のすぐそばでなければ、まったく聞こえなかっただろう。そのため耳がとてもくすぐったくなり、かわいそうな小さな生き物の悲しみなど、すっかり頭から飛んでしまった。
「君は友達だって、わかっているよ」と小さな声は続けた。「大事な友達、昔からの友達だ。僕が虫だって、ひどいことはしないよね。」
「どんな虫なの?」
アリスは少し心配になって尋ねた。本当に知りたかったのは、刺すかどうかだったが、それを尋ねるのは失礼な気がした。
「えっ、それじゃ君は、好きじゃ――」と小さな声が言いかけたとき、機関車の甲高い叫びが声をかき消した。みんなが驚いて立ち上がり、アリスもつられて立った。
窓から顔を出していた馬が、静かに頭を戻して言った。「小川を一本、飛び越えるだけだよ。」
みんな、それで納得したようだった。アリスは、そもそも汽車が飛ぶというだけで、少し不安になったが。「でも、これで第四のマスに入れるなら、それはありがたいわ」と思った。次の瞬間、客車がまっすぐ空へ浮き上がるのを感じ、怖くなって、手近なものにしがみついた。それが、ちょうどヤギのひげだった。
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* * * * * * *
けれど、ひげは触れると溶けてしまったようだった。気がつくとアリスは、木の下に静かに座っていた。そしてブヨが(話していた虫は、ブヨだったのだ)、頭のすぐ上の小枝にとまり、釣り合いを取りながら、羽であおいでくれていた。
それは確かに、とても大きなブヨだった。「ニワトリくらいあるわ」とアリスは思った。それでも、あんなに長く話をしたあとでは、怖いとは感じなかった。
「――それじゃ、虫はみんな嫌いなの?」とブヨは、何も起こらなかったかのように、静かに話を続けた。
「お話しできるなら好きよ」とアリスは言った。「私のいたところでは、虫は全然しゃべらないの。」
「君のいたところでは、どんな虫が楽しみなの?」とブヨは尋ねた。
「虫が楽しみなんてことは、まるでないわ」とアリスは説明した。「少し怖いんだもの。少なくとも、大きな虫はね。でも、名前なら、いくつか教えてあげられるわ。」
「もちろん、名前を呼べば返事をするんだろうね?」とブヨは何気なく言った。
「そんなこと、一度もなかったわ。」
「返事をしないなら」とブヨは言った。「名前があっても、何の役に立つの?」
「虫には役に立たないでしょうね」とアリスは言った。「でも、名前を付ける人には便利なんじゃないかしら。そうでなければ、どうして物には名前があるの?」
「さあね」とブヨは答えた。「この先の、あそこの森には、名前なんてないんだ――まあ、それより虫の名前を続けて。時間が無駄になるよ。」
「そうね、アブがいるわ。英語ではホースフライ、馬バエね」と、アリスは指を折って数え始めた。
「よし」とブヨは言った。「あの茂みの中ほどをよく見れば、揺り木馬バエがいるよ。体が全部木でできていて、ゆらゆら揺れながら枝から枝へ移るんだ。」
「何を食べて生きているの?」
アリスは、とても興味をひかれて尋ねた。
「樹液とおがくず」とブヨは言った。「名前を続けて。」
アリスは揺り木馬バエを熱心に見上げた。つやつやして、べとついて見えたので、きっと塗り直したばかりなのだろうと思った。それから続けた。
「あとはトンボ。ドラゴンフライね。」
「頭の上の枝をごらん」とブヨは言った。「スナップドラゴンフライがいるよ。体はプラムプディング、羽はヒイラギの葉っぱ、頭はブランデーに漬けて火をつけた干しブドウだ」[訳注:スナップドラゴンは、燃えるブランデーの中から干しブドウをつまんで食べる、昔のクリスマス遊び。]
「それで、何を食べるの?」
「小麦のミルクがゆとミンスパイ[訳注:ドライフルーツなどを詰めた小さなパイ]」とブヨは答えた。「巣はクリスマスの贈り物の箱に作るよ。」
「それからチョウチョ。バタフライね」とアリスは続けた。燃える頭の虫をじっくり見て、「虫がろうそくへ飛び込むのが好きなのは、そのせいかしら。スナップドラゴンフライになりたいのね!」と考えたあとだった。
「足元をはっているのが」とブヨは言った(アリスは少しびくっとして足を引っ込めた)。「パン・アンド・バタフライだよ。羽は薄切りのバター付きパン、体はパンの耳、頭は角砂糖なんだ。」
「それは何を食べるの?」
「クリームを入れた薄い紅茶。」
アリスの頭に、また疑問が浮かんだ。「もし、それが見つからなかったら?」
「もちろん、死んでしまうさ。」
「でも、そうなること、しょっちゅうあるんじゃないかしら」とアリスは考え込んだ。
「いつもそうなるよ」とブヨは言った。
そのあと一、二分、アリスは黙って考えていた。そのあいだブヨは、アリスの頭のまわりをぶんぶん飛んで楽しんでいたが、やがてまたとまり、こう言った。「自分の名前をなくしたくはないだろうね?」
「ええ、もちろん」とアリスは、少し不安になって答えた。
「でも、どうかな」とブヨは何気ない調子で続けた。「名前なしで家へ帰れたら、どんなに便利か考えてごらん! たとえば家庭教師が、勉強させようと君を呼ぶとする。『こっちへいらっしゃい、――』と言ったところで、止まらなくちゃならない。呼ぶ名前がないんだからね。そうすれば、もちろん君は行かなくてもいいわけさ。」
「そんなの、きっとうまくいかないわ」とアリスは言った。「家庭教師の先生が、そんな理由でお勉強を免除してくれるはずないもの。名前が思い出せなければ、召使いの人たちみたいに『お嬢さん!』って呼ぶわ。」
「じゃあ、『お嬢さん』とだけ言って、そのあとは何も言わなければ」とブヨは言った。「授業は、おじゃんになるわけだね。しゃれだよ。君が言ったんだったらよかったのに。」
「どうして私が言えばよかったの?」
アリスは尋ねた。「ずいぶんひどいしゃれよ。」
けれどブヨは、ただ深くため息をついた。大きな涙が二粒、頬を転がり落ちた。
「しゃれなんて、言わないほうがいいわ」とアリスは言った。「そんなに悲しくなるのなら。」
また、あの悲しげな小さなため息が聞こえた。今度は、かわいそうなブヨは、ため息と一緒に消えてしまったらしい。アリスが見上げると、小枝には何もいなかった。長いことじっと座っていて、すっかり肌寒くなっていたので、アリスは立ち上がり、先へ進んだ。
まもなく開けた野原に出た。向こう側に森があったが、前の森よりずっと暗く見えたので、アリスは入るのが少し怖かった。それでも考え直して、進むことにした。「だって、絶対に引き返すつもりはないもの」と思ったし、第八のマスへ行く道は、これしかなかった。
「きっと、この森なのね」と、考え深げにつぶやいた。「物に名前がない森。中へ入ったら、私の名前はどうなるのかしら? 絶対になくしたくないわ――だって、別の名前を付けてもらわなくちゃならないし、それはほとんど間違いなく、変な名前だもの。でも、もとの名前を手に入れた生き物を探すのは、面白いでしょうね! 犬がいなくなったときの広告みたい。『「ダッシュ」と呼べば返事をします。真鍮の首輪を着けています』なんて。出会うものを片っ端から『アリス』って呼んで、どれかが返事するまで続けるのよ! もっとも、賢い子なら、返事なんかしないでしょうけど。」
こんなふうに、とりとめもなく話しているうちに、森へ着いた。ひんやりした木陰が気持ちよさそうだった。「まあ、とにかく助かるわ」と、木々の下へ入って言った。「あんなに暑かったあとで、この――この何の中だっけ?」言葉が思いつかず、少し驚いて続けた。「つまり、この下へ来られて――この――この下よ!」木の幹に手を当てた。「これは、自分のことを何て呼ぶのかしら? 本当に名前がないみたい――そうよ、確かにないんだわ!」
しばらく黙って立ち、考えていたが、突然また話し始めた。「じゃあ、とうとう本当にそうなったのね! それで、私は誰? 思い出せるものなら、きっと思い出してみせるわ! 絶対に!」
けれど、いくら決心しても、あまり役には立たなかった。さんざん頭をひねった末に言えたのは、「エル。確かにエルで始まるのよ!」だけだった。
ちょうどそのとき、小鹿が一頭、ぶらぶらやって来た。大きなやさしい目でアリスを見たが、少しも怖がってはいないようだった。「おいで、おいで!」
アリスは手を差し出し、なでようとした。けれど小鹿は、少しだけ身を引き、また立ち止まってアリスを見つめた。
「あなた、自分のことを何て呼ぶの?」と、ようやく小鹿が言った。なんて柔らかく、かわいい声だろう!
「わかったらいいのに!」と、かわいそうなアリスは思った。そして少し悲しそうに答えた。「今は、何とも呼ばないの。」
「もう一度考えて」と小鹿は言った。「それではだめよ。」
アリスは考えたが、何も浮かばなかった。「お願い、あなたは自分のことを何て呼ぶのか、教えてくれない?」と、おずおず言った。「それが少し、手がかりになるかもしれないわ。」
「もう少し先へ行ったら教える」と小鹿は言った。「ここでは思い出せないの。」
そこで、ふたりは一緒に森を歩いた。アリスは、小鹿の柔らかな首を、いとおしそうに両腕で抱いていた。やがて別の野原へ出ると、小鹿は突然ぴょんと跳び上がり、アリスの腕を振りほどいた。「わたし、小鹿だわ!」と、喜びいっぱいの声で叫んだ。「まあ大変! あなたは人間の子供じゃない!」
美しい茶色の目に、突然おびえの色が浮かび、次の瞬間には、全速力で駆け去っていた。
アリスはそのあとを見送って立ち尽くした。かわいい旅の道連れを急になくして、残念で泣きそうだった。「でも、もう自分の名前がわかったわ」と言った。「それだけでも、少しはましね。アリス――アリス――もう忘れないわ。それで、この道しるべは、どちらに従えばいいのかしら?」
答えを出すのは、さほど難しくなかった。森の道は一本しかなく、二つの道しるべも、そろってその道を指していたからだ。「道が分かれて、違うほうを指すようになったら、そのときに決めましょう」とアリスは思った。
けれど、そうなりそうにはなかった。歩いても歩いても、道が分かれるところには必ず二つの道しるべがあり、どちらも同じ方向を指していた。片方には「ツィードルダムの家へ」、もう片方には「ツィードルディーの家はこちら」と書いてあった。
「きっと、同じおうちに住んでいるんだわ!」と、とうとうアリスは言った。「どうして今まで気づかなかったのかしら。でも、長居はできないわね。ちょっと寄って、『こんにちは』って挨拶して、森を出る道を聞くだけにしましょう。暗くなる前に、第八のマスへ行けたらいいんだけど!」
そうして独り言を言いながら歩いていき、急な角を曲がると、ふとった小男ふたりに出くわした。あまりに突然だったので、思わずあとずさりしたが、すぐに落ち着いた。このふたりこそ、きっと――
第四章 ツィードルダムとツィードルディー
ふたりは木の下に立ち、互いの首に片腕を回していた。アリスには、どちらがどちらか、すぐわかった。片方の襟には「ダム」、もう片方には「ディー」と刺繍されていたからだ。「きっと襟の後ろには、それぞれ『ツィードル』ってあるのね」とアリスは思った。
あまりじっと立っているので、アリスはふたりが生きていることをすっかり忘れ、襟の後ろに「ツィードル」と書いてあるか確かめようと、のぞき込みかけた。そのとき「ダム」と書かれたほうが声を出し、ぎょっとした。
「僕らをろう人形だと思ってるなら」と男は言った。「お金を払ってもらわなきゃね。ろう人形は、ただで見せるために作られたんじゃない。とんでもない!」
「その反対に」と「ディー」のほうが付け加えた。「生きてると思うなら、挨拶するべきだ。」
「本当にごめんなさい」としか、アリスには言えなかった。昔からの歌が、時計の音みたいに頭の中で響き続け、声に出さずにいるのも難しかったのだ。――
「ツィードルダムとツィードルディー、
ふたりで戦う約束した。
ツィードルダムが言うことにゃ、ツィードルディーが
お気に入りの新しいガラガラ、壊したと。
そこへ大きなカラスが飛んできた、
タールの樽のように真っ黒な。
勇ましいふたりも、びっくり仰天、
けんかなど、すっかり忘れたとさ。」
「何を考えてるか、わかってるよ」とツィードルダムは言った。「でも、そんなことはない。とんでもない。」
「その反対に」とツィードルディーが続けた。「もしそうだったなら、そうかもしれない。もしそうであったなら、そうであろう。けれど、そうじゃないから、そうじゃない。これが論理だ。」
「私が考えていたのは」とアリスは、とても丁寧に言った。「この森から出るには、どの道がいちばんいいかってことなの。だんだん暗くなってきたから。教えてくださらない?」
けれど小男たちは、顔を見合わせて、にやにやしただけだった。
ふたりがまるで、体ばかり大きい学校の生徒そっくりだったので、アリスはついツィードルダムを指さし、「一番の生徒!」と言ってしまった。
「とんでもない!」
ツィードルダムは元気よく叫び、ぱくりと口を閉じた。
「次の生徒!」と、今度はツィードルディーに言った。「その反対に!」と叫ぶだけだろうとは、わかっていた。そして、そのとおりになった。
「間違ってるよ!」とツィードルダムは叫んだ。「訪問したら、まず『ごきげんよう』って言って、握手をするんだ!」
そこで兄弟は互いを抱きしめ、それから空いているほうの手をそれぞれ差し出して、握手を求めた。
アリスは、先に片方と握手すると、もう片方の気を悪くするのではと心配した。そこで、いちばんよい解決策として、両方の手を同時につかんだ。次の瞬間には、三人は輪になって踊っていた。あとで思い返しても、それがごく自然なことに感じられた。音楽が聞こえてきても、驚きさえしなかった。音は、踊っている木の中から聞こえるようだった。どうやら枝が、バイオリンと弓のようにこすれ合い、音を出しているらしかった。
「でも、本当におかしかったのは」と、あとで一部始終をお姉さんに話したとき、アリスは言った。「いつの間にか『桑の木のまわりを回りましょう』を歌っていたことなの。いつ歌い始めたのか知らないけど、何だか、ずっとずっと前から歌っていた気がしたのよ!」
ほかの踊り手ふたりは、ふとっていたので、すぐ息が切れた。「ひと踊り、四回回れば十分だ」とツィードルダムが息を弾ませて言うと、始まったときと同じように、踊りは突然終わった。音楽も同時に止まった。
ふたりはアリスの手を離し、しばらく立って見つめた。アリスは、今しがた一緒に踊った人たちと、どう話を始めればいいのかわからず、少し気まずい沈黙が続いた。「今さら『ごきげんよう』は変だわね」と思った。「何だか、もうそういう段階ではなくなったみたい!」
「あまりお疲れではない?」と、ようやく尋ねた。
「とんでもない。気を遣ってくれて、どうもありがとう」とツィードルダムは言った。
「本当にありがたいね!」とツィードルディーが付け加えた。「詩は好き?」
「ええと、まあまあ――好きな詩もあるわ」とアリスは、ためらいがちに答えた。「森を出る道を教えてくださらない?」
「何を聞かせてあげよう?」とツィードルディーは、アリスの質問には構わず、ひどくまじめな目でツィードルダムを見た。
「『セイウチと大工』が、いちばん長いね」とツィードルダムは答え、兄弟を愛情こめて抱きしめた。
ツィードルディーは、すぐに始めた。
「太陽が輝いて――」
ここでアリスは、思い切って口を挟んだ。「とても長いのなら」と、できるだけ礼儀正しく言った。「どうか先に、どの道を――」
ツィードルディーはやさしくほほえみ、また始めた。
「太陽が海を照らしていた、
持てるかぎりの力をこめて。
波をなめらかに、きらきらさせようと、
精いっぱい努めていた――
けれど、それは妙だった、なにしろ
真夜中のことだから。
月はふくれて輝いていた、
だって、お日様に
そこにいる用などないはずだ、
もう昼は終わったのだから――
『なんて失礼なんでしょう』と月は言った、
『せっかくの楽しみを邪魔するなんて!』
海はこれ以上ないほど濡れ、
砂はこれ以上ないほど乾いていた。
雲が見えないのは、つまり
空に雲がなかったから。
頭上に鳥は飛んでいなかった――
飛ぶ鳥が、一羽もいなかったのだ。
セイウチと大工が
その近くを歩いていた。
あまりの砂の多さを見て、
ふたりは、わんわん泣いた。
『これを片づけられさえすれば。』
ふたりは言った。『素晴らしいのに!』
『七人の娘が七本のモップで、
半年掃除をしたとしたら、
どう思う?』とセイウチは言った。
『きれいさっぱり片づくかな?』
『無理だろうね』と大工は言って、
苦い涙をひとしずく。
『おお、カキたち、一緒に歩こう!』
セイウチは熱心に誘った。
『楽しく歩き、楽しく話そう、
潮の香りの浜辺をね。
ただし四人までにしておくれ、
ひとりずつ手をつなぎたいから。』
いちばん年上のカキは見たが、
ひと言も口にしなかった。
いちばん年上のカキは目をぱちり、
重たい頭を横に振った――
つまり、カキの寝床を離れる
気はない、と言いたかったのだ。
けれど若いカキが四人、急いで来た、
すてきなお出かけに胸を躍らせ。
上着は払い、顔は洗い、
靴はきれいに磨いてあった――
けれど、それは妙だった、なにしろ
カキに足などないのだから。
ほかの四人があとに続き、
さらに、もう四人。
しまいには次々ぞろぞろと、
まだまだ、まだまだ、やって来た――
みんな泡立つ波を跳び、
浜へとよじ登って来た。
セイウチと大工は
一マイルほど歩いてから、
ちょうどよい高さの岩に
腰掛けて休んだ。
小さなカキたちはみんな、
一列に並んで待っていた。
『さて、時が来た』とセイウチは言った。
『いろんな話をする時だ。
靴のこと、船のこと、封ろうのこと、
キャベツのこと、王様のこと、
なぜ海は煮え立つほど熱いのか、
ブタには翼があるのかどうか。』
『でも、ちょっと待って!』とカキたちは叫んだ。
『お話を始める前に。
息を切らした仲間もいるし、
みんな、ふとっているんです!』
『急がなくていいさ!』と大工は言った。
カキたちは、とても感謝した。
『ひと塊のパンが』とセイウチは言った。
『何よりもまず必要だね。
それにコショウとお酢があれば、
まったく申し分ない――
さて、かわいいカキたち、用意ができたら、
食事を始めるとしよう。』
『でも、僕らを食べないで!』とカキたちは叫び、
少しばかり青くなった。
『あんなに親切にしておいて、
そんなの、あんまりじゃないですか!』
『いい夜だね』とセイウチは言った。
『景色は気に入ったかね?
来てくれて、本当にありがとう!
君たちは、とてもいいお味!』
大工が言ったのは、ただこれだけ。
『もう一切れ、切ってくれ。
もう少し耳をよくしてほしいね――
二度も頼まなきゃならないんだから!』
『何だか、かわいそうだね』とセイウチは言った。
『こんなふうにだますとは。
こんな遠くまで連れて来て、
あんなに急いで歩かせて!』
大工が言ったのは、ただこれだけ。
『バターを塗りすぎだよ!』
『君たちを思って泣いているんだ』とセイウチは言った。
『心から同情しているよ。』
すすり泣き、涙を流しつつ、
いちばん大きなものを選り分けた。
ポケットのハンカチをかざして、
あふれる涙を隠しながら。
『さあ、カキたち』と大工は言った。
『楽しいお散歩だったろう!
そろそろ家まで駆け戻ろうか?』
けれど返事は、ひとつもなかった――
それも、それほど妙ではない、だって
ひとり残らず食べてしまったのだから。」
「私はセイウチのほうが好き」とアリスは言った。「だって、かわいそうなカキたちのことを、少しは気の毒に思っていたもの。」
「でも、大工よりたくさん食べたんだよ」とツィードルディーは言った。「前にハンカチをかざしていたのは、いくつ取ったか、大工に数えられないようにするためさ。その反対に。」
「ずるいわ!」
アリスは憤慨して言った。「それなら大工のほうが好き――セイウチほどたくさん食べなかったのなら。」
「でも、取れるだけ全部食べたよ」とツィードルダムは言った。
これは困った。しばらくしてアリスは、「まあ! どちらも、とてもいやな人たちだったのね――」と言いかけたが、ぎくっとして黙った。近くの森から、大きな蒸気機関が息を吐くような音がしたのだ。もっとも、蒸気機関よりは、野獣の可能性のほうが高そうで怖かった。「このあたりに、ライオンやトラはいるの?」と、おずおず尋ねた。
「赤の王が、いびきをかいてるだけだよ」とツィードルディーは言った。
「見においでよ!」と兄弟は叫び、それぞれアリスの片手を取って、王が眠っているところへ連れていった。
「すてきな眺めだろう?」とツィードルダムは言った。
アリスは、正直なところ、そうとは言えなかった。王は房の付いた背の高い赤い寝帽子をかぶり、だらしないひと山のように体を丸めて、大いびきをかいていた。「頭が吹っ飛びそうないびきだ!」とツィードルダムが評したほどだった。
「湿った草の上で寝ていたら、風邪をひいてしまうわ」とアリスは言った。とても思いやりのある女の子だったのだ。
「今、夢を見てるんだよ」とツィードルディーは言った。「何の夢だと思う?」
「そんなの、誰にもわからないわ」とアリスは答えた。
「もちろん、君の夢だよ!」
ツィードルディーは、得意げに手をたたいて叫んだ。「もし王様が、君の夢を見るのをやめたら、君はどこにいると思う?」
「もちろん、今いるところよ」とアリスは言った。
「いるもんか!」
ツィードルディーは鼻で笑った。「どこにもいなくなるんだ。君は、王様の夢の中の何かでしかないんだから!」
「もしあの王様が目を覚ましたら」とツィードルダムも付け加えた。「君は消えるんだ――ぱん! ――ろうそくみたいに!」
「消えないわ!」
アリスは怒って叫んだ。「それに、私が王様の夢の中の何かでしかないのなら、あなたたちはいったい何なの?」
「同上」とツィードルダムは言った。
「同上、同上」とツィードルディーが叫んだ。
あまりに大声だったので、アリスはつい言った。「しっ! そんなに騒いだら、王様が起きてしまうわ。」
「君が起こすななんて言っても、無駄だよ」とツィードルダムは言った。「君自身が、王様の夢のひとつでしかないんだから。本物じゃないって、ちゃんとわかってるだろう。」
「私は本物よ!」とアリスは言い、泣き始めた。
「泣いたって、これっぽっちも本物には近づかないよ」とツィードルディーは言った。「泣くほどのことじゃない。」
「本物じゃなかったら」とアリスは言った。あまりにばかばかしくて、涙の中にも少し笑いが交じった。「泣けるはずないじゃない。」
「まさか、それが本物の涙だと思ってるんじゃないだろうね?」
ツィードルダムが、ひどく見下した口調で遮った。
「でたらめを言ってるだけなのよ」とアリスは思った。「そんなことで泣くなんて、ばかみたい。」
そこで涙をぬぐい、できるだけ明るく話を続けた。「とにかく、森を出たほうがよさそうね。本当に暗くなってきたもの。雨が降ると思う?」
ツィードルダムは、自分と兄弟の上に大きな傘を広げ、内側を見上げた。「いや、降らないと思う」と言った。「少なくとも――ここにはね。とんでもない。」
「でも、外では降るかもしれないでしょう?」
「降るかもしれないね――雨がそうしたければ」とツィードルディーは言った。「僕らに異存はない。その反対に。」
「勝手な人たち!」とアリスは思った。そして「おやすみなさい」と言って立ち去ろうとしたとき、ツィードルダムが傘の下から飛び出し、手首をつかんだ。
「あれが見えるか?」と、怒りで詰まる声で言った。目はたちまち大きく黄色くなり、震える指で、木の下に落ちた小さな白いものを指した。
「ただのガラガラよ」とアリスは、その小さな白いものをよく調べて言った。怖がっているのだと思い、急いで付け加えた。「ガラガラヘビじゃないの。ただの古いガラガラ――ずいぶん古くて、壊れているわ。」
「やっぱりそうだったんだ!」とツィードルダムは叫び、めちゃくちゃに地団駄を踏み、髪をかきむしり始めた。「やっぱり壊されてる!」
ここでツィードルディーをにらむと、ツィードルディーはすぐ地面に座り、傘の下に隠れようとした。
アリスはツィードルダムの腕に手を置き、なだめるように言った。「古いガラガラひとつで、そんなに怒らなくてもいいでしょう。」
「古くなんかない!」
ツィードルダムは、いっそう怒って叫んだ。「新しいんだってば! 昨日買ったんだぞ――僕の、すてきな、新しい、ガラガラ!」声はしまいに、金切り声になった。
このあいだじゅう、ツィードルディーは、自分を中に入れたまま傘を畳もうと、必死になっていた。あまりに変わった行動だったので、アリスの注意は怒っている兄弟からすっかりそれてしまった。けれど、どうしてもうまくいかず、最後には傘にくるまって転がり、頭だけ突き出した。そしてそのまま、大きな目と口を開けたり閉じたりしていた。「何というか、お魚そっくりだわ」とアリスは思った。
「もちろん、戦うことには同意するね?」
ツィードルダムは、少し落ち着いた声で言った。
「まあね」と、もうひとりは傘からはい出しながら、不機嫌に答えた。「ただし、この子に身支度を手伝ってもらわなきゃ。」
そこで兄弟は、手をつないで森へ入り、すぐに両腕いっぱいの品物を抱えて戻った。長枕、毛布、暖炉前の敷物、テーブルクロス、料理の覆い、石炭入れ、といったものだった。「留め針を刺したり、ひもを結んだりするのは、得意だろうね?」
ツィードルダムは尋ねた。「これを全部、どうにかして身に着けなくちゃならないんだ。」
アリスはあとで、生まれてから、あんな大騒ぎは見たことがない、と言った。ふたりのせかせかした動きといい、着込んだ品物の量といい、ひもを結び、ボタンを留める手間といい! 「支度が済むころには、古着の包みみたいになるわね!」と、ツィードルディーの首に長枕を巻きながら思った。これは本人に言わせれば、「首を切り落とされないように」するためだった。
「何しろ」と、ツィードルディーはひどくまじめに付け加えた。「戦いで起きることの中でも、首を切り落とされるのは、とりわけ深刻なことだからね。」
アリスは声を立てて笑ったが、気を悪くさせないよう、どうにか咳に変えた。
「僕、ひどく青い顔をしてる?」とツィードルダムが、かぶとのひもを結んでもらいに来て尋ねた。(本人はかぶとと呼んでいたが、どう見ても片手鍋のほうに似ていた。)
「ええと――そうね――少し」とアリスはやさしく答えた。
「いつもは、とても勇敢なんだよ」と、低い声で続けた。「ただ、今日はたまたま頭が痛くてね。」
「僕は歯が痛いんだぞ!」と、それを聞きつけたツィードルディーが言った。「僕のほうが、ずっとひどい!」
「それなら、今日は戦わないほうがいいわ」とアリスは言った。仲直りさせる、いい機会だと思ったのだ。
「少しは戦わなくちゃならない。でも、長く続ける気はないな」とツィードルダムは言った。「今、何時?」
ツィードルディーは時計を見て、「四時半」と答えた。
「六時まで戦って、それから夕飯にしよう」とツィードルダムは言った。
「いいよ」と相手は、少し悲しそうに言った。「この子には見ていてもらおう。ただし、あまり近づかないほうがいいよ」と付け加えた。「本気で興奮すると、たいてい、目に入るものは何でも殴るんだ。」
「僕は、手の届くものは何でも殴るぞ」とツィードルダムは叫んだ。「見えていようが、いまいが!」
アリスは笑った。「それなら、木をしょっちゅう殴るでしょうね。」
ツィードルダムは満足そうに笑って、あたりを見回した。「戦いが終わるころには」と言った。「ずっと遠くまで、一本も木が立っていないと思うよ!」
「それも全部、ガラガラひとつのためなのね!」とアリスは言った。こんなささいなことで戦うのを、少しでも恥ずかしく思ってくれないかと、まだ期待していた。
「新しいのでなければ」とツィードルダムは言った。「僕だって、こんなに気にしなかったさ。」
「大きなカラスが来てくれたらいいのに!」とアリスは思った。
「剣は一本しかないからね」とツィードルダムは兄弟に言った。「君は傘を使えばいい。同じくらい鋭いよ。ただ、早く始めなくちゃ。これ以上ないほど暗くなってきた。」
「もっと暗くなる」とツィードルディーが言った。
あまり急に暗くなったので、アリスは雷雨が近づいているのだろうと思った。「なんて分厚い黒雲かしら!」と言った。「それに、なんて速いの! まあ、羽があるみたい!」
「カラスだ!」
ツィードルダムが、甲高い恐怖の声を上げた。兄弟は一目散に逃げ出し、あっという間に見えなくなった。
アリスは少し森の中へ走り込み、大きな木の下で止まった。「ここなら絶対に来られないわ」と思った。「大きすぎて、木々のあいだを通れないもの。でも、あんなに羽ばたかないでほしいわ。森じゅうが、まるで大嵐――あら、誰かのショールが飛ばされている!」
第五章 毛糸と水
そう言いながらショールをつかみ、持ち主を探して見回した。するとすぐ、白の女王が、飛ぶように両腕を大きく広げ、森の中をむやみやたらに駆けてきた。アリスはショールを持ち、とても礼儀正しく迎えに出た。
「ちょうど通りがかって、よかったです」とアリスは言い、ショールを着直すのを手伝った。
白の女王は、途方に暮れたような、おびえたような顔でアリスを見るばかりで、「バター付きパン、バター付きパン」とも聞こえる言葉を、小声で繰り返していた。話をするなら、自分でどうにかするしかない、とアリスは思った。そこで、少しおずおずと切り出した。「白の女王様でいらっしゃいますね。お話し相手をしても、よろしいでしょうか?」
「ええ、まあ、あなたがこれをお召し替えと呼ぶなら」と女王は言った。「わたくしの思うお召し替えとは、まるで違うけれど。」
話の最初から言い争うのもよくないと思い、アリスはほほえんで言った。「陛下、正しい始め方を教えてくだされば、できるだけ上手にやってみます。」
「でも、やってほしくなんかないのよ!」と、かわいそうな女王はうめいた。「もう二時間も、ひとりでお召し替えをしているんですもの。」
アリスから見れば、誰かほかの人に着せてもらったほうが、ずっとましだったはずだ。それほど身なりが乱れていた。「何もかも、曲がっているわ」とアリスは思った。「それに、体じゅう針だらけ! ――ショールを直して差し上げましょうか?」と、今度は声に出した。
「何がいけないのか、わからないの!」と女王は悲しげに言った。「機嫌が悪いんだと思うわ。ここも留めたし、そこも留めたのに、どうしても気に入ってくれなくて!」
「片側ばかり留めたら、まっすぐにはなりませんよ」と、アリスはやさしく直しながら言った。「それに、まあ、髪もずいぶんひどいことに!」
「ブラシが絡まってしまったの!」と女王はため息をついた。「くしは昨日なくしたし。」
アリスは注意深くブラシを外し、できるだけ髪を整えた。「さあ、だいぶよくなりました!」と、針のほとんどを留め直して言った。「でも本当に、お付きの侍女が必要ですわ!」
「あなたなら、喜んで雇うわ!」と女王は言った。「一週間に二ペンス。それに一日おきのジャム。」
アリスは思わず笑った。「私を雇ってほしいのではありません。それに、ジャムはいりません。」
「とてもおいしいジャムなのよ」と女王は言った。
「でも、少なくとも今日はいりません。」
「欲しがったところで、もらえないわ」と女王は言った。「決まりでは、ジャムは明日と昨日。今日のジャムは、決してないの。」
「いつかは必ず、『今日のジャム』になるはずです」とアリスは反論した。
「いいえ、なりません」と女王は言った。「ジャムは別の日ごとなのよ。今日は、別の日ではないでしょう。」
「おっしゃることがわかりません」とアリスは言った。「ひどくややこしいわ!」
「それは、逆向きに生きているせいね」と女王はやさしく言った。「最初は誰でも、少し目が回るものなの――」
「逆向きに生きる!」
アリスは仰天して繰り返した。「そんなの、聞いたこともありません!」
「――でも、大きな利点がひとつあるのよ。記憶が両方の向きに働くこと。」
「私のは、片方にしか働きません」とアリスは言った。「まだ起きていないことは、思い出せないんです。」
「後ろ向きにしか働かないなんて、貧弱な記憶ね」と女王は言った。
「陛下は、どんなことをいちばんよく覚えていらっしゃるんですか?」
アリスは思い切って尋ねた。
「ああ、再来週に起こったことよ」と女王は何気なく答えた。「たとえば、そうね」と、指に大きな膏薬を貼りつけながら続けた。「王様の使者がいるでしょう。今、牢屋に入って罰を受けているの。でも裁判が始まるのは来週の水曜日。そしてもちろん、罪を犯すのは何もかもの最後よ。」
「もし、罪を犯さなかったら?」とアリスは尋ねた。
「そのほうが、なおいいでしょう?」と女王は言い、リボンで膏薬を指に巻きつけた。
それは否定できないと、アリスも思った。「もちろん、そのほうが、なおいいですけど」と言った。「でも、罰を受けるのは、なおいいことにはなりませんわ。」
「少なくとも、そこは間違っているわ」と女王は言った。「あなた、罰を受けたことはある?」
「悪いことをしたときだけです」とアリスは答えた。
「そして、おかげで、もっといい子になったでしょう!」と女王は勝ち誇った。
「ええ、でも、そのときは罰を受けるだけのことをしたんです」とアリスは言った。「そこが大違いです。」
「でも、しなかったなら」と女王は言った。「もっとよかったでしょう。もっと、もっと、もっと!」
「もっと」と言うたびに声が高くなり、最後はキーッという声になった。
アリスは「どこか間違っている気が――」と言い始めたが、女王が大声で悲鳴を上げたので、途中でやめなくてはならなかった。「ああ、ああ、ああ!」と女王は叫び、手を振り落としたいかのように振り回した。「指から血が出る! ああ、ああ、ああ、ああ!」
悲鳴が蒸気機関車の汽笛そっくりだったので、アリスは両手で耳をふさがなくてはならなかった。
「いったいどうなさったんです?」と、自分の声が届きそうになったところで尋ねた。「指を刺したんですか?」
「まだ刺していないわ」と女王は言った。「でも、もうすぐ刺すの――ああ、ああ、ああ!」
「いつ、刺すおつもりなんですか?」
アリスは、笑いたくてたまらなくなりながら尋ねた。
「ショールを留め直すときよ」と、かわいそうな女王はうめいた。「ブローチが、今にも外れるの。ああ、ああ!」
そう言ったとたん、ブローチがぱちんと開いた。女王は慌ててつかみ、もう一度留めようとした。
「気をつけて!」とアリスは叫んだ。「すっかり曲がっています!」
ブローチをつかもうとしたが、もう遅かった。針が滑って、女王は指を刺してしまった。
「ほら、これで血が出たわけがわかったでしょう」と、女王はアリスにほほえんだ。「ここでは、物事がどう起こるのか、わかったわね。」
「でも、どうして今は叫ばないの?」
アリスは、また耳をふさげるように手を構えて尋ねた。
「だって、叫ぶのは全部済ませたもの」と女王は言った。「もう一度やったって、何の役に立つの?」
そのころには、あたりは明るくなり始めていた。「カラスが飛んでいったんだと思います」とアリスは言った。「いなくなって、うれしいわ。夜になりかけたのかと思ったんです。」
「わたくしも、うれしくなれたらいいのに!」と女王は言った。「ただ、どうしても、そのやり方が思い出せないの。この森に住んで、好きなときにうれしくなれるなんて、あなたはとても幸せね!」
「でも、ここはとても寂しいんです!」
アリスは悲しげに言った。そして、ひとりぼっちなのを思うと、大きな涙が二粒、頬を転がり落ちた。
「ああ、そんなふうにしないで!」と、かわいそうな女王は、絶望したように両手をもんだ。「自分がどんなに大きな女の子か、考えてごらんなさい。今日どんなに遠くまで来たか、考えてごらんなさい。今が何時か、考えてごらんなさい。何でもいいから考えて、ただし泣かないで!」
アリスは、涙のさなかでも、思わず笑った。「陛下は、何か考えれば泣かずにいられるんですか?」
「そうするものなのよ」と女王は、きっぱり言った。「誰だって、二つのことを同時にはできないでしょう。まずは年を考えてみましょう。あなたはいくつ?」
「ちょうど七歳半です。」
「『ちょうど半分』まで言わなくても」と女王は言った。「それくらい、言われなくても信じますよ。今度はあなたに信じてもらうわ。わたくしは、ちょうど百一歳と五か月と一日よ。」
「それは信じられません!」とアリスは言った。
「できないの?」と女王は気の毒そうに言った。「もう一度やってごらんなさい。大きく息を吸って、目を閉じるの。」
アリスは笑った。「やってみても無駄ですわ。不可能なことなんて、信じられませんもの。」
「きっと、あまり練習していないのね」と女王は言った。「わたくしがあなたの年ごろには、毎日三十分ずつ練習したわ。朝ごはんの前に、不可能なことを六つも信じたことだってあるのよ。あら、またショールが!」
話しているうちにブローチが外れ、突然の風が、女王のショールを小川の向こうへ吹き飛ばした。女王はまた両腕を広げ、飛ぶように追いかけた。今度は自分でつかまえることができた。「取れたわ!」と得意げに叫んだ。「さあ、ひとりで留め直すところを見ていらっしゃい!」
「では、指はもうよくなったんですね?」
アリスは女王のあとを追って小川を渡りながら、とても丁寧に言った。
* * * * * * *
* * * * * *
* * * * * * *
「ああ、ずっとましよ!」と女王は叫んだ。続けるにつれて、声は甲高くなった。「ずっとまーし! まーし! めーし! めええええ!」
最後の言葉は、長い鳴き声になった。あまりに羊そっくりなので、アリスはびくりとした。
女王を見ると、いつの間にか全身を毛糸にくるんだようだった。アリスは目をこすり、もう一度見た。いったい何が起きたのか、さっぱりわからなかった。ここはお店なのかしら? そして、カウンターの向こうに座っているのは、本当に――本当に羊なのかしら? いくら目をこすっても、そうとしか見えなかった。アリスは薄暗い小さな店にいて、カウンターに肘をついていた。向かいでは、年を取った羊が肘掛け椅子に座って編み物をし、ときどき手を止めて、大きな眼鏡越しにアリスを見た。
「何が欲しいんだい?」と羊はようやく、編み物から一瞬顔を上げて言った。
「まだ、はっきりとは決まっていないんです」とアリスは、とても穏やかに答えた。「よかったら、先にまわりじゅう見てみたいんですけど。」
「前と両脇なら、好きなだけ見ていいよ」と羊は言った。「でも、まわりじゅうは見られないね。頭の後ろにも目があるなら別だけど。」
あいにくアリスには、そんな目はなかった。そこで体を回しながら、目の前に来た棚を順に眺めることで、我慢した。
店には、あらゆる種類の不思議な品物が詰まっているようだった。ところが、いちばん奇妙なのは、何があるのか確かめようと、ひとつの棚をじっと見ると、その棚だけは、いつも空っぽなことだった。まわりの棚は、どれもぎっしり埋まっているのに。
「ここの品物は、ずいぶん流れ回るのね!」と、とうとうアリスは困った声を出した。それまで一分ほど、大きくてぴかぴかしたものを追いかけていたのだが、どうしても見定められなかった。人形に見えたり、裁縫箱に見えたりして、いつも見ている棚の、ひとつ上にあった。「これが、いちばん意地悪だわ。でも、いいことを思いついた――」と、ふとひらめいて付け加えた。「いちばん上の棚まで追いかけてやりましょう。さすがに天井は抜けられなくて、困るでしょうね!」
けれど、この作戦も失敗だった。その「もの」は、慣れっことでもいうように、何の苦もなく天井を通り抜けてしまった。
「あんたは子供かい、それともこまかい?」と羊は、またひと組の編み針を取り上げて言った。「そんなにくるくる回っていたら、こっちが目を回しちまうよ。」
今や羊は、十四組の編み針を同時に動かしていた。アリスは、驚いて見つめずにはいられなかった。
「あんなにたくさんで、どうやって編めるのかしら?」と首をひねった。「見る見るヤマアラシみたいになっていくわ!」
「ボートはこげるかい?」と羊は尋ね、ひと組の編み針を差し出した。
「ええ、少しは。でも陸では無理ですし、編み針では――」とアリスが言いかけると、突然、手の中の編み針がオールに変わった。気がつけば、ふたりは小舟に乗り、両岸のあいだを滑るように進んでいた。だからもう、精いっぱいやるしかなかった。
「羽返し!」と羊は叫び、別の編み針を取り上げた。[訳注:水面から抜いたオールの羽根を水平に返す、ボートのこぎ方。英語では feather(羽)。]
返事の必要な言葉とも思えなかったので、アリスは黙ってこぎ続けた。ただ、ときどきオールが水に引っかかり、なかなか抜けなくなったので、何だか変わった水だと思った。
「羽返し! 羽返し!」と羊はまた叫び、さらに編み針を取った。「そのうち、カニをつかまえちまうよ」[訳注:英語の「カニをつかまえる」は、オールを水に取られて、こぎ損ねることも意味する。]
「かわいい小さなカニ!」とアリスは思った。「それなら、うれしいわ。」
「『羽返し』って言ったのが聞こえないのかい!」と羊は怒って叫び、今度は編み針をひと束つかんだ。
「聞こえました」とアリスは答えた。「何度もおっしゃったし、とても大きな声でしたから。あの、カニはどこにいるんですか?」
「水の中に決まってるだろう!」と羊は言い、手がいっぱいだったので、何本かの針を髪に差した。「羽返しだってば!」
「どうして、そんなに羽、羽っておっしゃるの?」
とうとうアリスは、少し腹を立てて尋ねた。「私、鳥ではありません!」
「鳥だよ」と羊は言った。「おばかなガチョウさ。」
アリスは少し気を悪くしたので、一、二分は話をしなかった。そのあいだ、舟は静かに滑っていった。ときには水草の群れを抜け(そのためオールは、ますます水に引っかかった)、ときには木々の下を通った。それでも、両側の高い岸は変わらず、頭上から険しく見下ろしていた。
「ああ、お願い! 香りのいいイグサがあるわ!」
アリスは突然、大喜びで叫んだ。「本当にある――しかも、なんてきれいなの!」
「そんなことで、あたしに頼まなくてもいいよ」と羊は、編み物から顔も上げずに言った。「あたしが植えたわけでもないし、持っていくつもりもないからね。」
「いいえ、そうじゃなくて――お願い、止まって摘んでもいい?」
アリスはせがんだ。「少しだけ舟を止めても、構わなければ。」
「あたしがどうやって止めるんだい?」と羊は言った。「あんたがこぐのをやめれば、勝手に止まるよ。」
そこで舟を流れのままに任せると、やがて揺れるイグサの中へ、すうっと入り込んだ。小さな袖を丁寧にまくり、小さな腕を肘まで水に浸して、できるだけ根元近くをつかんで折り取った。アリスはしばらく、羊も編み物もすっかり忘れていた。舟の縁から身を乗り出し、もつれた髪の先だけを水に浸しながら、きらきらした熱心な目で、愛らしい香りのイグサを次々つかんだ。
「舟がひっくり返らないといいけれど!」と独り言を言った。「ああ、なんてきれいなの! でも、あと少し届かなかったわ。」
確かにそれは、少々腹立たしいことだった(「わざとみたい」とアリスは思った)。舟が通るあいだに、美しいイグサをたくさん摘めたのに、届かないところには、必ずもっと美しい一本があるのだ。
「いちばんきれいなのは、いつでも、もっと向こうなのね!」と、とうとう言った。頑固に遠くへ生えるイグサにため息をつきながら、頬を赤くし、髪と手から水を滴らせて、席へよじ戻り、手に入れた宝物を並べ始めた。
摘んだその瞬間から、イグサがしおれ始め、香りも美しさも失っていたとしても、そのときのアリスに何の関係があっただろう? 本物の香りのイグサでさえ、ほんの少ししか長持ちしないものだ。ましてこれは夢のイグサだったから、足元に積まれると、雪のように溶けていった。でもアリスは、ほとんど気づかなかった。ほかに考えるべき不思議なことが、あまりにたくさんあったのだ。
それからあまり進まないうちに、片方のオールの羽根が水に引っかかり、どうしても抜けなくなった(と、あとでアリスは説明した)。その結果、柄があごの下に当たり、かわいそうなアリスが「あっ、あっ、あっ!」と小さな悲鳴を連発するにも構わず、そのまま座席からさらって、イグサの山へ投げ込んだ。
けれど、けがはなく、すぐに起き上がった。羊はそのあいだじゅう、何も起きなかったように編み物を続けていた。「見事なカニをつかまえたね!」と、アリスが、まだ舟の中にいることにほっとして、席へ戻るのを見て言った。
「そうなの? 見えなかったわ」とアリスは言い、慎重に舟の縁から暗い水をのぞいた。「離れていかなければよかったのに。小さなカニを見つけて、おうちへ連れて帰りたかったわ!」
けれど羊は、鼻で笑って、編み物を続けただけだった。
「ここには、カニがたくさんいるの?」とアリスは尋ねた。
「カニでも何でもあるよ」と羊は言った。「選び放題さ。さっさと決めておくれ。で、何を買いたいんだい?」
「買う!」
アリスは、半ば驚き、半ばおびえた声で繰り返した。オールも舟も川も、一瞬で消えてしまい、またあの薄暗い小さな店にいたのだ。
「卵をひとつ、いただきたいんですけど」と、おずおず言った。「おいくらですか?」
「ひとつなら五ペンスと四分の一ペニー。ふたつなら二ペンス」と羊は答えた。
「それじゃ、ふたつのほうが、ひとつより安いの?」
アリスは驚いて、財布を取り出した。
「ただし、ふたつ買ったら、両方とも食べなきゃならないよ」と羊は言った。
「では、ひとつください」とアリスは言い、カウンターにお金を置いた。「全然おいしくないかもしれないもの」と考えたからだ。
羊はお金を受け取り、箱にしまった。それから言った。「あたしは品物を人の手に渡したりしないよ。そんなことは、とてもできない。自分で取っておくれ。」
そう言って、店の反対の端へ行き、卵を棚の上に立てた。
「どうしていけないのかしら?」とアリスは思いながら、テーブルや椅子のあいだを、手探りで進んだ。店の奥は、とても暗かったのだ。「卵は近づくほど遠ざかるみたい。ええと、これは椅子? あら、枝が生えているわ! こんなところに木が生えているなんて、ずいぶん妙ね! しかも、ここには小川まで! まあ、こんなへんてこなお店は、初めてだわ!」
* * * * * * *
* * * * * *
* * * * * * *
そうして歩き続けたが、一歩進むごとに、不思議は増すばかりだった。何もかも近づくと木に変わってしまうので、卵もきっと同じになるのだろう、とすっかり思っていた。
第六章 ハンプティ・ダンプティ
ところが卵は、ただ大きくなるばかりで、ますます人間らしくなっていった。あと数ヤードというところまで来ると、目も鼻も口もあるのが見えた。そしてすぐそばまで来ると、まさしくハンプティ・ダンプティその人だと、はっきりわかった。「ほかの誰でもないわ!」とアリスは思った。「顔じゅうに名前が書いてあるのと同じくらい、確かよ。」
その巨大な顔には、名前を百回だって、たやすく書けたことだろう。ハンプティ・ダンプティは、高い塀の上に、トルコ人のようにあぐらをかいて座っていた。その塀はあまりに薄く、どうして釣り合いを保っていられるのか、アリスには不思議だった。ずっと反対側を見つめ、少しもアリスに気づく様子がないので、やはり詰め物の人形なのだろうと思った。
「それに、卵にそっくり!」と声に出して言った。今にも落ちるのではと思い、いつでも受け止められるように手を構えて立っていた。
「まったく腹立たしい」と、長い沈黙のあとでハンプティ・ダンプティは言った。アリスから顔をそむけたままだった。「卵呼ばわりされるとは――まったく!。」
「卵に似ていると申し上げたんです」とアリスは穏やかに説明した。「卵の中には、とてもきれいなのもありますし」と、どうにかほめ言葉にしようと付け加えた。
「世の中には」とハンプティ・ダンプティは、相変わらずあちらを向いたまま言った。「赤ん坊ほどの知恵しかない者もいる!」
アリスは何と答えればよいかわからなかった。これはまるで会話ではないと思った。何ひとつ、自分に向かって言ってくれないのだ。今の言葉など、明らかに木に向かって話していた。そこで、立ったまま小声で歌を唱えた。――
「ハンプティ・ダンプティ、塀に座った。
ハンプティ・ダンプティ、どしんと落ちた。
王様の馬を全部、家来を全部集めても、
ハンプティ・ダンプティを、もとの場所には戻せなかった。」
「最後の行は、詩にしては長すぎるわね」と、ほとんど声に出して付け加えた。ハンプティ・ダンプティに聞こえることを忘れていたのだ。
「そこに立って、ひとりでぺちゃくちゃしゃべっていないで」とハンプティ・ダンプティは、初めてアリスを見て言った。「名前と用件を言いたまえ。」
「名前はアリスです。でも――」
「実につまらん名前だ!」
ハンプティ・ダンプティは、いらだたしそうに遮った。「どういう意味だ?」
「名前には、意味がなくちゃいけないんですか?」
アリスは、不確かそうに尋ねた。
「もちろん、なくちゃならん」とハンプティ・ダンプティは、ふんと笑った。「わしの名前は、わしの形を表している。しかも、たいそう立派な、いい形だ。おまえのような名前では、ほとんどどんな形でも構わんことになる。」
「どうして、こんなところで、ひとりで座っているんですか?」とアリスは言った。言い争いを始めたくなかったのだ。
「そりゃ、一緒にいる者が誰もいないからだ!」とハンプティ・ダンプティは叫んだ。「そんな答えも知らんと思ったのか? 次の問題を出したまえ。」
「下の地面のほうが、安全ではありませんか?」
アリスは続けた。別のなぞなぞを出すつもりなどなく、ただ親切心から、この奇妙な生き物が心配だったのだ。「その塀は、とても幅が狭いですもの!」
「なんとまあ、やさしいなぞなぞばかりだ!」
ハンプティ・ダンプティは、うなるように言った。「もちろん、安全だとは思わん! 何しろ、もしわしが落ちたとしたら――そんなことは、あり得んが――それでももし落ちたら――」ここで唇をすぼめ、あまりに厳かで偉そうな顔をしたので、アリスは笑いそうになった。「もし落ちたら」と続けた。「王様が約束してくださったのだ。ご自身の口から、直接――その――その――」
「馬も家来も、みんなよこしてくださるのね」とアリスは、うっかり口を挟んだ。
「これは、まったくけしからん!」
ハンプティ・ダンプティは突然かっとなって叫んだ。「戸口で盗み聞きしたな! 木の陰や、煙突の中でも! でなければ、知っているはずがない!」
「本当に、していません!」
アリスは、とてもやさしく言った。「本に書いてあるんです。」
「ああ、なるほど! そういうことは、本には書くかもしれんな」とハンプティ・ダンプティは、少し落ち着いた。「それが、いわゆるイングランド史というものだ。さあ、わしをよく見るがいい! わしは王様と言葉を交わした者なのだ。このわしが。おまえは二度と、そんな者には会えんかもしれんぞ。だが、わしが気取った男でない証拠に、握手をしてやろう!」
そう言って、耳から耳まで届きそうな笑みを浮かべ、前へ身を乗り出した(そのため、危うく塀から落ちそうになった)。差し出された手を、アリスは少しはらはらしながら握った。「これ以上笑ったら、口の両端が後ろでつながってしまうかも」と思った。「そうしたら、頭はどうなるのかしら? 取れてしまいそうで怖いわ!」
「そうだ、馬も家来も全部だ」とハンプティ・ダンプティは続けた。「あの連中なら、あっという間にわしを拾い上げる! だが、この会話は少し進みが速すぎるな。最後から二つ目の発言へ戻ろう。」
「申し訳ありませんが、ちょっと思い出せません」とアリスは、とても丁寧に言った。
「それなら、初めからやり直しだ」とハンプティ・ダンプティは言った。「今度はわしが話題を選ぶ番だな――」(「まるでゲームみたいに言うのね!」とアリスは思った。)「では、質問だ。おまえはいくつだと言ったかな?」
アリスは少し計算して、「七歳と六か月です」と答えた。
「間違い!」
ハンプティ・ダンプティは勝ち誇って叫んだ。「そんなことは、ひと言も言っておらん!」
「『いくつですか?』という意味かと思いました」とアリスは説明した。
「そういう意味なら、そう言ったはずだ」とハンプティ・ダンプティは言った。
アリスは、また言い争いを始めたくなかったので、黙っていた。
「七歳と六か月!」
ハンプティ・ダンプティは、考え込みながら繰り返した。「落ち着かん年ごろだな。わしに相談していたなら、『七歳でやめておけ』と言ってやったのに。もう遅いが。」
「大きくなることについて、相談なんかしません」とアリスは、むっとして言った。
「気位が高すぎるのかね?」と相手は尋ねた。
そう決めつけられて、アリスはもっと腹が立った。「私が言いたいのは」と言った。「人は、年を取るのを止められないということです。」
「ひとりでは、そうかもしれん」とハンプティ・ダンプティは言った。「だが、ふたりならできる。しかるべき助けがあれば、おまえも七歳でやめられたのだ。」
「とてもすてきなベルトをしていらっしゃるのね!」
アリスは、いきなり言った。
(年の話はもう十分だと思ったのだ。それに本当に交代で話題を選ぶのなら、今は自分の番だった。)「いえ」と、考え直して訂正した。「すてきな襟飾りと言うべきでした――いいえ、ベルトのことです――ごめんなさい!」と、うろたえて付け加えた。ハンプティ・ダンプティが、すっかり気を悪くした顔になったので、この話題を選ばなければよかったと思い始めたのだ。「どこが首で、どこが腰なのか、わかればいいんだけど!」
ハンプティ・ダンプティは、明らかにひどく怒っていたが、一、二分は何も言わなかった。ようやく口を開いたときは、低いうなり声だった。
「まったく――腹の立つ――ことだ」と、やっと言った。「襟飾りとベルトの区別もつかん者がいるとは!」
「私が無知なんです」とアリスは、ひどくへりくだった声で言ったので、ハンプティ・ダンプティの怒りも和らいだ。
「襟飾りだよ、お嬢ちゃん。おまえの言うとおり、美しい品だ。白の王と女王からの贈り物なのだ。どうだ!」
「本当ですか?」とアリスは言った。やはりいい話題を選んだのだとわかり、すっかりうれしくなった。
「おふたりがくださった」とハンプティ・ダンプティは、片ひざをもう片方に重ね、そのまわりに両手を組んで、しみじみ続けた。「誕生日じゃない日の贈り物としてな。」
「何ですって、ごめんなさい?」
アリスは、きょとんとして言った。
「別に怒っておらん」とハンプティ・ダンプティは答えた。
「つまり、誕生日じゃない日の贈り物って、何ですか?」
「誕生日ではない日に、もらう贈り物に決まっている。」
アリスは少し考えた。「私は、誕生日の贈り物のほうが好きです」と、ようやく言った。
「自分が何を言っているか、わかっておらん!」とハンプティ・ダンプティは叫んだ。「一年は何日だ?」
「三百六十五日です」とアリスは答えた。
「誕生日は、いくつある?」
「ひとつです。」
「では、三百六十五から一を引けば、いくつ残る?」
「もちろん、三百六十四です。」
ハンプティ・ダンプティは疑わしそうな顔をした。「紙に書いて、計算してもらいたいね。」
アリスは思わず笑みを浮かべ、手帳を取り出し、計算してみせた。
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ハンプティ・ダンプティは手帳を受け取り、念入りに見た。「どうやら、正しくできているようだ――」と言い始めた。
「逆さまに持っていらっしゃいます!」
アリスは口を挟んだ。
「なるほど、そのとおりだ!」
アリスが向きを直してやると、ハンプティ・ダンプティは陽気に言った。「少し妙だと思っておった。今言ったように、正しくできているようだな。今は詳しく調べる時間はないが。つまり、誕生日じゃない日の贈り物をもらえる日は、三百六十四日あるわけだ――」
「そうですね」とアリスは言った。
「そして、誕生日の贈り物は、たった一日。どうだ、これが栄光というものだ!」
「『栄光』って、どういう意味でおっしゃっているのかわかりません」とアリスは言った。
ハンプティ・ダンプティは、ばかにしたように笑った。「わしが教えるまでは、わからんに決まっている。『見事な決め手の議論だろう!』という意味だ。」
「でも、『栄光』は『見事な決め手の議論』という意味ではありません」とアリスは反論した。
「わしが言葉を使うときは」とハンプティ・ダンプティは、かなり見下した調子で言った。「わしが選んだ意味になる。それ以上でも、それ以下でもない。」
「問題は」とアリスは言った。「ひとつの言葉に、そんなにいろいろな意味を持たせられるかということです。」
「問題は」とハンプティ・ダンプティは言った。「どちらが主人か、ということだ。それだけだ。」
アリスは、すっかりわけがわからなくなり、何も言えなかった。しばらくすると、ハンプティ・ダンプティがまた話し始めた。「気難しいやつもいる。とりわけ動詞だな。あれは、いちばん気位が高い。形容詞なら、どうにでもなるが、動詞はそうはいかん。もっとも、わしなら、どいつもこいつも使いこなせる! 難攻不落! わしの言いたいのは、それだ!」
「どうか教えていただけますか」とアリスは言った。「それは、どういう意味ですか?」
「ようやく、分別のある子供らしい話し方をしたな」と、ハンプティ・ダンプティは、ひどく満足そうに言った。「『難攻不落』でわしが言いたかったのは、この話題はもう十分だから、おまえが次に何をするつもりか言ってくれれば、ちょうどよいということだ。まさか、これから一生ここにとどまるつもりでもあるまいからな。」
「ひと言に込めるには、ずいぶんたくさんの意味ですね」とアリスは考え深げに言った。
「そういうふうに、言葉にたくさん働かせたときは」とハンプティ・ダンプティは言った。「いつも余分に給料を払っている。」
「まあ!」とアリスは言った。それ以外は何も言えないほど、頭がこんがらがっていた。
「ああ、土曜の夜に、あいつらがわしのまわりへ集まってくるところを、見せてやりたいね」とハンプティ・ダンプティは、もったいぶって頭を左右に振りながら続けた。「給料を受け取りに来るわけだ。」
(アリスには、何で払うのか尋ねる勇気がなかった。だから、私にも皆さんに教えることができない。)
「言葉の説明が、とてもお上手なんですね」とアリスは言った。「『ジャバウォッキー』という詩の意味を、教えていただけますか?」
「聞かせたまえ」とハンプティ・ダンプティは言った。「わしは、これまで作られた詩なら全部説明できる。それに、まだ作られていない詩も、かなりたくさんな。」
これは期待できそうだったので、アリスは最初の一節を唱えた。
やきにくなって、かしなべるトーヴたちは
まわはらでぐでこまったり、ぐであけったり
じめしおれたボロゴーヴばかり
えまいいラスはほえぶきしていた。
「まずは、それだけで十分だ」とハンプティ・ダンプティが遮った。「難しい言葉が、たくさんあるからな。『やきにく』とは、午後四時のことだ。夕食の肉を焼き始める時間なのだよ。」
「それなら、よくわかります」とアリスは言った。「では、『かしなべる』は?」
「『かしなべる』は、『しなやかで、ぬめる』という意味だ。『しなやか』というのは、よく動くということだな。つまり、旅行かばんのようなものだ。ひとつの言葉に、二つの意味が詰め込まれている。」
「なるほど」とアリスは考えながら言った。「では、『トーヴ』は何ですか?」
「『トーヴ』は、少しアナグマに似ている。少しトカゲにも似ている。それから、少しコルク抜きにも似ている。」
「ずいぶん変わった姿の生き物でしょうね。」
「まさに、そのとおり」とハンプティ・ダンプティは言った。「それに、日時計の下に巣を作る。それに、チーズを食べて生きている。」
「では、『ぐでこまる』と『ぐであける』は?」
「『ぐでこまる』とは、こまのように、ぐるぐる回ることだ。『ぐであける』とは、きりのように穴を開けることだ。」
「『まわはら』は、日時計のまわりの芝生でしょうか?」とアリスは言った。自分のひらめきに、自分で驚いた。
「もちろんだ。『まわはら』と呼ぶのは、前にも後ろにも、ずっと広がっているからだ――」
「それに、両脇にもずっとですね」とアリスは付け加えた。
「まさしく。その次だが、『じめしおれた』は『みじめで、しおれた』だ(これも旅行かばんだな)。『ボロゴーヴ』は、やせてみすぼらしい鳥で、羽が四方へ突き出している。生きたモップのようなものだ。」
「では、『えまいいラス』は?」とアリスは尋ねた。「ずいぶんお手数をかけて、ごめんなさい。」
「『ラス』は、緑色のブタの一種だ。だが『えまいい』は、確かではない。『家迷い』を縮めたのだと思う。つまり、道に迷っているわけだ。」
「『ほえぶく』は、どういう意味ですか?」
「『ほえぶく』というのは、ほえるのと口笛のあいだに、くしゃみを挟んだようなものだ。まあ、あちらの森で聞けるかもしれん。一度聞けば、十分満足するだろう。そんな難しいものを、誰がおまえに聞かせたんだ?」
「本で読んだんです」とアリスは答えた。「でも、もっとやさしい詩なら、聞かせてもらいました。ええと――ツィードルディーだったと思います。」
「詩といえば」とハンプティ・ダンプティは、大きな手を片方伸ばして言った。「わしだって、その気になれば、人並みに詩を唱えられるぞ――」
「ああ、その気にならなくても結構です!」
アリスは、始めさせまいと急いで言った。
「これから唱える作品は」とハンプティ・ダンプティは、アリスの言葉に構わず続けた。「ひとえに、おまえを楽しませるために書かれたものだ。」
それなら、どうしても聞かなくてはいけないとアリスは思った。そこで座り、「ありがとうございます」と、少し悲しそうに言った。
「冬、野原が白くなるころ、
おまえの楽しみに、この歌を歌おう――
もっとも、歌いはせんがね」と、説明を付け加えた。
「ええ、見ればわかります」とアリスは言った。
「歌っているかどうか、見てわかるとは、人よりよほど目がいいのだな。」
ハンプティ・ダンプティは厳しく言った。アリスは黙った。
「春、森が緑になるころ、
意味を教えてやるとしよう。」
「どうもありがとうございます」とアリスは言った。
「夏、日が長くなるころ、
おまえにも歌がわかるだろう。
秋、葉っぱが茶色になるころ、
ペンとインクで書き留めろ。」
「それまで覚えていられたら、そうします」とアリスは言った。
「そんな感想を、いちいち言う必要はない」とハンプティ・ダンプティは言った。「気が利いていないし、調子が狂う。」
「わしは魚へ伝言を送った。
『これがわしの望みだ』と言った。
海に住む小さな魚たちは、
わしのもとへ返事をよこした。
小さな魚たちの返事には、
『それはできません、なぜならば――』。」
「あの、よくわからないんですが」とアリスは言った。
「先へ進めば、もっとやさしくなる」とハンプティ・ダンプティは答えた。
「わしは再び使いを送った。
『言うことを聞いたほうがいいぞ』と言った。
魚たちは、にやりと笑った。
『まあ、ひどくご機嫌斜めですね!』
一度言った、二度言った。
それでも忠告を聞かなかった。
わしは大きな新品のやかんを取った。
これからの仕事にぴったりだった。
胸はぴょんと、胸はどんと鳴った。
ポンプでやかんに水を満たした。
すると誰かが来て言った。
『小さな魚たちは、もう寝ました。』
わしはそいつに、はっきり言った。
『ならば、もう一度起こしてこい。』
大きな声で、はっきり言った。
近寄り、耳へと怒鳴りつけた。」
この一節を唱えたとき、ハンプティ・ダンプティの声は、ほとんど叫び声になった。アリスは身震いして思った。「あの使いには、何があってもなりたくないわ!」
「だが、そいつは頑固で高慢だった。
『そんなに怒鳴らなくても!』と言った。
そいつは高慢で頑固だった。
『起こしに行きますよ、もし――』と言った。
わしは棚からコルク抜きを取った。
自分で起こしに出かけていった。
ドアに鍵が掛かっていたから、
引き、押し、蹴り、たたいた。
ドアが閉まっているのを見て、
取っ手を回そうとしたが、しかし――」
長い間があった。
「それで全部ですか?」
アリスは、おずおず尋ねた。
「それで全部だ」とハンプティ・ダンプティは言った。「さようなら。」
ずいぶん突然だとアリスは思った。けれど、もう帰るべきだと、これほどはっきりほのめかされた以上、とどまるのも失礼な気がした。そこで立ち上がり、手を差し出した。「さようなら。また会う日まで!」と、できるだけ明るく言った。
「また会ったところで、おまえとはわからんよ」とハンプティ・ダンプティは不満げに言い、握手のために指を一本差し出した。「ほかの人間と、あまりにもそっくりだからな。」
「普通は顔で見分けるものですけど」とアリスは、考え深げに言った。
「まさに、そこが不満なのだ」とハンプティ・ダンプティは言った。「おまえの顔は、誰の顔とも同じだ。目が二つ、こうあって――」(親指で空中に位置を示した。)「真ん中に鼻、その下に口。いつも同じだ。たとえば、鼻の同じ側に目が二つあるとか、口がてっぺんにあるとかすれば、少しは役に立つのだが。」
「そんなの、きれいじゃありません」とアリスは反論した。けれどハンプティ・ダンプティは、目を閉じて、「試してから言いたまえ」と言っただけだった。
アリスは、まだ何か言うかと思い、少し待った。けれど目も開けず、もう気にも留めないので、もう一度「さようなら!」と言った。それにも返事がなかったので、静かに歩き出した。けれど歩きながら、独り言を言わずにはいられなかった。「なんて不愉快千万な――」(こんな長い言葉を口にすると、たいそう気が晴れたので、声に出して繰り返した。)「今まで会った誰よりも、不愉快千万な人――」その言葉は最後まで言えなかった。ちょうどそのとき、ものすごい落下音が響き、森を端から端まで震わせたからだ。
第七章 ライオンとユニコーン
次の瞬間、兵士たちが森を駆け抜けてきた。最初はふたり、三人ずつ、それから十人、二十人ずつ、しまいには森全体を埋め尽くすような大群になった。アリスは踏み倒されないよう木の陰へ入り、通り過ぎるのを見た。
生まれてこのかた、これほど足元のおぼつかない兵士を見たことがない、とアリスは思った。いつも何かにつまずいては、ひとりが転ぶと必ず何人かがその上につまずき、たちまち地面は、小さな人の山でいっぱいになった。
次には馬が来た。足が四本あるので、歩兵よりは少しましだった。それでも馬でさえ、ときどきつまずいた。そして馬がつまずくと、乗り手はすぐさま落ちるのが、決まりになっているようだった。混乱はますますひどくなり、アリスは森を出て開けた場所へ来られたことを、とてもうれしく思った。そこでは白の王が地面に座り、せっせと手帳に書き込んでいた。
「みんな送り出したぞ!」と王はアリスを見るなり、うれしそうに叫んだ。「森を通ってくる途中、兵士には会ったかな、お嬢ちゃん?」
「はい、会いました」とアリスは答えた。「何千人もいたと思います。」
「正確には、四千二百七人だ」と王は手帳を確かめて言った。「馬は全部というわけにはいかんかった。二頭は試合に必要だからな。それに、使者ふたりも送っておらん。どちらも町へ出ている。ちょっと道を見て、どちらか見えるか教えてくれ。」
「道には誰も見えません」とアリスは言った。
「わしにも、そんな目があればなあ」と王は、不満げに言った。「誰もさんが見えるとは! しかも、こんな遠くから! この明るさでは、わしは本物の人間を見るので精いっぱいなのに!」
アリスには、その言葉は耳に入らなかった。片手で目をかざし、まだ道をじっと見ていたからだ。「今、誰かが見えます!」と、ようやく叫んだ。「でも、とてもゆっくり来ます――それに、ずいぶん変な格好を!」(使者は、大きな手を両脇に扇のように広げ、ぴょんぴょん跳ねたり、ウナギのようにくねったりしながら、近づいてきたのだ。)
「少しも変ではない」と王は言った。「あれはアングロサクソンの使者で、あれはアングロサクソン式のしぐさだ。うれしいときにしか、やらん。名前はハイガという」(王はそれを、英語の mayor と韻を踏むように発音した。)
「ハで始まる、私の好きな人」とアリスは、つい始めてしまった。「好きなのは、ハツラツとしているから。嫌いなのは、ハナハダ見苦しいから。食べさせるのは――ええと――ハムサンドと、ハイ、干し草。名前はハイガ、住んでいるのは――」[訳注:同じ頭文字で始まる言葉を並べる言葉遊び。原文では H。]
「丘に住んでいる」と王は、何気なく言った。アリスがまだ、ハで始まる町の名前を考えているところへ、自分も遊びに加わっているとは、少しも思わずに。「もうひとりの使者はハッタという。ふたり必要なのだよ。行き来するために。来るのがひとり、行くのがひとり。」
「ご説明をお願いしても?」とアリスは言った。
「物乞いはいかんな」と王は答えた。
「ただ、わからないと言いたかったんです」とアリスは言った。「なぜ、来るのがひとりで、行くのがひとりなのですか?」
「言わなかったか?」と王はいらだたしそうに繰り返した。「ふたり必要なのだ。取りに行き、運んでくるために。取りに行くのがひとり、運んでくるのがひとり。」
ちょうどそのとき、使者が着いた。ひどく息が切れて、ひと言も話せず、ただ手を振り回して、かわいそうな王に、恐ろしい顔をしてみせるばかりだった。
「このお嬢さんは、おまえをハで好きなのだ」と王は言って、アリスを紹介した。使者の注意を自分からそらしたかったのだが、効果はなかった。大きな目を左右にぐるぐる動かしながら、アングロサクソン式のしぐさは、ますますとっぴになった。
「怖いではないか!」と王は言った。「気が遠くなる――ハムサンドをくれ!」
すると使者は、首から下げた袋を開け、王にサンドイッチを差し出した。アリスには、それがたいそうおかしかった。王は、むさぼるように食べた。
「もうひとつ、サンドイッチ!」と王は言った。
「もう干し草しか残っておりません」と使者は、袋の中をのぞいて答えた。
「では、干し草を」と王は、かすかな声でつぶやいた。
それで王がかなり元気を取り戻したので、アリスはうれしかった。「気が遠くなったとき、干し草を食うほどのものはない」と王は、もぐもぐしながら言った。
「冷たい水をかけたほうが、よいのではないかしら」とアリスは言った。「それか、気付け薬とか。」
「もっとよいものがないとは、言っておらん」と王は答えた。「これほどのものはないと言ったのだ。」
アリスには、それを否定する勇気はなかった。
「道で誰を追い越した?」と王は続け、もっと干し草をもらおうと使者へ手を伸ばした。
「誰も」と使者は言った。
「そのとおり」と王は言った。「このお嬢さんも、そいつを見た。つまり、誰もさんは、おまえより歩くのが遅いわけだ。」
「精いっぱいやっております」と使者は、むっとして言った。「私よりずっと速く歩く者など、誰もおりません!」
「そんなことはできん」と王は言った。「できたら、誰もさんが先に着いていたはずだ。まあ、息が戻ったなら、町で何が起きたか話してくれ。」
「耳打ちいたします」と使者は言い、両手で口にらっぱを作って、王の耳元まで身をかがめた。アリスも知らせを聞きたかったので、がっかりした。けれど使者は、ささやく代わりに、声を限りに怒鳴った。「また始めております!」
「それが耳打ちか!」と、かわいそうな王は飛び上がり、ぶるぶる身を震わせた。「もう一度やったら、バターを塗りたくってやるぞ! 地震のように、頭を突き抜けた!」
「それなら、ずいぶん小さな地震でしょうね!」とアリスは思った。そして思い切って尋ねた。「また始めたのは、誰ですか?」
「もちろん、ライオンとユニコーンだ」と王は言った。
「王冠を争っているんですか?」
「そうとも」と王は言った。「しかも、いちばんおかしいのは、王冠はずっとわしのものだということだ! 走って見に行こう。」
そこで一同は小走りで出かけた。アリスは走りながら、昔からの歌を心の中で唱えた。――
「ライオンとユニコーン、王冠かけて戦った。
ライオンはユニコーンを、町じゅう打ちのめして回った。
白パンをくれる人、黒パンをくれる人、
プラムケーキをくれる人、太鼓で町から追い払った。」
「勝った――ほうが――王冠を――もらうんですか?」と、走ってすっかり息を切らしながら、どうにか尋ねた。
「まさか、とんでもない!」と王は言った。「何を考えておる!」
「お願い――できますか」と、もう少し走ってから、アリスは息を弾ませて言った。「一分だけ――止まって――息を整えたいのですが。」
「頼まれるのは構わん」と王は言った。「ただ、そんな力はない。一分というのは、恐ろしく速く過ぎるからな。バンダースナッチを止めるようなものだ!」
もう話す息も残っていなかったので、アリスは黙って小走りを続けた。やがて大勢の群衆が見えてきた。その真ん中で、ライオンとユニコーンが戦っていた。ひどい砂ぼこりで、初めはどちらがどちらかわからなかったが、すぐに角でユニコーンを見分けられた。
一同は、もうひとりの使者ハッタが、片手に紅茶、片手にバター付きパンを持って、戦いを見ているところの近くに立った。
「出獄したばかりなんだ。入れられたとき、まだお茶が済んでいなくてね」とハイガは、アリスにささやいた。「中じゃカキの殻しかくれないから、ひどく腹ぺこで、喉も渇いてるんだよ。どうだい、かわいい子?」と続け、ハッタの首に親しげに腕を回した。
ハッタは振り向いてうなずき、またバター付きパンを食べた。
「牢屋では楽しかったかい、かわいい子?」とハイガは尋ねた。
ハッタはまた振り向いた。今度は頬に、一、二滴の涙が伝った。けれど、ひと言も話そうとしなかった。
「話したらどうだ!」
ハイガは、じれったそうに叫んだ。けれどハッタは、ただもぐもぐ食べ、また紅茶を飲んだ。
「話せと言うのに!」と王も叫んだ。「戦いは、どうなっておる?」
ハッタは必死の努力をして、大きなバター付きパンの塊を飲み込んだ。「順調に進んでおります」と、喉を詰まらせながら言った。「どちらも、八十七回ほど倒れました。」
「それなら、じきに白パンと黒パンを持ってくるのかしら?」
アリスは思い切って言った。
「もう用意してあるよ」とハッタは答えた。「今、僕が食べてるのが、その一部さ。」
ちょうどそのとき戦いが一休みになり、ライオンとユニコーンは息を切らして座った。王は「飲食のため、十分間の休憩を許す!」と叫んだ。
ハイガとハッタはすぐに働き始め、白パンと黒パンを載せた粗末な盆を運んだ。アリスもひと切れ味見したが、ひどくぱさぱさだった。
「今日はもう戦わんだろう」と王はハッタに言った。「行って、太鼓を始めるよう命じてくれ。」
ハッタはバッタのように跳ねていった。
アリスは一、二分、黙って立ち、その姿を見ていた。すると突然、顔を輝かせた。「見て、見て!」と、熱心に指さして叫んだ。「白の女王様が、野原を走っていらっしゃるわ! あそこにある森から飛び出してきたの――女王様たちって、なんて足が速いのでしょう!」
「何か敵に追われているのだろう」と王は、振り向きもせず言った。「あの森は、敵だらけだ。」
「でも、走って助けにいらっしゃらないんですか?」
アリスは、あまりに平然としているのに驚いて尋ねた。
「無駄だ、無駄だ!」と王は言った。「あれは恐ろしく足が速い。バンダースナッチを追いかけるようなものだ! だが、よければ覚え書きはしておこう――愛すべき、よい生き物だ」と、手帳を開きながら小声で繰り返した。「『生き物』のつづりは、e が二つだったかな?」
そこへ、ユニコーンが両手をポケットに入れて、ぶらぶら通りかかった。「今回は、僕のほうが優勢だったね?」と、通りすがりにちらりと王を見て言った。
「少しな、少し」と王は、かなりおどおどして答えた。「角で突き通すのは、いかんよ。」
「痛くなかったさ」とユニコーンは、何でもないように言った。そのまま行こうとして、たまたまアリスに目を留めた。急に振り向き、しばらく、これ以上ないほど嫌悪のこもった顔で見つめた。
「これ――は――何だ?」と、やっと言った。
「子供でございます!」
ハイガは熱心に答え、紹介しようとアリスの前へ出た。両手をアリスに向けて広げ、アングロサクソン式の姿勢を取った。「今日、見つけたばかりです。実物大で、本物の二倍も本物らしいのです!」
「ずっと、伝説の怪物だと思っていたよ!」とユニコーンは言った。「生きているのか?」
「しゃべれます」とハイガは、厳かに言った。
ユニコーンは夢見るようにアリスを見て、「話してみろ、子供」と言った。
アリスは、口元に笑みが浮かぶのをこらえられなかった。「実は私も、ユニコーンは伝説の怪物だと思っていたの! 生きているのを見るのは、初めてよ!」
「じゃあ、今こうして互いを見たのだから」とユニコーンは言った。「君が僕を信じるなら、僕も君を信じよう。そういう約束でどうだい?」
「ええ、お望みなら」とアリスは答えた。
「さあ、プラムケーキを出してくれよ、おやじさん!」とユニコーンは、アリスから王へ向き直って続けた。「黒パンなんか、僕にはいらない!」
「もちろん、もちろん!」と王はつぶやき、ハイガを手招きした。「袋を開けろ!」とささやいた。「早く! そっちではない。それは干し草だ!」
ハイガは袋から大きなケーキを取り出し、アリスに持たせた。そのあいだに、皿と大きなナイフを取り出した。どうやって全部が袋から出てきたのか、アリスには見当もつかなかった。手品みたいだと思った。
そのあいだにライオンも加わっていた。とても疲れて眠そうで、目は半ば閉じていた。「これは何だ!」と、アリスに向かってのんびりまばたきし、大きな鐘の音のような、低く響く声で言った。
「さあ、何だと思う?」とユニコーンは勢いよく言った。「絶対に当てられないよ! 僕にも無理だった。」
ライオンは、だるそうにアリスを見た。「動物か――植物か――鉱物か?」と、ひと言おきにあくびをしながら尋ねた。
「伝説の怪物だ!」と、アリスが答える前に、ユニコーンが叫んだ。
「では、怪物、プラムケーキを配れ」とライオンは言い、寝そべって前足にあごを載せた。「それから、ふたりとも座れ」(王とユニコーンに向かって)。「ケーキは公平にな!」
二頭の大きな生き物のあいだに座るのは、王にとって、明らかに落ち着かなかった。けれど、ほかに場所はなかった。
「今なら、王冠をかけて、いい戦いができそうだね!」とユニコーンは、ずるそうに王冠を見上げて言った。かわいそうな王は、あまりに震えていたので、王冠が今にも落ちそうだった。
「おれが楽に勝つさ」とライオンは言った。
「それはどうかな」とユニコーンは言った。
「さっき町じゅう、おまえを打ちのめして回っただろうが、このひよっこ!」とライオンは怒り、半ば起き上がった。
ここで王は、けんかが続かないよう口を挟んだ。ひどく緊張して、声まで震えていた。「町じゅうとな?」と言った。「それは、ずいぶん長い道のりだ。古い橋を通ったか、それとも市場か? 眺めがいいのは、古い橋のほうだぞ。」
「知らんね」とライオンはうなり、また横になった。「ほこりだらけで、何も見えなかった。怪物は、ケーキを切るのに、ずいぶん手間取るな!」
アリスは小川の岸に腰を下ろし、大皿をひざに載せて、ナイフをせっせと前後に動かしていた。「本当に困ってしまうの!」とライオンに答えた(「怪物」と呼ばれるのにも、すっかり慣れかけていた)。「もう何切れも切ったのに、すぐまたくっついてしまうんです!」
「鏡のケーキの扱い方を知らないんだね」とユニコーンは言った。「先に配って、そのあとで切るんだよ。」
でたらめに聞こえたが、アリスは素直に立ち上がり、皿を持って回った。するとケーキは、ひとりでに三つに分かれた。空の皿を持って席へ戻ると、「さあ、切れ」とライオンが言った。
「おい、これは不公平だぞ!」とユニコーンが叫んだ。アリスはナイフを手に座り、どこから始めればいいのか、途方に暮れていた。「怪物は、僕の倍もライオンにやったじゃないか!」
「少なくとも、自分の分は残していないな」とライオンは言った。「プラムケーキは好きか、怪物?」
けれど、アリスが答える前に、太鼓が鳴り始めた。
音がどこから来るのか、わからなかった。あたりの空気がすべて音になったようで、頭の隅々まで響き渡り、耳が聞こえなくなりそうだった。アリスは飛び上がり、恐ろしさのあまり小川を跳び越え、
* * * * * * *
* * * * * *
* * * * * * *
ライオンとユニコーンが、ごちそうを邪魔されて怒った顔で立ち上がるのを、どうにか目にした。それからひざをつき、両手で耳をふさいだ。恐ろしい大音響を締め出そうとしたが、何の役にも立たなかった。
「これで『太鼓で町から追い払う』ことができなければ」とアリスは思った。「何をしたって、無理だわ!」
第八章 「わしの発明なんだよ。」
しばらくすると、あの騒音もしだいに遠のいてゆき、やがてあたりはしんと静まりかえった。アリスは少し不安になって顔を上げた。誰の姿も見えない。まず思ったのは、ライオンもユニコーンも、あの妙なアングロサクソン風の使者たちも、みんな夢だったのではないかということだった。けれども足もとには、プラムケーキを切ろうとしたあの大皿が、まだ転がっている。「やっぱり夢じゃなかったのね」とアリスはひとりごとを言った。「それとも――それとも、みんな一つの夢の中にいるのかしら。でも、どうせならわたしの夢だといいわ。赤の王さまの夢じゃなくて! ほかの人の夢の一部だなんて、いやだもの」アリスは少し不満そうに続けた。「いっそ王さまを起こしに行って、どうなるか確かめてみようかしら!」
そのとき、「おうい! おうい! 王手!」という大声が響き、アリスの考えは途切れた。真紅の鎧をまとった騎士が、大きなこん棒を振りまわしながら馬で駆けてきたのだ。アリスの目の前まで来ると、馬はぴたりと止まった。「おまえはおれの捕虜だ!」騎士はそう叫びながら、馬から転げ落ちた。
アリスはびっくりしたものの、そのときは自分の身より騎士のほうが心配で、騎士が馬に乗り直すのを、はらはらしながら見守った。騎士はようやく鞍に落ち着くと、また「おまえはおれの――」と言いかけた。ところがそこへ、別の声が割りこんだ。「おうい! おうい! 王手!」アリスはまた敵が来たのかと、驚いて振り向いた。
今度は白の騎士だった。アリスのそばで馬を止めると、赤の騎士とまったく同じように馬から転げ落ちた。それからまた乗り直し、二人の騎士はしばらく黙って、馬の上から互いを見つめていた。アリスはわけがわからず、二人の顔を交互に見た。
「その子はおれの捕虜だぞ!」とうとう赤の騎士が言った。
「そう、だがそこへわしが来て、助け出したのだ!」白の騎士が答えた。
「では、その子を賭けて戦うしかないな」赤の騎士はそう言って、鞍にぶら下げてあった兜を取り、頭にかぶった。兜はどことなく馬の頭の形をしていた。
「もちろん、戦いの規則は守ってもらえるのだろうね?」白の騎士も兜をかぶりながら言った。
「いつだって守っているさ」と赤の騎士は言い、二人はものすごい勢いで、がんがんと打ち合いはじめた。アリスはこん棒に当たらないよう、木の陰に隠れた。
「戦いの規則って、いったいどんなものかしら」アリスは隠れ場所からおそるおそるのぞいて、戦いを見ながらひとりごとを言った。「一つは、相手をたたいたら相手を馬から落とす、空振りしたら自分が落ちる、っていう規則みたいね。それから、パンチとジュディ[訳注:こん棒での殴り合いが見せ場となる、イギリス伝統の人形芝居]みたいに、こん棒を腕に抱えて持つことらしいわ――それにしても、落ちるたびになんてすごい音! 暖炉の道具一式が、火よけの柵に倒れかかったみたい! それなのに馬はなんておとなしいのかしら。乗ったり降りたりされても、まるでテーブルみたいにじっとしているわ!」
アリスが気づかなかった規則が、もう一つあるらしかった。それは必ず頭から落ちるというもので、戦いは二人が並んで頭から落ちたところで終わった。起き上がると二人は握手を交わし、それから赤の騎士は馬に乗って駆け去った。
「見事な勝利だったろう?」白の騎士は息を切らしながら近づいてきた。
「よくわからないわ」とアリスは心もとなげに答えた。「わたし、誰の捕虜にもなりたくないの。女王さまになりたいのよ。」
「なれるとも。次の小川を渡ればね」と白の騎士は言った。「森の出口までは、わしが無事に送り届けよう――ただ、そのあとは戻らねばならん。わしが進めるのはそこまでだからね。」
「どうもありがとう」とアリスは言った。「兜を脱ぐの、お手伝いしましょうか?」
どう見ても、騎士一人の手には負えそうもなかった。けれどもアリスが揺すったり引っぱったりするうちに、ようやく中から騎士が抜け出した。
「これで少しは息が楽になった」騎士は両手でぼさぼさの髪をかき上げ、優しい顔と大きな穏やかな目をアリスに向けた。アリスは、生まれてこのかた、こんな妙な姿の兵隊さんを見たことがないと思った。
騎士の身につけたブリキの鎧は、まるで体に合っていなかった。肩からは、奇妙な形をした小さなモミ材の箱を逆さまに下げていて、ふたは開いたままぶらぶらしている。アリスは興味津々でそれを見た。
「わしの小箱に感心しているようだね」と騎士は親しげに言った。「わしの発明なんだよ――服やサンドイッチを入れるためのものさ。ほら、雨が入らないように、逆さまにして持ち歩くんだ。」
「でも、中のものが出てしまうわ」とアリスはそっと言った。「ふたが開いているの、ご存じ?」
「知らなかった」騎士の顔に、かすかな悔しさが浮かんだ。「じゃあ、中身はみんな落ちてしまったに違いない! 中身がなければ、箱なんぞ何の役にも立たん。」
騎士はそう言いながら箱を外し、茂みに放り投げようとした。が、ふと何か思いついたらしく、注意深く木に掛けた。「なぜこうしたかわかるかね?」とアリスに尋ねた。
アリスは首を振った。
「ハチが中に巣を作ってくれるかもしれんと思ってね。そうすれば、ハチミツが手に入る。」
「でも、もうハチの巣箱が――それらしいものが――鞍についているわ」とアリスは言った。
「うむ、たいへんよい巣箱なんだ」と騎士は不満げに答えた。「最上等の品だよ。だが、まだ一匹のハチも寄ってこない。それから、もう一つのはネズミ捕りだ。ネズミのせいでハチが入ってこないのか――ハチのせいでネズミが入ってこないのか、どちらなのかわからんがね。」
「ネズミ捕りは何に使うのか、不思議に思っていたの」とアリスは言った。「馬の背中にネズミがいるなんて、まずなさそうだもの。」
「まずないかもしれんね」と騎士は言った。「だが、もし来たときに、そこらじゅう走りまわられては困る。」
「つまりね」と、少し間を置いて騎士は続けた。「何事にも備えておくに越したことはない。この馬の足に、あんなにたくさん輪をはめてあるのも、そのためだよ。」
「でも、何の役に立つの?」
アリスはとても知りたそうに尋ねた。
「サメにかまれないためだ」と騎士は答えた。「これもわしの発明さ。では、乗るのを手伝っておくれ。森の出口まで一緒に行こう――そのお皿は何に使うんだね?」
「プラムケーキを載せるお皿よ」とアリスは答えた。
「持っていったほうがよさそうだ」と騎士は言った。「プラムケーキが見つかったら役に立つ。こっちの袋に入れるのを手伝っておくれ。」
これにはずいぶん時間がかかった。アリスは袋の口をとても丁寧に広げていたのだが、騎士が皿を入れるのが、あまりにもへただったからだ。最初の二、三回は、皿の代わりに自分が袋へ落ちこんでしまった。「少々きついんだよ」ようやく皿が収まると、騎士は言った。「袋の中に燭台がたくさん入っているものでね。」
そして袋を鞍に掛けた。鞍にはすでに、ニンジンの束や暖炉の道具、そのほかさまざまなものが、山ほどぶら下がっていた。
「髪の毛はしっかり留めてあるだろうね?」歩き出すと、騎士は続けた。
「いつもどおりにしか留めていないわ」とアリスはほほえんだ。
「それでは足りんだろうな」と騎士は心配そうに言った。「ここは風がたいそう強いのだ。スープの味くらい強い。」
「髪が吹き飛ばされない方法は、まだ発明していないの?」
アリスは尋ねた。
「まだだ」と騎士は言った。「だが、抜け落ちない方法なら考えてある。」
「ぜひ聞かせてほしいわ。」
「まず、棒を一本まっすぐ立てる」と騎士は言った。「それから果樹を仕立てるように、髪を棒に沿って上へ伸ばしてゆく。そもそも髪が抜け落ちるのは、下へ垂れているからだ――ものが上へ落ちることはないからね。わしの発明した方法だよ。よかったら試してみるといい。」
あまり楽そうな方法ではない、とアリスは思った。その妙案をあれこれ考えながら、しばらく黙って歩き、ときどき立ち止まっては、気の毒な騎士を助けてやった。騎士はどう見ても、馬に乗るのが上手とは言えなかったのだ。
馬が止まるたびに――それがしょっちゅうなのだが――騎士は前へ転げ落ちた。そしてまた歩き出すたびに――これがたいてい、かなり突然なのだが――今度は後ろへ転げ落ちた。それ以外はまあまあうまく乗れていたが、ときどき横に落ちる癖だけはあった。しかも、たいていアリスが歩いている側へ落ちてくるので、馬にぴったり寄り添って歩かないほうがいいと、アリスはすぐに気づいた。
「乗馬の練習を、あまりなさっていないのではないかしら」五度目に落ちた騎士を助け起こしながら、アリスは思いきって言ってみた。
騎士はたいそう驚き、少し気を悪くしたようだった。「どうしてそんなことを言うんだね?」そう尋ねながら鞍によじ登り、反対側へ転げ落ちないよう、片手でアリスの髪をつかんでいた。
「たくさん練習した人なら、そんなに何度も落ちたりしないと思うから。」
「練習なら、たっぷりしている」と騎士は重々しく言った。「たっぷりしているとも!」
アリスは「そうなの?」としか言いようがなかったが、できるだけ心をこめてそう言った。そのあと、二人はしばらく黙って進んだ。騎士は目を閉じてぶつぶつひとりごとを言い、アリスは次にいつ落ちるかと、はらはらしながら見守っていた。
「乗馬の大切なこつは」と、騎士は突然大声で言いだし、右腕を振りまわした。「しっかり保つこと――」そこで言葉は、始まったときと同じくらい突然に途切れた。アリスの歩いている道の真ん前に、騎士が頭のてっぺんからどすんと落ちたのだ。今度ばかりはアリスもすっかり怖くなり、騎士を抱き起こしながら、心配そうに尋ねた。「骨は折れていないでしょうね?」
「たいした骨は折れていない」と騎士は答えた。二、三本なら平気、とでもいう口ぶりだった。「さっき言いかけたとおり、乗馬の大切なこつは――しっかり釣り合いを保つことだ。ほら、こういうふうに――」
騎士は手綱を放し、アリスにやってみせようと両腕を広げた。すると今度は、馬の足の真下へ、あおむけにばったり落ちた。
「練習ならたっぷり!」アリスがもう一度立たせてやっているあいだじゅう、騎士は繰り返していた。「たっぷりしているとも!」
「あんまりおかしいわ!」今度はアリスもすっかり我慢ができなくなって叫んだ。「車輪のついた木馬にお乗りになるべきよ。絶対にそのほうがいいわ!」
「それは揺れずに進むのかね?」騎士はたいへん興味を引かれた様子で尋ね、馬の首に両腕を巻きつけた。ちょうど間一髪で、また落ちるところを免れた。
「生きた馬より、ずっと揺れないわ」アリスはこらえきれず、甲高い笑い声を漏らした。
「一頭手に入れよう」と騎士は考えこむようにつぶやいた。「一頭か二頭――何頭かな。」
少しのあいだ静かになったあと、騎士はまた話しはじめた。「わしは発明が大得意でね。さっき起こしてくれたとき、わしが少し考えこんでいたのに気づいたかね?」
「少し難しいお顔だったわ」とアリスは言った。
「うむ、ちょうどそのとき、門を越える新しい方法を発明していたのだ。聞きたいかね?」
「ええ、ぜひ」とアリスは礼儀正しく答えた。
「どうして思いついたか、話してあげよう」と騎士は言った。「つまり、わしはこう考えたのだ。『厄介なのは足だけだ。頭はもう十分高いところにある』。そこでまず、門のてっぺんに頭を載せる――それから逆立ちする――そうすると足も十分高くなるだろう――そうすれば、もう越えたことになる。わかるかね。」
「ええ、それができれば、たしかに越えられそうね」とアリスは考えながら言った。「でも、少し難しくはないかしら?」
「まだ試していない」と騎士は真顔で答えた。「だから、はっきりとは言えんが――少し難しいのは確かかもしれん。」
騎士があまりに悔しそうな顔をしたので、アリスはあわてて話題を変えた。「ずいぶん変わった兜をお持ちなのね!」と明るく言った。「それもあなたの発明?」
騎士は鞍から下げた兜を、誇らしげに見下ろした。「そうだ」と答えた。「だが、これよりよいものも発明したよ――砂糖の円錐みたいな形でね[訳注:当時の砂糖は円錐形に固めて売られ、削ったり砕いたりして使った]。それをかぶっていたころは、馬から落ちても、すぐに兜が地面に届いた。だから、ほんのちょっと落ちるだけで済んだわけさ――もっとも、兜の中へ落ちこむ危険はあった。一度そうなってしまってね――そのうえ、いちばん困ったことに、わしが抜け出す前に、もう一人の白の騎士がやってきて、かぶってしまったのだ。自分の兜だと思ったんだな。」
騎士があまりに大まじめなので、アリスは笑うわけにもいかなかった。「その方、痛かったんじゃないかしら」と、震える声で言った。「頭の上に乗られたんですもの。」
「もちろん、けってやらねばならなかった」と騎士は大まじめに言った。「それで兜は脱いでくれたが、わしを引っぱり出すのに何時間も何時間もかかった。何しろ、ぴったりくっついていたからね――まるで、時刻どおりぴったりに着く列車のように。」
「でも、その『ぴったり』は意味が違うわ」とアリスは言い返した。
騎士は首を振った。「わしの場合は、あらゆる意味でぴったりだったのだ。まったく間違いない!」そう言って、少し興奮した様子で両手を上げたとたん、鞍から転がり落ち、深い溝へ頭から突っこんだ。
アリスは溝の縁へ駆け寄り、騎士の姿を探した。しばらくずっとうまく乗れていたところだったので、この転落にはかなり驚き、今度こそ本当にけがをしたのではないかと心配になった。けれども、足の裏しか見えないのに、いつもの声で話し続けているのが聞こえ、アリスはほっとした。「あらゆる意味でぴったりだった」と騎士は繰り返した。「だが、人の兜を勝手にかぶるとは、うかつな男だ――しかも持ち主が中に入っているのに。」
「頭が下になっているのに、どうしてそんなに落ち着いてお話しできるの?」
アリスは騎士の足を引っぱって溝から引きずり出し、土手の上にごろりと寝かせながら尋ねた。
騎士はその質問に驚いたようだった。「体がどこにあろうと、何の関係があるのかね?」と言った。「頭の働きは変わらんよ。実際、頭が下になればなるほど、新しい発明がどんどん浮かぶのだ。」
「その中でも、これまででいちばん賢い発明は」と、ひと呼吸置いて続けた。「肉料理を食べているあいだに、新しいプディングを思いついたことだね。」
「次のお料理に間に合うように作ってもらったの?」とアリスは尋ねた。
「いや、次の料理というわけではない」と騎士は、ゆっくり考えこむように答えた。「いや、次の料理でなかったのは確かだ。」
「じゃあ、次の日ね。一度の晩ごはんに、プディングが二度出てくるわけはないものね?」
「いや、次の日というわけでもない」騎士はさっきと同じ調子で繰り返した。「次の日ではない。実のところ」と、うつむき、だんだん声を小さくしながら続けた。「あのプディングは、まだ一度も作られていないと思う! 実のところ、これからも作られないと思う! それでも、実に賢いプディングの発明だったんだがね。」
「何で作るおつもりだったの?」
かわいそうに騎士がすっかりしょげてしまったので、元気づけてあげようと、アリスは尋ねた。
「まず吸い取り紙だ」と騎士はうめいた。
「あまりおいしくなさそうね、それは――」
「それだけなら、おいしくない」と騎士は熱心に口を挟んだ。「だが、ほかの材料を混ぜると、見違えるほどよくなるんだよ――たとえば火薬や封ろうなどをね。それでは、ここでお別れだ。」
二人はちょうど、森の出口まで来ていた。
アリスはぽかんとするばかりだった。まだプディングのことを考えていたのだ。
「悲しいのだね」と騎士は心配そうに言った。「慰めに、歌を歌ってあげよう。」
「とても長い歌?」
アリスは尋ねた。その日はもう、ずいぶんたくさん詩を聞かされていたからだ。
「長い」と騎士は答えた。「だが、とても、とても美しい歌だ。わしが歌うのを聞いた者はみな――目に涙を浮かべるか、それとも――」
「それとも、どうなるの?」騎士が急に黙ってしまったので、アリスは尋ねた。
「それとも、浮かべないかだ。この歌の題名は、『ハドックの目』と呼ばれている。」
「あら、それが歌の題名なのね?」
興味を持とうと努めながら、アリスは言った。
「いや、わかっておらんね」と騎士は少しむっとした。「それは題名が何と呼ばれているかだ。本当の題名は『年老いた年老いた男』というのだよ。」
「じゃあ、『その歌は、そう呼ばれているのね』と言えばよかったの?」
アリスは言い直した。
「いや、それでもいかん。それはまるで別のことだ! 歌は『方法と手段』と呼ばれている。だが、それはそう呼ばれているというだけのことだよ!」
「それじゃ、歌は本当は何なの?」アリスはもう、すっかりわけがわからなくなっていた。
「それをこれから言うところだった」と騎士は答えた。「歌そのものは『門に座って』だ。そして節は、わしの発明なんだよ。」
そう言って馬を止め、手綱を首の上へ落とした。それから片手でゆっくり拍子を取り、歌の調べを自ら楽しむように、優しくもとぼけた顔にかすかな笑みを浮かべて、歌いはじめた。
鏡の国を旅してアリスが目にした不思議なことの中で、いつまでもいちばん鮮やかに覚えていたのは、このときのことだった。何年たっても、その光景のすべてを、昨日のことのように思い出すことができた。騎士の穏やかな青い目と、心優しいほほえみ。髪のあいだから差しこむ夕日と、鎧に燃え立ち、目がくらむほどにきらめく光。首に手綱をだらりと垂らしたまま、おとなしく歩きまわって、アリスの足もとの草をはむ馬。そして背後に広がる、森の黒い影。アリスは片手で目をかばい、木にもたれ、不思議な一人と一頭を見つめていた。物悲しい歌の調べに、半ば夢見心地で耳を傾けながら、そのすべてを一枚の絵のように心へ収めたのだった。
「でも、この節はあの方の発明じゃないわ」とアリスは心の中で言った。「『すべてをあなたに、これよりほかには』だもの」立ったまま、とても熱心に聞いていたが、目に涙は浮かばなかった。
「話せるかぎりを話してあげよう
たいした話じゃないけれど。
わたしは年老いた年老いた男を見た、
門に座っているところ。
『ご老人、あなたはどなたです、
どうして暮らしているのです?』
答えはわたしの頭から漏れた、
ざるから水が漏れるよう。
男は言った、『麦の間で
眠っているチョウを探し、
そいつで羊肉パイを作って、
往来で売るんじゃよ。
買ってくださるのはな』と言った、
『嵐の海を行く男たち。
そうして日々のパンを稼ぐ――
ひとつ、お恵みをくださらんか』。
だがわたしは考えていた、
ほおひげを緑に染めたうえ、
大きな扇をいつも使って
ひげを隠しておく工夫。
だから老人の話には
返す言葉も何もなく、
『さあ、どうして暮らしているんだね!』と
叫んで頭をぽかりとたたいた。
優しい声音で男は続けた、
『あちこち歩きまわってな、
山の小川を見つけると
そいつに火をつけ燃やすんじゃ。
そこからみんなが作るのは、
ローランドのマカッサル油[訳注:当時流行した髪油の商品名]。
だが、いくらわしが骨折っても、
もらえるのは二ペンス半』。
だがわたしは考えていた、
溶いた小麦粉を食べて暮らし、
そうして一日また一日と、
少しずつ太ってゆく方法。
わたしは男を右へ左へ、
顔が青くなるまで揺すり、
『さあ、どうして暮らしているんだ』と叫んだ、
『いったい何をしているんだね!』
男は言った、『花咲くヒースの間で
ハドック[訳注:タラの仲間の食用魚]の目を探してな、
そいつをチョッキのボタンに仕立てる、
静まりかえった夜のうちに。
だが売るときは金貨もいらぬ、
銀色きらめく硬貨もいらぬ、
たった半ペニーの銅貨一枚、
それで九つ買えるんじゃ。
『ときにはバターロールを掘り出し、
とりもちを塗った枝でカニを捕る。
ときには草の茂った丘で
辻馬車の車輪を探すんじゃ。
そうしてな』と片目をつむり、
『わしは財産をこしらえる。
喜んで乾杯いたしますぞ、
あなたさまのご健康に』。
そこでようやく耳を貸した、
たった今、案ができたのだ、
メナイ橋をワインで煮こんで
さびから守っておく方法。
わたしは男に厚く礼を言った、
財産の作り方を教えてくれたことに、
だが何よりも、乾杯したいと
わたしの健康を願ってくれたことに。
今でも、もしうっかりと
指を糊に突っこんだり、
気でも違ったように右足を
左の靴に押しこんだり、
あるいはとても重いものを
つま先の上に落とすたび、
わたしは泣く、思い出すから、
昔知っていたあの老人を――
まなざし優しく、話し方はゆっくりで、
髪は雪より白くって、
顔はカラスによく似ていて、
目は炭火のように赤く燃え、
悲しみのあまり気もそぞろで、
体を前へ後ろへ揺らし、
もごもご低くつぶやいて、
まるで口いっぱいに生地を詰め、
水牛みたいに鼻を鳴らしていた――
遠い昔の夏の夕べ、
門に座っていたあの人を。」
物語歌の最後の言葉を歌い終えると、騎士は手綱を取り、来た道のほうへ馬の頭を向けた。「あとほんの数ヤードだ」と言った。「坂を下りて、あの小さな小川を渡れば、そなたは女王になる――だが、その前に、わしを見送ってくれるかね?」指さされた方角へアリスが待ちきれない様子で顔を向けると、騎士はそう付け加えた。「長くはかからんよ。あの曲がり角まで行ったら、ハンカチを振ってくれるだろうね? そうしてくれれば、励みになると思うのだ。」
「もちろん、待っているわ」とアリスは答えた。「ここまで送ってくださって、どうもありがとう――歌もありがとう――とてもすてきだったわ。」
「そうだとよいが」と騎士は心もとなげに言った。「でも、思っていたほど泣かなかったね。」
二人は握手を交わし、騎士はゆっくり馬に乗って森へ帰っていった。「見送るのに、そんなに時間はかからなそうね」と、アリスは見守りながらひとりごとを言った。「ほら、もう落ちた! いつものとおり、頭からまっすぐ! でも、乗り直すのはずいぶん簡単なのね。あんなにいろんなものを馬にぶら下げてあるおかげだわ――」馬がのんびり道を進み、騎士が右へ左へ転げ落ちるのを見ながら、アリスはそんなふうにひとりで話し続けた。四度か五度落ちると、騎士は曲がり角までたどり着いた。アリスはハンカチを振り、姿が見えなくなるまで待った。
「励みになったかしら」と言って、アリスは坂を駆け下りようと向きを変えた。「さあ、最後の小川を渡って、女王さまになるのよ! なんてすてきな響きかしら!」
ほんの数歩で、小川の岸に着いた。「とうとう八番目のマスよ!」アリスは叫んで、ひと跳びに渡り、
* * * * * * *
* * * * * *
* * * * * * *
苔のように柔らかな芝生へ身を投げ出して休んだ。あちこちに小さな花壇が点々と散らばっている。「ああ、ここまで来られて本当にうれしい! あら、頭の上にあるのは、いったい何?」アリスはうろたえた声を上げ、頭をぐるりとぴったり囲んでいる、とても重いものに手をやった。
「でも、気づかないうちに載っていたなんて、どういうことかしら?」アリスはひとりごとを言い、それを持ち上げて膝に載せ、いったい何なのか確かめた。
それは黄金の冠だった。
第九章 女王アリス
「まあ、これは本当に立派だわ!」アリスは言った。「こんなに早く女王さまになれるなんて思わなかった――でも、よろしいこと、女王陛下」と、厳しい口調で続けた。アリスはもともと、自分を叱るのがわりあい好きだったのだ。「そんなふうに芝生でごろごろしていては、いけません! 女王さまには威厳がなくてはならないのよ!」
そこで立ち上がり、あたりを歩きまわった。最初は冠が落ちそうで心配だったので、少しぎこちない足取りだった。けれども、見ている人は誰もいないのだからと自分を慰めた。「それに、本当に女王さまになったのなら」と、また腰を下ろしながら言った。「そのうち、きっとうまくできるようになるわ。」
何もかもがあまりに奇妙だったので、すぐ両脇に赤の女王と白の女王が一人ずつ座っていても、アリスは少しも驚かなかった。どうやって来たのか、とても聞きたかったが、それは失礼に当たるかもしれない。それでも、試合は終わったのかと尋ねるくらいなら、かまわないだろうと思った。「あの、教えていただきたいのですが――」おそるおそる赤の女王を見て、アリスは切り出した。
「話しかけられてから口をきくのです!」
女王がぴしゃりと遮った。
「でも、みんながその決まりを守ったら」と、ちょっとした言い争いならいつでも受けて立つアリスは言った。「話しかけられるまで口をきかなくて、相手もいつまでもこちらが話しはじめるのを待っていたら、誰も何も言えなくなるでしょう。そうしたら――」
「ばかばかしい!」女王は叫んだ。「おまえ、そんなこともわからないの――」そこで眉をひそめて言葉を切り、しばらく考えたあと、急に話題を変えた。「『本当に女王さまになったのなら』とは、どういう意味です? 何の権利があって、女王などと名乗るのです? 正式な試験に受かるまでは、女王にはなれません。そして、試験は早く始めるに越したことはありません。」
「わたし、『なら』と言っただけなのに!」かわいそうなアリスは、情けない声で訴えた。
二人の女王は顔を見合わせ、赤の女王は少し身震いして言った。「『なら』と言っただけだと、言っていますよ――」
「でも、それだけじゃなくて、ずいぶんたくさん言ったわ!」白の女王は両手をもみしぼってうめいた。「ああ、ずっと、ずっとたくさん!」
「そのとおりです」と赤の女王はアリスに言った。「いつも本当のことを言いなさい――口にする前によく考えなさい――そして言ったあとは書き留めなさい。」
「そんなつもりで言ったんじゃ――」アリスが言いかけると、赤の女王がいらだたしげに遮った。
「そこが気に入らないのです! ちゃんとつもりがあるべきでした! 何のつもりも、何の意味もない子どもに、何の役目があるというのです? 冗談にだって意味は必要です――子どもは冗談より大事なはずでしょう。それは、両手を使って否定しようとしても、できないことです。」
「わたし、手を使って否定なんかしないわ」とアリスは言い返した。
「するなどとは誰も言っていません」と赤の女王は言った。「しようとしてもできない、と言ったのです。」
「この子はね」と白の女王が言った。「何かを否定したい気分なのよ――ただ、何を否定したらいいかわからないの!」
「たちの悪い、ひねくれた性分ですね」と赤の女王は言った。それから一、二分、気まずい沈黙が続いた。
沈黙を破ったのは赤の女王だった。白の女王に向かって言った。「今日の午後、アリスの晩餐会へあなたをご招待します。」
白の女王は弱々しくほほえんで、「それでは、わたくしもあなたをご招待するわ」と言った。
「晩餐会を開くなんて、ちっとも知らなかったわ」とアリスは言った。「でも、開くのなら、お客さまを招待するのはわたしだと思うのだけれど。」
「その機会はあげましたよ」と赤の女王は言った。「でも、おまえはまだ、お行儀の授業をあまり受けていないのでしょう?」
「お行儀は授業では習わないわ」とアリスは言った。「授業で習うのは、計算とか、そういうものよ。」
「では、足し算はできるの?」と白の女王が尋ねた。「一と一と一と一と一と一と一と一と一と一では、いくつ?」
「わからないわ」とアリスは答えた。「途中で数がわからなくなったの。」
「足し算はできませんね」と赤の女王が口を挟んだ。「引き算はできますか? 八から九を引きなさい。」
「八から九は引けないわ」とアリスはすぐに答えた。「でも――」
「引き算はできないのね」と白の女王は言った。「割り算はできる? パン一個をナイフで割ると――答えは何かしら?」
「それは、たぶん――」アリスが言いかけると、赤の女王が代わりに答えた。「もちろん、バターつきパンです。では、もう一度引き算。犬から骨を取りなさい。何が残りますか?」
アリスは考えた。「わたしが取るのだから、骨はもちろん残らないわ。それに犬も残らない。わたしをかみに来るから――それなら、わたしも絶対に残らないわ!」
「では、何も残らないと思うのですね?」赤の女王が言った。
「それが答えだと思うわ。」
「いつもどおり、間違いです」と赤の女王は言った。「犬の堪忍袋が残ります。」
「でも、どうしてそうなるのか――」
「よくお聞きなさい!」赤の女王は叫んだ。「犬は堪忍袋の緒を切らすでしょう?」
「そうなるかもしれないわ」とアリスは慎重に答えた。
「だから、犬が行ってしまえば、緒の切れた堪忍袋が残るのです!」女王は勝ち誇って言った。
アリスはできるだけまじめな顔で言った。「別々の道を行くかもしれないものね。」
けれども心の中では、どうしてもこう思わずにはいられなかった。「わたしたち、なんてめちゃくちゃな話をしているのかしら!」
「この子は計算がまるでできません!」女王たちは声をそろえ、力をこめて言った。
「あなたは計算がおできになるの?」
アリスは突然、白の女王に向き直って尋ねた。あまりにあれこれけなされるので、嫌になったのだ。
女王は息をのみ、目を閉じた。「時間をくれれば、足し算はできるわ――でも引き算は、何があってもできません!」
「もちろん、ABCは知っているでしょうね?」赤の女王が言った。
「それはもちろん、知っているわ」とアリスは答えた。
「わたくしもよ」と白の女王はささやいた。「これから何度も一緒に唱えましょうね。いいことを教えてあげる――わたくし、一文字の単語なら読めるの! すばらしいでしょう! でも、がっかりしないで。あなたもそのうちできるようになるわ。」
ここで赤の女王がまた話しはじめた。「役に立つ質問には答えられますか?」と言った。「パンはどうやって作るのです?」
「それなら知っているわ!」
アリスは張り切って叫んだ。「まず、小麦粉を取って――」
「小麦の子はどこで採るの?」と白の女王が尋ねた。「お庭? それとも生け垣?」
「ええと、採るんじゃないの」とアリスは説明した。「ひいて作るのよ――」
「どこまで引いてくるの?」白の女王が言った。「そんなにあれこれ省いてはいけません。」
「頭をあおいでおやりなさい!」赤の女王が心配そうに口を挟んだ。「あんなに考えたら、熱が出てしまいます。」
そこで二人は葉の束でアリスをあおぎはじめた。髪があまりに吹き乱されるので、アリスはとうとう、もうやめてくださいと頼まなければならなかった。
「もうよくなりましたね」と赤の女王は言った。「外国語はできますか? 『へんてこりんのぷう』はフランス語で何と言います?」
「『へんてこりんのぷう』なんて、英語ではないわ」とアリスはまじめに答えた。
「誰が英語だと言いましたか?」赤の女王が言った。
今度こそ困った状況を抜け出せる、とアリスは思った。「『へんてこりんのぷう』が何語か教えてくだされば、フランス語で何と言うかお答えするわ!」と得意げに言った。
けれども赤の女王は、つんと背筋を伸ばして言った。「女王は取引などしません。」
「女王は質問もしないことにしてくれたらいいのに」とアリスは心の中で思った。
「けんかはやめましょう」と白の女王が心配そうに言った。「稲妻は何が原因で起こるの?」
「稲妻の原因は」とアリスはきっぱり答えた。これにはすっかり自信があった。「雷鳴よ――あ、違う、違う!」あわてて言い直した。「その逆だったわ。」
「もう訂正はできません」と赤の女王は言った。「一度口にしたら、それで決まりです。あとは結果を引き受けるしかありません。」
「それで思い出したわ――」白の女王は下を向き、落ち着きなく両手を握ったり開いたりしながら言った。「この前の火曜日、ものすごい雷雨だったのよ――この前の火曜日の束の、一つのことだけれど。」
アリスは困惑した。「わたしたちの国では」と言った。「一度に一日しかないわ。」
赤の女王は言った。「それは貧弱な、薄っぺらいやり方ですね。ここでは、たいてい昼も夜も一度に二つか三つずつあります。冬には五晩まとめて過ごすこともあるくらいです――暖かくするためにね。」
「じゃあ、五晩は一晩より暖かいの?」
アリスはおずおずと尋ねた。
「もちろん、五倍暖かいのです。」
「でも、同じ理屈なら、五倍寒くもなるはずよ――」
「そのとおり!」赤の女王は叫んだ。「五倍暖かくて、しかも五倍寒い――わたくしがおまえの五倍お金持ちで、しかも五倍賢いのと同じです!」
アリスはため息をついて、あきらめた。「答えのないなぞなぞと、そっくりだわ!」と思った。
「ハンプティ・ダンプティも見たのよ」と白の女王は、ひとりごとのような低い声で続けた。「栓抜きを手に持って、戸口に来たの――」
「何の用だったのです?」赤の女王が尋ねた。
「どうしても中へ入ると言い張ったのよ」と白の女王は続けた。「カバを探しているんですって。ところが、その朝はたまたま、家にそんなものはいなかったの。」
「ふだんはいるの?」
アリスは驚いた声で尋ねた。
「ええ、でも木曜日だけよ」と女王は答えた。
「何をしに来たか、わかったわ」とアリスは言った。「お魚をこらしめたかったのよ。だって――」
ここで白の女王がまた話しだした。「ものすごい雷雨だったのよ。とても想像できないくらい!」(「この子には何も想像できませんけれどね」と赤の女王が言った。)「屋根が一部はがれて、雷がどっさり入ってきたの――大きな塊になって部屋じゅうをごろごろ転がって――テーブルやら何やらをひっくり返して――あんまり怖くて、自分の名前も思い出せなくなってしまったわ!」
アリスは心の中で思った。「大変なことが起きている真っ最中に、自分の名前を思い出そうとなんか、しないわ! そんなことをして何の役に立つのかしら?」けれども、気の毒な女王の心を傷つけたくなかったので、口には出さなかった。
「陛下、この人を許してやってください」と赤の女王はアリスに言い、白の女王の片手を取って優しくなでた。「悪気はないのですが、たいてい、つまらないことを言わずにはいられないのです。」
白の女王はおずおずとアリスを見た。アリスは何か優しいことを言ってあげるべきだと思ったが、そのときは本当に何も思いつかなかった。
「ろくなしつけを受けていないのです」と赤の女王は続けた。「でも、驚くほど気立てがよいのですよ! 頭をなでてごらんなさい。どんなに喜ぶことか!」
けれども、さすがにアリスには、そこまでの勇気はなかった。
「少し優しくして――紙で髪を巻いてやれば[訳注:細い紙片に髪を巻きつけ、巻き毛を作る当時の方法]――見違えるほどになります――」
白の女王は深いため息をつき、アリスの肩に頭をもたせかけた。「ああ、眠くてたまらないわ!」とうめいた。
「疲れているのです。かわいそうに!」赤の女王が言った。「髪をなでつけて――寝るときの帽子を貸しておやりなさい――それから、心安らぐ子守歌を歌って。」
「寝るときの帽子なんて持ってきていないわ」と、最初の言いつけに従おうとしながらアリスは答えた。「それに、心安らぐ子守歌なんて知らないの。」
「では、わたくしが歌うしかありませんね」と赤の女王は言い、歌いはじめた。
「ねんねん、女王さま、アリスのお膝、
ごちそうができるまで、ひと眠り。
ごちそうがすんだら、舞踏会へ――
赤の女王に白の女王、アリスもみんなで!
「これで歌詞はわかったでしょう」と付け加え、アリスのもう片方の肩に頭を載せた。「今度はわたくしに、最初から歌ってください。わたくしも眠くなりました。」
次の瞬間には、二人の女王はぐっすり眠りこみ、大きないびきをかいていた。
「どうしたらいいのかしら?」アリスは途方に暮れて、あたりを見まわした。丸い頭が一つ、また一つと肩から転げ落ち、重い塊になって膝に載ったのだ。「眠っている女王さまを二人いっぺんにお世話しなければならないなんて、今まで一度もなかったでしょうね! そうよ、イングランドの歴史を全部探しても――ありっこないわ。女王さまが一度に二人いたことはないんだもの。起きてちょうだい、重くてたまらないわ!」アリスはいらいらして言ったが、返ってくるのは穏やかないびきだけだった。
いびきは一分ごとにはっきりと聞こえるようになり、だんだん歌の節に似てきた。とうとう歌詞まで聞き取れたので、アリスは夢中で耳を澄ませ、膝から二つの大きな頭が消えたことにも、ほとんど気づかなかった。
アリスはアーチ形の戸口の前に立っていた。上には大きな字で「女王アリス」と書いてある。アーチの両側には呼び鈴の取っ手があり、片方には「お客さま用の鈴」、もう片方には「召使い用の鈴」と書かれていた。
「歌が終わるまで待とうっと」とアリスは思った。「それから鈴を――どっちの鈴を鳴らせばいいのかしら?」その表示にすっかり困って、考え続けた。「わたしはお客さまじゃないし、召使いでもないもの。『女王さま用』っていうのが、あるべきだわ――」
ちょうどそのとき、扉が少し開き、長いくちばしの生き物が一瞬だけ頭を出して、「再来週までは入場お断り!」と言うと、またばたんと扉を閉めた。
アリスは長いこと、扉をたたいたり鈴を鳴らしたりしたが、何の役にも立たなかった。やがて、木の下に座っていたたいそう年老いたカエルが立ち上がり、ゆっくり足を引きずって近づいてきた。鮮やかな黄色の服を着て、途方もなく大きな長靴を履いていた。
「さて、何の用だね?」カエルは低い、しわがれたささやき声で言った。
アリスは振り向いた。もう誰にでも文句を言いたい気分だった。「戸口に応対する係の召使いは、どこにいるの?」と腹立たしげに尋ねた。
「どの戸口だ?」カエルが言った。
そののろのろした間延び声に、アリスはいらだって、危うく足を踏み鳴らすところだった。「もちろん、この戸口よ!」
カエルは大きなどんよりした目で、しばらく扉を見た。それから近づき、塗料が落ちるか確かめるように親指でこすって、アリスを見た。
「戸口に応対する?」と言った。「戸口が何か言ったんか?」
声があまりにかすれているので、アリスにはほとんど聞き取れなかった。
「おっしゃる意味がわからないわ」とアリスは言った。
「ちゃんと英語をしゃべっとるだろうが?」カエルは続けた。「それとも耳が遠いんか? 戸口は何を聞いてきたんだ?」
「何も!」
アリスはじれったそうに言った。「わたしがたたいていたのよ!」
「いかんな、それはいかん――」カエルはぶつぶつ言った。「戸口が腹を立てるぞ。」
それから扉へ歩み寄ると、大きな足でひと蹴りした。「あれを放っておけば」と、息を切らし、足を引きずって木へ戻りながら言った。「あれもあんたを放っておいてくれるさ。」
そのとき、扉がさっと開き、甲高い歌声が聞こえてきた。
「鏡の世界にアリスは告げた、
『手には王笏、頭には冠。
鏡の生き物、どなたでも、
赤の女王、白の女王と、わたしの宴へ』。」
すると何百もの声が、合唱に加わった。
「さあさあ、グラスを急いで満たせ、
テーブルにまこう、ボタンとふすま。
コーヒーにネコを、お茶にネズミを――
女王アリスを迎えて、三十かける三の万歳!」
続いて、どっと入り乱れた歓声が上がった。アリスは心の中で思った。「三十かける三は九十ね。誰か数えているのかしら?」
しばらくするとまた静かになり、同じ甲高い声が次の節を歌った。
「『鏡の生き物、お寄りなさい』とアリスは言った、
『わたしを見るのは名誉、聞くのは恵み。
食事やお茶をいただくなんて、光栄至極、
赤の女王、白の女王と、このわたしと!』。」
そして再び、合唱になった――
「さあさあ、グラスを糖蜜とインクで満たせ、
おいしい飲み物なら何でもござれ。
シードルに砂を、ワインに羊毛を――
女王アリスを迎えて、九十かける九の万歳!」
「九十かける九!」
アリスはうんざりして繰り返した。「ああ、それじゃいつまでたっても終わらないわ! すぐに入ったほうがよさそう――」アリスが姿を現したとたん、あたりは水を打ったように静まりかえった。
アリスは大広間を奥へ進みながら、不安げにテーブルを見渡した。さまざまなお客が五十人ほどいる。獣もいれば鳥もいて、花までちらほら交じっていた。「招待を待たずに来てくれて、よかったわ」とアリスは思った。「誰をお招きすればいいのか、わたしには全然わからなかったもの!」
テーブルの上座には椅子が三つあった。そのうち二つには、すでに赤の女王と白の女王が座っていたが、真ん中は空いていた。アリスはそこに腰を下ろした。静まりかえっているのが落ち着かず、誰か話してくれればいいのにと願った。
やがて赤の女王が口を開いた。「スープと魚料理には遅れましたね」と言った。「肉を出しなさい!」
給仕たちが、アリスの前に羊の脚のローストを置いた。アリスは少し心配そうに眺めた。こんな大きな肉を切り分けたことは、一度もなかったからだ。
「少し気後れしているようですね。その羊の脚をご紹介しましょう」と赤の女王が言った。「アリス――羊肉。羊肉――アリス。」
羊の脚は皿の上に立ち上がり、アリスにちょこんとお辞儀をした。アリスもお辞儀を返したが、怖がってよいのか、面白がってよいのかわからなかった。
「一切れお取りしましょうか?」アリスはナイフとフォークを取り上げ、二人の女王を見比べながら尋ねた。
「とんでもありません」と赤の女王はきっぱり言った。「紹介された相手を切るなど、礼儀に反します。肉を下げなさい!」
給仕たちは肉を運び去り、代わりに大きなプラムプディングを持ってきた。
「お願い、プディングには紹介しないで」とアリスはあわてて言った。「でないと、何も食べられなくなってしまうもの。少しお取りしてもいい?」
けれども赤の女王は不機嫌な顔をして、「プディング――アリス。アリス――プディング。プディングを下げなさい!」と唸った。給仕たちがあまりに素早く運び去ったので、アリスはお辞儀を返す暇もなかった。
とはいえ、赤の女王だけが命令できる理由はない、とアリスは思った。そこで試しに、「給仕さん! プディングを戻してちょうだい!」と呼んでみた。すると、まるで手品のように、あっという間に戻ってきた。とても大きいので、羊肉のときと同じように、どうしても少し気後れしてしまったが、アリスは懸命に勇気を振り絞り、一切れ切って赤の女王に渡した。
「なんという無礼だ!」プディングが言った。「もしわしがおまえを一切れ切り取ったら、どんな気がすると思うんだ、この小娘め!」
牛脂の塊のように、こってり重たい声だった。アリスは返す言葉もなく、ただ座ったままプディングを見つめ、息をのむばかりだった。
「何か言いなさい」と赤の女王が言った。「おしゃべりをすっかりプディング任せにするなんて、おかしなことです!」
「ねえ、わたし、今日は本当にたくさん詩を聞かせていただいたの」とアリスは切り出した。口を開いたとたん、場がしんと静まり、すべての視線が自分に集まったので、少し怖くなった。「それで、とても不思議だと思うのだけれど――どの詩も、何かしらお魚の話だったのよ。このあたりでは、なぜ皆さんそんなにお魚が好きなのか、ご存じ?」
赤の女王に話しかけたのだが、返ってきた答えは、少し見当違いだった。「魚といえば」と、女王はアリスの耳元へ口を寄せ、ゆっくりとおごそかに言った。「白の女王陛下が、すばらしいなぞなぞをご存じです――全部、詩になっていて――全部、魚のことです。聞かせていただきますか?」
「赤の女王陛下、ご親切にご紹介くださって」と白の女王が、ハトの鳴き声のような声で、アリスの反対の耳にささやいた。「たいへんなお楽しみになるわ! よろしいかしら?」
「どうぞ、お願いします」とアリスはたいへん礼儀正しく答えた。
白の女王はうれしそうに笑い、アリスの頬をなでた。それから語りはじめた。
「『まず、魚を捕まえよ。』
それなら簡単、赤ちゃんだって捕まえられた。
『次に、魚を買ってこい。』
それなら簡単、一ペニーでも買えただろう。
『さあ、魚を料理しろ!』
それなら簡単、一分あればできあがる。
『皿の中に寝かせておけ!』
それなら簡単、もう皿の中にいるのだもの。
『ここへ持ってこい! 食べさせろ!』
そんな皿をテーブルに出すのは、簡単なこと。
『皿のふたを取りなさい!』
ああ、それは難しい、わたしにはできそうもない!
何しろ魚が糊のように――
真ん中に寝そべったまま、ふたを皿にくっつけている。
どちらが簡単かしら、
魚のふたを取ることと、なぞのふたを取ることは?」
「少し考えてから、答えをお出しなさい」と赤の女王は言った。「そのあいだに、あなたの健康を祝って乾杯しましょう――女王アリスの健康に!」最後は声の限りに叫んだので、お客たちはすぐに飲みはじめた。その飲み方が、まことに奇妙だった。グラスをろうそく消しのように頭へかぶせ、顔を伝うものをすっかり飲む者もいれば、ワイン差しを倒し、テーブルの縁から流れ落ちるワインを飲む者もいた。カンガルーに似た三人などは、羊肉のローストの皿によじ登り、夢中で肉汁をぺろぺろなめはじめた。「飼い葉桶に頭を突っこんだブタみたい!」とアリスは思った。
「気の利いたご挨拶で、お礼を述べなければいけません」と赤の女王はアリスに眉をひそめて言った。
アリスは少しおびえながらも、素直に立ち上がった。すると白の女王が、「わたくしたちが、あなたを支えてあげるわ」とささやいた。
「どうもありがとう」とアリスはささやき返した。「でも、一人で大丈夫よ。」
「それでは、まるで形になりません」と赤の女王がきっぱり言ったので、アリスはできるだけ気持ちよく従おうとした。
(「それがもう、ものすごく押すのよ!」あとで宴の様子を姉に話したとき、アリスは言った。「わたしをぺちゃんこにしたいんじゃないかと思うくらい!」)
実際、挨拶をしながらその場に立っているのは、なかなか難しかった。両側から女王たちがぐいぐい押すので、危うく宙へ持ち上がりそうになるのだ。「お礼を申し上げるため、立ち上がりました――」アリスがそう言いはじめると、言葉どおり、体が数インチ浮き上がった。だがテーブルの縁につかまり、どうにか自分を引き下ろした。
「気をつけて!」白の女王が叫び、アリスの髪を両手でつかんだ。「何か起こるわ!」
するとそのとき――後にアリスが語ったところによれば――いろいろなことが、いっぺんに起こった。ろうそくはみな天井まで伸び、先端で花火を燃やすイグサの茂みのようになった。瓶たちはといえば、それぞれ皿を二枚ずつ取り、急いで翼に仕立てて取りつけ、フォークを足にして、あらゆる方向へばたばた飛びまわりはじめた。「それに、見た目も鳥そっくりだわ」とアリスは、始まりかけた恐ろしい混乱の中、できるかぎり頭を働かせて思った。
そのとき、すぐそばでしわがれた笑い声が聞こえた。白の女王に何が起きたのだろうと振り向くと、椅子には女王ではなく、羊の脚が座っていた。「ここよ!」とスープ鉢から声がした。アリスがまた振り向くと、ちょうど女王の幅広い、人のよさそうな顔が鉢の縁からのぞき、にっと笑いかけた。そうかと思うと、もうスープの中に消えてしまった。
一刻の猶予もなかった。すでに何人かの客は皿の中へ寝そべり、スープのおたまはテーブルの上をアリスの椅子へ向かって歩いてきて、どけとばかりに、せっかちに手招きをしていた。
「もう我慢できないわ!」アリスは叫んで飛び上がり、両手でテーブルクロスをつかんだ。力いっぱいひと引きすると、小皿も大皿もお客もろうそくも、いっぺんにがらがらと床へ落ち、山積みになった。
「それから、あなたはね」とアリスは続け、すべての騒ぎの元凶だと思う赤の女王に、猛然と向き直った。ところが女王はもう隣にいなかった。いつの間にか小さな人形ほどに縮み、今はテーブルの上で、後ろに引きずった自分のショールを追いかけ、楽しそうにくるくる走りまわっていた。
ほかのときなら、アリスも驚いたことだろう。けれども今は、あまりに興奮していて、何が起きても驚くどころではなかった。「あなたはね」と繰り返し、ちょうどテーブルに舞い降りた瓶を飛び越えようとしていた小さな女王を、ひょいと捕まえた。「子ネコになるまで揺すってやるわ。絶対によ!」
第十章 揺する
そう言いながら、アリスは女王をテーブルから持ち上げ、力いっぱい前後に揺すった。
赤の女王は少しも抵抗しなかった。ただ顔がとても小さくなり、目が大きく、緑色になった。それでもアリスが揺すり続けると、体はますます短くなり――太くなり――柔らかくなり――丸くなり――そして――
第十一章 目覚める
――やっぱり、それは本当に子ネコだった。
第十二章 夢を見たのはどっち?
「陛下、そんなに大きく喉を鳴らしてはいけません」アリスは目をこすりながら、うやうやしく、それでいて少し厳しく子ネコに話しかけた。「おかげで目が覚めてしまったわ。ああ、とってもすてきな夢だったのに! あなたもずっと一緒だったのよ、キティ――鏡の世界を旅しているあいだ、ずっと。ねえ、知っていた?」
子ネコには、たいへん困った癖がある。何を言っても、決まって喉をごろごろ鳴らすのだ。アリスも以前、そう言ったことがある。「『はい』ならごろごろ、『いいえ』ならにゃあ、っていうふうに、何か決まりがあればいいのに」とアリスは言ったものだった。「そうすれば、お話が続けられるでしょう! でも、何を言っても同じ返事の相手と、どうやってお話しすればいいの?」
今回も、子ネコはただ、ごろごろ言うばかり。それが「はい」なのか「いいえ」なのか、見当もつかなかった。
そこでアリスは、テーブルの上のチェスの駒をあれこれ探し、赤の女王を見つけた。それから暖炉前の敷物に膝をつき、子ネコと女王を向かい合わせに置いた。「さあ、キティ!」アリスは得意げに手をたたいた。「これに化けていたって、白状なさい!」
(「でも、見ようとしないのよ」と、あとで姉にそのことを話したとき、アリスは言った。「顔をそむけて、見えないふりをするの。でも、少し恥ずかしそうだったから、やっぱり赤の女王だったに違いないと思うわ」)
「もう少し、しゃんと座ってちょうだい!」
アリスは楽しそうに笑って言った。「それから、何を言おうか――何をごろごろ言おうか考えているあいだに、お辞儀をなさい。時間の節約になるんですからね!」
そして子ネコを抱き上げ、ちょこんとキスをした。「赤の女王さまだった記念に、ね。」
「かわいいスノードロップ!」アリスは肩越しに、まだ辛抱強く毛づくろいをされている白い子ネコを見て、話を続けた。「ダイナはいつになったら、白の女王陛下のお手入れを終えるのかしら? 夢の中であんなに身なりが乱れていたのは、きっとそのせいね――ダイナ! 自分が白の女王を、ごしごし洗っているってわかっているの? 本当に、ひどく失礼よ!
「それにしても、ダイナは何になったのかしら?」アリスはおしゃべりを続けながら、敷物に片肘をつき、手にあごを載せて、子ネコたちを眺めやすいよう、楽な姿勢になった。「ねえ、ダイナ。あなたはハンプティ・ダンプティになったの? わたしはそう思うわ――でも、まだお友達には話さないほうがいいわね。はっきりしないから。
「そうだ、キティ。夢の中で本当に一緒にいてくれたら、あなたがきっと喜んだことが一つあったのよ――お魚の詩を、どっさり聞かせてもらったの! 明日の朝は、すてきなお楽しみにしてあげる。朝ごはんを食べているあいだじゅう、『セイウチと大工』を聞かせてあげるわ。そうすれば、カキを食べているつもりになれるでしょう!
「さあ、キティ。あれを全部夢に見たのは誰だったのか、考えましょう。これは大事な問題なのよ。そんなふうに前足をなめ続けてはいけません――まるで今朝、ダイナに洗ってもらわなかったみたいに! いいこと、キティ。夢を見たのは、わたしか赤の王さまの、どちらかに違いないの。もちろん、王さまはわたしの夢の中にいたわ――でも、わたしも王さまの夢の中にいたのよ! 赤の王さまだったの、キティ? あなたは奥さまだったんだから、知っているはずでしょう――ねえ、キティ。お願いだから、どちらなのか決めるのを手伝って! 前足なんて、あとでいいじゃない!」
けれども、じれったい子ネコは、もう片方の前足をなめはじめただけで、質問など聞こえなかったふりをした。
あなたは、どちらだったと思う?
日の照る空の下、小舟は
夢見るように、ゆるゆる進む
七月のある夕べ――
三人の子どもが身を寄せる、
瞳を輝かせ、耳を澄ませ、
素朴な物語を楽しみに――
あの日の明るい空は、とうに色あせ、
こだまは薄れ、思い出は消える。
秋の霜が七月を葬った。
それでも、あの子は幻のように離れない、
目覚めた目には決して見えない
空の下を歩くアリス。
これからも子どもたちは物語を聞こうと、
瞳を輝かせ、耳を澄ませ、
愛らしく身を寄せてくるだろう。
不思議の国に横たわり、
日々が過ぎても夢を見て、
夏が消えても夢を見て、
いつまでも流れを下ってゆく――
黄金のきらめきの中を、ゆるゆると――
人生とは、夢のほかに何だろう?
おしまい